アラフィフの予備試験合格体験記
1 自己紹介(家庭や職場環境等のご説明)
はじめまして、urashimaと申します。
このnoteをご覧の方は、Xでの「妻子あり、激務部署勤務のおっさんが、平日1~1.5時間程度の勉強でも予備試験に合格できた」との投稿をご覧いただいたことと思います。
決して嘘ではないものの、これだけでは誇張気味になってしまいますので、少し長くなりますが、背景事情の説明を兼ねての自己紹介をさせていただきます。
私は現在51歳。
いわゆる「団塊ジュニア」のほぼピークに生まれ、「就職氷河期」の第一世代にあたります。
(旧帝大などには遙か及ばない)某地方国立大学法学部を卒業し、旧司法試験を6回受験しました。
短答には3回目から合格し続けましたが、どうしても論文を突破することができず。
当時は合格率が3~4%、合格者が500~600人の時代で、「現代の科挙」という言葉が生きていました。
上位8%辺りまではたどり着いたものの、メンタルを壊しかけたことから撤退を決意。
司法試験の受験経験や国家公務員Ⅰ種(現・総合職)試験最終合格(採用はされず)の経歴を元に、小さな資格試験スクールの講師として就職し、行政書士や公務員講座で憲法や行政法、民法・商法などを教えておりました。
仕事自体は大変楽しかったのですが、1年ほどでスクールが倒産。
最後の数か月間は賃金未払いとなり、経営陣と「出るとこ出るぞ!」といったケンカを繰り広げて未払賃金をもぎ取り、その後、地元の広域自治体に就職しました。
公務員になってからは、主に税務畑を歩み、行政法や民事法(実体法・手続法とも)の知識を活用しながら、社畜……、もとい「大変充実した」公務員生活を送っているところです。
妻とは、縁あって9年前に結婚。
隣県に住み、お互いに土地に縛られる仕事を持っていたことから、週末婚生活を選択しました。
令和元年に妻が妊娠したものの、妻が企業経営者で、出産・育児に伴う休暇制度がそもそも存在しないことから、公務員の私が1年間の育児休暇を取り、義両親に助けていただきながら家事育児をすることになりました。
この際に「せっかくの機会なので、家事育児の合間に何か勉強しよう」と思い立ち、簿記や英語なども考えたのですが、「こんな機会はもう一生ないはず。だったら一番好きな法律を、夢だった司法試験の形で勉強してみよう!」と考えたのが再スタートのきっかけでした。
40歳を過ぎて子どもに恵まれ、その高揚感も相まって、「この子が大きくなったとき、自分は退職するくらいの歳になる。自分が見せられる父の背中として、しっかりとした実績を残したい!」という思いも湧き上がっておりました。
育休中にコロナ禍となり、延期となったR2予備試験。
短答には無事合格し、論文を受験した直後に職場復帰となっていたところ、届いた成績通知はまさかの500番台。
「あれ? これ頑張ったらいけるんじゃないか? せっかくだから、もうちょっとだけ頑張ってみよう」と思い、現在に至ったというのがこれまでの経緯です。
2 旧司法試験受験時代
本気で司法試験の勉強を始めようと思ったのは、大学3年の春でした。
経緯はさておき、「法曹界などほぼ別世界」というような大学でしたから、まずはWセミナー(最近司法試験から撤退しましたが、当時は辰巳やLECと並んで「御三家」の一角を担っていました。なお、この頃の塾長はLECの看板講師でした。)の基礎講座の「カセットテープ」を中古で入手し、それを聞くところから始めました。
「小塚一刀流」と言えば、当時の方は懐かしく思ってくださることと思います。
今のように出来の良い予備校本などない時代。
講義を聴き、基本書を読んで復習するといったスタイルで一通り受講した後は、短答過去問を解き、その次に(今は無き)「受験新報」掲載の論文答練(誌上答練なのですが、1通1,000円で中央大学真法会の合格者が採点してくれる。)などに取り組みました。
この当時を振り返ると、短答についてはがっちりと鍛えたものの、論文については「逃げてしまっていた」のだと反省しています。
短答対策は、最初は体系別で本試験スタイルの過去問集(現在であれば「短パフェ」スタイル)を使っていましたが、結果は2度の不合格。
これではいけないと合格体験記を読みあさり、辰巳の「肢別本」に取り組むこととしたところ、結果的にこれが大正解。
