なにかが変わる弟子屈暮らし vol.12
東京都出身神奈川育ち一度も地方に住んだことがないのに、好きなだけで阿寒摩周国立公園の町 弟子屈町(てしかがちょう)に住んでみた感想や実体験を綴ります。
自分の心の変化の記録ですが、北海道への移住を検討中の方々の参考となれば幸いです。
弟子屈町はここ!
最近、なんだか嬉しいお話で純粋に町の方に「あの…note読んでます」と言って頂く事がちらほら。それから弟子屈に移住したい人に勧めたよ、と。面白いと思って読んでくださる人がいると知って、素直に嬉しいです。
拙い文章ですが、今後もよろしくお願いします。
初美容院
美容院に行ってみようと思い立った。
ずっと出張の時に切るか、適当に自分で切ってカラーも適当に市販剤でやっていたが、粗雑に扱われた髪はとうとうチリチリになった。
美容院に行ってみよう。
ホットペッパービューティーで検索。
路線の少ない道東の地で駅名からの検索は適当では無い。エリア検索で、道東・道北という項目で調べてみた。もしかしたら個人店で良いところが引っかかるかもしれない。
56件しかなかった。
ちなみにこんなに広いエリア。
カットカラートリートメントで1万円。
カラーリストでもある美容師さんは私をイエベ春と診断した。
「明るい色似合うと思います、極端な話だけどブリーチしてコーラルピンクとか。」
コーラルピンク。
久々の美容院はのんびりできて楽しかった。
「えー!キングダム映画になってるんすか笑」
「函谷関のシーンの実写みたいですけど進まないんですよ。」
全然関係ない話ができたのも非常に良かった。
近くにありさがいたので、とっ捕まえてドーナツを食べた。近況報告(諸々)に花を咲かせる。
地場産野菜と果物が美味すぎる
初夏、じゃがいもの花が咲いた後、川湯方面ではその後そばの花をみた。
峠を越えて美幌・北見方面は玉ねぎがたくさん入ったコンテナが転がっていた。
弟子屈は摩周メロンが栽培されていて、8月はちょうど収穫期。直売所で一番小さなサイズを4つ買った。3つを実家に送り、残りの1つを大切に10日間ほど鑑賞を楽しんだ後、赤ちゃんが産まれたばかりの友人の家で食べた。
それから地元のお野菜が本当に大好きだ。
さっと炒めて、茹でて、塩だけで頂く。
それだけなのに肉より野菜が先になくなる。
一袋100円なのも嬉しい。
湖に集う人々
摩周湖カムイテラスがオープンした。
摩周第一展望台は車で簡単にアクセスでき、弟子屈を代表する景勝地だ。
ここに新たな展望デッキができた。
カメラに取り憑かれた人たちは、朝霧が出ていれば雲海だ!その後は鏡面だ!といい、夜に晴れれば星空だ!と色めき立つ。
一番良い日に撮影ができるのは住んでいる人間の何物にも代え難い特権だ。
たまたま行ったその日に美しい摩周湖や満点の星を見られるのは相当ついていると思う。
地元の人の「ラッキーだね」は決して遠くから来た人を喜ばせる為の言葉などではないのだ。
それくらい弟子屈の夏はしっとりとして曇りや雨が多かった。
休養地の歴史が長い欧州では、休養にきた旅先が雨などの悪天候だった場合、保険が下りると聞いたことがある。弟子屈にもそんな保険があったらいいのになと思う。
話は戻って、
弟子屈にあるもうひとつの大きな湖、屈斜路湖は夕陽の美しい湖だと思っている。
ある日の夕刻、撮影をしようとコタン温泉に来たら、おじいさんがいた。
夏と冬でどれくらい日の沈む位置が違うのか、焼ける時は摩周の方からこっち側(見ている屈斜路湖側)にきて赤くなる事、などを教えて頂いた。
磯里さんがチャリンコに乗って来た。
「今ストーリーあげてたから間に合うかなって。
あ、この子知らないの!?ほら、あれだよ、地域おこし協力隊をクビになった、」
「クビじゃないです笑」
__すかさず否定。
本当と思われちゃいますからね。笑
帰りにおじいさんに質問される。
「君は、朝は撮りにくるのかね」
「いいえ。朝は弱いので。」
__「あ、ちなみに朝って何時ですか」
「3時半」
弟子屈に来て一年が経った
一年前。妹夫婦が成田空港まで送ってくれた。
女満別空港からバスに乗って網走駅から釧網本線に乗る。
車窓には東京スカパラダイスオーケストラ「美しく燃える森」がしっくりくるような気がした。
今もこの曲を聴くとワクワクしてまだ旅行気分だったあの時の気持ちが蘇る。
「切符、持って帰っていいですか。」
からっぽの部屋の中で現実に気がつく。
__あぁ、本当に全部ゼロになっちゃったんだ。
選んできたはずなのにめちゃくちゃ寂しい自分。
うんと田舎に来たつもりだったのに新築の家。
自分の気持ち。環境。部屋。
全てがちぐはぐだった。荷解きする気も起きないほど脱力した気持ちになった。
でも、3日後には世界一美味い辻谷さんのカレーに出会い、6日目には車を手に入れて上手く駐車できたとInstagramに投稿する。
結果的にゼロからのスタートを楽しんでいた。
そこまで積極的な行動を取ってこれなかった自分の人生の中で、「移住」はそれなりにストレスのかかる大層なイベントであった。
前に進むしか無い環境は新鮮だった。
一人で来たらおかしいだろうか。そんな小さな事を気にしていたことを笑いたくなる。
おかしいけれど、別にいいじゃないか。
ここ弟子屈での暮らしは、基本寒いし、買い物だって近い近いと言いながら1時間もかけて釧路や中標津に行くし、吹雪いたら陸の孤島になるし、暖房費も高いし、車の維持費もかかる。
簡単な暮らしとは思わないが、そんなに不便でもない。むしろそういう事ひとつひとつが楽しい。
なんとなく湖畔沿いや川沿いを散歩したり、ちょっとお店に行けば必ず知り合いと会話ができて、仕事が終わってからドライブして遊びに行ったり、友達の家でご飯を食べたり、子どもが産まれたらみんなで駆けつけたり、リフレッシュしたいと思ったらすぐ近くの山を歩いたり。
そういうひとつ、ひとつ。
2回目の季節がやって来る。
「激動の一年だったね」
そう言われることも多いが、風に乗ってきたような感覚で、それは荒波にもまれるようは旅とは対照的だ。
今ここで出会った仲間たちと過ごす日々は、私にとってやはりまだどこか特別で、きっと後から振り返ってもキラキラと輝くのだと思う。