「西予市裏市長」になってやったこと⑤
西予市裏市長になってはじめた10回のSHOES、折り返し地点の5回目までお知らせしてきました。
5回目を終えたのが2018年4月。そこから田植えが終わって、さあ、次のSHOESはどうしようかなあと漠然と考えていたときでした。
わたしの住む愛媛県西予市は、2018年7月、豪雨災害に見舞われました。
災害の前、すごい雨が続いていて、止むことがなく、テレビやラジオではしきりに警告する気象庁の会見が流れていました。
わたしたちのまちが被災する前に、岡山や広島でも甚大な被害が伝えられていて、わたしも慌てて家の中の大事なものなどを高いところに上げたり、片付けをしたりしていました。
そんな中、つけていたテレビから、地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚ら7人の死刑が執行されたという速報も入りました。(地下鉄サリン事件はわたしにとって大きな事件なので、今度記事を書きたいと思います。)
雨はどんどん強くなり、夜中、雨が屋根に落ちるすごい音で目が覚めました。
家の近くに大きな川があるのでそちらばかり気にしていたのですが、外に出てみると家の裏の山からの水がものすごく、道路は冠水しはじめ、山から濁った水が流れ出し、大きな岩も転がってきました。
みるみる内に庭がプールになって、床下浸水しました。
介護が必要な犬1匹と猫2匹を飼っていたこともあり、家で待機することを選び、とりあえずお米を炊いておにぎりをにぎっていたときです。
友人から電話で「野村がやばい」と聞かされ、twitterで情報収集してみるとダムの放流で野村のまちが水にのまれているようだということが分かりました。
とっさに野村に住んでいる耳の聞こえないある人の顔が浮かびました。
わたしの入っている地元の手話サークルで出会った、野村で一人暮らしをしている高齢の女性です。
ちょうど被害が大きい野村のまちの中に住んでいる。
彼女は携帯もFAXも持ってない。
どうしよう。
野村へ続く道は土砂崩れで通行止めとなっており、身動きがとれない。
翌日、役場に問い合わせるも個人情報だからという理由で無事かどうかすら知ることができず、迂回路が通れるようになったというのを聞いてすぐに行きました。
家を訪ねると、ゴミ出しをしている彼女に会えました。
聞くと、その日早起きしていて階段を上がっているときに、窓から川の水がうねりながらやってくるのが見えた。3階建てに住んでいるので慌てて3階まで逃げた。と話してくれました。水は2階の天井まで来たそうです。
住んでる家が3階建てでほんとによかった…………。
サイレンも緊急放送も、大雨で聞こえにくかったということがあとでわかりましたが、そもそも彼女は聞こえません。
あらためて、災害時・緊急時の聴覚障害者への支援の重要性を感じました。
近所の人がとてもよくしてくれていて、普段からあるかかわりが、こういうときは大事だなあというのも実感しました。
消防団のみなさんがゴミを回収してくれていて、彼女と一緒にゴミ出しし、役場にも申し送りと継続的な通訳などの支援をお願いしました。
そのあと、野村に住んでいる友人が、災害ボランティアの道筋をつくってくれ、公的なボランティア活動が動き出す前の空白の期間を埋めるように、友人たちと野村のまちに入ることができました。
西予市だけでなく、となりの吉田町や三間町もたいへんな被災をされていて、
一日ごとに変わる必要な支援、行政手続きの苦労、疲れ、憤りなど、はじめてのさまざまなことを知ることになりました。
わたしも、なんかえらそうに自分ががんばったことみたいに書いてるけど、わたしは家に帰れば無事だった家があってお風呂に入れて布団で眠れるけど、
水も出ない、家の中すべてが土砂で埋まったかたに、なにができてるんだろう、なにもできてないし、偽善というか、でもなにがいいのか分からないまま、とりあえず目の前のことをしていただけだったと思います。
その人やそのものごとに「添う」ことって、ほんとうにむずかしい。
あのときはきっと、みなさんいろんなかたちで、それぞれにかかわられていたことと思います。
そしてこんな大きな災害のあと、SHOESとしていったい何ができるんだろう、まだまだ大変なこんなときに、やる意味なんかあるのかな、と考え込みました。
考えて考えて、やっぱりやることに決めました。(次回へつづく)