本試験スタイルの問題集ですと、消去法などのテクニックで解けてしまうことがあるのと、解いた後の復習のポイントが若干ずれる(自分にとっての不正解の原因が絞り込めない)ことがありました。
これが肢別スタイルですと、各肢ごとの一問一答になるので、不正解の原因が目の前に突きつけられ、自分に何が足りないかが明確にわかります。
また、過去問を全問ばらして体系別に並べているので、合格に必要な知識をミニマムでなぞることが出来ます。
とはいえ、本試験の練習(形式への慣れや時間管理)や最新情報(出題予想)収集の必要などもあることから、何度か模試を受験して肢別スタイルの弱点をフォローすることとしました。
そして、肢別本を3周ほど、しっかりと条文や判例等の理由付きで「~だから◯(×)」と考えながら回しますと、短答の点数が安定し、3回目の受験で初合格。
以来、現在に至るまで、短答で不合格となったことはありません。
一方、論文対策は反省点ばかりです。
当時はいわゆる一行問題が出題されることも珍しくなく、論文を書き始めるまでのハードルを非常に高く感じていました。
どの合格体験記を見ても「過去問が大事」と書いてはあるものの、苦手意識で敬遠し、「体系的理解が大切だとも書いてある」と言い訳しながら基本書を読みふけっていました。
定義や趣旨などの暗記も「やらなければ」とは思うものの、正直面倒だと感じ、基本書を読むような面白さがないので、ついつい避けてしまっておりました。
確かに、基本書の通読は体系的な理解には役立ちましたし、今の自分の基礎を形成してくれたものとは思っています。
しかし、当然これでは論文を書けるようにはならない。
書けないから、さらに「知識や理解が足りないから書けないんだ」といって書くことを避ける。答練を受けたとしても復習がおろそかになる、という負のループにはまり、結局このあたりをぐるぐるしている間に数年がたち、撤退に至ってしまいました。
ネットを見ておりましたら、現在でもこのループにはまってしまった方が少なからずいらっしゃるのではないのかな?と感じます。(「暗記 vs 理解」論争など)
自分自身を振り返ってみれば、過去問をきちんと読み込んでないから、本番で求められていることと自分のレベルとの差が見えてこない。また、ちゃんと書けないことが恥ずかしいという変なプライドもあったかと思います。
「自分と同じようにすれば合格できる!」なんて偉そうなことは決して言えませんが、当時は本当に苦しかったことから「過去の私と同じ失敗はしてほしくないな」と切実に願っています……。
3 戦線復帰(予備試験の勉強開始)
さて、再受験を決意したものの、20年近くのブランクがあり、その間には大きな法改正や新判例もたくさんありました。
何せ、会社法は「商法」の一部分であって、民法には「滌除」や「禁治産者」などという言葉が生きていた時代の受験生です。
とはいえ、基本的な事柄は頭に残っていましたし、仕事である程度法律を使っていたことから、まずは予備校の基礎講座で一番分量の少ないものを探して、ざっと一回しすることにしました。
このとき選んだのは、Wセミナー(TAC)の「速習」と銘打った講座でした。
また、過去の反省で論文対策がネックだと感じておりましたので、論文過去問講座も合わせてのパックを購入しました。
テキストは「逐条テキスト」を使っての講義で、全体を見直すのにはちょうど良い分量でした。ただ、これからスタートされる方であれば、基礎を作る時期ですので、ある程度しっかりした講座の方が良いかとは思います。
そして、特に私にとって有益だったのは、論文過去問講座でした。
平成23年からの予備試験全過去問を解説し、講師作成の答案を読み込んでいく講座だったのですが、いわゆる「模範答案」ではなく、「実際に時間内で書けるレベルの参考答案」を用いていました。
「予備校がしっかりと研究して書き込んだ」ものではなく、「さらっと流す」といった感じの答案で、これをモデルにして答案のイメージを作ったことが、その後の勉強にとっても大変効果的だったと思います(講師の方も「この程度で受かりますから、合格答案のイメージを作ってください」とおっしゃってました。)。
この講座を何とか終えると、短答前の時期がやってきました。
