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団地で見た夢 〜エヴァンゲリオンとわたしの25年〜


暗く狭い地下の廊下を手探りで歩いていた。突き当りに、大きい古い冷蔵庫があった。冷蔵庫の扉はさびついていて、重い。開ける時にいやな音がした。中には何匹かの犬が、凍ったまま入っていた。様々なポーズで凍りついた犬たち。手前の一匹を、私は抱きしめた。犬は腕の中で溶け、やがて尻尾を振って、うれしそうに吠え始めた。

──『ラブ&ポップ』


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その赤い瞳の女の子をはじめて見たのがいつだったのか、よくおぼえていない。夕方に放送されていたアニメの合間に流れていた、少年エースのCMかもしれないし、ニュータイプのCMかもしれない。それか、彼女が登場する作品のVHSのCMでかもしれない。

彼女──綾波レイはいつのまにかそこにいた。ほぼ同時に「エヴァンゲリオン」という言葉をおぼえた。綾波レイはエヴァンゲリオンというアニメに出てくるらしい。エヴァンゲリオンのプラモデルが発売中だと、CMで言っている。エヴァンゲリオンがなんなのかも、プラモデルがなんなのかもよくわかっていなかったけれど、その言葉の響きはクールなものに思えた。濁音がたくさん入っているものに男児は惹かれるというアレだ。覚えたての言葉をとりあえず人に披露したかったんだろう、台所で夕飯の支度をしている母に「エヴァンゲリオンのプラモデルが発売中なんだって」と言った気がする。

その瞬間、たぶん、エヴァンゲリオンは自分の一部になった。団地の畳敷きの居間、そこに置かれたブラウン管テレビのなかではCMが流れつづけている。紫や赤の細いロボットたちが立っている。青い髪に赤い目をした無表情の綾波レイはじっとしている。わたしは畳の上でちょこんと座って『スレイヤーズ』とかを見ている。

時に、西暦1996年。5歳のときの出来事だった。
これは福音か? それとも呪縛か?


※当文章はひとりの人間の5歳から30歳にいたるまでの、エヴァンゲリオンとの関係や思い出語り・自分語りをつづったものになります。ご笑覧ください。


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人生ではじめて心がときめいた異性は綾波レイで間違いないだろうと思う。これを初恋と呼ぶべきかどうかは未だによくわかっていない。なにせ25年近く前のことだ。5歳のときになにをどう思っていたのかなんて、もうあまり覚えていないものだし。

綾波レイのことは気になる。でもエヴァンゲリオンというアニメはよく知らないし、どうやら放送していないらしい。レンタルビデオ屋さんに行ったらあるかもしれない、借りられるかもしれないという発想は当時なぜかなく、フラストレーションが溜まったのか、わたしはやがて、寝る前に綾波レイのことを考えて寝るようになった。

そうです、綾波レイのことを考えながら寝る5歳男児です。綾波レイのことを考えながら寝る5歳男児!? こうして書いてみるとびっくりしちゃいますね、まあ自分のことなんですが……。

何も情報のない、ろくに知らないキャラクターについて考えるとどうなるかというと、どうにもならない。当時の空想のなかの自分は5歳ではなく、もうすこし大人だった。そして、綾波レイは隣にいた。もちろんそこにいるだけでは物足りないので、空想には空想なりのストーリーが必要になってくる。適当な冒険が毎夜のように繰り広げられた。彼女の外見以外の、性格も声も、どんなことに笑うのかも知らないまま、そうやって月日が過ぎ去っていった。


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1997年。気がついたら世のなかはエヴァンゲリオン一色だった。わたしは小学1年生になった。

スーパーのおもちゃ売り場に行けば、エヴァンゲリオンのプラモデルが積まれていた。当時の銀座にあった大手百貨店の玩具売場にも、とりあえず売れるだろうと置かれていた。ろくに本編を知らないまま、三号機は黒いのか! 四号機は銀色なんだ! この白くてうなぎっぽいのは悪いエヴァらしいな! と箱を手にとっては元に戻すという行為をよくやっていた。

同じ団地に住んでいた幼馴染の女の子の姉たちは、アニメ好きだった。当時確か中学生と高校生(上の方のお姉さんは大学生だったかもしれない)。どういう経緯と事情があったのか、母とわたしが銀座まで出かけに行った際、エヴァンゲリオンの映画の前売り券を代わりに買ってくれないかと頼まれた。雨がよく降っている日だった。窓口の人にポスターと劇場チラシの入った紙袋を渡され、雨避け用のビニールカバーのかかった袋を大事に持って歩いた記憶がある。

