見出し画像

ライディング・ハイ(2021)

東京五輪。これほどまでに五輪というもの、それに対する見方というのが、がらりと変わってしまうとは思ってもみなかった。そんな目で五輪を見ることになるとは、それ以前には想像だにしなかった。これまでにも五輪の商業主義的な傾向や国際五輪委員会の体質などの問題、金にまみれた放映権やスポンサー企業の問題など、様々なことが指摘され議論されてきたが、世界でたったひとつの世界の若者たちのための最高峰のアマチュア・スポーツの祭典という大会の崇高さにほだされてか、なんとなく五輪のダメな問題点は、結構そのままにしてここまできてしまっていたようなところがある。というような、前段階においてすら、もうすでに以前から持ち越されに持ち越されてきている宿題というのは、実は山のようにあったのだ。さらに、そのうえで、そこから派生していたりいなかったりする、日本の五輪委員会や大会組織委員会、日本政府、東京都というちょっと胡散臭すぎる面々の、とりあえず五輪というものをつつがなく開催する上での能力的限界や資質の決定的不足が次々に明るみになり、そして日本社会や日本人のもつ根深い愚昧さや意識の低さ緩さといった様々な欠陥点も堰をきったように勢いよくどばどばと噴き出しまくった。詳細はいちいち書き連ねないが(ちょっと思い出すだけで嫌な気分になることばかりなので)、本当に酷いことだらけであった。それに加えて開幕直前まで人事のことなど大会スポンサーのことなどでごたごたが続き、ほとほと五輪というものに嫌気がさしてしまった。十代の頃にロスアンゼルス五輪を見て、あらゆる感動や未来への希望がぎっしりと詰め込まれた四年の一度の夢の祭典として、五輪というものを捉えて認識し、そういう見方を抱いたままこれまで生きてきた(ちょっと楽天的すぎたかもしれないが)。ここ最近ではウサイン・ボルトの走りに驚き度肝を抜かれ、こんな素晴らしいものが見れるのは、やはり五輪だけで、ここは最高のアスリートたちとスポーツにとっての最高の舞台なのだと胸を熱くしていたりした。だがしかし、もはや何もかも過ぎ去ってしまったことであり、五輪の夢ははかなくも萎んでしまった(かのように思われた)。七月二十三日の開会式は、録画して見た。最初から最後までずっと見続ける自信はなかったから。夜遅くに何かおもしろそうなところはないかと早送りしつつ見てみたが、ぐんぐんぐんぐん進んで、でえくが出てきて、仮装大賞のようなところがあり、市川海老蔵がのそのそ歩いて、聖火が点火されて終わった。飛ばし飛ばしで、見るのに十五分もかからなかった。後になって森山未来の舞踏がよかったという噂を耳にしたので、探しだして見返してみてみた。だがしかし、鎮魂だの懺悔だのを表現するダンスといわれていたけれど、ここ最近の震災や自然災害、新型コロナ・ウィルスで落命した多くの死者たちは本当はもっともっと(あのダンスよりも)怒り猛り狂っているのではないだろうか。そんな怒りに震え続けている死者たちの思いが、日本国の象徴や日本政府のリーダーが列席する中できっちりと表現されなかったことには、やや物足りなさも感じた。すべての死者が、生者を優しく見守ってくれているとは限らない。五輪さえなければ死なずに済んだ人も少なからずいる。そんな死者たちの魂を、五輪の開会式において鎮めることなどできるのであろうか。いまさら懺悔されてもどうなるものでもない(そして、最も懺悔すべき人々が全く懺悔しようとしていない)。五輪で死んだ人たちだけでなく、五輪さえなければ死ぬこともなかった人たちがいたことも決して忘れてはいけない。そして、文字通りに五輪によって殺されてしまった人たちのことも。こんな風に五輪というものとの距離感が大きく変わってしまったこともあり、あまり競技の中継を見る気も、初めは湧いてこなかった。ちゃんと見るのは競泳と陸上ぐらいではないかと思ったりもしていたのだが、民放局が競泳の中継をしているのを見てみたところ、かえって気分がげんなりしてしまった。ちょっとした隙間があればどんどんCMが入る。今回の五輪が置かれている位置そのものと、がっぽり儲けて稼ぎたい企業の前のめり感に大きな乖離があるようで、気分的・感覚的にどうもついてゆけないというか必要以上に気を削がれてしまって見ていられず、早々にチャンネルを変えてしまうことになった。