短答は、過去の成功体験から、肢別式の「マコタン」を買ってひたすら回し、隣に「逐条テキスト」を置いて、間違えたところや「あれ?」と思ったところを確認して付箋を付けるという勉強をしました。
そして、直前期は条文の素読と「逐条テキスト」の付箋の箇所を読み、本番を迎えました。
ここまで書くと、しっかりと準備が出来ていたようですが、育休で家事育児の合間での勉強だったものですから、このときはまだ「記念受験」のような気持ちでの受験でした。
ところが結果は、200番台での合格。
こうなると、俄然やる気になり、欲も出てきます。
私の知らぬところで、妻が義両親にお願いしてくださり、論文直前期は子どもの面倒をほぼ見てくださることになりました。この時のことは、本当に感謝してもしきれません。
慌てて伊藤塾の論文直前答練を申し込み、①「趣旨規範ハンドブック」によるインプット、②上記の過去問参考答案の読み込み(論文のイメージ作り)、③直前答練を半分くらい消化したあたりで論文本番となりました。
正直「出来た」という感覚はありませんでしたが、「問いには答えきった」「今の自分の力は出し切った」というすっきりとした気持ちで試験を終えることが出来ました。
さて、論文が終わると共に育休も終わり、職場復帰しました。
だんだんと仕事の感覚を取り戻し、新しいプロジェクトに巻き込まれつつあった頃に届いた成績通知には、なんと500番台での数字が記されておりました。
その頃の仕事の状況は、連日深夜勤務に及んでおり(今もそうですが)、この状況での勉強の継続は無理かなとも思っていました。
しかし、論文500番台となれば、合格まであと一歩。
「これで諦めたら、一生悔いが残る!」と思い、妻と相談して生活を見直し、出勤前の時間を勉強に充てて受験を続けることとしました。
勤務先には時差通勤の制度があったので、これを利用して朝1時間弱の勉強時間を捻出し、昼休みの20~30分をプラス。
一方、我が家では、普段一緒にいられない子どもの気持ちを考えて、朝晩の食事時にはオンラインで一緒にテーブルを囲み(各40~50分程度。夕食時は一旦食事休憩を取り、駐車場の車中でコンビニサラダとおにぎり)、就寝時にも顔を見ながら「おやすみなさい」を言うことにしていました。
そして週末には、金曜日の夜か土曜日の早朝に妻子宅へ車を走らせ(片道3時間程度)、子どもと遊び、買い出しや食事の作り置き等々をした上で日曜日の夜に帰ってくるので、事実上勉強は出来ず……。
とはいえ、これで出来ることは本当に限られてきます。
この時選んだのは、短答は「合格セレクション」「択一六法」への切り替え、論文は一元化作業を経た「趣旨規範ハンドブック」を読み込んで、出来る範囲(目標は週1通)で伊藤塾のコンプリート答練(論文成績による割引利用)を書くというものでした。
必死に取り組み、短答は前年同様の成績で合格したものの、論文結果は1300番台に下落。
「やっぱり仕事をしながら、平日1時間程度の勉強だと無理なのか」と考えていたところ、アガルートの「採点実感から読み解く合格答案の『型』習得講座」を知りました。
担当は「元ぎゃるお先生」こと石橋講師。
YouTubeにテーマごとの動画をアップされており、説明に勢いがあって分かりやすかったので、育休中、料理や洗い物等をしながらよく見ていた方でした。
タイトルどおり、出題趣旨や採点実感から試験委員が何を求めているかを読み解き、論文のお作法とも言えるような「型」を説明してくれる講座でした。
「型」といっても、いわゆる「受験テクニック」としてではなく、「法律による紛争解決はどのように行うか」、かみ砕いて言えば「当該事案において、求める法律効果が発生すると言えるためには、どの法律の何条に基づき、どんな要件を満たす必要があるのか(要件の解釈を含め)。そして、当該事案はその要件を満たすものといえるのか。」ということをどう考えて、書いていけばいいのかというようなことを教えてくれる講座でありました。
これだけではイメージがわきにくいと思いますので、具体的に書くと、
問題文を読んで、「問い」と「事実関係」を把握する。
「問い」が「一定の効果」を聞くものなら(例:「XはYに○○を請求できるか」「甲の罪責を述べよ」)、その効果を発生させる「条文」を見つけ出し、その要件該当性を淡々と述べる。