ポスターとチラシの入った袋は数日間、我が家に置いたままだった。こっそりチラシを手に取るも、ろくに漢字が読めないので何が書いてあるのかよくわからなかった。赤く不気味ななヴィジュアルは怖くもあり、どこか心を惹きつけるものがあった。

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※画像は2014年末で閉館となった新宿ミラノ座で行われた「新宿ミラノ座より愛を込めて ~LAST SHOW~」でのリバイバル上映時に飾られていたもの


そのすこしまえ、夕方のアニメの合間にも異様なCMが流れていた。以下の動画を短くしたものだったけれど、いきなりこんな感じのものが流れるのでぼーっと見ながらも内心ビビっていた。


前売り券を代わりに買ってくれたお礼ということで、幼馴染の姉たちは貞本義行による漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』の1~3巻を貸してくれた(1997年夏ごろは3巻までしか出ていなかった)。兄、姉とともに畳にすわって回し読みをした。話の内容をよくわかっていないながらも、食い入るように読んだ。3巻はシンジくんが綾波の家にあがりこむ例のスケベハプニングが発生するので、ドキドキしながら読んだ。

エヴァンゲリオンは深夜に再放送されているらしい。件の幼馴染の姉経由か、それとも姉か兄のどちらかが情報を得て、ビデオに録画をした。ちょうど第弐拾壱話「ネルフ、誕生」だったおぼえがある。

はじめて見たエヴァンゲリオンはなんとも地味だった。大人たちが出てきてシリアスに喋ったり、リツコさんの母・ナオコさんが感情的になって小さな綾波レイを絞め殺したりする。しかし、そのやたら陰鬱なトーンは自分が当時見ていた夕方のアニメ達とは違うもので、大人の世界をこっそりのぞき見してるような、そんな高揚感と背徳感と背伸びが混じったような感覚があった。

つづく第弐拾弐話でアスカの精神はボコボコにされ、第弐拾参話で綾波レイは涙を流しながら光に包まれ、第弐拾四話でカヲルくんの首は取れた。話の内容は理解していなくとも、強烈な映像に釘付けになった。問題の最終2話もわからないなりに見た。突然はじまる学園パロみたいなパートは、こういうのもありなんだと、寝る前の空想に大きな刺激になった。「おめでとう」と誰かが言う。「おめでとう」とまた誰かが言い、シンジくんは満面の笑み。とりあえず終わったらしい。……じゃあ、映画版ってなんなんだ?

小学校から家に帰ってテレビをつける。日本テレビで放送されていた、草野仁が司会をつとめていたザ・ワイドで、社会現象となったエヴァの特集が組まれていた。完全に精神が参ってしまい、立ち上がる気力もなくなったシンジくんの腕を無理やり引っ張るミサトさん、ミサイルの直撃をものともせず、戦略自衛隊相手に立ち向かうアスカと赤い弐号機といった提供された映像、そして何らかの長蛇の列を形成する若者たちの取材映像──それらを背後で流しながら、各々の持論を述べるコメンテーターたち。衝撃的だった。はじめて見る映画版の映像にも、長蛇の列をつくるお兄さんお姉さんたちにも、そしてなによりも、ワイドショーでアニメの話を真面目な顔でしていることに。

近所のレンタルビデオ屋に行き『新世紀エヴァンゲリオン』のVHSを借りる。当時小学校高学年だった兄とともに、ただ食い入るように見る。細かい点を抜きにすれば、エヴァンゲリオンは巨大なロボットが巨大な怪獣をやっつける話だ。だから小学一年生でも楽しめた。ウルトラマンを見るかのように、エヴァンゲリオンを楽しんで見ていた。後年、監督の庵野秀明が無類の特撮好きで、エヴァもウルトラマンの影響が大きいと知ったときには「あの見方はある意味、間違ってはいなかったんだな」と思った。

ブラウン管テレビのなかではシンジくんが悩み、苦しみ、アスカはやたらぷりぷりと怒ったりしていて、そして綾波レイは相変わらず何を考えてるのかよくわからなかった。エヴァンゲリオンと使徒は血を吹き出しながら激闘をつづけていた。

