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真野恵里菜: More Friends Over
More Friends Over
女性アイドル集団、ハロー!プロジェクト(総合プロデューサーは、つんく♂)に所属する、現在唯一の女性ソロ歌手である真野恵里菜(Erina Mano)の通算三枚目のアルバム“More Friends Over”。アルバムのリリース日は、12年3月28日。前作のアルバムからは、約一年四ヶ月ぶりの作品となる。
デビュー以来、毎年一作ずつアルバムをリリースしてきていたが、昨年の11年は初めてアルバム・リリースのない一年となった。その少しばかり通常よりも間が空いた、この三作目“More Friends Over”と前作のリリースの合間の期間に、真野は人生の大きな節目となる20歳の誕生日(11年4月11日、ちょうど東日本大震災の一ヶ月後である)を迎えている。このことは、やはり本作を聴くうえで重要なファクターとなると思われる。アルバム“More Friends Over”は、20歳になり、成人し大人になった真野恵里菜がリリースする初めてのアルバムなのである。
真野恵里菜は、04年にハロー!プロジェクトに新設された研修生/練習生の組織であるハロプロエッグのオーディションに参加し、06年にその第二期メンバーとなってアイドル歌手としての第一歩を踏み出した。この当時、真野はまだ15歳であった。その後、約一年九ヶ月にも及ぶ研修期間を経て、08年6月29日にデビュー・シングル“マノピアノ”を発表する。まずはインディーズからのキャリアのスタートとなったが、ここにハロプロエッグ出身の初の女性ソロ・アイドル歌手が誕生したことになる。
そして、インディーズ発のシングルを計三枚リリースした後に、09年3月18日にシングル“乙女の祈り”で遂にメジャー・デビューを果たした。このデビュー作は、オリコンの週間シングル・チャートで5位にランク・インし、これまで真野が発表したシングルのチャート結果としては最高位の記録となっている。アルバムは、デビューした年の09年12月16日にファースト・アルバム“Friends”を、その翌年の10年11月24日に二作目の“More Friends”と、これまでコンスタントにリリースを重ねてきている。また、シングルは、これまでにインディーズ時代の三枚とメジャー・デビュー後の十一枚で、合計して十四枚をリリースしている。
ハロプロエッグに第二期メンバーとして加入した真野であるが、実はモーニング娘。の所属するハロー!プロジェクトが、アイドル予備軍の小中学生を育成する研修生制度を本格的に立ち上げた、04年の第一回目のハロプロエッグ・オーディションにも参加していたことは有名な話である。しかし、この時には合格した32人の枠の中に残ることはなかった。つまり、13歳の時点で真野は落選し一度挫折を味わっているのである。ちなみに、この第一期のエッグのメンバーには、後にスマイレージ(S/mileage)となる和田彩花、福田花音、前田憂佳、小川紗季の四名、後にアップアップガールズ(仮)(Up Up Girls Kakko Kari)となる六名、そしてTHE ポッシボー(The Possible)の六名などが含まれていた。
しかし、(まだ若く)そう簡単にはアイドル歌手となる夢を諦めきれなかった真野は、その約二年後の06年に開催された第二回目のエッグ・オーディションに再挑戦するのである。そして、二度目の正直という形で、念願のハロー!プロジェクトの研修生となるチャンスを掴み取ることになる。いわゆる、敗者復活でようやく勝ち上がってきた子だったのだ。真野が研修生の第二期メンバーとしてハロプロエッグに合流したのは、最初のオーディションで合格した第一期のメンバーたちが活動を開始してから約二年後の06年6月のことであった。
そのハロプロエッグ内で、その時すでに中心的な存在となって活躍していたのが、前述した後にスマイレージやTHE ポッシボーやアップアップガールズ(仮)となる第一期のメンバーたちである。そうしたメンバーは、当時すでに15歳であった真野よりも少し下の学年の中学生や小学校高学年の女の子ばかりであったが、やはり約二年に及ぶ研修生としての経験の差は大きかったようだ。よって、エッグのメンバーに合流した直後の敗者復活組の真野には、なかなか大きな活動の場が与えられることはなかった。
だが、天性の資質と吸収の早さが幸いしたのであろうか、研修生としての真野はエッグ内において急成長をみせてゆくことになる。第二期のメンバーとしてハロプロエッグの活動に合流して約一年が経った、07年の半ば頃からメキメキと頭角を現しはじめたのだ。そして、08年の3月には早くも研修生としての研修期間を終えて、ハロプロエッグを卒業することが決定する。この卒業は、その後のソロ歌手としてのデビューを見据えたものであった。
それまでにも、有原栞菜の℃-uteへの加入や、THE ポッシボーの本格的な活動開始に伴う移動といった、ハロプロエッグ第一期メンバーの卒業という動きはいくつかあった。しかし、ソロ・デビューを控えた卒業というのは、この真野のケースが初めてであった。敗者復活で研修生となり、やや遅咲きなところもあった真野であったが、ここで一気にハロプロエッグの出世頭へと大逆転を成し遂げたのである。
ただし、こうした大きな決定が、根が真面目な真野にとっては、逆に相当なプレッシャーとなったであろうことは容易に想像がつく。ハロプロエッグから誕生した初のソロ・アイドル歌手として、後に続くであろう研修生たちを引っ張ってゆくような存在とならなくてはならないのだから。元々は敗者復活組であった真野が、いつしかエッグ世代を代表するエースとしての活躍を期待されるような存在になっていた。また、そんなエッグ世代のエースとしてだけでなく、自分よりも下の学年の小学生や中学生の研修生たちの模範となるお姉さん的な存在としても、真野がたったひとりで受け止めていた重責は、相当なものであったはずである。