じっくりと腰を据えて競泳の競技そのものを見たいのだが、放送をする側がどうやらそうはさせたくないようなのである。困った。そんな折、テレビをつけた瞬間に「これだ」と思うものが、いきなり視界に飛び込んできた。スケートボード女子ストリートの予選が行われていたのである。カメラは競技会場の階段や手すり、スロープなどが設えられたコースを、選手たちが思い思いにただただ滑りまくる姿を捉え続けている。ただそれだけのことが続けられる中、実に淡々と予選が進行してゆく。選手たちは思い思いに自分の好きなようにスケートボードで滑っている。楽しんでいるようにしか見えない。というか、実際に楽しんでいるのである。それがスケートボードのストリートという競技なのである。いや、五輪の種目にもなるようなものなのでメダルを争う競技ではあるのだが、選手たちの表情や姿勢にあまり周囲のライヴァルと争っているというような雰囲気はない。思い思いに自分の好きなように滑る競技なので、自分以外の選手と実際にじりじりと睨み合って競い争う場面というのは、一切ない。競争ではあるけれどぶつかり合うように競い合うのではなく、競技ではあるが、まさに純粋に技を競うだけであって、勝敗や優劣だけがすべてという競技ではない。選手は自分が決めたコースを思い思いに滑り、自分がやってみようと思ったベストか最上級のトリックを決めるだけだ。どこかで何かをしなくてはいけないという決まりごとや何をどうすべきだというようなルールは、何ひとつとしてない。そういう意味では、とても自由度が高い種目なのである。その自由度の高さの中で競争や競技がなされているといった方がよいだろうか。自分でしたいみたいと思うトリックを決めるのが第一なのだから、つまるところ競技性というのは二の次になってくる。ライヴァルたちと技を競い合って、ほかの誰かよりもすごいことをしたいとか高得点をあげたいという気持ちは、誰にだって少しはあるのだろうが、それでも誰かと競い合うよりも、自分でやると決めた技を自分の思う通りに最高の形でやり遂げるということの方が何よりも優先される事項となってくる。そのため、滑っている時・試技している時には、他の誰かのことなどはもうどうでもよくなってしまっている。そこがこの種目の競技性の低さにつながっていて、見るからにそのように見える競技会場全体の楽しく自由でワクワクするような雰囲気を形成している。それが、すぐにわかったのである。みんなで自由にスケートボードを楽しんでいる感じが、テレビの画面からあふれ出るようにして伝わってきた。ただし、これももし民放局が中継していたものであったら、そのおもしろみは半減してしまっていたかもしれない。各選手の試技と試技の合間にすかさず企業のCMがねじ込まれ、日本人選手の登場に合わせて外野が賑やかして無闇矢鱈に盛り上げようとする。スポーツ中継というものは、今そこで起きていることをそのままに見せて伝えてくれればそれでよいのである。スケートボードのストリートなどは、試技と試技の合間のインターバルの様子なども余すところなく見れた方が格段におもしろいのである。ティーム・スタッフとあれこれ話し合って相談していたり、ぼんやり突っ立っていたり、だらっと座り込んでいたり、音楽に合わせて踊っていたり、おちゃらけていたり、へらへらしていたり、ほかの選手とふざけあっていたり、転んで擦りむいたところから血がにじんでいたり、顔をしかめて痛そうに足を引きずって歩いていたり。そんなインターバルの緩んだ感じからスケートボードに乗るときの集中して引き締まった表情に切り替わるところも見どころのひとつであるからだ。緊張と弛緩。そこに見るものを引きつけ、こりゃおもしろいと思わせるものが沸き出すように生ずる。よって、それを遮るものが一切ない中継の方が断然おもしろいのである。そんな思い思いに自由にスケートボードで滑走している選手たちを見ていると、東京の五輪競技会場とアフガニスタンのカブールにあるスケート場がそう遠くはなくて、実際に地続きにつながっているように感じられた。