カントリー_ガールズ

嬉唄ちゃんはすごい

島村嬉唄ちゃんは、2015年3月25日にリリースされたシングル「愛おしくってごめんね/恋泥棒」でデビューした六人組のアイドル・グループ、カントリー・ガールズのメンバーである。神奈川県出身の14歳、特技はイラスト(後に判明したことだが、相当なゲーマーでもある)。小柄で髪の長い、とても可愛らしい女の子である。間違いなく相当な美少女であるが、時折どこか少年のように見えることもある。普段の話し声のトーンは低めで話し方も非常に落ち着いている。殊更に可愛らしさを自己演出することのない、独特の個性をもった実に魅力的な女の子である。そんな嬉唄ちゃんが一気に注目を集めることになったのは、1月7日にYouTubeにおいてハロ!ステ#99が公開されたことに端を発している。この動画では、1月2日に行われた「Hello! Project 2015 WINTER ~DANCE MODE!~」の公演においてハロー・プロジェクトに所属する各グループがパフォーマンスを行う映像が次々と紹介されていた。そこでカントリー・ガールズはデビュー曲となる“愛おしくってごめんね”を実に初々しくフレッシュに歌っており、嬉唄ちゃんが楽曲の冒頭の台詞「君のこと好きになってから自分じゃないみたい。上手く言えなくって、ごめんね」を言った直後に猛烈に照れている姿もしっかりと映し出されていたのである。これはまさに、いわゆる歴史的な決定的瞬間であった。ここでハロ!ステの全視聴者は、猛烈にピュアなカワイイが炸裂し発露する瞬間を目撃することになったのだ。嬉唄ちゃんは、あの一瞬の照れる仕草で何かを音を立てて打ち破り、押しも押されぬトップ・ランクのティーン・アイドルとしてわたしたちの世界に君臨することとなったのである。まだCDデビューもしておらず、僅かに二度目のステージに立っただけの女の子が、いきなり突き抜けるような人気を集め多くの人々に注目されるだけの存在感を秘めていたのだから、これは天性のアイドル性という才能の持ち主であることを、もはや誰もが認めざるを得ないのではなかろうか。この文字通り一夜にしてスターダムに登り詰めたサクセス・ストーリーは、奇跡の一枚と呼ばれる画像が話題となり1000年に1人の逸材とも呼ばれるほどに大きな注目を集めた博多のローカル・アイドル、Rev.from DVLの橋本環奈を思わせるものがある。だが、嬉唄ちゃんの場合は、これは全くもって奇跡ではないのである。カワイイの代名詞にして権化でもあるアイドルが可愛らしい仕草をしたところで、それはそれで当たり前のことだから特に大きな騒ぎになることはない。しかし、嬉唄ちゃんは違ったのである。本来、可愛らしいものであるアイドルによるカワイイを超越したより高度なカワイイを、いきなりほとんど出会い頭のように見せつけてきたのだから、インパクトは非常に強かった。あの一瞬が奇跡ではなかった証拠に、嬉唄ちゃんはそれ以降も何か新しいことを初めてする度に、全く新しいカワイイ一面を繰り出して人々を魅了し続けている。いや、嬉唄ちゃんは見れば見るほどに、そして嬉唄ちゃんという女の子を知れば知るほどに、そのあふれんばかりの魅力は増し、その凄さやタダモノではなさすらをも痛感させられるようになってくるのである。嬉唄ちゃんは、とても不思議な子だ。どうやら、これまでにアイドル活動やモデル活動などをしていたことはないようである(嬉唄ちゃん以外のカントリー・ガールズのメンバーは、ハロプロ研修生やローカル・アイドル、ジュニア・モデルといった前歴をもっている)。それなのに、まだデビューして間もない新人アイドルでありながら、生来のアイドルであるような雰囲気をむんむんと漂わせているのだ。歌っても踊っても喋っても、いつでもどこかひと味違っており、何をしてもひと際目立つことになるアイドル的な素養の塊のような佇まいが、どういうわけか自然と身についている。その昔、嬉唄ちゃんのお母さんはモデルやレース・クイーンとして活動していたという。そういう意味では、嬉唄ちゃんは生まれる前から芸能やエンターテインメントの世界とそう遠くはないところにいたといえるのかもしれない。しかしながら、嬉唄ちゃんというアイドルの巨星は突如として出現してきた。八分の一ほどイタリア系であるというルックス的にも、幼少時代から子役やジュニア・モデルとして活躍していなかったということがにわかには信じられないほどの逸材であるのだが、その煌めきや輝きはずっと隠されたままになっていたのだ。もしかすると、以前にモデルとして芸能界に近いところで活動していたお母さんの経験から、嬉唄ちゃんには小さい頃からそういう世界には敢えて近づかせないようにしていたのかもしれない。だが、その禁は遂に解かれたのである。中学二年生になった嬉唄ちゃんは、モーニング娘。の12期メンバーのオーディションに挑戦し、恒例の合宿審査にまで進みながらも惜しくも落選してしまったのだが、そのアイドルとしての天賦の才能と可能性の大きさを認められ、再始動するカントリー娘。(改名してカントリー・ガールズ)のメンバーに抜擢されることとなった。こうして、型破りなほどにアイドルらしいアイドル性に恵まれている島村嬉唄ちゃんが、ややアクシデンタルな照れまくる姿とともにYouTubeの動画を通じて全世界に向けて日の目を見ることになったのである。