09年、ハロプロエッグの第一期メンバーのエース格として活躍していた四名が選抜され、スマイレージが結成される。真野にとっても、この和田、福田、前田、小川からなる、新しいハロプロエッグ出身のグループの登場は、非常に喜ばしいことであったはずである。敗者復活組の第二期メンバーでありながら、研修生としては先輩にあたる第一期メンバーよりも一足先にソロ・デビューを果たしていたことに対する、精神的なプレッシャーもこれでようやく少しは軽減されたのではなかろうか。
かつての真野と同様にインディーズよりデビューしたスマイレージは、09年から10年にかけての活動開始当初、常に真野のシングル曲のMVに登場し、バック・ダンサーとして客演を務めている。メジャー・デビューを果たす前のスマイレージが、初めてアイドル歌謡界の公の場に姿を現したのが、同じエッグ出身の盟友である真野のMVであったのだ。アイドル歌手としては先輩にあたる真野による新人グループ、スマイレージのフック・アップという、実にハロー!プロジェクトらしい世代を跨いだ密接な繋がりの形が、ここに生じていたことになる。第二期メンバーとしてエッグに加入したものの年代的には少しお姉さんである真野が、第一期メンバーの花形であった四人のグループの知名度向上のためにひと肌脱ぐなどという構図は、なんとも微笑ましいものがあるとはいえないであろうか。
三作目のアルバムとなるアルバム“More Friends Over”は、少しばかり変化した真野のソロ・アイドル歌手としての表情を感じ取れる作品となっている。その、これまでとは少しばかり違っている顔とは、昔ながらのアイドル歌手らしいアイドル歌手の顔といえるものである。元々、真野は、デビュー以来ずっと清楚なルックスと可愛らしいキャラクターから形作られる、常にアイドル歌手らしいアイドル歌手ではあった。だが、そんな真野のアイドル歌手らしさが、この三作目のアルバムにおいて、より深まってきているようにも感じられるのである。そして、まさに、そこに垣間見えているのは、昔ながらのアイドル歌手らしさなのである。
どこか、現代的なアイドル歌手像といった枠の中から思いきり突き抜けて、その元々のアイドル歌手らしいアイドル歌手な部分を深めていった結果、真野は、かなりレトロなスタイルを身につけたアイドル歌手へと精製されてきているように思われる。そのような感覚に留意しながら、この三作目のアルバムを聴いてゆくと、全体的に昭和歌謡に近い、とても懐かしい雰囲気が漂っているようにも感じられてくるのである。
これは、やはり真野ならではのソロ・アイドル歌手としての個性を表出させ、それを磨いていった末に獲得された、独特のレトロ感といえるものなのであろう。そこには、真野の可愛らしいキャラクターだからこそ生み出すことのできた、嫌味のないエグみが間違いなくある。いや、わざと嫌味のあるエグみを抽出させているような部分もあるのだが、そのあたりは真野がもつ天性の朗らかさと透明感で上手いこと中和されている(ような形になっている)のである。メジャー・デビューから約三年が経過し、ソロ・アイドル歌手としての真野の表現力にも、それだけの積み重ねに見合う分だけの味わいが増してきているということなのであろう。
このアルバムの特徴的な部分としては、曲間の各所にインタールード的なやや寸劇めいたお喋りのパートが差し挟まれていることを、まず挙げることができるだろう。おそらく、この企画は、誰にとっても本アルバム中で最も大きな引っ掛かりとなる部分なのではなかろうか。そこでは、突然登場するミチコと名乗る天の声の女性を進行役に、真野の素顔を垣間見せるような小ネタがあれこれと展開される。この真野とミチコの絡みが、どうも寸劇めいた妙なぎこちなさのあるやり取りともなっているのである。実際に、スタジオで何の事前の打ち合わせもなく収録されたものであるのかも知れないが、それによって逆に真野のもつエグいほどに素顔のアイドルらしいアイドル性が強く前面に出てしまったような面は多分にある。このお嬢さんは、何をしてもあまりにも普通に可愛らしいキャラクターを表出させてしまう傾向にあるのである。
ここで真野は、進行役のミチコに促されるままに、動物の鳴き真似や様々な擬音、ナレーションに挑戦させられ、マニアックな野球クイズには素っ頓狂な回答をしてみせる。その素の喋りは、とても可愛らしく、まだまだかなり幼さを感じさせる雰囲気を残していたりもする。昨年、20歳になったばかりなのだから、少しぐらいまだ子供っぽい部分があったとしても決しておかしくはないのだろうが。しかし、その可愛らしさや幼い素顔が、どうにもアイドル的なものとして作られているような印象を与えてしまうことも確かである。それぐらいに、真野のもつアイドル性というのは、極めて純粋でちょっとばかし出来過ぎなほどに出来過ぎな天然の可愛らしさをもつものなのである。そして、つまるところ、そここそが妙に鼻につくような嫌味のあるエグみとして感じられてしまう部分であったりもするのだ。
今回のアルバムにおける“進行はミチコ”シリーズに至る伏線のようなものは、10年の11月に発表された二作目のアルバム“More Friends”の中にしっかりと確認することができる。ここには、今回のアルバムにあるような本格的なお喋りインタールードは収録されていない。しかし、少なからずそれに繋がるような実験的な楽曲が制作されていたのである。アルバムの8曲目に“堕天使 エリー”という楽曲が収録されている。これこそが、“進行はミチコ”シリーズの直接の伏線となっていると考えられる問題の一曲なのである。