第弐拾話まで収録されたビデオを見た。余談だけれど、当時、弐拾壱話以降が収録されたVHS・LDはリリースされておらず、リリースされたのは旧劇場版が終わったあとの1998年2月かららしい。たしかに、当時のレンタルビデオ屋には置いてなくて、気がついたらそれ以降の巻が増えていたおぼえもある。深夜の再放送を弐拾壱話から録画できていて運が良かったのかもしれない。

さて、一応TV版を全話見たとはいえ、映画の方を見にいきたいとは、当時のわたしは何故か思わなかった。やっぱりあのテレビCMの印象が強くてビビっていたんだと思うし、ワイドショー等での報道のされ方を見て、「自分は本来のターゲット層じゃない」とどこかで思っていたんだろうと思う。

代わりに自分は、空想を強めていった。


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寝る前に行っていた空想は寝る前だけではなく、たとえば授業中だとか、休み時間にも行われるようになっていた。

当時見ていたあらゆる漫画・アニメ・特撮・映画の内容がごちゃ混ぜになり、わたしのアバターであるキャラクターはあの世界にもその世界にも自由に行き来し、あのキャラとあのキャラが会ったらどうなるんだろうというクロスオーバーを脳内に作り上げていた。ただただ楽しくてずっとやっていた。このときの空想癖・妄想癖は、自分がいま現在趣味でやってる創作につながっていると思う。

空想の中心にあるのはエヴァンゲリオンの世界だった。

自分がエヴァンゲリオンを特別視していた理由はいろいろあるけれど、幼少期のわたしが団地住まいだったこととは、無関係ではないと思う。

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1991年に生まれたわたしは1999年に引っ越すまでの期間を江戸川区の団地で過ごした。その団地は運河に隣接した埋立地の上に建っていた。白い棟がポツポツと点在し、公園がそこかしこにある町。巨大な送電塔たちが目立つ町。運河の向こうにあるゴミ焼却施設の塔が見える町。ディズニーランドの花火が見える町。

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シンジくん・アスカ・ミサトさんたち葛城家があるマンションや、綾波レイがひとりで暮らす朽ちつつある団地を見て、自分の団地にもシンジくんや綾波レイがいるかもしれない──とまではさすがに思わなかったけれど、でも同じ団地住まいとして、かれらに謎の親近感はおぼえていた。かれらの描写されないふだんの生活が身近なものに感じられた。

夜寝るとき、布団に耳をあて、その下の部屋の音に耳を澄ませてみる。テレビの音や、食器の音が聞こえた気がした。布団の下の畳、更にその下には自分が今こうしているのと同じような部屋があって、そこではだれかの生活があると思うと不思議だった。それと同時に、真っ暗な空間に自分の家=部屋だけがポツンと浮かんでいる光景も想像する。それは宇宙のこわさを連想させた。団地はいろんな宇宙と繋がってるのかもしれない……、そんなことを思ったのかもしれない。だからエヴァンゲリオンや、ほかの作品の宇宙とも繋がったのかもしれない。

夕陽に照らされ、オレンジ色に染まった団地たちを階段から見渡したとき、まるで第3新東京市みたいだと思ったこともある。あのときあの瞬間、たしかにふたつの世界は重なったのだと思う。すくなくとも自分のなかでは。


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埋立地、団地、ベランダから見えるディズニーランドの花火、スーパーファミコン、ニンテンドー64、プレイステーション、X-FILE、エヴァンゲリオン、レンタルビデオ屋のにおい、オカルト特番、ウッチャンナンチャンのウリナリ、ノストラダムス、「いいじゃないか、もうすぐ21世紀なんだし」と言うカップヌードルのCM……


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時は移って西暦1999年3月。小学2年生最後の月。そして、自分が生まれ育った団地を離れ、新しい家に引っ越す月でもあった。このとき初めてエヴァの劇場版を見た。それまで見ていなかった理由はわからない。

「シト新生」の後半から始まった新作パートはどんどんネルフ職員が殺されていくため、かなり刺激が強く、ショックだった。アスカが復活して弐号機で暴れまわっているところは爽快だったけれど、良くないことの前フリのような気もしていた。降下する9体の量産型エヴァ。流れ出す「魂のルフラン」。エンドロール。

