「良かった」「楽しかった」禁止日記
汎用性の高い、便利な言葉で溢れている。
「エモい」「尊い」「やばい」
私自身、その言い回しに何度世話になったか分からない。
「この感情をどう表したらいいか」の思考をする手間を省きまくった結果、ポピュラーな言葉に頼った文末になる。
このままでは語彙が死んでしまう。
記憶は小学校5年生の時まで遡る。
私の通っていた小学校では、5年生に上がるタイミングでクラス替えがあり、それに伴い担任の先生も変わった。教卓に登り先生が言う。
「今日から、出してもらう日記を書く時に『良かった』、『楽しかった』、『美味しかった』などのひと言で表す言葉を禁止します。」
教室がざわつく。小学生の作文における定番な文末を奪われてしまったのだ。
今の私にとっての「エモい」「尊い」「やばい」くらいの汎用性だ。
作文や日記に苦手意識のあった私は焦った。焦ったところで、愛用していた「良かったです」は使えなくなる。これでは日記の宿題に益々時間がかかってしまう……。今まで以上に真っ白な原稿用紙を見つめ続けることになる……。
最初はそんな風に思っていたのだが、「良かった」に替わる言葉を探すことは案外面白かった。
何が良かったのか、それを書くことができれば先生から赤字で直されることは無い。何より、書いていると自分の事ながらに「自分よ、そう思っていたのか」と気付ける。
読書は好きだったので、当時かき集めた言葉から自分の気持ちに沿う形容詞を必死に探し出す。表現が見つかると、パズルのピースがはまったみたいな達成感。悪くなかった。
作文や日記が苦手という気持ちが、いつの間にか無くなっていた。
作文を書いたらみんなの前で表現を褒められたり、高校入試の時は内申点も面接も恐らく平均以下だったが合格し、当時の先生からは作文が良かったのだろうとのコメントを貰ったりした。
全然苦手じゃなかった。なんとなく、印象だけの苦手だった。
その時に、文章を書くことの面白さに気付かなければ、こうしてnoteに長々文字を並べようなんて気持ちにもなっていないかも知れない。
現在はTwitterなどの短い文を投稿するのが主流になっていると思っていたが、友人にnoteの存在を教えて貰って、140字に収める必要なんて無かったと反省した。何かと、とことん向き合って良かったのだ。
小学校の先生には感謝をして、今日も楽しく何かを考えよう。思考とは、表すとは、辛いことだけではない。1番知るべき自分を知る機会だ。
手っ取り早く「中身」を説明させるべく禁止された言葉たちは今となっては解禁状態だ。それらの言葉とも仲直りして、どう思ったのかの突きつめを縛り無しでできる日々にしたい。
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