まず、その楽曲のイントロでは、いつもの真野らしいしっとりとしたアイドル歌謡然とした導入部の歌メロが一節だけ歌われる。そして、一転してハードなロックへと切り替わったサウンドをバックに、真野がハードボイルドな雰囲気のラジオ・ドラマを思わせるひとり語りを開始する。基本的に喋るときも少しトーンの高い女の子らしい声であるので、この町から町へと流れ歩き夜の闇の世界に生きる堕天使エリーに扮した語りは、あまりにもそのキャラクターとのギャップがあり、ほとんど役柄になりきれていない部分もある。まあ、そこが制作側の狙いでもあるのだろう。やや実験的でお遊び要素も色濃い楽曲であるので、真野のもつ素の部分の面白さやキャラクターとしてのコミカルさを引き出せれば、この企画は成功したこととなる。
すると、そこに突然ヴォイス・チェンジャーによって漫画ちっくに変調を施された天の声が現れて、堕天使エリーこと真野に真剣勝負を挑むのである。しかし、真剣勝負とはいっても、その内容は、質の悪い意地悪クイズやただの無茶振りであり、実に素直で生真面目なタイプの真野は、ただただ天の声に翻弄されタジタジとなってしまう。この、ちっとも堕天使エリーらしさを貫徹できていない、素の部分を露呈させた真野の可愛らしさを堪能するのが、この楽曲の第一の聴きどころなのである。ただ、実際に楽曲という体裁となっているため、度重なる天の声との真剣勝負の対戦の合間には、堕天使エリーこと真野によるクールなサビのパートの歌唱が差し挟まれてはいる。このあたりの構成が、堕天使エリーとしての歌唱と常に天の声にけちょんけちょんにされてしまう素顔の真野のギャップを、より明確に浮き立たせており、そこに萌えさせようという仕掛けとなっているのであろう。
ここに登場する天の声が、実はぞなーぞ君なのではないかという噂があるのだが、今のところ真偽のほどは定かではない。(ぞなーぞ君は、伊集院光のラジオ番組「深夜の馬鹿力」のなぞなぞのコーナーから誕生した人気キャラクターである。)
アルバム中に語りやお喋りのパートを作るという様式は、80年代のアイドル黄金時代から作品の制作者側によって好んで使われてきた制作手法のひとつである。アイドルが楽曲を通じて歌いかけるだけでなく、アルバムの曲間やシングルのB面などを利用して直接にリスナーに対して話しかけることにより、そこに一対一の対面による(幻想の)関係性が生み出され、アイドルとリスナーの間の親密な空気を作り出すことができる。そして、その作品を通じて形成されたアイドルとファンの間の強い結びつきは、その後のアイドルの活動を後押ししてゆく強力な支えの束ともなってゆく。
ここで、そんな80年代アイドルの親密感を演出するお喋りがフィーチュアされた作品を、一例として紹介しておきたい。日本のアイドル歌謡でありながらガラージ・クラシックでもある名曲“Sun Shower”を歌った島田奈美(Nami Shimada)が、87年に発表したミニ・アルバムに“Via Air Mail”という作品がある。この作品は、そのタイトル通りに島田からファンのリスナーに宛てて出された国際郵便というコンセプトのミニ・アルバムとなっている。
ここでの島田は、遠い異国であるイギリスをひとりで旅行(勿論、実際はそれらしく収録した疑似旅行である)している。そして、その収録曲の曲間には島田の語りによる声の便りが差し挟まれており、ミニ・アルバムを聴き進めてゆくことで島田のロンドン市街の散策をともに追体験できるという仕掛けだ。アイドルである島田の案内でまだ見ぬロンドンの街をめぐる聴取体験は、アイドルとリスナーの間の距離を縮めさせ、そこに(幻想の)親密な結びつきを形成するであろう。そして、それぞれの個々のファンは、そこにアイドルとしての島田ではないイギリスをひとり旅する素顔の島田を聴き取り、さらに島田の偶像化を内面において補完させてゆくことになるのである。
そうした80年代アイドルへのオマージュめいた部分を色濃く漂わせていた(特に初期の)モーニング娘。にも、こうした語りや(寸劇めいた)お喋りを大胆にフィーチュアした作品が存在している。それが、00年3月に発表されたモーニング娘。にとっての通算三枚目のアルバム“3rd LOVEパラダイス”である。モーニング娘。全盛期の代表的なヒット曲“LOVEマシーン”や“恋のダンスサイト”を収録したアルバムが、そのような古典的な様式のアイドルがリスナーに親密に語りかけるスタイルのお喋りアルバムであったことは、かなり象徴的な事例であるようにも思える。
ハロー!プロジェクトの総合プロデューサーであるつんく♂は、世代的には80年代のアイドル黄金時代に少年期から青年期のど真ん中を過ごした年代にあたる。松田聖子や中森明菜からおニャン子クラブまでの当時のアイドル歌手の数多のヒット曲やアルバム作品から吸収したものも決して少なくはないはずである。そうした80年代アイドルや洋楽ロックなどからの影響を吟味して凝縮し、ハロプロのスタイルに再編集して展開してみせたのが、彼が手がけたモーニング娘。という希有なアイドル・グループであった。
そんな20世紀末の日本のアイドル歌謡を総決算したような側面をもっていたモーニング娘。に、遂に“LOVEマシーン”というほとんど社会現象にまでなる大ヒット曲が生まれ、最初期のテレ東ローカル的なマイナー・アイドル時代から脱却し、それぞれのメンバーの顔が見え、個性が際立ってきた時期に満を持して企画制作されたのが、このアルバム“3rd LOVEパラダイス”であった。ここでは、モーニング娘。のメンバーがリスナーであるファンとともに一日を過ごすというコンセプトが採用されている。よって、アルバムは“おはよう”の挨拶で始まり、“おやすみ”の一言で終わる。