そして、つづく完結作である「Air/まごころを、君に」(以降EOE)。「EOE」を見た日のことはよく覚えている。その日は父親と一緒に『ガメラ3』を見に行った。見たことのある人はわかると思うけれど、『ガメラ3』は破壊にまみれた映画だ。特に冒頭の渋谷パートでは、ギャオスとガメラの戦いに巻き込まれて渋谷の街は炎上し、人々が大勢死ぬ。とんでもないものを見てしまったぞという興奮と恐怖を抱えたまま、帰りに馴染みのレンタルビデオ屋に向かった。

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※画像元:https://store.shopping.yahoo.co.jp/onelife-shop/7005001.html

「シト新生」を借りるときにどっちなんだろうと手にとって見てはいたけれど、この綾波はなんなんだ。イメージ画像なのか、それとも本当にデカいのか。これは壮大なネタバレを食らっているのでは。そう幼心に不安をおぼえながら借りた。

「シト新生」のときに抱いていた不安は的中する。ミサトさんは死ぬ。リツコさんも死ぬ。アスカと弐号機は結局負けて食い散らかされる。シンジくんは叫びつづける。綾波は巨大化して不気味になる。人々は溶ける。ぐちゃぐちゃの映像が流れる。

目をそらすこともできず、逃げようとすら思わず、ただ見ることしかできなかった。

そして、実際にジャケットのとおりになった。

巨大な綾波レイ(リリス)はぐずぐずに崩れた。こどもだったから、シンジくんがなにを決断したのかとかはよくわかっていない。とりあえず初号機は復活したから、いいことになったんだとおもう。でもこの赤い地球はなんだ? みんな死んでしまったのではないか?

……シンジくんがアスカの首に手をかけ力を込める。アスカはかれの頬に手をのばす。嗚咽を漏らすシンジくん。「■■■■■」。終劇。

え、いまなんて言ったの? 一緒に見ていた兄と顔を見合わせ、テープを巻き戻す。

アスカの頬に落ちる涙。「気持ち悪い」。終劇。

そうして、わたしの──もちろんわたしだけなく、兄や幼馴染の姉たちや多くの人びとの心に深い爪痕をのこして、ひとまずエヴァンゲリオンは終わった。

綾波レイを初恋の相手と呼ぶべきかどうかはわからない。

でも、特別な存在だったのはたしかだ。

その綾波レイは崩れ落ちた。

わたしは団地を去った。


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引っ越した先は住宅地だった。傾斜の少なかった埋立地とは違って、坂もあれば、一軒家もたくさんある。元いた町にあったダイエーとジャスコは一階に食品売り場があったのに、この町のスーパーは地下一階に食品売り場があるので驚いた。

自分の部屋が与えられた。それまでは団地のこども部屋に学習机を3つ押し込んでいたし、寝るときは居間で布団を敷いて母ときょうだいと寝ていた。それがいきなり違うものになった。

ここはまえとは違う場所なんだ。もうあの団地には帰れないんだ。たまにそう考えてかなしい気持ちになったりもしていた。

しかし、寝る前の空想を止めることはなかった。

夕方にもゴールデン帯にも今よりアニメが放送されていた時代で、そしてスカパーの導入によるカートゥーンネットワークやキッズステーション等での過去作品やOVAとの出会い、WOWOWノンスクランブル放送のアニメなどで常に新しい作品に触れていたから、エヴァンゲリオンのことは依然好きだったけれども、それまでよりかはあまり考えなくなっていた。


1999年の夏になった。それまでオカルト番組でさんざん来るぞ来るぞと言われていた〈恐怖の大王〉が降ってくることはなく、2000年になった瞬間にコンピュータが狂って大変なことになるという、所謂〈2000年問題〉も、まあなんとかなった。

2001年になり、21世紀に突入した。90年代末にあった終末感とそれに比例するかのような変な高揚感は、気がついたらなくなっていた。

そして時が経ち、西暦2003年。わたしは中学1年生になった。

この年、エヴァンゲリオンのリマスター版DVD-BOXが発売された。兄はそれを買っていた。わたしはそれが羨ましかったが、エヴァンゲリオンにもう一度ふれてみたいけれどふれたくない気持ちが若干あった。EOEは自分にとってトラウマのようなものになっていたからだ。兄も私もお互いに思春期で、かつてのような仲の良さはなく、なんとなく折り合いが悪かった。だから素直に見せてとも言いづらかった。結局わたしは、兄が持っていたEOEのフィルムブックを借りた。こっちのほうが刺激はすくないし、台詞が字になっていて把握しやすくて良いと思った記憶がある。