カブール市内の学校で教材としてのスケートボードの魅力にはまりぐんぐんのめり込んでゆく少女たちの姿をカメラに収めたドキュメンタリー映画「スケボーが私を変える アフガニスタン 少女たちの挑戦(Learning to Skateboard in a Warzone (If You're a Girl))」に登場した埃っぽい倉庫(体育館か?)の中に作られているスケート場と五輪の競技会場には、そう大して差はないように思えたのである。そこには、楽しく思い思いにただただスケートボードで滑りまくる元気いっぱいの少女たちがいるだけなのだ。あのカブールの学校のスケボー少女たちは、夏の日の早朝に五輪の衛星中継を生で見ることができたであろうか。自分たちと同じぐらいの年代の少女たちが何度も何度も失敗しながらも最後には華麗なトリックを決めて世界が注目する晴れ舞台で活躍しメダルを手にする映像を見て何を感じたであろうか。スケートボードは少女たちの世界をひとつにつなげたであろうか。スケートボードで滑る先にある大いなる希望や自分の好きなようにどこまでもゆける自由に、思いを馳せることができたであろうか。そして、カブールの街の小さな屋内スケート場から是非とも五輪の舞台を目指してもらいたいと思った。同年代の少女たちが世界の中心で輝き活躍しているのだ。決して手の届かぬ夢ではない。いや、アフガニスタンの戦火で荒廃した街でもいきいきと楽しめているスケートボードだからこそ、もっともっとその先にあるものを夢を見ることができるという部分もあるのではないだろうか。カブールでは、まだ少女が学校にゆき教育を受けること自体に対しても、全くの無用であると頭から拒絶したり懐疑的な目を向ける旧時代的な家族観や封建的な家父長制を維持する家庭も多いのである。そんな社会の中で両親や家族を説得し学校に通い教室で授業を受け、スケートボードを練習することのできる環境にあるということは、それそのものがひとつの夢(夢が叶った夢)のようなものでもあるだろう。少し前の時代のカブールの少女たちはスケートボードというものの存在すら知らなかったはずだから。いつはてるともわからぬ内戦が続き、市街地も銃撃や爆撃で破壊され、いつどこで原理主義者たちやテロ組織の自爆テロに巻き込まれるかもわからない。スケートボードは、カブールの街の学校に通う少女たちにもたらされた夢と希望と自由に向かって滑走するための乗り物であった。そしていま、東京五輪のスケートボード女子ストリートの自由に満ちて楽しげな競技の中継を見て、その胸に抱いている夢や希望はさらに大きく広がっていて欲しいと切に願う。いつの日かアフガニスタンからやってきた少女が五輪に出場しスケートボードで滑走し華麗なトリックを決めることがあるだろうか。その日が来るのが、とても楽しみで仕方がない。戦闘地域でも大きな夢を見ることはできる。もっともっと五輪という平和の祭典で難民の選手団だけでなく国内避難民や紛争や内戦の土地で育った人々の勇姿を見たい。しかしながら、スケートボードなどの都市型スポーツは、まだやっと今回の五輪から正式な実施競技になったばかりなのである。四年に一度の五輪大会の一部となり、これまで以上に注目され視線が集まるようになって、競技人口の裾野も爆発的に広がってゆくことになるだろう。これは、スケートボードに代表されるスケート文化にとって、とてもよいことである。要するに、それはサッカーやスキーなどと並ぶようなメジャーなスポーツとして認知されてゆくということでもあるのだから。だが、よく考えてみると今の五輪というものの実情や実像とは一番かけ離れた雰囲気をもっている競技がスケートボードなのだとも考えられないだろうか。絵に描いた餅にしか過ぎない大層なお題目を掲げ綺麗事ばかりを並べて平和と自由のイメージを描いて見せてはいるが、どこか均質的・画一的かつルール偏重型で全体主義的でもある極めて風通しの悪い五輪が、わざわざスケートボードをやる必要などあるのかとさえ思ってしまうぐらいである。それは五輪レヴェルの金満体質や商業主義といった領域からはまだまだほど遠いスポーツ文化であるからだ。