まず、清々しい朝の目覚めや朝の情景についてが朗読調に語られ、ラストには、就寝にまつわることや夢についての話がナレーターの森本レオの質問に回答する形でほぼ素のままのお喋りで収録されている。その途中には、昼食時の“レバニラ炒め”にまつわる小コントや、原宿に6時に待ち合わせをする寸劇などが、ちょこちょこと差し挟まれている。この当時のモーニング娘。のメンバーの語りやお喋りは、おそらくこうした形での録音をするのが初めての経験だったということもあるのであろうが、相当にぎこちない。ただ、そうしたぎこちなさが、極めてリアルにモーニング娘。というグループの独特なアイドル像を表しているようで、リスナーのファンには好意的に受け止められたであろうことは想像に難くない。
TV番組での公開オーディションによって生み出された素人の女の子の集団であったアイドル・グループが、急激にスターダムへと駆け上がってゆく過程で、最初期から応援し続けていた古参のファンたちは、少しずつモーニング娘。が手の届かない存在のようになってしまっていると思い始めていたのではなかろうか。しかし、このアルバム“3rd LOVEパラダイス”におけるメンバーの語りやお喋りが、モーニング娘。とファン/リスナーの間の距離の近さを再確認させ、その親密な関係性を繋ぎ止める役割を果たしたという部分も確実にあったと思われる。
真野の場合は、これまでにも多くの楽曲の中で曲中のお喋りや突然の語りという手法を、かなり効果的に使用してきている。おそらく、それが最初に登場したのは、09年発表のファースト・アルバム“Friends”の11曲目に収録されていた“おやすみなさい”のラストにおける、可愛らしいおやすみの挨拶であったのではなかろうか。このあたり、完全にモーニング娘。からの流れを継承しているのが、とても興味深い。
ただ、そうした語りや台詞を盛り込む傾向が、ここ最近は、ほとんど定番化してきてもいる。つまり、真野の語りやお喋りは、直接リスナーと一対一で向き合うという形での親密性を構築するものというだけでなく、もはやお約束の個人芸や一発芸的なものとしても機能し始めているのである。
その声には、何度聴いても新鮮に耳に飛び込んでくる、とても不思議な瑞々しい魅力がある。それは、巧みに台詞を読むことのできる天性の資質によるものであろうか。もしくは、やや蓄膿気味な声質のインパクトゆえなのだろうか。とにかく、真野の語りやお喋りには、何ともいえぬ特別な味があるのである。そして、それを巧みに楽曲の中に織り込んでゆくことで、その作品は真野の楽曲ならではの味わいをもつようにもなる。
真野の非常に素直で真っ直ぐなキャラクターは、ただ普通にしているだけでもアイドル的な品行方正さを醸し出してしまうものである。その淑やかな佇まいには、今どき珍しいくらいに真っ当な深窓の令嬢っぽさもある。そんな真野に、個性的な味をもつ語りやお喋りを作品中で行わせることで、そんな素の部分を目に見える形で表に出させ、今どきの感覚からすると少々異質でもある天性のアイドル性を含有したパーソナリティをさらに際立たせようということなのではなかろうか。まさに、24時間そのままの真野でいるだけでもアイドルになりきれてしまうであろう特別な人格が、そこにはある。真野恵里菜とは、かなり天然モノのアイドル歌手なのである。
アルバム“More Friends Over”のオープニングを飾るのは、いきなりちょっとしたドラマ仕立ての楽曲“純情警察 K・I・S・S”である。ここでの真野は、純情警察の婦警に扮して、思わせぶりだったり突然に暴走したりと全く思うままにならない気になる異性のハートを追いかけて、真夜中の大捕物を繰り広げる。レトロなビート・ロック歌謡風の曲調に、溌剌と弾ける伸びやかな歌唱が炸裂する、アルバムの幕開けを飾るに相応しい一曲だといえる。そして、間奏では、ちょっぴり純情すぎるほどに純情な純情警察の婦警さんとしての台詞をきっちりと決めてくれている。
2曲目は、“Glory days”。こちらは、疾走感のあるトランス調のポップ・ロック・サウンドにのせて歌われる、清々しくも甘酸っぱい青春讃歌である。出会いと別れを繰り返し、ただただ行き過ぎてゆくようにみえる幾つもの季節。だが、いつの日か、そのすべては輝かしき栄光の日々となるであろう。その季節を振り返って、キラキラとした人生のひとときを、遠く眩しい輝きに目を細めながら、人はそれを青春と呼ぶ。まだ、昨年の春に20歳になったばかりの真野であるが、早くももう戻ってくることのない輝かしき10代の日々や学生時代についての歌を歌い始めている。それだけ、青春時代とは貴重な日々だということなのであろう。真野の凛とした歌声が、素晴らしい一曲である。
3曲目は、“青春のセレナーデ”。この楽曲は、11年1月に発表されたシングルのタイトル曲。ここでも真野は、溌剌と楽しげに弾けるような歌唱で青春の歌を歌いあげる。その妙に甲高い歌声で情熱的に歌い込まれるのは、淡く脆く儚い若き日の恋愛感情や恋に恋する乙女心である。ただし、いつまでもそこで夢見ている少女のままではいられない。どこかの瞬間で決断して、自らの脚で歩み出さなければ。そして、そこから本当の永遠の青春のストーリーが始まるのである。この楽曲でも、間奏で男の子と女の子のオーディエンスに呼びかける形での疑似ライヴ風の真野によるノリノリの語りかけがフィーチュアされている。また、曲中に登場する「シャランラ、シャランラ」というコーラスのフレーズは、昭和のTVアニメ「魔女っ子メグちゃん」のテーマ曲が元ネタだと思われる。もちろん、このアニメが放映されていた当時、まだ真野は生まれてはいない。
ここで最初の“進行はミチコ”のコーナーがあり、これを挟んで5曲目が“永遠 ~黄昏交差点 time goes by~”となる。この楽曲は、12年2月に発表された本アルバムの先行シングル“ドキドキベイビー/黄昏交差点”の収録曲“黄昏交差点”の、その後の展開を歌った一曲である。要するに、“黄昏交差点”の第二章、もしくは続編ということである。この両曲は、聴けばすぐに分かることであるが、曲そのものは全く同じものとなっている。違いは、その歌詞の部分だけである。全く同じ楽曲で全く同じメロディにのせて、異なる時間軸に展開される歌詞を歌うことで、ふたつの物語の内容の相違を浮き立たせようということであろう。