ちょっとした何気ない行動から、嬉唄ちゃんの凄さを思い知らされることがある。先日、グループでパーソナリティを務めるラジオ番組(「カントリー・ガールズの只今ラジオ放送中!!」)において、“愛おしくってごめんね”の曲中のフレーズ「ごめんなさいね」を普通のトークの流れの中で嬉唄ちゃんが言わされるという場面があった(リスナーが考えた嬉唄ちゃんメインの番組内のコーナーのタイトルを山木梨沙さんの振りに応える形で読み上げることになった)。だが、その時、嬉唄ちゃんはわざと調子を外したように、とても投げやりな感じで「ごめんなさいね」と言ったのである。これには、同じスタジオ内にいたメンバーたちも、一様に口を尖らせていた(ちぃちゃんこと森戸知沙希さんも「もうちょっとちゃんと読んでよ!」とストレートにクレームをつけた)。どういうわけか、ここで嬉唄ちゃんは周囲の人々に期待されていたものとは、全く違うものを出してきたのである。これは、そうした場では本来の歌メロはそう簡単には歌わないのだという姿勢を、敢えて音程もピッチも外すことで身をもって示したのだとも考えられる。たとえ、それが「ごめんなさいね」という一節だけであったとしても、嬉唄ちゃんの中では急な振りでステージ上と同じものを出せといわれても困るということであったのだろう。ましてや、番組の収録中とはいえ、同じグループのメンバーとの雑談めいたトークの中でなどでは、急にサラッと「ごめんなさいね」できるものではないのである。嬉唄ちゃんにとっては。

まだデビューしたての新人アイドルであるのだが、嬉唄ちゃんはとてもしっかりとしたプロ意識をもっている。アイドルとしての強い自覚をもつがゆえに、与えられた楽曲を歌う際には、曲中の登場人物になりきって気持ちを込めて丁寧にしっかりと歌い込む。ステージに立つからには、歌唱の一回一回が真剣勝負である。だからこそ、“愛おしくってごめんね”の冒頭の台詞は迫真の言い回しとなるのだ。その楽曲の中の恋する女の子を演じ、その子の胸に秘めた心の声である台詞を発話する。それは、嬉唄ちゃんが嬉唄ちゃんとして言う台詞ではないし、実際に嬉唄ちゃんが嬉唄ちゃんとして言っているのでもない。それが歌を歌うことの基本中の基本であるということを理解し、それをちゃんと出来てしまえているところに、嬉唄ちゃんのすごさがある。まだ中学生という若さであるのだが、とても頭が良いし非常に感覚が鋭い。別の言い方をすれば、アイドルや表現者としてのIQが高いとも言えるであろうか。嬉唄ちゃんであれば、どんな曲でもその歌の中の世界に入り込んで、その登場人物を演じきり説得力をもつ表現をすることが出来るであろう。これまでにアイドルの活動を全くしたことがない嬉唄ちゃんは、おそらく本格的な歌や踊りのレッスンもモーニング娘。の追加メンバーのオーディションで才能を発掘されるまでは全く受けたことがなかったのではなかろうか。だとすれば、嬉唄ちゃんは、直感的に歌を聴いて、その世界を肌で感じ取り深く理解し、天性の感覚をもってその世界の中で役柄を演じることができる、特別な能力を元々もっていた子であったのかもしれない。つまり、芸能の真髄であるところのものを才能として最初から身につけている人なのである。嬉唄ちゃんは、パフォーマンスの中で自分を出すことはない。そこが、多くの今どきのアイドルとは違うところでもある。眩いスポットライトの中で、ありのままの私=等身大の私を最大限に可愛く魅力的に表現して、その全てを受け止めてもらい、私という存在を身近に感じ親しみをもってもらい、強い愛情をもって応援してもらう。そうしたアイドル像とは少しばかり異なるところに嬉唄ちゃんはいる。いついかなる時も自分を思いきり出してアイドルしている私を好きになってもらい応援してもらうよりも、アイドルとしての私が芸能としての表現を行う姿を見てもらうところに喜びや楽しみを感じ取るタイプなのではなかろうか。歌を歌う際に常に自分を全力で出して歌うのでは、どの歌も同じ私の歌になってしまうであろう。それでは何のおもしろ味もないし、表現としても薄っぺらで味気がなく、芸能として見せられるものにはならない。それぞれの歌ごとにアイドルである私ではない誰かを演じきり、その登場人物になりきらなくてはダメなのだ。ハロ!ステ#99で見ることのできた1月2日のハロコンでは、まだ嬉唄ちゃんはちょっぴりアマチュアであったのかもしれない。カントリー・ガールズとしての本格的な活動が開始されたばかりで人前で歌い踊ることにも慣れておらず、ステージの上で素の嬉唄ちゃんを捨て去るところまでいけていなかったのだろう。いや、楽曲冒頭の台詞の言葉をいう女の子の気持ちに十二分になり切っていたがゆえに、それを言った直後に照れくささが前面に出てきてしまったのだとも考えられるか。いずれにしても、あの時点ではまだステージ上の嬉唄ちゃんの中に素の嬉唄ちゃんが少しばかり残存していたように見えるのである。真剣勝負の芸能の世界に浸り切るところまでは到達できておらず、どこかにアイドルしている嬉唄ちゃんを素の嬉唄ちゃんが客観的に眺めているような部分もあったのではなかろうか。あの時は、実際にファンの前に立って歌ったのは二回目のことだったのだから、それも致し方ないところなのであろう。しかし、その後のごく短期間に、嬉唄ちゃんのプロ意識は急速に高まってゆくことになる。あの中野サンプラザでのハロコンの約二ヶ月後、カントリー・ガールズはさらに大きい日本武道館のステージ(3月3日に無期限活動停止するBerryz工房のファイナル公演のオープニング・アクトとして)を経験する。だが、その出番後のインタヴューでは、他のメンバーたちが興奮覚めやらぬといったテンションで口を揃えて憧れの武道館のステージの凄さを語り合っている中で、嬉唄ちゃんだけは平然とした表情で緊張しないで楽しめたと宣うほど大物感を漂わせるまでになるのである。アイドルとは、ただ突っ立って微笑んでいればそれでよいものではなく、華麗に歌って踊って見るもの聴くものを魅了することでさらに輝きを増してゆくものである。パフォーマンスは、いつも通りの自分を出して、ありのままの自分を表現しているだけでは決して成り立たない。ステージは、渾身の思いで取り組んで磨きあげてきた芸を披露する場である。そこでは、それまでに稽古して準備してきたものを、そのまま出すことができれば成功となる。ステージの上には、元々それ以上のものはないし、自分の芸を自らのレヴェルにおいて満足できるだけのものに可能な限り近づければ、それはそれでよい。嬉唄ちゃんにとっての初めての武道館のステージは、初めてなりに良い形で、緊張して固くなりすぎることもなく、それができたということなのであろう。