要件該当性の判断の中で、要件が条文からそのまま読み取れない等の不都合がある場合に初めて論点(解釈)の問題提起をし、規範を定立して、問題文の事実関係にあてはめる。
「問い」に対する「結論」を忘れない。
といった感じです。
ある程度勉強が進んだ方なら、あの「すうぅーと流れるような、何のよどみもなく読み込める答案」のイメージがご理解いただけるかと思います。
考えてみれば、司法試験は実務家登用試験でありますし、原則はロースクールでそのために必要な学識を身につけていることが前提になっています(実務は研修所で学ぶ前提で、主に学識を問うていた旧司法試験との違い)。
そうすると、論文試験で問われているのは、学識あることを前提として、それをきちんと使えるのか、ということであると考えました。
また、この頃に審査請求の仕事をしたことも役立ちました。
審査庁として裁決書を書きながら「論文の答案を書くときみたいな道筋で考えてるなぁ」と気がつきました。
"think like a Lawyer"
昔、何かの本を読んで、今でも覚えているフレーズなのですが、まさにこれが問われているのかなと。
事実の引用や評価をねちっこく書けば点になるというのも、「実務に即して」という観点なら、「なるほど」と思えます。
「そういえば、論文500番台を取ったときは、Wセミナーの『実際に時間内で書けるレベルの参考答案』を何度も読み込んでいたなー」と思い返し、この書き方を身につけて、「書くために必要となる定義・趣旨、規範等」を暗記する方針をとることとしました。
型講座で習得した「合格答案のイメージ」、言い換えれば「処理手順」を元に過去問の答案を読み込み、
問題文の事実からどのように回答までの道筋を立てているか
適用すべき条文の要件該当性をどのように処理しているか
論点の問題提起や規範定立、あてはめまでをどう処理しているか
を頭に定着させる。
この作業で「処理手順」と「暗記すべき事柄とその深さ(論文試験では、実際に何をどこまで書かなければならないのか)」が見えてきました。
重問も購入していたことから、本当はこれも潰したかったのですが、いかんせん時間がありません。他に読みたい基本書なども山ほどありましたが、「出来ることしかしない!」をモットーとしました。
論文に必要となるのは「事案を読み解き、必要となる法律構成とその根拠条文を示し、要件充足性を淡々と検討して、結論を導くこと」だと考え、そのために必要な暗記と、条文&覚えた知識を使う練習をするのだと。
これを踏まえて、「定義・趣旨、規範の暗記」に取りかかり、過去問を繰り返し解いて、可能な範囲で答練で書く練習をしました。
4 そして合格へ
ここまで考え方や方法論がメインになりましたが、実際には妻子ありの重責激務社会人。
できることは本当に限られてきます。
令和4年度は、論文600番台で不合格。
仕事が本当に大変な時期で……というと言い訳になりますが、元の位置までは戻れたので、方向性に間違いはないと信じてリトライ。
毎日追い込まれるような思いで、朝は「趣旨規範ハンドブック」と過去問の往復、昼休みはankiアプリで定義趣旨等を覚えていました。
受験のことは職場では内緒にしてましたので、きっと「昼休みにケータイで遊んでる怠惰なオッサン」に思われていたことだと思います(笑)。
書く練習としては、一科目終わるタイミングで答練を1~2通というのが精一杯でした。
短答については、自信があったことからGWまでは着手せず。
とはいえ、家庭がありますので、WG中勉強が出来たのは実質2日間程度でした。
「合格セレクション」で問題を解き、怪しい箇所を「択一六法」に落とす。
択一六法の加工も、時間がないことから、付箋を貼ってシャーペンで○を付ける程度で済ませました。丁寧にマーキングする余裕などはありません。超直前期の高速回転時に視線が止まれば十分です。
この時期の昼休みは、条文の素読と(ブックカバーを掛けた)択一六法の復習です。
直前2週間前に模試を受けて、予備校の予想と最新判例を潰し、後はひたすら条文の素読と択一六法の復習をして本番に臨みました。
なお、一般教養については、そもそも時間が無かったのと(英語はできないものの)割と「雑学王」の気があったことから、対策は何もしませんでした(例年30点程度をキープ)。