楽曲の形式は、清々しくもポップな真野の歌唱にぴったりのニュー・ミュージック調のアイドル歌謡となっている。ひとつの人生の交差点を通り過ぎて、距離を置いて離ればなれに暮らさなければならなくなってしまったふたり(第一章の“黄昏交差点”における物語)が、今もまだその交差点の対角に佇み、そこに永遠に変わらぬ気持ちを見出している。この2曲は、そんなストーリーであるように聴くことができる。黄昏交差点に揺れていた「未来へと続く願い」は、そのまま「ふたりの未来」の永遠へと真っ直ぐ続いていたのである。ただし、この両曲は、かなり様々な聴き取り方が可能であるようにも思える。だが、とにかくシングルとアルバムの両方を聴かないと、全てのストーリーを把握できない仕組みであることだけは確かだ。もし、シングルの“黄昏交差点”を聴いて、その後の展開が気になったら、続編の“永遠 ~黄昏交差点 time goes by~”も是非とも聴いてみてもらいたい。
6曲目は、“熱血先生”。この楽曲は、ハロー!プロジェクトの生みの親であるつんく♂と真野のプロデューサーを務める泰誠が在籍していた歌謡ロック・バンド、シャ乱Qが、94年に発表したアルバム“ロスタイム”の収録曲のカヴァー・ヴァージョンとなる。これは、まさにつんく♂や泰誠が学生時代を過ごした、校内暴力などで学校という場が荒れに荒れていた80年代前半の、非行に走る生徒たちに対して体当たりで真正面からぶつかっていた熱血先生のエピソードをベースとしている一曲である。ドラマの世界でいえば、武田鉄矢が演じた金八先生が、そうした熱血先生の代表格だ。当時は、現実の世界にも、そういった(ドラマなどの世界の教師像に感化された)タイプの教師は各学校に一人か二人はいたものだ。
ただし、そうした楽曲を、今の時代に歌うとなると、やや隔世の感が少なからずある。無闇に熱い熱血先生という存在そのものが、もはやレトロスペクティヴの極致であり、80年代の時代性を念頭に置いているような昭和のファンキー歌謡的なサウンドもまた非常にレトロである。しかしながら、あの“堕天使エリー”のときと同様に、誰からも見離された不良で熱血先生からは硬い拳で何度も殴られた経験をもつ歌中のわたしと実際の真野のイメージが全く重ならないところには、やはり妙に面白味はある。
楽曲のストーリーは、熱血先生に熱い指導を受けたわたしが、その後進学して教鞭をとることを志し、今では、あの思い出の中の情景と同様に、夕焼け色に染まった空の下で放課後のグラウンドに生徒たちを熱く指導をする声を響かせている、というもの。ちょっぴりホロリとくるような、いい話である。だが、このストーリーは、あの頃とは全く違う時代を生きる今の若い世代の人々にとって、ピンとくるものなのであろうか。もしかすると、ちっとも現実感のない昔話や漫画の中の物語としてしか聴こえないものであるのかも知れない。おそらく、歌っている真野本人は、プロデューサーたちから多少の説明は受けているであろうから、たぶん大丈夫だとは思うが。
7曲目は、“I have a dream”。この楽曲では、唐突に思いきり50年代ポップスの雰囲気が香る世界が展開される。曲調は、かなり忠実なスタイルのドゥーワップ調のロッカバラードである。かつては、こうした往年のポップスのサウンドを取り入れた楽曲は、アイドル歌謡の定番でもあった。少しばかりテンポの緩い50年代や60年代のポップスのビートであれば、まだあまり歌って踊ることに慣れていないデビューしたてのアイドル歌手でも、何とかそれなりにこなすことができるため重宝されていたのである。だが、近頃はより手軽なゴチャゴチャした(ごちゃ混ぜの)サウンドへと向かう傾向が強く、様々な音楽の要素をネタとして消費しているだけの楽曲ばかりが目立ちつつある。また、近年の研修生制度の導入や全国的なダンス・スクールの増加などにより(アイドル志望の)小中学生の基礎的なダンス力が目覚ましく向上しているせいか、デビューしたての時期にテンポの緩い古風なポップスの曲調を必要とする純朴なアイドル歌手も滅多にいなくなってきているのである。
ただ、こうした年代モノのサウンドを忠実にやるという路線は、かなりレトロな香りのする正統派アイドルの伝統的スタイルや佇まいを継承している真野にとって、単なるネタとしての消費とは言い切れない部分も大いにある。つまり、独特の味わいをもつ真野のキャラクターが要請する曲調としての50年代ポップスなのである。
ここでは、大切な人とふたりで過ごす幸福な日々を夢見るピュアな乙女心が歌われている。やや時代を感じさせる曲調にのる純正アイドル歌謡であるが、そんな組み合わせが不思議と似合ってしまうのが、真野のどこまでも澄んで真っ直ぐな歌唱であったりする。
ここで二回目の登場となる“進行はミチコ”のコーナーを挟んで、9曲目が“バンザイ! ~人生はめっちゃワンダッホーッ!~”となる。こちらは、どこかレトロな香りのするアイドル歌謡路線とともに、もはや真野にとっての十八番ともなっている、はち切れんばかりにテンションの高い真野流の人生の応援歌とでも呼びたくなるようなスペクタクル・ポップ・ナンバーである。こうした賑やかな楽曲では、真野の少しばかり線は細いが甲高いトーンで突き抜けて響く歌声が、実に活き活きと映える。様式としては、10年9月に発表されたシングル“元気者で行こう!”で、ひとつの真骨頂が示された、いわゆる真野流の元気者路線を継承しているともいえるだろうか。