サッカーがボールひとつあれば手軽に楽しめるスポーツとして世界中に広まっていったように、スケートボードもボード一台あれば街中でもどこででも楽しめてしまう手軽さや自由度の高さが強みである。アフガニスタンのカブールでもスケートボードが楽しめているように、それを楽しむうえで地域格差や経済格差というものはほとんど問題とはならないのである。どこの誰であろうとスケートボードの上に乗れば(ライドすれば)、そこからすべてがスタートする。ライドする人が行こうと思えば、どこまでも行けてしまう。だから、あの女子スケートボーダーたちの五輪の舞台での清々しい活躍さえも、どす黒くきな臭い国際的スポーツ興行組織の金儲けの道具に使われてしまっているのではないかと思えてしまって、あの旧弊や古い柵から解放された自由さにまで泥を塗られているのではないかと思わず危惧してしまったりもするのである。スケートボードのストリートという競技には、基本的には選手たちが技を競い合う競技という形態をとってはいるものの遊びの要素が多くある。遊びが競技になっているというか、競技をするものに対して初めからプロフェッショナルであることは求められておらず、伸び伸びと日頃の鍛錬と練習の成果を見せる場があるだけであって、楽しんで満足のゆく競技ができていればそれがそれぞれの選手にとっての最上の結果となる。元来、アマチュア・スポーツの祭典というのはそうしたもののことであり、そういう側面を色濃くもっているのが五輪というスポーツ大会であった。だが、もはやそういう五輪が五輪の基本であるという時代ではなくなってしまっているようだ。だが、スケートボード・ストリートには遊びの要素があるというか、ほぼストリートでのスケートボード遊びの延長にあるものでしかないのである。そこには、これをしなくてはいけないやこれをしてはいけないがない。ただ自分がしたいことをする。それがうまくできるかできないかだけなのである。東京五輪の野球の日本代表ティームが、楽しそうにへらへら笑いながら競技をしている姿はなかなか見ることができない。侍ジャパンなので迂闊に笑ったりへらへらしてはいけないという決まり事でもあるのだろうか。いや、試合の一球一球に真剣すぎるほど真剣に取り組んでいるので、へらへら楽しんでいる暇がないのだろう。ちょっとでも隙を見せればやられてしまう世界なのだ。しかし、それは曲がりなりにもスポーツと呼ぶにはあまりにも狭隘なる側面が強くて本来的な楽しい感覚や楽しむ感覚に欠ける世界のようにも見える。いつも楽しそうにプレイしている大谷翔平が所属するメジャー・リーグ・ベースボールとは何から何までまるで違っている。同じ野球のはずなのだが、これとあれとは別々のものなのだろうか。野球とベースボールでは全く違うスポーツなのではないかと思いたくもなる。笑顔で楽しく朗らかにプレイする大谷翔平を見ていると楽しい。そして、大谷だけでなく試合をしている全員が一球ごとに起こる何かを新鮮な感覚をもって楽しんでいる点も大きい。いい内容のゲームを楽しくプレイできていれば、それだけ満足度は高くなる。そこに個人的な成績やティームの勝利がついてくれば、尚更に楽しい。失敗しても次で取り返せばいい。全員が楽しい満足度の高いプレイを追求してゆくことで、試合のレヴェルひいては競技のレヴェルもどんどん高まってゆく。大谷翔平が笑顔で楽しんでいるのは、そういう競技だ。いつまでも侍ぶっているままでは、それは楽しめないであろう。侍の野球も決して悪いものではない。だが、真剣勝負や息詰まる熱戦ばかりでは、スポーツとしての楽しさやおもしろさはなかなか前面に表立っては出てきづらいのではないか。また、これをしなくてはいけないやこれをしてはいけないばかりで競技におけるプレイの自由度が低下すると、笑顔や楽しい気分も自ずと前面に出てこなくなる。あまりにも遊びの要素がなくなってしまうのだ。それに野球という競技は、もはや世界中の誰もが平等に楽しめるスポーツではなくなりつつあるようにも思われる。バットとボール、グローブなどの道具や用具を買い揃えて、仲間を集めてティームを作り、他のティームと専用のグラウンドで対戦しなくてはならない。これはもうアフガニスタンのカブールのような街で子供たちが楽しく興じられるような遊び・スポーツではない。