短答後は、型講座のテキストを読み直して合格答案のイメージを維持しつつ、後はひたすら暗記と過去問をこなし、一回だけ模試を受けて新着問題を書く練習をしました。
これだけやることを絞り込んでも、体感では「やろうとしていたことの6~7割程度しかできなかったなー」という感じでした。
そうして迎えたR5論文試験。
「書けた」とは思えませんでしたが、「なんとか守り切れた……」という感じで本当に燃え尽きました。
試験後は半月ほど仕事に専念した後、合格発表までは新問研と基本刑法Ⅱを「眺めて」いました。
合格発表は、なんとなく合格の予感はしていたので、嬉しさよりも安堵感の方が大きかったのを覚えています。
さて、そうなると口述に向けて!となるのですが、運悪く子どもがアデノウイルスとヒトメタニューモウイルスに罹患。
クリスマス頃から年明けの仕事始めまでは子どもにつきっきりで、年末年始の勉強計画は崩壊しまいました。
妻の協力で、なんとか1日3~4時間位は勉強させてもらえたものの、やはり出来ることは限られてきます。
まずは、伊藤塾からもらった過去問を読んで出題範囲と雰囲気を掴み、出題箇所を大島本と基本刑法と定石に一元化(やはり付箋とシャーペンマーク)。
口述模試は、子どもの声が漏れ聞こえる中、オンラインで受験しました。
模試では、頭では分かっているはずなのに、何故か雰囲気に呑まれてテンパってしまい、助け船を泥船と思い込んでしまって自説に固執するという不合格一直線ムーブをやらかしてしまい、本当に良い経験になりました。
合格者が口を揃えておっしゃいますが、やはり口述模試は必須だと思いました。
なお、この途中に届いた成績通知には200番台前半という信じられない順位が載っていました。
とは言え、科目別に見ればDBBCCCDBAで、基本7法にはAはありません。
実務科目でホームランを打って、倒産法のこまめな条文摘示で地道に点数を稼ぎ、基本7法はとにかく型どおりに粛々と書くことで守り切ったものと分析しています。
何だかんだとしているうちに口述試験。
羽田から新浦安までの移動(特に京葉線への乗り換え!)が面倒だったので、直行バスを使って頭を休め(寝て)、ホテルに入ってから一元化教材の高速回転とイメトレを行いました。
試験は、両日とも午後。
会場前で塾長とぎゃるお先生に初めてお目にかかり、パワーをいただいて会場入り。
なんと初日の順番がトップバッターで、一瞬心臓が縮み上がりました。
ふわふわと地に足がつかぬまま、集合室(体育館)から待機室(発射台)へ。
頭に血が上りながらもどこか冷静で、先発の民事・刑事の各10名ほどでずらりと並んだ法務省職員に誘導されてゆき、案内板を見ながら「あぁ、試験会場は、ベッドを撤去した寮の個室だと聞いてたけど、『みづき寮』っていうのかー」などとぼんやり考えていました。
試験自体は可もなく不可もなくといった感じで、粛々と進んでいきました。
自分にそれなりに社会経験があったこと、試験委員の先生が(超優秀なエリートとはいえ)皆さん明らかに年下だったこともあり、そこまでの緊張感は感じずに試験を終えることが出来ました。
とはいえ、準備段階も含めると、二度と受けたくない試験ではありましたが……。
2日間の試験を終えると、試験会場の外は雨が止んでいました。
一応公道に出てから試験会場の写真を撮り、駅前のイオンで記念にちょっと良いネクタイを買って帰路につきました。そういえば、羽田空港で回らないお寿司も食べました。
この時の開放感は、なんとも言い表すことができません。
10日後、無事合格発表を迎えることができ、私の予備試験受験は幕を閉じ、次のステージへと移ることとなりました。
5 終わりに
以上が、私の合格体験記となります。
拙い長文を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
自分が旧司法試験を一旦諦めていることから、この試験は「頑張れば必ず受かる!」なんて甘いものでないことは、重々承知しています。
しかし、自分が決意して、決して取り戻せない貴重な「時間」を費やして挑戦する以上は、後悔しないような努力をしていただきたいと、切に願っています。
どうか、頑張ってください!