ここでも、色とりどりなマーチング・バンドを引き連れて華やかに大通りを練り歩いているような、ちょっと漫画ちっくなまでに元気者なアイドル・ポップスが盛大に繰り広げられる。まさに、それを聴く全ての人に元気を与えるヴィタミン剤のような歌である。そして、真野は、この楽曲の中で「青春は永遠だよ」と歌っている。そこからも、元気者というのは、永遠に人生の青春を生きる者のことであることが分かる。また、そうした元気者の精神性は、真野の歌声や歌唱からもヒシヒシと伝わってくるのである。こういう楽曲での真野の歌唱は、本当に相当に吹っ切れている。そんな、それぞれの歌の世界に合わせた表現に完全に徹しきれるところもまた、歌手としての真野の絶対的な強みでもある。
10曲目は、“風の薔薇 ~歩いて地図をつくった男のウタ~”。これは、測量の技術を使い日本初の正確な地図を製作した伊能忠敬について歌った歌である。伊能は、江戸時代の商人であり、隠居後に天文学などを本格的に勉強し、自らの脚で海岸線を歩きながら測量し正確な日本地図の製作を行った。それが、大日本沿海輿地全図であり、伊能の死の3年後となる1821年に完成している。この測量時に伊能が歩いた日本の海岸線の長さは、約4万キロ・メートル。そのことから、この楽曲の冒頭のコーラスには、この距離をメートルに換算して、ほぼ4000万歩となることから「フォーティ・ミリオン、フォーティ・ミリオン」という妙なフレーズが使われている。ちなみに、伊能忠敬は、真野が最も尊敬する人物のうちのひとりである。
ブラスをフィーチュアした可愛らしいポップスとなっている楽曲にのせて、江戸時代の偉人のエピソードをあれこれと歌い込みながら伊能がいかに尊敬できる人物であるかを滔々と説く歌詞が歌われる。しかし、この伊能と真野の妙な取り合わせには、何ともいえないジワッとくるコミカルな味がある。これもまた真野の作品ならではの味わいなのであろう。自分の脚で歩いて海岸線の測量を繰り返し日本の地図を作り上げた伊能が、幼い頃からの勉学を志す夢を叶えて本格的に地図製作に乗り出したのは55歳のときであったという。突き詰めて考えてゆけば、この伊能という人物は、ただただ純粋に夢に向かって永遠の青春を生ききった、江戸時代の元気者であったことがわかる。
11曲目は、“あなたがいるから”。この楽曲は、オーケストレーションを導入した少しスケールが大きめのアレンジで展開される、ロック調のミッド・テンポ・バラードである。ここでは、哀しいことを乗り越えるたびに人は優しくなれるという、バラードのクリシェともいえるテーマが切々と歌い込まれる。作詞は、11年に発表されたJUJUのヒット曲“また明日…”を手がけていた牧穂エミである。
一番身近な手の届くところにあった本物の愛の存在にようやく気づいて、どんなに冷たい雨の中でも平気で歩いて行ける強さすらも手に入れることができた。ここでの真野の歌唱は、まだ中学生であった頃の彼女がエッグ・オーディションに応募しハロー!プロジェクトに入るきっかけとなった憧れの存在、松浦亜弥のそれを思わせるものが多分にある。おそらく、真野は、松浦のディープでエモーショナルな歌唱が光るバラード曲を聴き込めるだけ聴き込み、そこから多大なる影響を受けているのであろう。
そして、三回目の“進行はミチコ”のコーナーを挟んで、13曲目が“My Days for You”。これは、11年6月に発表されたシングルのタイトル曲である。そして、これは20歳になった真野が初めてリリースしたシングルでもあり、メジャー・デビュー以降の通算十枚目のシングルというひとつの区切りの一枚でもあった。ここでの真野の歌は、いつもいつも変わらずに熱く応援してくれるファンに対する心からの感謝の念を表明したものとなっている。曲調は、清々しくも瑞々しい爽快感のある真野のキャラクターによく似合うピアノを基調としたニュー・ミュージック風のアイドル歌謡。真摯で素直な真っ直ぐに放たれる、真野の感情がほとばしる名唱が光る一曲である。
14曲目は、“天気予報があたったら”。この楽曲は、溌剌と疾走するポップ・ロック・スタイルのアイドル歌謡となっている。そしてまた、実質的な本アルバムを締めくくるクロージング・ナンバーでもある。
卒業後に離ればなれとなり、電話で語り合うぐらいしかできない恋人たち。学生時代は、いつも一緒に毎日を過ごすことができたのに。そんな時に、もし天気予報通りに今度の土曜日が晴れたら、一緒に出かけようと久々のデートの誘い。そんなとても嬉しいデートの約束に、天気予報が当たるかを気にしながら、とにかくてるてる坊主を作り、当日の服装に悩み、寝坊しないように複数の目覚まし時計の準備をする。久しぶりに一緒に過ごせる時間が訪れるかは天気予報次第であるが、それでも光に包まれ浮き立つような気分に満たされてゆく。そんな可愛らしい乙女心を、真野がとてもキュートに歌いあげる。ここでは、真っ直ぐな恋心を直球で歌い込む真野の歌唱の真骨頂を聴くことができる。
そして、ラストには、進行役のミチコは登場せず、真野のお喋りが一言こっそりと差し挟まれて、アルバム“More Friends Over”に幕が下ろされる。
この三作目のアルバムを通じて強く感じることは、真野の歌唱が格段の成長ぶりをみせているという点である。デビュー・アルバムの頃は、ピアノを弾きながら美少女が学校の音楽室でおずおずと歌っているような雰囲気が色濃くあった。それは、実に優等生的な歌であり、アイドル歌手の歌とは思えぬほど硬派な趣きを携えてもいた。ただ、そういった部分が、真野という少しばかり特異な女の子の人柄や性質をよく表しているようで、とても新鮮ではあったのだが。
そんな真野も、すでにメジャー・デビューから約3年が経とうとしている。この間にアイドル歌手としての様々な経験を積み重ね、年齢的にも成人して大人になり、音楽室の優等生という殻を自らの手で打ち破ってきたのである。特に、その表現力の向上には、目覚ましいものがある。また、曲中のところどころで顔を出す非常に独創性のある強弱やアクセントを付けた歌唱などからは、真野が楽曲を深く理解・分析し、とてもよく研究し考え抜いたうえで歌い込んでいることが分かる。
このアルバム“More Friends Over”では、そうした真野ならではの様式・スタイルの歌唱が、遂に完成しつつあるようにも思えるのである。
