ブン君と日本のアカデミックについて語る
ブン君は博士課程の学生さん。
日本語も英語も中国語も堪能。
自分の事はマレー系中国人です。と自己紹介してくれたので、今後、マレー系中国人の出会う事ができたら、ブン君の立ち振る舞いを期待してしまいそうな私。
優秀なブン君。
なぜ日本で博士課程で学んでいるかというと、学びたい環境の中で日本がとてもオトクに博士課程の学位を取れるからという。
日本政府の方針で諸外国に比べて博士課程への進学者には手厚いらしい。ブン君は授業料は免除なうえに奨学金を支給されている。
そして科研費の研究代表者として、なかなか高額な研究費を確保している。
本人の努力の結果なのだけれど、彼が日本に来日したのは18歳。その時に、この状況になる事を折り込みづみというのが凄い。
博士課程への進学を検討した結果ノーリスクハイリターンの挑戦と考え進学したのだという。
今のところどう?と聞くと。
ちょっと誤算がありました。との事。
たびたび、アカデミックの細かすぎる規程やコンプライアンスの窮屈さを愚痴る私達。
そんなエピソードがでるかと思いきや。。。
日本は価値として具体的に挙げられない快適や安心があって、それはお金に換算する事が出来ないだけに、日本以外で生活することはサバイバルに感じるようになりました。
ほー。
ほー。
ほー。
っていうか、、
つまり。どーゆーこと?
さっきまで、テンポよく話をしていたブン君。ピタリとした例が見つからないみたい。
えーと。たとえば、金持ちでも電車やバスに乗る自由はあって、自分がいる階層以外の人と話をしたり、同じ店に入る事が出来て、そんな自由がありますよね。
格差が広がってるとはいえ、交わらない事はないというか。闇がある事も事実ですが、欧米ほど真っ暗じゃないというか、、、
ブン君。たとえがインパクトに欠けると思ったのか、本質から離れたのかと感じたのか、自分でも明確には分からないみたい。
日本では、あの人は住んでる世界が違うからってよく知ってる人の事を話たりしますけど、、資本主義の先進国、例えばアメリカなんかでは、本当に、絶対に一生関わらない層が存在していて、それがグレーな世界もいいなって。
たまたまそういう年頃かもしれませんって。
たまたま
そういう
お年頃。
日本語上手すぎて、マレー系中国人の教育に興味あるわ。雑談バンザイ。
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