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渋谷という街について

2025年1月25日 午前1時32分
一人で行ったバーで飲んだ、かぼすジンリッキーの酔い覚ましに数の子ポテサラをくらう。母曰く、正月が明けると数の子が安くなるらしい。ほんとかな。
美味しいからいいけど。

さて、本題に入ろう。
私は渋谷が、嫌いだ。渋谷は、悲しい街であるから。

土曜から一日おきに徹夜をした一週間だった。
今日は昼に起き、家でグダグダしていたが、インスタのDMでお誘いいただいた美容院にてヘアカラーをすべく、おしゃれをして渋谷へ出た。
ファンデーションを肌に叩き込んだのなんて何週間ぶりだろうか。ポーチにチョコレートを忍び込ませて、私が今できる一番のおしゃれをして、出かけた。

午後7時30分ごろ、渋谷駅に着く。STREAMの出口から恵比寿方面に20分程度歩く。目的地に着いたタイミングで「逆行している」と気づく。
人って、浮かれていると凡ミスするんだよなあ。早く地に足をつけたい。

午後7時50分ごろ、風をきってガツガツ歩く。コートの裾がひらひらして素敵な気分。
ホームレスの方に遭遇する。一回通り過ぎたが、心の奥が疼いて戻る。ヘアカラー代を除いた、お財布に入っていた小銭を全部募金する。彼は私に小さくお辞儀をする。でも、その他大勢は無視をする。嗚呼、かなしきかな。

ミヤシタパーク一階、飲み屋が立ち並んでいるところを歩く。引き続き風を切る。
明かに装いを凝視したのちに居酒屋の客引き男が声をかける。私は風を切る。

ああ、渋谷は悲しい街だ。

私は、太ったり、病んだりしたことがある。
でも、痩せたり、気分的に有頂点にもなったことがある。
欲望のまま、拝金主義で、ステータスばかり気にする男性は、私たち女を見た目だけで判断する。確かに、話しかけてはいけないな…みたいな雰囲気とかあるけど、太っている時と痩せている時の対応の差は悍ましい。醜い。愚かである。

私は、小学生になるまで、渋谷の近くで生まれ育った。
なので、渋谷は正直いって、庭。地図なしで大体歩ける。
でも嫌い。悲しい街だから。

渋谷って、なんだろう。ちょっと調べてみた。

都内有数の繁華街・渋谷。中世には豪族・渋谷氏の本拠地となり、「金王八幡宮」「御嶽神社」などの寺社が置かれた。江戸時代には「宮益坂」に「大山街道」の茶屋街が生まれた。明治維新後の1885(明治18)年、日本鉄道品川線(現・JR山手線)の「渋谷駅」が置かれたことから急速に発展。明治後期から昭和戦前期にかけて「渋谷駅」は複数路線が乗り入れるようになり、デパートや大学もこの街に集まった。1932(昭和7)年、渋谷町などが東京市に編入され渋谷区が誕生。戦後は「東京オリンピック」開催の中心地となったほか、「センター街」「渋谷109」などが誕生し、若者を中心に多くの人が集まる街としても発展した。

https://smtrc.jp/town-archives/city/shibuya/index.html より

なるほど。神社が設置され、茶屋街が発生し、近代化の潮流で交通網が張り巡らされて、西洋式の百貨店が誕生して、「若者文化」の発信地になった、と。
酷く綺麗な街の歴史。自国のアイデンティティを捨て、終着点もよくわからない西洋への追いつけ追い越せマインドによって変遷し、それに影響を受ける若者の集う場になった、と。

いや、それだけじゃないよね。美化しすぎでしょ、住トラさん、流石としか言えないです。脱帽です。

繁華街渋谷には、不安定な「社会的弱者」が多く存在する。
元宮下公園、現ミヤシタパークにはたくさんのホームレスが暮らしていた。そこは、彼らにとっての居場所だった。なのに、新しい商業施設の環境美化のため、若者の憩いの場となる「オープンスペース」を作るため、潰された。名前もなんだかイカした感じになっちゃって。可笑しいのね。

私が幼稚園生の時は、国道246号線 (首都高の下)と道玄坂の間にある地下道には、ホームレスが多く暮らしていた。首都高の下にもたくさんいた。
母は、彼らを嫌悪して、「あそこは危ないから (ひとりで) 歩いちゃだめだよ」と私に言い聞かせた。その頃の名残で、今も地下道を歩くのは少しばかり怖い。

でも今はどうだろうか。首都高の下にも、地下道にも、ホームレスはいない。
ましては、宮下公園は「ミヤシタパーク」へと移り変わってしまったのだから、無論、そこにも彼らの居場所はない。
数名の、果敢な方々が、駅の通行量の多いところで暮らす。
でも、多くの人は彼らを見向きもしない。見ても、無視する。
渋谷にいたホームレスは、今どこにいるのだろうか。

土地の文脈も読まないで、美化された歴史の上澄みだけ良いように解釈して、「新しいものの発信地」みたいに位置付けた大規模な再開発して。
容積率1500%超の壁みたいなハコを作ってさ、何が楽しいんだろうね。

渋谷って悲しい。
欲望に駆られた人間が壊し、でっちあげて、消費を美徳とする人間が多く集うから。

でも渋谷は好き。
東京にいる、来る人間のるつぼだから。
頼むから、これ以上渋谷を浄化しないでください。

夜中に、ヘッドホンで音楽を聴いて、
酔っ払った自分が大声で歌える街でずっとあってください。

幼少期をそこで過ごした女からの、切実な願いです。

東京に下層の民はつきものである。何故ならこの都市は寄せ集め、ごった煮の都市だからである。天皇や貴族や大資本家から、商店主、ホワイトカラー、ブルーカラーの勤労者から、果ては不安定な、露天商、日雇、失業者、浮浪者、さらにチンピラ、ヒモ、まで、階層はよりどりみどり、まるでデパートのような都市だからである。もちろん住む場所はそれぞれの階層に則した場所が選ばれる。天皇は皇居に住み、金持ちは麻布などの高級住宅地に住み、サラリーマンは世田谷などの住宅地に住み、チンピラやヤクザ、売春婦は歓楽街の中に住み、労務者など貧乏人は下町の共同住宅に住み、さらに不安定な人々は川のほとりの場末にある貧民窟やドヤ街に住む。そんな風に考えてみると、今日のホームレスが麻布や世田谷に群れをなして居住していない意味もまた分かる。路上や公園や河川敷に住む彼・彼女らが意識しているかいないかはともかく、とりわけ貧者はその過酷な生活に即した最も生きやすい場所に集住するのである。ホームレスといえども食って寝なければならない人間である。あえて生業が成立し難い場所に生活する訳はないのである。となれば、底辺の街に住むことが生きるための最低条件と言えるであろう。そうやって自然に貧乏人の街は貧乏人の街であり続けたし、路上に住まざるを得ないような最底辺の人々が住む場所は、都市開発の波は受けつつも基本的にいつまでも野宿者居住地と残り得たのである。

笠井和明 (1998). 『東京路上物語』より https://www.tokyohomeless.com/body341.html


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