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次のドアが開くまで

2021年11月21日、人生で初めてアイドルのライブに行った。

トートバッグの底から出てきたペラペラの白い紙きれをまだ捨てられないでいる。夢みたいだったけど現実だったんだよな…と思えるのは最後にそう歌ってくれたから。締めがREALじゃなかったらもっと切ない気持ちだったかもしれないから、最後に"This is no dream, so real"で締めてくれて本当にありがたかった。

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私はアイドルというものをちょっとナメていた。

たまたまちょっと綺麗な顔に生まれた人が、ほどほどに歌ったり踊ったりしてお金を貰う仕事。それがアイドル。どうせファンのことなんか本当はちょっとバカにしてて、裏では何やってるかわからないけど、表がきちんとしてさえいればそれで良しとされる仕事。それがアイドルだと思っていた(し、裏でどうあろうと表がきちんとしているならそれはプロだろうと今も思っている)。

そもそもJO1にハマるまでアイドルにハマったことがなかったし、バンドや俳優さんやスポーツ選手にハマったことはあっても「ファンであるというのは趣味の一つで、あくまで自分の人生のかけらでしかない」と思っていた。たかだか趣味に、しかも他人のことに、本気でのめり込むのは時間もお金も無駄だと思っていた。録画したテレビ番組を見るとかCD1枚買ってみるとかライブやショーに行ってみるとか、そういうのはちょっとした娯楽の範疇であり、誰かに提供されたものに対して正当な対価を払っているに過ぎないが、それを超えて「何かのファンであること」が自分のアイデンティティみたいになったり、それが人生のメインテーマになったりするのは違うだろうと思っていた。だから、アイドルにドハマりしてめちゃくちゃお金を使っている人や、心の100%を推しに預けている人のことが理解できなかった。

本当に興味がなかったのでアイドルの良いところにはあまり気付けなかったが、テレビや雑誌でゴシップは時々見聞きする機会があった。だからこそ余計に、「アイドルなんてみんなこんなもんなのに、どうしてあんなに熱狂的になれるんだろう…」と思っていた。

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JO1に出会ってからというもの、同じCDを何枚も買い、1日のほとんどを推しについて考えて過ごすという、かつてはややバカにしていたオタクの行動そのものを取っているわけだが、それでもたまに「私いま何してるんだろう…」と思うことがあった。

もちろんCDをたくさん買うのはリターン(ヨントンとか)があるからだし、同時に「これで次もたくさんお金かけてもらって良い曲リリースしてくれ」という投資でもあった。だからわけもわからず無駄使いしているわけではない、推しのおかげで幸せだからその分お金で返しているだけ、と、思っていたが、それでもやっぱり「ある日突然推しに冷めたらどうしよう…」と思うことがたまにあった。昔ハマったバンドも俳優さんもスポーツ選手も、彼らが何かしたわけではないのにある日突然「もういいや」となってまったく追わなくなってしまった。もしそうなったらこの大量のトレカどうするんだろう…とか、自分にもっとお金を使いたいな…とか思うこともあった。供給が薄めになったりオタクがザワザワしたりするとより一層そう思った。誰か早く強めに頭を殴ってほしい、正気に戻ったらもうここにいられなくなるから。

ライブが決まったときも嬉しかったし絶対当てたい!と思ったが、もし当たらなかったらもうモチベーション保てないなとか、現場行ってみて思うような感じじゃなかったら冷めちゃうだろうなとか、自分で自分のことを心配していた。楽しみな気持ちとライブが終わったあとどんな気持ちになるのか怖い気持ちと半々。3日分全部の配信チケットをしっかり買って初日からリアタイするうちに楽しみな気持ちだけが残り、ドキドキしながら最終日に現場入りした。

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パフォーマンスがすごかったとかみんな美しすぎてびっくりしたとか、それもそうだったけど、何よりも「こんなに気持ちが通じ合ってると思わせてくれるなんて」と驚いた。


自分はファンで彼らはアイドル、自分は趣味でここにいて彼らは仕事としてここにいる、頭ではそうわかっているのに、そういう枠を越えて「会いたかったよ!」と言ってくれていると思った。ライブに行くことを「推しに会う」と表現するのがあまりしっくり来なかったのだが、間違いなく今私はJO1と会っていると感じた。ちゃんと目があってるしお互いに今この時間を共有している、大切に思っている。ほとんどの時間はステージに向かってペンライトを振ってスローガンを持っているだけなのにそう思えた。

みんなただ単にステージに立っているだけじゃなかった。声は出せなかったけど気持ちは伝わったし伝えられた。全然一方通行じゃなかった。JO1を好きでいることに何の後ろめたさも感じなくていいし、この子たちはこの場にオタクがたくさんいることを本気で喜んでくれていると心から信じられた。そのことが泣くほど嬉しかった。

衣装やメイクは他人が手を加えているし、ステージにも演出があるんだけど、この子たちは今「本心」を見せてくれていると思ってしまった。彼らは間違いなくアイドルで、作り上げられた偶像なんだけど、語られる言葉にも優しい顔にも嘘はないと思ってしまった。「思ってしまった」と書いたのは、辞めようと思えばいつでもファンを辞められる…というスタンスでいたいと心のどこかで思っていたからかもしれない。偶像を見て都合よく解釈して、自分の機嫌をとるため&最低限のお返しをするためにお金を払っていると思っていたのに、もう後戻りできなくなったかもしれないと思った。そして、後戻りできないことが全然怖くなかった。どこまでだって行ける気がした。これからも変わらず大好きでいていいし信じていいとわかると心強い。

純喜が「この会場今まんまるで…」と言ったけど、魂に形があるならこの子たちのそれは本当にきれいなまんまるだろうなと思った。こんな本気のものをぶつけてくれるのに、ライブが始まるまでちょっと逃げ腰でいたことが恥ずかしくさえなった。

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呆然としたまま家に帰って、呆然としたまま1週間を過ごした。自分の心が全部JO1のものになってしまった。ロスとかそんなレベルではなく、「他のことは何も考えたくない」と思った。全然仕事が手につかない。あれはなんだったんだ…夢じゃなくて現実だったらしい。そんな気持ちで、今日ここまで過ごしている。

OPEN THE DOORというタイトルのライブだったが、終わっても全然ドアが閉まる気配がない。というか、閉めるつもりがない。さっき開けたドアを閉めることよりも次のドアを開けることで頭がいっぱいになってしまっている。綺麗な夢を見せてくれたらそれでいいと思っていたのに「今見てるのは現実なんだよ」と教えてくれるんだから、JO1ってすごい。アイドルを好きでいられるのは「正気じゃないから」であって自分の狂気っぷりを楽しむのも含めてオタ活なんだと思っていたが、私は全然正気の状態でJO1のことが真剣に大好きだったらしい。

これから何が起きるのかは自分にもわからない。どうしても無責任な気がするので一生ファンでいる!とは言えない。だけど永遠を信じたいし、もっと前に進むところを見たい。「信じてください」と言われたこと、「愛してます」と言われたこと、それを確かに受け取って感動したこと、それらは全部本当のことだから。また次JO1に会えるまで、夢じゃなくて現実だったあの時間をお守りにして生きていきたい。今、大好きなアイドルがいることが、なんだかとっても幸せ。