なんでAI立ち絵の使用を禁止するの〜?って話をします
前提として、AIという技術はとても良いものだと思います。むしろ肯定派であるぐらいです。
特にいま議論しようとしている、AIでのイラスト生成についてですが、自分は全然ありだと思います。ルールがまだしっかりしていないから、倫理観のない使い方(例えばイラストの読み込みを禁止してる絵を読み込みして、その絵柄で遊んだり)をする方もいますが、使い方によっては無限に、誰も気軽に夢を見れるような、そんなツールだと思っています。
AIでイラストを生成して、AIで立ち絵を作って、AIのガワを着て、配信のネタもAIにお任せ!そんなのも全然アリだと思います。誰もが気軽に多彩な文化に触れ、個性を表現できる良い時代だなとすら思います。
ただ、元になっているイラストの生成は人間がしているわけですよね。膨大なインターネットというデータの中から、学習し、それを出力している。それがAIの技術だと思います。
かつて「学校に行かなくても、算数なんか習わなくても、電卓があるから別に良い」といった不登校YouTuberが炎上していましたよね。“AIがあるから絵師は要らない”という論争を聞くたびに、この出来事を思い出すんです。
電卓があるから計算なんて習わなくてもいい、という思考で皆がいたら、いつか電卓を作る側の人間もいなくなってしまうよ、という炎上でした。
今起こっていることは、まさにそれ。
学習元がなくなれば、AIイラストに今以上の発展は望めません。現在の技術で、現在の出力で、終わりです。そうなってしまえば、AI出力のイラストごと全ての絵画という文化はいずれ廃れます。
少し大げさに言いましたが、とにかく表現することが好きな自分にとって、”人間が創造し、表現すること“は守りたい文化です。
なるべく動物実験をしていない化粧品を選ぶとか、なるべくフェアトレードのチョコレートを選ぶとか、なるべく地球環境に優しいパッケージを選ぶとか、そんな感じの気持ちで、AI立ち絵の方の素材の使用を禁止しています。
AIが良い人はAIで良いと思うんです。素材もそんなの関係なく使って良いよっていう方もいるだろうし、なんなら素材もAIで出力してる方もいると思います。(正直AI立ち絵の方はAI出力の素材使うのが一番いいかと思います…)
守りたい文化に貢献できるように、少しでも、たとえ他の人がAIを駆使していても、伸び悩んでいても、AIという手段を取るよりは、自分の中の気持ちに一番寄り添っているのが「AIを使わない」なんです。
だから使用を禁止しています。気持ちの問題なので、正しいとか正しくないとかではありません。良い悪いでもないです。思想とか、信条とか、そういった類いの話をしています。
分かり合えないならそれで良いと思うんです。だって、信じるものは人それぞれ違うわけで、思想も、思考も、感情も皆違うから。でも憂逝鬱が作った素材に関しては、憂逝鬱の信条をルールに反映させてもらうよって、それだけの話です。
否定派、肯定派意見は色々あると思います。それはそれ、これはこれ。今は憂逝鬱の素材についての話をしている。
だから使わないでください。AIのイラストで立ち絵を生成してる方、線画、背景、着色、関係なく全ての工程においてAIが関わるなら使用を一律禁止しています。きっとあなたを輝かせてくれる素材は他にもいっぱいあるから、憂逝鬱の素材だけは絶対に使わないでください。