よくハロプロの先輩たちから、嬉唄ちゃんは「自分をもっている」とか「個性がある」と評されることがある。実際に嬉唄ちゃんという女の子の個性は、とても広く深く底知れないものがあり、その独特の佇まいに普段から如実に表れてもいる。まだ嬉唄ちゃんがアイドルとしてわたしたちの前に現れてから数ヶ月しか経っていないが、すでに様々な顔を見せ、とても多彩で魅力のある個性を存分に発揮してくれているのだ。嬉唄ちゃんは、何をしても個性が光る子である。そして、何か新しいことにチャレンジするたびに新たな嬉唄ちゃんの個性が発揮される。そうした、これまでの嬉唄ちゃんの14年の人生の中で培われてきた豊かな個性とこれからの嬉唄ちゃんの人生の中で培われてゆくより豊かな個性とが、アイドルとしての嬉唄ちゃんの芸能の活動の幅にも大きく関わってくることになるのであろう。また、その豊かな個性は芸能の深みをも育んでもゆくのであろう。そんな芸能としてのアイドルを才能と個性で極めてゆきそうな嬉唄ちゃんは、今どきのアイドルらしいアイドルといったものを越えてゆく可能性を秘めているようにも思われる。アイドルのその先にあるものを嬉唄ちゃんはわたしたちに見せてくれるのかも知れない。そういう意味では、昨今のきゃりーぱみゅぱみゅが提示しているスタイルにも通ずるような新しいアイドル像のひとつの形の創出を嬉唄ちゃんに期待することもできそうだ。多様な個性を表現するために、自分ではない自分を演じてゆく。いくつもの異なるアイドルの顔をもつ新しいアイドルが、素人臭さに埋没して溺死しそうになっているアイドルを劇的に進化させる。また、嬉唄ちゃんには、どこかクールで斜に構えているような雰囲気もある。これは、間違いなくメタ・アイドル的な資質を色濃くもっていることの明らかな表れである。アイドルとしての嬉唄ちゃんの中には熱い嬉唄ちゃんと冷めた嬉唄ちゃんが共存している。もうすでに、嬉唄ちゃんにはものすごいものの片鱗がありありと見えてきているだから、やはり期待せざるを得ない。きっと、想像をはるかに超えるレヴェルのものを嬉唄ちゃんに見せつけられることになるのではなかろうか。そのスケールは、もはやアイドルの枠だけには収まりきらないものであるのかもしれない。おそらく、嬉唄ちゃんであれば、天性の演ずる才能や感覚の鋭さや勘のよさから女優やさらに広い意味での表現者としての幅広い活躍も決して夢ではないのだろう。

三十年後、あまちゃんでお母さん役を好演した小泉今日子のように、ドラマや芝居でいい感じのメタな芝居をする嬉唄ちゃんを見ることになるのかもしれない。その時、もしも台詞に「上手く言えなくって、ごめんね」というフレーズがあったら、わたしたちはきっとハロ!ステ#99での大照れする初々しい嬉唄ちゃんの姿を思い出すことになるだろう。

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