四年ぶりにふれたEOEは、やっぱりよくわからなかった。いや、前よりわかった部分もあったけれども。

同年、PS2用ゲームソフト『新世紀エヴァンゲリオン2』が発売される。シミュレーションゲームが苦手なのでこれはスルーしてしまった。当時のテレビCMでは「だからエヴァってなんだったのよ!」とアスカ(宮村優子)が叫んでいた。本当にそうだと思う。


インターネットにふれはじめたのはこの頃だった。当時のわが家はISDNが一応とおっていたけれど、それは奥の手だった。10数秒の無料広告を聞くと3分間ほど無料になる電話回線を使って、朝目新聞を見たり、おそるおそる2ちゃんねるを覗いてみたり、がんばってFLASH動画を読み込んで見ていた。

かつてエヴァSSというものが流行ったらしい。自分もそれに近いものはいくつか見たことがあるけれど、でもどうにも集中力がつづかなくて(あるいは興味が持てなくて)そこまで見ていない。いま思うともったいなかったような気もする。

2ちゃんねるのエヴァ板も特に熱心に見ていなかった。ネタスレをいくつか見るぐらいだったような気がする。

2004年には、ガイナックス20周年記念ということで、夏にキッズステーションで放送されていた『フリクリ』を見た。エヴァと同じかそれ以上の影響を受けるけれど、割愛します。

2005年には14歳になった。シンジくんたちと同じ年齢になったのかという感慨のようなものはあったけれど、「なったんだなあ」ぐらいにしか思わなかったような気がする。この年、どこかで入手したアニメ系フリーペーパーに、庵野秀明のインタビューが載っていたおぼえがある。次回作を企画中と書いてあった記憶がある。

2006年。高校一年生になった。「戯言シリーズ」になんとなく手を出して、それまでぜんぜん読まなかったのにちょっとずつ本を読むようになった(ラノベとかだけど)。『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメや、『コードギアス』が話題をさらっていた。「ハレ晴レユカイ」のCDを探し求めて、下校途中にCD屋を何軒もまわったりもした。

ある日、学校の帰りに地元の本屋に立ち寄ると、ニュータイプの表紙に綾波レイとカヲルくんがいた。「エヴァンゲリオン新劇場版」「REBUILD OF EVANGELION」の文字もある。そのまま立ち読みをして、ただ「へえ」と思った。再構築でそんなに大きく変わらないというようなことが書いてあったし、どうなるかわからないがゆえの「へえ」だった。でもそう思いつつも、内心興奮していた。


そして、2007年9月1日。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』公開日。友人を誘って最寄りの劇場に向かった。

映画がはじまる。開幕早々、画面に映される赤い海に、近くに座っていた男性が「はあ……」と小さくため息ついたのを今でもおぼえている(EOEのトラウマが刺激されたのかもしれない)。

新規作画をまじえたアップデートされた映像。映画館の大音響で鳴り響く爆発音、四方八方からとんでくるネルフ本部発令所のあわただしい音声、鷺巣詩郎の音楽。知っているようで知らないエヴァンゲリオンがそこにはあった。ヤシマ作戦が終わり、思いもよらぬ人物=カヲルくんの登場に「つづく」の文字。エンドロールとともに宇多田ヒカルの「Beautiful World」が流れる。特に席を立つ人はいなかった。そして次回予告に登場したのは見知らぬ機体に見知らぬ新キャラ。

TV版をレンタルビデオ等で見ているときは、やっぱりエヴァは自分より年上の世代のものというふうに見ていたけれど、自分の世代のエヴァが始まったんだなという強い実感があった。

続報があったりなかったりしつつ、2009年になった。大学一年生になった。


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2009年6月27日、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が公開された。翌日に友人と見に行く約束をしていたため、この日は見に行かず、でも気になったので、大学終わりに新宿ミラノ座付近──コマ劇場前広場で行われていた記念イベント「第3新歌舞伎町宣言」を見に行った。暑い日だった。コスプレコンテストをちらっと見て「暑そうなのによくやるなあ」と思って帰宅した。

