【掌編】青竹と老竹【ML】
「マキ先生、諦めて俺とおうちデートしましょうよお」
眉をハの時に下げた間抜け面が廊下の窓から顔を出す。宣うは妄言の類で、何故諦める必要があるのか、何故貴様の家に行かねばならぬのか(当然自宅に招く予定など取り付けた事はなどない)そして何故デートなどをせにゃならぬのかと一言に対する指摘をしようとして、止めた。キリがないからだ。キリがなければどうする。聞かなかった事にすればいい。
マキ先生こと世界史担当の小牧川教諭は周囲に花を咲かせんばかりに微笑みを浮かべる餅江教諭を一瞥すると、無言で通り過ぎていった。
背後では先生ぇと情けない声を上げる餅江の鳴き声と、もっちゃん先生またフラれてんじゃん、もう諦めなよ。マキじじ全然靡いてないって。女子生徒達の笑気を含んだ慰めが耳に入ってくる。誰がじじだ。いや、確かに爺ではある。もう五十も半ばの自覚もある。だがせめて先生をつけろ。何故そっちにはついている。
長年に渡って深く刻まれた眉間の皺はもう平地になる事はないし、何なら餅江が赴任して来た日から続けられているアプローチのせいで山頂が更に育っている気さえする。おお山脈よ、何処まで育とうというのか。己の眉間と無言の対話を試みつつ、小牧川は真っ直ぐ職員室へと向かった。
職員室は基本的に大人の空間だ。時折相談事や小言などの為に訪れる生徒がちらほらと居るものの、淹れたてのコーヒーを頂けるので静かに作業をするのには丁度良い。
先ほどの様に寒い寸劇に巻き込まれる事もない。
「餅くん先生は相変わらずですか」
「相変わらずですな。いい加減諦めれば良いものを」
「若いですねえ。ううん、青い青い」
「とっとと成熟せいよと説教してやりたいわい」
言った所で聞きゃあせんだろうが。思わず漏れたぼやきに隣席の同僚は喉を震わせ笑った。
昔よりは随分と優しくなった時代に生きる青竹はぐんぐんと伸びていく。それでいて生まれたての若竹と近く柔軟だ。
だからこそ現実を見据えて、後は朽ちて倒れるだけの老竹なぞに懸想しとらんで、長く続くであろう人生を大事にしてほしいものである。
諦めてデートしろと言うが、此方こそ諦めてまともな相手を探せと言いたい。そもそも学校にそんな話題を持ってくるなという話でもある。
押しのけた若竹が大きくしなり此方に戻って来る様子を幻視し、顰めっ面で苦いコーヒーを啜った。