「知る」ということは、未来の選択肢を増やすということ
グーグル先生は、本当になんでも教えてくれる。
十数年前は、どんなキーワードで検索するかが結構重要で、「検索キーワードの選び方を教える」なんて講座もあったりした。
けれど、今は友人に聞くようにスマートフォンに話しかければOKだという(私のスマートフォンは古すぎて音声認識機能が甘く、私の言葉を正しく聞き取ってくれない。よって、音声検索ができないので使ったことがない。私の滑舌が悪いのではないと信じているが、これ如何に)。
ネット検索に必要なスキルは、ブラウザもしくは音声認識機能を立ち上げるだけになった。
だけど。
やっぱり、検索キーワードは必要なのだ。
画像で検索することもできるらしいが、それにはやっぱり画像が必要で。
つまり、言葉やら画像やらでその「モノ・コト」の存在を「知っている」ことが必要なのだ。
グーグル先生はなんでも教えてくれるけれど、「私がまだ知らないコト・モノが何なのか」は教えてくれない。
この世には知らないモノ・コトの方がずっと多いというのに!
がらりと話が変わるけれど、私は果物が好きだ。
家から出るのが億劫で買い物に行かず、自発的に食糧難に陥っている時以外は、だいたい毎日果物を食べる。
柑橘類が好きなのでグレープフルーツやいよかん、不知火などを食べることが多いが、ささっと食べられるキウイも安ければ買う。
私の果物リストに入っている選択肢は、近所のスーパーに売っている中から値段や好みを鑑みて選んだもで、柑橘類、キウイ、種無しぶどう、りんご、なし…といったところだ。
ちなみに、バナナと柿とさくらんぼは好きじゃないから、イチゴは高い割につぶれているものも多くて嫌だから、桃はお盆に親戚からもらって食べるものという認識だから、選択肢には入らない。
そんな私が、昨年、生の無花果をいただいた。
ドライフルーツの無花果は好きでよく食べていたけれど、生は初めて。
考えてみれば当たり前だけれど、干す前は生なんだよなぁ…。
そのまま食べたり、はちみつとレモンで漬けたりして食べたのだけれど、とっても美味しかった。
近所のスーパーでは扱っていないが、デパートの果物売り場になら売っているという。
お高いらしい、でも、これはまた食べたいなぁ…。
というわけで、私のフルーツリストに無花果が加わった。
無花果が生で売っていることを知って、食べてみて、選択肢に加えた。
私の毎日の果物の選択肢が1個増えたのだ。
私の場合は食生活の選択肢が増えただけだけれど、人によって増える選択肢は違う。
その美味しさに感動して、自分も無花果を作ることを目指す人がいるかもしれない。
お店をやっていたら、無花果を使ったメニューを増やすかもしれない。
美味しい無花果を作る農家さんの素晴らしさを伝える活動を始めるかもしれない。
逆に、「無花果はそこまで好きじゃないからもういいや…」と思う人もいるだろう。
そういう人は、無花果を食べて味を「知った」瞬間にできた様々な選択肢から「果物の中から無花果は選ばない」という選択をした人。
もしかすると、値段を「知った」段階で「高いから選ばない」という選択をする可能性もある。
どんな小さなことでも、「知った」瞬間からぶわーっと沢山の選択肢が出現する。
時間が流れている以上、その選択肢の中から必ず何かを選んで生きていかなくてはいけない(もちろん、選択肢の中には「スルーする」とか「考えないことにする」みたいなのも、ある)。
それならば、選択肢も、選択する回数も、多い方が良いんじゃないかしら、と思うのだ。
それを、幸せと呼んだりするんじゃないかしら、と。
グーグル先生に「幸せ とは」と聞いてみたら、幸せの概念を教えてくれた。
「〇〇(名前) 幸せ」と聞いてみたら、同名の人の楽しげな写真やSNSを見せてくれた。
でも、この私を幸せにしてくれる新たな「モノ・コト」を具体的に教えてはくれない。
だから、新しいモノ・コトを探しに行って、自分で何か見つけてこなくてはいけない。
見つけたものを試してみたりグーグル先生に詳しく教えてもらったりして、「知っているモノ・コト」を増やしていく。
そうして、未来の選択肢を増やしていく。
大人でも子供でも、生きている限り未来はあるから。
知って、選択肢を増やして、未来の自分を少しでも幸せにしてあげたい。
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