自分が子どもの頃に見ていた大人になるために
小学生のとき、高校生がとても大人っぽく見えて憧れだった。
地元の高校の夏服は、事務員さんみたいな制服で飾りっ気がなくって、きっと当時の学生には不人気だったことだろうと思うのだけど、
なんとなく凜とした雰囲気があって、賢い人に見えて、小学生のわたしにはそれがとても大人っぽくていいなあと思っていた。
その頃まだ家の近所にはバス停があって、バスに乗って高校へ行くお姉さんたちを見ることもあって、バス通とか汽車通とか、それにも憧れがあった。
同じく小学生のとき、湾岸戦争が勃発した。
そのときの世界情勢なんて理解していなかったけど、今、戦争が起こっているという事実に、日本もこの戦争にお金を出しているということに、いたたまれなくなった気持ちを今でも覚えている。
そんなとき、とんねるずが「情けねえ」というCDを出した。
彼らについては賛否両論あるだろうし、金儲けと言われればそうかもしれない。秋元康もわたしは好きじゃない。それでもあのとき、その真っ直ぐな歌詞と、それをテレビで堂々と歌う姿に感動した。
戦争はいけない、とか
人をいじめてはいけない、とか
困っている人を見かけたら知らんぷりをしたらいけない、とか
偉そうに大人は言うけれど毎日の暮らしの中では何にもしないじゃないか。
そう思っていたわたしにとって、
彼らはとてもかっこよく映ったのだ。
この動画では二番が省略されてるんだけど、二番の歌詞が今めちゃくちゃ刺さる。
時代の出来事にちゃんと反応して、大勢の人の共感を呼んで、CDのセールスもたたき出す。世論にうねりをつくる。
すごい。
それにひきかえ今はどうなんだろう。
いろいろあるんだよ、とか
むずかしいよね、とか
余裕がないんだよね、とか
大人はいろいろ言っちゃうけど、
それを見ている子どもたちは、そういう大人に憧れるんだろうか。
そういう大人になりたいと思うんだろうか。
きれいごとだと思うかもしれないけど、
わたしは自分が子どもの頃に見ていた「大人」になりたい、と
今もまだもがいている。
年齢はもうじゅうぶん大人のくせに、まだぜんぜんなれてない。
スタンディングをするときも、そういう思いがある。
子どもたちに、この世の中に絶望してほしくなくて「虐殺やめろ」って町に立ってる気がする。
世界をつくっているのが一人一人なら、
一人一人が自分の住みたい世界をつくっていけるはずだとわたしは信じている。
わたしは戦争や虐殺のない、差別のない、そういう世界に住みたい。
そのために、まず自分の暮らす町の政治に心を向けていこうと決めた。
世界で起きてることだけじゃない、
日本でもこの2023年にあぶり出されたさまざまな問題を、
わたしたちはどうおさめるんだろう?
こころの中の小さなわたしが言うんだよな、
今のおまえかっこ悪いよ、ってな。
まっすぐな目をした小さなわたしがこころの中にいるかぎり、もがき続けていくんだと思う。
誰かに批判されるんじゃなく、
自分に、
自分の言葉を、行動を、批判されるんだ。
いつか小さなわたしと笑い合う日のために、今を生きて積み重ねるぞ。