しかしながら、このアルバムには、少しばかり不可解な部分もあったりする。“More Friends Over”は、アイドル歌手のアルバムとしては、ややイレギュラーな構成となっているのである。要するに、通常であれば、ここに収まっているべき楽曲が、なぜかポロッと抜け落ちてしまっているのだ。
12年2月22日、アルバムからの先行シングルとして“ドキドキベイビー/黄昏交差点”が両A面扱いでリリースされた。しかし、このシングルに収録されている楽曲は、両曲ともにこのアルバムには収められていないのである。最新シングルである直近の作品からの楽曲が収録されていないアルバムなど、なかなかアイドル歌手のアルバムではあるものではない。アルバムという作品のコンセプトの部分を最優先する、シンガー・ソングライター系のアーティストであるならば話は別だが。
ただ、シングルに収録されていた“黄昏交差点”そのものはアルバムに収められていないのだが、その代わりに続編の“永遠 ~黄昏交差点 time goes by~”が収められているといった、妙な変化球だけは思いきり利いていたりする。それにまた、シングル曲の“ドキドキベイビー”と同路線の溌剌と弾けるアイドル歌謡を聴くことのできる楽曲が、すでにアルバム中に複数確認できるのは間違いないところでもある。そうした重複を免れるために、アルバムの構成を考えた上での収録回避となったのであろうか。それとも、“ドキドキベイビー”も“黄昏交差点”も、アーティスティックな面から考慮してアルバムのコンセプトにフィットしない楽曲だったということか。この少しばかり謎めいたアルバムの構成は、いったい何を意味するものなのであろう。
全編に渡り“進行はミチコ”のコーナーのような素顔の真野のお喋りや他愛もないお遊びの要素を散りばめた本アルバムで、それらを通じて前面に押し出そうとしているものとは、やはり真野恵里菜というアイドル歌手/アーティストのもつ独特な個性なのであろう。そのユニークさや、歌唱に投影されている万能のアイドル性を際立たせるために、今となっては誰もやらないような80年代のアイドルを思わせる少々ズレたお喋りコーナーを展開するという企画が、アルバムの構成に取り入れられているのだ。これにより、真野のもつ生真面目に楽曲を歌い込む昭和歌謡の世界にも通ずるような資質やアイドル黄金期のアイドル歌手に重なるような天然モノのキャラクター性を、この通算三作目でしっかりと印象づけ確立してしまおうというということだったのか。
ただ、そうした真野の希有な個性のアピール方法は、このアルバムでの構成や企画を通じて、はたして成功しているといえるのだろうか。また、成功していたとしても、それはどれくらい有効なのであろうか。21世紀の現在の音楽の世界において、昭和歌謡の匂いやレトロなアイドル歌手の雰囲気が、大きく際立った個性となり得るのであろうか。このアイドル戦国時代といわれる一連の動きの中で、ソロ歌手としてたったひとりで戦い抜いてゆかなければならない真野が手にする武器が、そういったちょっと時代錯誤感のある古めかしいものであっても平気なのであろうか。それとも、逆説的にそれもまたアリということなのか。
そして、今回のアルバムでは、実は制作の面でも(劇的な)変化が見受けられるのである。デビュー以来、これまでずっと真野の楽曲のほとんどは、作詞家の三浦徳子が作詞を手がけてきていた。しかし、この三作目のアルバムでは、それが実質11曲中の5曲だけとなっており、いきなり全体の半分以下にまで減ってしまっているのである。
三浦徳子は、80年代のアイドル黄金時代から活躍する、日本のアイドル歌謡の言葉を紡ぎ出してきた大家中の大家である。80年、松田聖子は二作目のシングル“青い珊瑚礁”の大ヒットにより、一躍トップ・アイドルの座にのぼり詰めたのだが、この歴史的な楽曲も三浦の作品であった。
そんな三浦の書く歌詞が、真野の楽曲のもつ昭和歌謡的な香りやレトロなアイドル歌謡的なノリの源泉となっているように、これまでは非常に強く感じられていた。だが、これだけ三浦作品の占める比率が低下してきているにも拘らず、本作でも変わらずに、というかこれまで以上に濃密かつ高度な完成度でそうしたエッセンスを感じ取れるというのは、何やら不思議な感じもする。
真野の歌う楽曲は、本物のアイドル歌謡の歌詞の世界から、いつしか完全にシュミラークルな(超復古型)アイドル歌謡の世界に移行していたようである。そして、それはまた真野の歌唱そのものが、三浦の書く歌詞が体現していた昭和アイドル歌謡のエッセンスを吸収し、それを完全に会得したアイドル的なアイドルの完成形に近づいているということでもあるのだろう。つまり、この三作目のアルバムで、制作の体制も大きく変化したとともに、アイドル歌手としての真野も成人してしっかりと大人になり、ひと回り大きく成長し、頼もしいほどの変化を遂げた歌唱を吹き込んでくれているのである。
真野というアイドル歌手の独特さは、おそらく自然にしていても際立ってしまうものであろう、その天然モノのキャラクターに由来している。そして、その歌唱の面からいえば、妙に甲高く線は細いが真っ直ぐに伸び(多少蓄膿気味ながらも)非常によく通る独特の声質が、その一度ハマると病みつきになってしまう魅力を形成している部分は非常に大きいだろう。
また、真野は、アイドル歌手としての活動を行う傍ら、演ずるということに対しても並々ならぬ熱意を抱いている。これまでに、TVドラマ、映画、舞台への出演を通じて、数々の女優としての経験も積んできた。ただ、こうした経験を重ねて、演技することへの意識が高まってゆくことで、そこから本業の歌手としての活動にフィードバックされてくるものも少なからずあるのである。楽曲の中の物語の主人公を歌手が演ずることは、まさに女優としての資質が求められるものでもある。ゆえに、上手に演じられない歌手の歌は、どうしても薄っぺらなものとなってしまう。そもそも、歌謡の真髄とは、演技であり、芝居そのものでもあるのだ。