スケートボード一台あれば遊べる手軽さには程遠い。日本でも少子化が進み、そう簡単にはティームが作れなくなり、経済格差から道具一式を子供に買い揃えられる家庭も徐々に減っていって、だんだんと野球は庶民からは縁遠いスポーツになってゆくのではないか。日本の国技とされる相撲でも日本人力士は、東京やその近郊などの大都市圏の出身者が多くなってきている。これは富裕な家庭の多い都市部と地域格差のある地方では、子供の体格に差が出てくる可能性があることと何か関係があるのではないだろうか。よく食べて発育のよい大きい体躯をもつ子供がいる割合は、おそらく都市部の方がもうすでに高くなっているのかもしれない。同じように、小さい頃から野球に親しめるほどに様々な面で恵まれた子供も都市部の富裕な家庭の子女に限られてくるということになるのではなかろうか。ビニールボールで手打ち野球をしようにも、それをやれる場所がなかなかないし、二ティームに分かれてゲーム形式で遊べるだけのメンバーの頭数もそもそも揃わない。ほとんどのスポーツが生まれつきの僥倖と固く結びつくようになるとき、簡単で手頃な遊びの中に眠っていた本来的なスポーツの芽がむくむくと育ち始めるのだろうか。何もかも運でしかないのであれば、それもまた遊びにしてしまえばよい。持たざるもののスポーツもまたスポーツである。それは誰にでも簡単に手頃にできてしまう遊びの延長であるという点において、よりスポーツらしいスポーツでもある。練習を積み重ねた技が試合で決まるか決まらないかは、全て時の運である。決まるときもあれば決まらないときもあるからこそ、それが技を競いあう競技としての楽しさやおもしろさにもつながってゆく。自分のしたいと思う技やそのときにすべき技をする。後は、それがうまくゆくかいかないかだけである。もしも、全然ダメだったとしても、今日は自分の日ではなかっただけだ。自分が輝く日ではなかったのだとすっぱり諦める。遊びの延長でもでもあるので、いつもいつも実力だけでなんとかなる世界でもない。実力があっても、うまく身体やボードを操作することができなければ、ことごとく失敗に終わる。その日たまたま調子がよかった人に主役の座を簡単に奪われてしまう。主役の座など持って回るものだと心得ていれば失敗も納得できるし、そこに遊びの要素がもたらす楽しさやおもしろさをより感じ取れるだろう。実力や実績や世界ランクの高低にこだわったからといってそれでどうなるというものでもない。単なる時の運が、その日の出来不出来に大きく関与することも少なくはないのだ。ノット・マイ・デイ。ノット・トゥデイ。ほんの一瞬のプレイにもてるもの全てを傾け、全てを託して結果を待つ。今日は失敗したが、明日は成功するかもしれない。全ての成功と失敗が選手を成長させ選手としても人間としても向上させてゆく。これぞ最もスポーツらしいスポーツの形なのではないか。スケートボードのような遊びの延長にあり楽しみながら技術を追求してゆくことのできるスポーツが、これからの世界において最も人類の生活スタイルともフィットするスポーツとなってゆくのではないか。誰かと競い争うよりも仲間たちとともに楽しさやおもしろさを共有しそれを記憶してゆくことの方が重要視され最優先されるようになってゆく。もはやスポーツの世界においても競争の時代ではなくなってきているような兆しがある。自由で楽しい競技はこれからも大いに行われてゆくであろう。そして、たとえスポーツの世界であろうとも、アホみたいに血眼になって競い争うのは見苦しい行いと見なされてゆくようになるのではなかろうか。競争よりも競技。このスポーツの競技化の流れというのは、もはや後戻りすることはないのだろう。楽しくなければスポーツじゃない。Z世代の全く新しいスポーツ観は、必ずや五輪そのものを根底から変えてゆくことになるだろう。今回の東京大会の五輪のテレビ中継は、全体的に静かで淡々としたものだった。競技によっては広い会場がしんと静まりかえって寒々しさすら感じさせるものがあった。サーフィン競技の中継を見ていた女性アナウンサーが、ずっと波の音が聞こえていて耳に心地よかったなどという感想を述べていた。この発言は、ある意味では今回の五輪を象徴するものであったかもしれない。