#00◇呟けないこと(過去記事)

こちらは2023年04月01日に
Tumblrに投稿した文章です。

/およそ1200文字

およそ半年以上、昏いキモチに囚われ続けてるんだけど、
Twitterには呟けないのよね。私にとって素敵な人ばっかりだから。

だけど今思うと、そうやって吐き出さないようにがまんし過ぎて、
ここまで拗らせてしまったのかも知れないね。

かといってやっぱり、人前で出していい感情じゃないって、私は思う。

もし、私と同じなやみを抱える人が、
そのキモチを私に吐露したらどうするかな。

そういう似たようなことが今までなかったワケじゃない。
そういうとき私はいつも相手に、「じゃあ遊ぼー」「一緒にやろー」
って言ってた気がする。むだに何時間も付き合ったりしちゃってね。

いざ私が落ち込んでる側になって実感した。
そうやって付き合ってくれるのは嬉しいし、
イヤなことを忘れてさせようとしてくれるのも分かるけど、
意外と、申し訳ないってキモチのほうが上回っちゃうものなんだね。

おまけに、こっちはからげんきに振る舞えないし、
かといってドロドロのキモチ剥き出しで友達と接するワケにいかないし。


ほんとう、どうしたらいいんだろうね。

寝ても覚めても昏いキモチは続くし、
忘れられるのはお仕事の雑務に集中してるときだけ。
そのときは忘れられても、
家に居てなにもしない時間があるとすぐに、
昏いキモチに覆われ始める。

なにかをしようにも、
その“なにか”に対して落ち込み続けてるわけで、
いっとき自分の足枷を解いても、
ほんとうに怖いのはネットに発信すること。
ネットに人格を創ることだから。

私はべつにネット上で大げさなペルソナを纏ってるワケでもなく、
“自分の好きな部分”を表に出して発信してただけなんだけど、
その“自分の好きな部分”をまったく信じられなくなっちゃったのよね。

ばけものみたいなペルソナを何枚も使って
ネット上でいきてるニンゲンに、生粋の私をズタボロにされて、
“自分の好きな部分”を欠定的に見失ってしまったみたい。


自分のおしゃべりが好きだった。
軽妙で彩り豊かで、空想の物語や人物に対する愛情に溢れていて、
だからそこできるセリフの表現やこだわりに充ちていて。

私が、「面白いな」「不思議だな」と思う部分にツッコミ入れて、
必ずそれ以上にたくさんの「好きな部分」を見つけて熱弁して、
たいがい最後には涙して。

そういう、「私の中での当たり前の愉快」を表現していたのよね。

ところが今の私は、好きなことを語るのもままならず、
不思議に思うことについて発したら、
相手(作品の場合は作者)を傷つけやしないか必要以上に気になって、
なにも言葉が出てこなくなる。


なんだろうな…。そうか。

「なにを言っても、私の発言を悪く利用される」

そういう経験を、いや、傷を負ってしまったからかな。


そりゃあ、、喋れなくもなるよ。

自分の言葉が信じられなくもなるよ。

どうやったら、治るのかな。


いいなと思ったら応援しよう!