語るまでもない
日々色んなことを考える。
日々感じることもある。
有り難いことにわたしが書いたものが好きと言ってくださる方もいる。
だけど、書く前に忘れてしまう。
以前はもっと人に教えたい、言いたい、シェアしたいことがあったように思うのだけれど
今は語るまでもないや、、、、って思ってしまう。
Twitterで呟いているちょっといい話の人がフォロワーたくさん増やしていたりすると
誰かの心を軽くするようなことわたしも言えるんだけどなとその瞬間に思うのだけれど(笑)←
今、ネガティブな状態の人や葛藤のある人はそこにいる必要があるのではないかと思うので
語るまでもないかと思ってしまう。
うーん、これでは仕事にならないな。
人に興味が無くなったのか?
いや、前よりも人の喜びや悲しみを自分のもののように感じるのだけれど
人の状況や状態に対してもそれが良くない状態だとは思わなくなっていて変えなくていいのでは?と思ってしまう。
これは自分に対してもだけど、プロセスとして必要な体験もあるし、そんな時もあるよねって思って終わる。
人にも自分にも運命や状況にも期待しなくなったのかもしれない。
あまり、悲しんだり、悔しがったりする時間がなくなっている。
やけになったわけではない。自分の思い通りにしようとする気がなくなったのだ。
もちろん好きな状態というのはある。適温で清潔で明るくて美しくて楽しくて、友達やパートナーや仲間と話したり笑ったりする繋がりを感じる時間は大好きだ。
美味しいものも好きだ。
けれども頑張って自分の力でそれを手に入れようと思わなくなったのだ。
誰かと話す時の話題も必要な流れが起きると思っている。今、聞くべきこと、話すべきことが行われる。
揉めたり、摩擦や誤解があったならばそれもまた必要な予定された出来事なのだと思う。
自分がコントロールしなくていいのだ。
誰かと本音で話すとか距離をおこうとかも思った時期もあるけれど、今はそれもコントロールしなくなった。必要なことが起こるのだ。
誰かに嫌な気分にされたり、こちらが誰かの気分を損ねることもあっていい。それが必然ならば関係性が壊れたり離れてもいい。
今は力まず、決めつけず、自分が何かをしようともせず、与えられる時間や状況を有り難く体験させていただくだけだ。
ご縁のある人と会うだろうし、話すだろう。その時に必要なエネルギー交換が行われるだろう。
それは全てわたしのための宇宙からの計らいで有り難いことだ。それは勝手な思い込みだけど、そんな風に受け止めている。
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