あらためて言うまでもなく「破」は非常に楽しい映画だった。知っているようで知らないエヴァンゲリオンがそこにはあった。今まで同じ映画を映画館にもう一度観に行く、という行為をしたことはあったけれど、3回以上見たのは「破」がはじめてだった。同じ映画を違う映画館で楽しむことの面白さはこの作品でおぼえたんだと思う。新宿ミラノ座でも見た。
(そういえば公開後間もなくサークルで知り合った友人が、もう11回見たというのでどういうことなのかと思って訊いてみたところ、ミラノ座は入れ替え制じゃないので一日中入り浸ったりして~と話していた。そういうことが可能だった)

アニメショップチェーンでおこなわれていた、「破」の半券を見せるとグッズが貰えるキャンペーンのこと。当時どハマりしていた『Fallout 3』で、Xbox 360のカスタムサウンドトラックを使って延々と「破」の日常シーンBGMを流しながらウェイストランドを旅していたこと。同じように明け方の町を散歩したこと。「ヱヴァ破」のことを思い出すと、そういったことも同時に思い出す。きっとこの先も思い出しつづけるだろう。


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首を長くしながら続報を待ったり、極稀にトークショーなどで小出しにされる情報を待っているうちに2010年になり、2011年になった。東日本大震災があった。

この年に発売されたニュータイプのスタジオカラー特集や、「序」から「破」までの期間が2年だったことから、もしかしたら今年中に「ヱヴァQ」の公開もあるんじゃないか!? と思っていたりもしたけれど、そんなことはなく、「Q」は2012年に公開された。

公開日発表イベントである、新宿バルト9でおこなわれた「EVA-EXTRA08」はバイトの日と被ったため行けなかった。バイトが終わった直後に、あえてふだん使わない非常階段をゆっくり降りながら、YouTubeにアップロードされたピントも甘いし何が映ってるのかもよくわからない映像を見たりした。例のピアノだけの特報に困惑したりもした。

2012年は大学4年生だったため、就職活動もそれなりにやっていた。それなりは嘘。全然わからないまま合同説明会に行ったり、全然わからないままエントリーシートや履歴書を出したり、急に焦って若者就職支援センターで講習会を受けたりしていた。

就活があまりうまくいかず、まあまあクサクサした気持ちのなかで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は公開された。2012年11月17日のことだった。この日は新宿バルト9で0時からの上映があり、それにあわせて過去の庵野秀明監督作品の上映もおこなわれていた。チケット争奪戦に敗れて、せっかくだしと『ラブ&ポップ』を見て、それから「Q」を見ることにした。

金曜ロードショーで放送された冒頭6分38秒の映像を見てすかさず新宿に向かった。コマ劇場前広場で待ち合わせをしたため、キャッチのお兄さんたちを避けながら大学の友人2人と合流。しかし上映までに時間があるため、適当に店に入って軽食をつまみながら過ごした。「『破』でのカレカノからの引用みたいにナディアの引用があると思う。あとマイティジャックに対する言及とか。ヤマト2199もあったし。そして『破』の全集にあった発令所の下から大砲が出てくるやつとか、諸々の事情を考えて空を飛ぶ戦艦が出てくるに違いない」とか言っていた。まさかそのとおりになるとは……

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『ラブ&ポップ』は面白かったです。映画館で見られてよかったと思う。

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そして「Q」。さすがに「破」の終わり方でシンジくんはある程度しっぺ返しを食らうんだろうなとは思っていたけれど、予想以上で──というかそもそもあそこまで「破」のときの予告編から変えてくるとは思ってなかったので、洪水のように浴びせられる知らない映像と、じわじわと息が詰まっていくような物語に、最初に「EOE」を見たときのような感覚を味わいながら見ていた。希望を感じるラストシーンと宇多田ヒカルの「桜流し」でホッとし、わちゃわちゃと動きまくる8+2号機でもうここまでくると何でも来いだなという気持ちに。友人たちとワーワー喋りながら(迷惑オタク行為)、げっそりした顔で朝の新宿に放り出された。もうとにかく疲れていた。見る前は友人たちと「なんだったらミラノ座行って朝イチの回見ようぜ!」とか言っていたけれど、そんな気力は起きるはずもなく、解散して家に帰った。