歌手としても、女優としても、これからますます多くのことを学び、経験し、深めてゆくことになるに違いない。今後の真野が歩み進めてゆく道には、たくさんの輝かしい可能性の数々が待ち構えているはずである。そして、すでに21歳になっている真野が、どのようにオトナ化してゆくのかという点も今後のアイドル真野の表現において大変に気になるところではある。脱アイドル路線へと進み、アイドル歌手ではなくアーティストとなってゆくのか。それとも、いつまでも天然モノのアイドル性を堅持し、大人のアイドル歌手として活動を続けてゆくのだろうか。
そういった面からも、真野というアイドル歌手は、そろそろ真剣にオトナ化の道を模索してゆかなければならない時期に差し掛かってきているようにも思えるのである。だが、そんな状況であるにも拘らず、今回のこのアルバムの内容は、路線として妥当なものであるのだろうか。これで、本当に、その成長ぶりを(分かりやすく)示すことができているのであろうか。
擬音やクイズに無邪気に興じる、お喋りコーナーのような企画を所々に差し挟むことによって、真野のピュアで子供っぽい素顔が思いきり露呈し、作品の流れが何度も寸断されて、アルバム全体の色合いが多少ぼやけた感じになってしまってはいないだろうか。真野が熱演する歌唱によって形作られてきていた独特のアイドル歌手像が、常にミチコの登場によって台無しにされてしまっているような感じもするのだ。様々な経験を積み、ぐんと深まってきた歌唱に焦点をあてた、より真野の歌そのものを全面展開する、アルバムの構成でもよかったような気がするのである。
昭和の歌謡曲の香りを漂わせるレトロなアイドル像を演ずることで、今どきのアイドル歌手とは一線を画す真野の特異性を内と外からあぶり出す。それもまた、アイドル歌手としての表現力の深まりを必要とするものであるのだろう。どんな真野恵里菜でもヴィヴィッドに演ずることができる、真野がもつ女優としての資質が、そこでも大いに活かされることになる。歌唱力、表現力、演技力の総合的な向上によって、全てのアイドル要素のアウトプットが、真野の特異な個性とキャラクターの表出のレヴェルにようやく追いついてきたともいえるであろうか。
21世紀のアイドル歌手としての実像と虚像と、昭和歌謡の風味をたたえたアイドル歌手の実像と虚像が、重なり合いつつ交錯する作品というひとつの場所に、混沌としたイメージの集合体として立ち現れる真野恵里菜。そんな、虚と実、素顔と演技が、入り混じるところに、その最大の面白さと醍醐味がある。
また、非常に整った顔立ちの美人であるが、雰囲気的にはあまりデビュー当時と印象の変わらない極めて童顔なルックスにも、子供と大人が奇妙に入り混じっているようにも感じられる。こうした様々なギャップを演技者として操ってゆくことで、さらに個性的なキャラクターをもつ真野恵里菜という像(イメージ)を形作ってゆけるのではなかろうか。
どこか昭和のアイドル歌謡の香りを漂わせ、レトロな80年代アイドルのリヴァイヴァル的な色合いももっている真野であるが、そこに新しさはあるのだろうか。
取りも直さず、新しいのか古いのかということであるならば、やはり真野恵里菜は新しい。少なくとも、この正統派のアイドル像を衒いもなく演じきり、かつまた変に作り込むことなく自然体のままでも天然のアイドル性を発揮することができるのは、どこを見渡しても真野しかいないであろうから。これは、それだけ、現在のアイドル歌手に変化球投手が多くなっているということの裏返しであるのかも知れない。もはや、アイドル歌手とヴァラエティ・タレントの境界線が相当に怪しくなってきていたりもするのが現状であったりするのである。
こんなにも天然モノで真っ当なアイドル歌手というのは、ハロプロにも一連のAKB系列のグループにも、ちょっと見当たらない特異すぎるほどに特異な個性なのだ。真野恵里菜は、まさに真野恵里菜でしかない。そして、これからもずっと、これまでに誰も歩んでいない真新しい道を突き進み続けて行くことになるのであろう。
将来の真野恵里菜は、もしかすると日本のスティーヴィ・ニックス(Stevie Nicks)というようなタイプのシンガーに成長してゆくのかも知れない。この両者は、どこか深窓のお嬢さま系で、やや奇妙な鼻にかかった声質と独特な唱法という、とても似通った特徴の持ち主でもある。
全盛期のフリートウッド・マック(Fleetwood Mac)の中心的なヴォーカリストであり、ソロ・シンガーとしても活動したニックスは、自らのイメージを自らの手で作り上げてゆく、セルフ・プロデュースの能力に非常に長けたアーティストだといえる。そして、そのスティーヴィ・ニックスという独特の存在感をもつシンガーのイメージを、常に巧みに自然に演じきる芸能のノリという部分も持ち合わせているといってもよい。
きっと、真野も、女優としての経験などを生かしながら、自ら真野恵里菜というシンガー/俳優の像をプロデュースし、独特の存在感をもつアーティスト・イメージを作り上げてゆくことになるのではなかろうか。真野が真野を演ずることが、それだけで芸能となる。歌と演技を両立させてゆくことで、これからの真野は、独特の表現世界を作り上げてゆくようになるはずだ。そして、それが作品の中で真野が巧みに自然に演じきる物語世界の表出へと昇華され、作品ごとに舞台と役柄を変える非常に深く面白い歌世界が生み出されることになるのではなかろうか。そんな真野のニックス化は、将来の真野が、永遠のアイドルとして輝き続けるアーティスト活動を行ってゆくうえでの、ひとつの理想形でもあるように思われるのである。(12年)(15年改)
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