いいか悪いかなんてわからないけれど、決めなきゃいけないし、選ばなきゃいけないから
わたしは実家が米農家なので、シーズン中はその手伝いをもっぱらしている。
この間、夏の間にのびまくった川辺の草を刈った。
川にも生えまくってた草を刈って溝上げした。
草が生えまくってて水があるのも見えなかった川に、
水の流れが戻ってきて、上流にいた魚が下まで泳いでくるようになった。
それを見て、
あ~きれいになったな~と思っていた。
が。
あのうっそうとしたジャングル化した川がよくて暮らしていた奴らもいたかもしれない。
そいつらからしたら、住む場所を追われ、失い、今頃つらい思いをしているにちがいない。
わたしのこともきっと恨んでいるだろう。
政治も、一人ひとりの思いやくらしとつながってる、って言うくせに
政策になるとマクロになってミクロは無視されることだってある。
なんなんだよ、ってなる。
結局全体主義じゃん、ってなる。
なったことありません?
それを変えていけるというか、可能性があるのが地方自治体行政かな、とわたしは思っている。
マクロの政策が国から県、
県から市町へおりてきて実行されるとき、
直接人とのやりとりがあるのが市町の行政だ。
だからどこがどう合ってて、どこがどう合ってないのか、見ることも聞くこともできる。
※もちろん、市民住民に協力してもらわないとこのヒヤリングやリサーチはできないから、市民住民との関係を築くことがめちゃベースだと思います。
それらを検証しながら、
自分たちの町にはどんな施策が必要なのか見て、考えて、できそうなことはやる、できないことはマクロに要求していく、それが地方自治体行政の本懐なんじゃないかな。
コレめちゃくちゃ希望のかたまりの「もと」だと思う。
きれいごとみたいに思う人もいるかもしれないけど、ぜんぜんやれると思ってます。
2018年にこのnoteで読んだ記事があって
めちゃくちゃスゲー!と思った。
この記事の中のコレ、
この右の図のような視点で何事もやってくと、
もしかして行政ってめちゃくちゃよくなっちゃうのでは!!!って見たときに思って、
この画像をスマホに入れていつでも見返せるフォルダに入れてる。
(西予市でもPDCAサイクルはやってるって聞くんですけど、だからどうなってこうなった、っていうのは見せてもらったことがないんですよね。)
なんでも決めていかなきゃいけない、
選んでいかなきゃいけないときってあるけど、
それを決めた・選んだ過程とか理由とかがわかるようにするのってめちゃくちゃ大事だと思うし、
新しいことをやるときや反対の意見があるときは、
さらに丁寧にSとRとPの部分をくり返しくり返し修正しながら合意形成していくことが、ぜったい必要な要素だと思う。
決めなきゃいけない・選ばなきゃいけないからこそ、過程を怠らないこと。
しかもちゃんと上の図でいうStanding【立ち位置】をどの項目のときも意識すること。
どっから言ってんだよ!?ってめちゃくちゃ大事なんで。
未来なんて誰にもわからない、わからないのに決めなきゃいけない。
今の人間で未来のことを決めちゃうなら、
せめてそんくらいしなきゃだよね。
未来の人たちに「あのときなんでこう決めたの」って聞かれて、
「あのときはこうやって決めたんだ」ってこたえられるようにしたいだけなの。
それがよかったか、わるかったか、答えは今にはない。
答えは未来から来る。
その未来に、自分がもういなかったとしても、
そんなことは言い訳にならない。
わたしは、会ったこともない過去の人が大陸から稲作をもってきてくれて、水田や水路を整備してくれて、
今、進化した田んぼで米をつくってる。
おかげで今年もお米がとれました。
過去の人たちと宇宙と地球に今年もありがとう。
お米ってめっちゃおいしいし、ここで育つ米はまたさらにおいしいから、未来の人たちにも作るのオススメし続けたいのでいろいろがんばるね!
あと、決めたこと・選んだことの責任をとるのは、
わるいことやネガティブなことじゃないです。
めちゃくちゃ真剣に決めたことの責任をとれるなんて、すごいありがたいことだと思います。
それこそ、そのStandingに「いられる」ってすごいことなんだから。
最後に大好きなアガる一曲を🎉
これがコロナ真っ只中の頃に出されたっていうのがまたいい〜
Choose Yourself!