つまり、普段はあまり聞こえないはずの音が、五輪の競技の中継を通じて世界に向けて伝えられていたということなのだ。通常のサーフィンの競技会場であれば、DJが大音量で音楽を流し、MCが事細かにアナウンスしたり実況したり観客席を煽ったりして喋りまくり、観客たちも大きな声で歓声をあげたり応援したりドリンクを飲みながら騒いだりしている。会場全体が盛り上がり大騒ぎしている中でテンションを高められるだけ高めていった選手たちが大技を決めて爆発的な最高潮の瞬間が大波のように何度も何度も繰り返し訪れる。どちらかというと通常の試合の会場ではあまり意識されない音が、波の音なのである。それは普通にいつもそこにある音なので特別に気分を上昇させる要素にはなりにくいという部分もあるのだろう。だからこそ大きな試合のイヴェント性を演出するには、ある種のフェス的なお祭りや祝祭の要素を盛り込む必要も出てくるのだ。今回は無観客開催というイレギュラーな大会であるからこそ、いつもとは違う楽しみ方ができたともいえるのかもしれない。寄せては返す波の音のヒーリング効果で、サーフィン競技の中継を見ながら多くの人が眠りに落ちてしまうのでは元も子もないけれど。そして、やはりスケートボード女子ストリートもまた有観客で開催された方が格段に盛り上がったであろうし、おそらく結果も全く違っていたのかもしれない。大勢の観客を集めて開催される大規模な大会での競技に慣れ親しんでいる経験豊富な選手たちにとっては、無観客の会場はあまりにも静かすぎて物足りなく感じられたのではなかろうか。普段の試合であれば、客席からの声援に煽られたり大技への弾けるような反応にさらに気分をのせられたりすることもあるのだろうが、それらが全くない状態での競技では気持ちひとつ入れるのにも勝手が違って難しいものがあったであろう。まるで練習時間がずっと続いているような感じのまま試合を終えてしまった選手もいたのではないか。しかし、それもまた、まだまだ大きな大会で競技する経験が浅い若手の選手にとっては、いつもの練習と同じようにあまり気負わず必要以上に緊張せずに試技に臨めるという風に、どちらかというと良い方向に作用した部分もあったのかもしれない。そのおかげで五輪の舞台で事前に思い描いていた以上によい結果を引き出せたというパターンも大いに考えられる。無観客開催というイレギュラーな大会であったからこそ、競技の場では普段ではあまりないようなことが多々起きていたのだろう。そんな誰にも全く予想のつかないような試合で、日本の十代の若い選手たちが全く物怖じする気配も見せずにふたつのメダルを手に入れたことは、驚異的でもあり快挙でもあった。周囲は衝撃を受けて騒然としているにもかかわらず、当人たちは至って平然な様子で試合結果を受け止めているようなところがまた実にZ世代らしくもあった。時代は変わる。スケートボードに乗って、風のように滑るように疾走し、どこまでも高く跳び上がる。小林秀雄は「私の人生観」(49年)において、1948年に開催されたロンドン五輪の記録映画(『XIVth Olympiad: The Glory of Sport』)の感想を少しだけ書いている。ここで小林が第一に着目しているのは、女子砲丸投げ選手の表情である。カメラはフィールド上で決勝の試技を行う選手たちの姿を次々と捉えてゆく。「カメラを意識して愛嬌笑いをしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者のような顔に変わります。どの選手も行動を起こすや、一種異様な美しい表情を現す。無論人によりいろいろな表情だが、闘志というようなものは、どの顔にも少しも現れておらぬことを、私は確かめた。闘志などという低級なものでは、到底遂行し得ない仕事を遂行する顔である。相手に向かうのではない。そんなものはすでに消えている。緊迫した自己の世界にどこまでも這入って行こうとする顔である。この映画の初めに、私たちは戦う、しかし征服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手たちだけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する、自己を」。