【SNK】帝王の死【餓狼】
またもやPixivからのお引越し記事。修正あり。
ギースが裏社会に身を投じたそもそもの動機は、自分と母を捨てた父への復讐、さらにはその原因を作ったシュトロハイム家への復讐だったと思われる。その前段階として、母マリアの死後、少年ギースは父が婿入りしたシュトロハイム家の城に単身乗り込み、異母弟に当たるヴォルフガングに一蹴された、という設定があるからである。
ただ、おそらくある時点からは、ギースの生きる目的は、単なる復讐だけでなく、自分の野望を達成することへと徐々にシフトしていったのではないかとも思う。
ふたたびサウスタウンを掌握した晩年(『RB餓狼』のスタート時点)のギースには、もはや倒すべきヴォルフガングという仇敵がおらず、ボガード兄弟という不確定要素は存在していたものの、それですらやろうと思えば暗殺することは容易だったろうし、あるいは何かしらの罠にかけて社会的に抹殺することも可能だったはずである。が、結局、彼はそうしなかった。
ギースの心境を忖度するなら、それはもしかすると、財界人としては莫大な富を、暗黒街の住人としては最高の権力を、そして一武術家としては秦の秘伝書全三巻をすべて手に入れてしまったがために、人生に飽き始めていたからではないだろうか。もともと飽きっぽい性格のギースだが、自分をおびやかす存在を完全に排除し、絶対的な権力者になったあと、ならば自分はこれからどうすべきかと考えた時に、ふとあの兄弟のことを考えたのかもしれない。
かつてのギースなら、ここからさらに金や権力、あるいは骨董や美女といったものを欲し続けた可能性はある。初代の『餓狼』では、実際にそんな小物臭のするギースの姿が販促用小冊子のコミックで描かれていた。しかし、よくも悪くもシリーズが進むにつれて肉づけがなされていった結果、ギースは非常に恰好いい悪役として描かれるようになり、たとえは失礼だが、そんなMr.BIG的なイメージが似合わなくなってきた。
そこで、いかにもギースらしい傲慢な考え方をこの状況に当てはめてこじつけるとすると、要するにテリーたちは、障害が減ってイージーモードになりつつあったギースの人生に、ちょっとしたアクセントをつけてくれる存在として、その生存を容認されていただけなのかもしれない。
その結果、ギースはテリーに二度目の敗北を喫する。ここでギースがみずから死を選んだのを、「同じ相手に二度負けた上、さらに情けをかけられたのが屈辱だったから」と解釈することも可能だが、ぼく個人としては、それは違うような気がしている。
そもそもギースの最初の敗北は、「死を偽装して潜伏するため」というような設定があとから追加されており、すなわち初代『餓狼』ではギースがわざと負けたとも考えられるからである。
もともとギースの格闘家人生は、自分より年下のヴォルフガングに完膚なきまでに叩きのめされるところから始まっている。テリーとの闘いで屈辱的な敗北を喫したことにショックを受けて自殺するくらいなら、ヴォルフガングに敗れた時にすでに死を選んでいるだろう。ギースは天才的な格闘技のセンスを持っているといわれているが、ただの天才ではなく、泥水をすすってでも目的を成し遂げようと前進できるタイプの天才であって、ヴォルフガングのようにおのれの美学に酔い痴れるタイプの天才ではない。
ギースがあそこで死を選んだのは、これも憶測でしかないが、おそらく自分の人生にいろいろな意味で満足したから、だと思う。自分が欲するものをほぼすべて手に入れてのちのギースの生き方の指針になるのは、おそらく、「自分が満足できるかどうか」だったのではないだろうか。
かつては「この程度では満足せんぞ……」とぎらついてたギースが、すべてを手に入れて頂点に登り詰めたところで、勝敗はともかく、テリーと最高の闘いを演じてしまった。無論、傲慢な支配者であるギースは、テリーに負ける可能性など考えてもいなかっただろう。だが、実際にテリーに負けた瞬間、何か妙に満足してしまった。それによって、「見るべきほどのことは見つ」という感慨を覚えたのではないか。だからこそテリーの手を振り払い、高笑いとともにビルから落ちていったのではないか。
「いつどこでどんな幕引きをしようが、それを決めるのは自分自身、自分が死んだあとのことなどどうでもいい」という傲慢な終わらせ方こそが、いかにもギースらしいと思う。おそらく『RB』の頃のテリーには、何が何でもギースを殺して仇を討つという意志はなく、せいぜいギースを倒して死んだジェフに詫びさせたいという程度の考えだったのだろう。ビルから落ちていくギースに咄嗟に手を差し伸べたところに、テリーのそんな心情が現れているように思う。
だが、結局ギースはそれすらも拒み、ビリーや自分の築き上げたコネクションの将来のことも放り出して、自分勝手に人生の幕を下ろしてしまった。
ギースは1953年生まれ。もし生きていればとっくに還暦をすぎている。昨今の高齢化社会といえども間違いなく老人、古希である。
白髪頭で痩せ細った老人ギースなど見たくないという人は多いと思うが、おそらくもっともそれを見たくなかったのはギース自身ではなかったか。
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