【掌編】大型犬と小説家【ML】
飼うのならば大型犬が良い。
今日も愛犬は朝日と共に飛び起きて、腹が減ったと騒ぎ立てる。起きろ起きろと鼻先をもすもす近づけてくるものだから、寝ぼけつつもほぼ確信を持って顔全体をわしりと掴んでやった。ベッドが壊れる、降りなさい。
ともあれそれで二度寝する程には意地悪くはないもので、仕方無しに身を起こして寝間着の白襦袢の紐を解いた。さっといつもの着流しを押してくる辺り、ちゃんと覚えているのだろう。大型犬は賢い。褒めて撫でてやれば大きな体躯で嬉しいと表現してくるので起き抜けでもまあ、悪い気はしなかった。
自宅仕事は楽でいい。しがない物書きの己ですら外に出るのが億劫なのだ。社会人達も通勤するのはさぞ苦痛であろう。
朝食も済んだところでさて昨日の続きをと書斎に入る。書斎に入るイコール仕事だとちゃんと認識している愛犬は大人しく部屋の外で待つようだ。夕になればまた飯だ飯だと騒ぐので、熱中して休憩を疎かにしがちだった頃に比べて格段に生活のメリハリがついた様に思える。とてもいい子だ。大っぴらに褒めると収拾がつかなくなる為、頭をひと撫でするに留まる。それでも嬉しそうに頭を下げるものだから、ついわしわしと力を込めてしまい、それはそれで飛び掛かられてつい時間を浪費してしまった。
悪意と偏見に満ちたおどろおどろしい世界をひたすらに打ち込む。怪奇物語や伝承に、現代への皮肉を交えたヘドロを形としてこねくり回すのが己の仕事だ。幸いにも連載させて貰える程度には物書きとして人に認められているらしい。
現代の鬱屈を言葉に出せぬ代わりに、大衆娯楽の形で飲み込まざるを得ない人間の何と多い事か。
作り出された世界に没頭し、己の存在がキーボードを叩き続ける指に集約される。
時間の流れも己の輪郭も曖昧になった頃に、書斎のドアがおもむろに開かれた。
「ジジイ、夕飯! うわ暗ぁ、卓上でもいいから電気つけろっての!」
「——おや」
魑魅魍魎が囀る怨嗟の声が勝手に口から漏れ出していた気がする。
「……良い子だね、お前は」
「何だいきなり。いいから飯にしようぜ」
唐突に暗く淀んだ水底から引き剥がされ、忘れていた呼吸を強制的に思い出させられた気分だ。ぱっと点けられた電気の光に目を眇め振り向けば煌々とした照明に弾ける金毛が揺れていた。
大型犬は、今日も煩く飯だ飯だと騒ぎ立てる。
差し出された手を取って、苦笑と共に現実の世へ引き返した。