北海道が大好きだったので住んでみることにした
28歳、2021年。
念願叶って、北海道東部の町に住まいを移すことになった。東京生まれ神奈川育ちの私が1500キロ離れた北国に旅立つまで。
❏北海道が大好きだったので
住んでみることにした
周囲には驚かれたが概ね「自由にやるべき」という反応だった。もっとも、私のことをよく知っている人は「やっと行くんだね!」という感じで応援してくれた。
都市部から地方移住にはIターンやUターンといった種類があるが、出身地以外の場所に住まいを移すという意味で私はIターンになる。
わかっている限り、私の家族と北海道の繋がりは特にない。私は道内にはよく旅行していて、それも端っこばかり訪れているが、家族は北海道に行ったことすらない。
Iターン…都市部から出身地とは違う地方に移住して働くこと
Uターン…地方から都市に移住した人が、再び故郷に戻ること
❏大好きな旅先を移住先に
↑摩周に旅行に来てスノーシューをした時
北海道が好きといえど、旅行だけで楽しもうという時期ももちろんあった。住んだら寒いだろうし、仕事もどうなるかわからない。
たまに行って元気をチャージできれば良い。そういう場所があることは素晴らしいことだ。北海道、道東は行くだけでパワーをもらえる、私にとってはアナザースカイだった。
今回、私が移住することにした町は、道東、釧路管内に属する弟子屈町。阿寒摩周国立公園に含まれ、自然豊かな町だ。大好きな旅先であるとはいえ、この土地に単身で移住をするということは、私なりにかなり長い時間をかけて決断したことだった。
弟子屈町…北海道の東部、釧路総合振興局の北部に位置する。釧路市から北約80キロメートル。摩周湖と屈斜路湖がある。温泉もいろいろある。
❏移住への舵取り
今まで、8年間ずっとブライダルジュエリー業界で働いていた。
ジュエリーの世界を選んだのはひょんな事で、修学旅行先の沖縄で出会ったセレクトショップのお姉さんが、自分の作品も売りながら同じ地域で作家活動をしてる人の品物を販売していて、こういう大人になりたいな〜と思ったからだった。
当時、高校生の私はかなりのぶきっちょだけど漠然と何かを作れる人になりたい、そう思っていて、結局その方と同じ学校に行ってみたのだった。
今、おそらく私は同じくらいの年になっているが、あのお姉さんが考えていた事が少しはわかるような気がする。
お姉さんは横浜から沖縄に移住していた。
人生は選択の連続だと言われるけども、いつもどうせやるなら面白い方、やってみたいことをやってみる事を大事にしてきたつもりだ。でも、何をやるにしても挫折はつきもので、まあなんだかよくわからないけどうまくいかない事が誰にでもあって。
私の場合、何かの壁にぶつかって自分の選択について考えるとき=分岐点に来たときにいつも『いつか北海道に住んでみたい』という夢が顔をのぞかせていた。
迷いがあるときほど旅をしていたし、そして北海道に帰ってくると凄く元気になれた。
でも「いつか北海道に住んでみたい」ということを、絶対に「逃げ」の選択にしたくない。それだけははっきりしていた。
自分の中でその時が来たらその波に乗れるようにしよう、そんな感じだったように思う。
具体的に道東に移住したいなぁと思うようになってから5年近く経っていた。
仕事には本当に満足していた。
いま大きくここで舵を切りたい。そう思ってからは毎日のように住みたい町の求人情報をチェックしてその時を待った。フィーリング人間だけれども、きちんと手順は踏むし、ずっとずっと頭の片隅にあったことだったから迷いはなかった。
ひとつひとつの選択が自分にしか描けない何かになっていると信じて。
大きく舵を切った私の船はぷかり、楽しそうな方向に進もうとしている。そんな感じだ。
浦山 夏帆
1993年生まれ 東京都出身
横浜市立東高校卒業後、日本宝飾クラフト学院でジュエリー制作のふわっとしたところを学ぶ。ジュエリー業界は8年目。そろそろ個人での作品制作も進めていきたいと思っている。夢は森の中にアトリエを持つこと。
−北海道が大好きだったので住んでみることにした