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【無料記事】ティアン師の遺徳をしのぶイベント(9/14)でのパイサーン師説法、連続ツイートまとめ
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9月10日~15日まで、手動瞑想を編み出されたティアン・チッタスポー師の遺徳をしのぶイベントが、師がお生まれになった村のお寺にて行われました。
その際にスカトー寺住職のパイサーン師がお説法をされましたので、速攻連続ツイートをしました。そのまとめをこのノートにもアップします。
ティアン師の遺徳を偲ぶイベント、今日の午後のプログラムは、パイサーン・ウィサーロ師師のお話。日本時間午後3時頃から、説法内容の要約を連続ツイートでお届けします。パイサーン師、11月にZOOMで日本の方向けのZOOM説法予定ですので、ご興味ある方はぜひ!
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
お坊様方、メーチーさん、在家者の皆さん、よろしくお願いします。今日はティアン師のご遺徳を偲んで集まりました。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
木がどれだけ丈夫に成長することができるかは、根っこがどれだけ深いかによります。30年前、中部タイのある県でとても高い木が倒れてしまったことがありました。根っこを調べるととても浅いものでした。根が丈夫でなかったため、一見丈夫そうな木も倒れてしまったのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
私たちも師から受けついだものをいかに深く自分自身に根付かせるかが大切です。深く根付くということ、それは、できない、できない、もういやだ、もういやだと愚痴を言うことなく修行を進めていくことです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
自分自身を感じるということ、これは心にとって本当に大切なことです。もし自分自身を感じることができなければ、人生をスムーズに進めていくことが難しくなるといえるでしょう。道を歩くとき、トイレに入るとき、自分自身を感じ、気づきがなければ滑って転んだり、骨折してしまうことだってあります。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
人間関係もそうです。あの人が自分をばかにした、この人とは合わない、、そのように人との関係においても自分自身を感じることなく生活していると、周りの人との善き関係を築くことが難しくなってきます。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
善きことをやっている、修行をしているということであってもそうです。そのこと自体にはまりこみ、自分自身を感じることがなければ、私はやっている、私は良きことをしているという煩悩に取り巻かれてしまい、人を見下したり、不満に思ったりして悪しきことへとつながります。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
自分自身を感じること。自分自身を感じられないとき、自分の生身を感じられないとき、それは何かにはまりこんでいるときです。過去の過ち、過去に犯した罪、誰かへの復讐心。そのような思考にはまりこんでいるとき、それは自分自身を感じられていないのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
ある人が、ガンの疑いがあって病院に行きました。3日後検査の結果、ガンではありませんでした。検査の結果が出るまでその人の心は地獄にいるかのように苦しみました。思考によって悪い方に悪い方にと考えてしまり、それにはまりこんでいたので苦しんでいたのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
またある人Aさんは、気になる人Bさんがいて、Bさんが自分のことを悪く言っていると思い込んでいました。しかしBさんは全く別の話をしていました。しかしAさんは勝手な思い込みで思考を膨らませ、飾り立てて、自分の悪口を言っているのではないかと苦しんでしまっていたのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
お寺にいてもこういうことがあります。誰かが大きな声をだしたり、音を出したりした。音を聞いてイライラが生じた。気にすればするほど、音だけに意識が言ってしまいます。手放すどころか、その音に執着してイライラが募ってしまう。そのようなこともあります。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
私たちは何かを持ったり、抱えたりするときに、「私のもの」という重荷を抱えるので、苦しむのです。道端に落ちている石を自分で拾って「重い重い重い」と叫んでいたらどうでしょう?石が自分を苦しめていると思いがちですが、私が石を抱えているから苦しいのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
私たちは、心を正しく置く、という練習をしていないと、このように石を抱えたままで苦しみ、石のせいにしてしまうのです。しがみつかずに、置く練習。重いものを置くということです。自分自身を感じ、知ることができれば、置くことができます。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
ある西洋の方がいました。よく静かに座って瞑想をしていました。ある日外で工事をして音が聞こえていました。最初は煩わしく思っていましたが、気づきが間に合ってくると、音を観察できるようになってきました。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
工事の音は、大きな音、小さな音、高い音、低い音いろいろありました。まるで音楽を奏でているような、歌のように感じました。耳に届く音は、まったく同じですがまったく感じ方が違ってきたのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