受け手としては、「破」でTV版終盤や「EOE」の呪縛はある程度解けてるじゃんと思ってしまうんだけれど、庵野監督的にはこのぐらい突き破らなければならなかったんだな、と思う。そしてこれは8年経ったからこそ思えることでもあって、咀嚼するのにすこし時間がかかった。いまも咀嚼しきれてるかどうかはわからない。「序」も「破」も思い入れがあるけれど、なんだかんだ一番見直してるのは「Q」になると思う。気がついたら好きな作品になっていた。


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2012年の年末に採用通知があり、就職先が決まった。2013年になって春になり、大学を卒業し、そして入社した。しかし、いろいろとメンタルが落ち込んで一ヶ月半で会社を辞めた。留年していたり無職だったりした友人たちと会って遊んだりした(みなさん、あのときはありがとうございました)。

バイトをしたりして、2014年に再就職をした。「Q」の衝撃で、一旦自分のなかにあったエヴァ熱は冷めていたというか、冷静になっていた。でもまあ、考えなくなったわけじゃない。

2015年には「『シン・エヴァンゲリオン劇場版』及びゴジラ新作映画に関する庵野秀明のコメント」が公開された。これは「シン・エヴァ」までは時間がかかるな、と思った。

いろいろと映画は公開されていたし、気長に待つことにした。MCUは新作をリリースしつづけ、マッドマックスがあり、スターウォーズの新作があり、ガルパン劇場版を見るために、音響を売りにするいろんな映画館を巡った。

時が過ぎて2016年になった。当時、仕事がきつくて精神が追い詰められていた。違う現場への常駐が決まり、今日この日で今の仕事とはおさらばだとなった日──7月29日に『シン・ゴジラ』は公開された。

仕事からの解放と、『シン・ゴジラ』の面白さで非常に晴れやかな気持ちになったことをおぼえている。そして同時に、「シン・エヴァ」もきっと大丈夫だろうと確信した。

「破」や「Q」と同じで、「シン・エヴァ」に関する情報も出たり出なかったりで、気がついたらどんどん時が経っていった。大学生のときは「破」から「Q」までの3年はとても長く感じたのに、「Q」からこれを書いている2021年3月までの約8年はあっという間だったような気がする。

綾波レイのことを考えていた5歳の男の子は、いつの間にかミサトさんや加持さんと同じ29歳になり、そして30歳になった。

祖父母や親戚が亡くなり、そして甥っ子と姪っ子が増えたりしていた。

エヴァがきっかけでしていた空想癖はまだつづいていて、趣味でお話を書いてインターネットで公開するようになっていた。


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新型コロナウィルスの影響で、2020年6月27日に公開されるはずだった「シン・エヴァ」は公開延期になった。公開延期と同時に「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」というキャッチコピーが発表された。

「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」と言ってしまうのだから、ほんとうに終わってしまうんだなと思うと同時に、「別れ際にさよならだなんて、そんな悲しいこと言うなよ」とも思う。

そして、「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」だけれど、それぞれがそれぞれのエヴァンゲリオンをやっていかなければならないんだなとも思う(勿論これはエヴァに限らず、ゴジラとかウルトラマンとかスターウォーズとか、その他あらゆることに言えることかもだけど)。

延期された公開日は2021年1月23日に設定され、そしてまた延びた。高校生のときに始まったMCUとダニエル・クレイグの「007」、そしてエヴァ新劇場版、すべてがここ1年2年のうちに──自分が20代のうちに終わるはずが、2019年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』と『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』で一旦区切りが付いたMCU以外は、そうはならない感じになった。

まあいつか見られればそれでいいかと思っていたら、突如として「シン・エヴァ」の公開日が決まった。3月8日。……3月8日!? と二度見して、本当は1月下旬に書き上げる予定だったけどまあどうせ公開は先だしな~と放置していたこの文章をわーっと書いている。

3月8日まで、あと3日。

予告編の最後でもシンジくんは「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」と言っている。

本当にさようならできるだろうか?

「だが、虚構と現実、そして夢は、続く。」と誰かが言っていた。「人生という冒険はつづく」とも。「何事にも最後などありはしない」とも。

Evangelionはもともと福音を意味するんだから「シン・エヴァ」でシンジくんたちに福音があったらいいなと思う。幸せになってほしいなと思う。

物語は終わる。

かれらの物語を見届けたあとも、わたしの人生はつづく、つづいていってしまう。

でもきっとそれは、決して悪いことではない。






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