五輪大会の本質的意義やスポーツの究極的な目的といったなかなか言語化させることが困難な精神的なことどもが、競技する選手たちの表情に宿り見事に表出されて、それが克明にフィルムに記録されている。この記録映画を見る意味は、それを感取・観取できるかどうかにかかっているとでも言わんばかりである。しかし、小林はやはりとてつもなく鋭い。恐ろしいほどの散文の切れ味を、この記録映画に関する短い一節の中でも発揮しまくっている。第二次世界大戦が終わり、世界は再び平和を取り戻し、もはや無益に競い争う時代ではなくなった。小林は五輪大会の競技というものが、ただ単にメダルを獲得するために繰り広げられる競争としてのみあるものではないことをすでに見抜いている。闘志などという低級なものを燃やしに燃やして邪念だらけで相手を征服せんと戦う姿勢というのは、今から七十三年も前の時点でもうはるか前時代的なものと成り果てつつあったのだ。そしていま、二十一世紀の東京五輪を目撃したわれわれの胸に、まさに達見でしかないこれらの小林の言葉がずっしりとより重く響く。「見物人の顔も大きく映し出されるが、これは選手の顔と異様な対照を現わす。そこに雑然と映し出されるものは、不安や落胆や期待や興奮の表情です。投げるべき砲丸を持たぬばかりに、人間はこのくらい醜い顔を作らねばならぬか。彼らは征服すべき自己を持たぬ動物である。座席に縛りつけられた彼らは言うだろう、私たちは戦う、しかし征服はしない、と。私は彼らに言おう、砲丸が見つからぬ限り、やがて君たちは他人を征服しに出かけるだろう、と。また、戦争が起こるようなことがあるなら、見物人の側から起こるでしょう。選手にはそんな暇はない」。さて、われわれは自分たちの砲丸を見つけることが、果たしてできているだろうか。またしても、ただの見物人のまま、真矢みきから大竹しのぶまでを眺めているだけで終わってしまったのではないか。誰もがそう簡単に自分にとっての砲丸を見つけることができるわけではない。だがしかし、これだけははっきりといえる。われわれは間違いなく東京においてスケートボードを見つけた、と。輝ける未来への希望としてのスケートボードを。人間とは、平和というものになれすぎると、見物人や傍観者の分際でありながら、逆に闘志をむき出しにしたり漲らせたりしたくなってしまう性質をもつ、とても醜い顔をもった動物なのである。砲丸をもったこともなくスケートボードに乗ったこともない小さく弱い人間が征服(アンダー・コントロール)することのできる相手など実はどこにもいないのだけれど。やがて君たちはどこの誰を征服しに出かけるのだろうか。もはや競争の時代ではない。砲丸を投げろ、高く、遠くへ。スケートボードで跳び上がれ、高く、遠くへ。

(追記)
カブールのスケート少女たちへ。砲丸は燃え尽きない。きっと。

(2021.08)

ちょうど一年ぐらい前、東京五輪が終わってからタリバンがアフガニスタンを奪還するまでの間に、これを書いた。その後、状況は大きく変わり、そのまま一年が過ぎた。何か動きがあれば、そのことについて追加の文を書こうかと思っていたが、そういうこともどうやらなかなかなさそうである。「スケボーが私を変える アフガニスタン 少女たちの挑戦」に登場していた、本当に楽しげにスケートボードで滑走していた少女たちのことを思うと、とても胸が痛い。2021年8月15日までの、あの夏の記録として、ここにこの拙文を公表する。ただ寝かしたままずっとお蔵入りにしていては勿体無いような部分もあるので。あの時でなくては書けなかったであろう何かが、ここにはたぶんある。あの夏のこと、あのスケボー少女たちのことを思い出しながら読んでいただけたら幸いである。

(2022.08)

ここから先は

0字

¥ 100

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートはひとまず生きるため(資料用の本代及び古本代を含む)に使わせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。