大きな音が鳴った時、その音を拒否しよう、拒絶しようと思えば思うほど、その音が大きく感じて煩わしくなってきます。音にはまり込んでしまっているのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
音だけではありません。暑さ、寒さなどの生じてくること。それらを拒絶しようとすればするほど、苦しみにはまりこんでしまいます。体の不快感、苦しみだけではなく、心が拒絶することによって苦しみが増していくのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
あるおばあちゃんが転んで骨折しました。病院で治療をしましたが、心は何もうろたえずに治療を受けていました。その姿を不思議に思った嫁が、どうして?と聞くと、ケガをしたのは体だけだからだよと言いました。体の苦しみと心の苦しみを見わけ、気づきが間に合っていたのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
真実を知らないこと、それによるはまり込みもあります。無常・苦・無我。「この私、この俺」が生じているとき、それは飾り立てられている時です。〇〇の者、ということが生じています。この私、この俺としがみつくに値するものは、何もないのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
自分自身を感じること。思考や感情にはまりこまない、というメリットだけではありません。自分自身を感じることで、真実をしっかりと知ることができるメリットもあります。無常・苦・無我をその生身でわかる、知るということ。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
ティアン師は、この道を示してくださいました。そしてその道筋をはっきりと歩めることをその身で教えてくださったのです。何をしていても、心は「感じること」に努めていく。体を心の家とするのです。体を心が戻ってくる家とすることができるのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
体の動き、何をしていても、そこに心(気づき)を伴わせる。それだけで心が家に戻れて暖かさを感じるでしょう。しかし、気を付けなければいけないことがあります。家が監獄にならないように。体にペン(くっついて、ずーっと居続ける)にならないように。それだとどんどん窮屈になってきます。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
家にいて楽だと感じるのは、いつでも出かけることができるからです。家から出てはいけない!ということになれば、それは牢獄のように感じられてしまいます。心の家として体に戻るとしても、リラックスしてサバイサバーイに戻っていきましょう。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
思考を起こしてはいけない、とか、体に戻り続けなければならない、などと心を強制させないようにすることです。ティアン師は、体を心の家とするような修行を進めましたが、くっつくような意識で気づき続けなさいとはおっしゃいませんでした。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
タムレンレン(結果を期待せず、遊び心をもって)。心に何か思考が生じたとしても、それはそれでOK.気づきを間に合わせて、また体に戻ればいいのです。心を強制的に何かに「ならせる」ことはしないでいいのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
心の内側だけをじーっと観るのではありません。心をオープンにして、心を中心にしていくのです。音が聞こえたらそれも知る。その時に生じている心の症状も知る。はまりこまないでいいんです。心を中心にもっていく。ルースーー(ただただ知る)ということです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
実際のところ、体と心に生じているすべての症状は、気づきを間に合わせる善き素材なんですね。悪しき思考が生じても、それを抑え込んだりなかったことにしたりせず、ただただ知る、気づきを間に合わせるだけでいいのです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
抑え込もうとすればするほど、それに執着していきます。それにはまりこんで感情的になっていきます。自分自身を感じていくこと。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
修行の基礎、それが自分自身を知ること。自分自身のこの生身の姿を感じること。それが心の修行のはじまりであり、安定した道のはじまりです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
今、ブホム村。ティアン師のお生まれになった村です。あー、ここがティアン師の生まれたところだな、と知識として知るだけでは不十分ですよ。師が法の道、苦しみを消滅する道を求めて、成し遂げられた道を知ることが大切です。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
ティアン師は世俗の生活のなかで、いくつもの成功を収めました。世俗の成功のみならず、法の道を究め、本当の自由を得られました。気づきを高めること。それが本当の安住の道であることを示されました。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
気づきあること、それはまるでお父さんに守られているようなものなのです。今回ティアン師のお生まれになった村でこのような催しが行われたこと、私たちは今一度、本当に安全な場所にいることができること、気づきによって守られるということを思い起こしていきたいものです。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
これで、パイサーン師のお話を終わります。ありがとうございました。
— 浦崎 雅代@タイのお坊さん説法、毎日noteでお届け! (@uramasafaa) September 14, 2020
以上です。
お知らせ!パイサーン師がZOOMで日本の方向けに説法してくださいます。11月3日と7日。(8日もありますが、詳細は今後アップ)
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