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チバユウスケって誰?

 2023年12月5日。火曜日は大学の授業を取っていない曜日で(オンデマンド動画による授業が1つだけあるのだが、私は不真面目なので視聴せずに感想だけ提出して出席点を稼いでいる)、私はいつものように昼まで寝て、起きて、ダラダラしながらツイッターのタイムラインを眺めていた。すると突然、同じお笑い芸人が好きでフォローし合っている人達による「チバが…」、「チバユウスケまじか」、「チバさんショックすぎて仕事早退したい」などという旨の大量のツイートが次々と目に入ってきた。
なんのことだろう?なんでみんなこんなに騒いでるんだろう?チバユウスケって誰?そんな名前の芸人いたっけ、新喜劇の人かな?などと疑問に思ってみんながRTしてるネットニュースの記事を覗いてみる。どうやらチバユウスケという人が亡くなったようであった。そしてチバユウスケは芸人じゃなくてミュージシャンであることも分かった。

私はこの、チバユウスケという人のことを知らなかった。
なんとなく聞いたことあるとかそういうのも一切無い。名前は知ってるけど曲を知らないとか、顔と名前が一致しないとかではなく、本当に名前を聞いたことが一度もない。どうやらミッシェルガンエレファントっていうバンドのボーカルだったらしい。ミッシェルガンエレファントに関しても同様に全く知らないバンドであった。そんな人たちいたんだ、と思った。
私が全く知らない、曲どころか名前すら聞いたことも無い人のことで、みんながこんなに大騒ぎしているのが不思議であった。みんな悲しんでるのになんで私はチバユウスケっていう人のことを知らないんだろう、なんでみんなはチバユウスケを知っているんだろう、という疑問が止まらなかった。
私の父は結構音楽が好きで、といってもめちゃくちゃ詳しいって訳ではないしライブやフェスに行く人ではないけれど、1990年代とかそのへんに人気だったミュージシャンの曲は幼少期によく車で聞かされていた。マッキーとかGLAYとかラルクとかチェッカーズとかチャゲアスとか色々。母も某アイドルとかミスチルとか福山雅治とかが好きで、ミュージックステーションやミュージックフェアなどの音楽番組は事あるごとに見せられていた。そういうこともあって、私は自分の世代ではない音楽もそこそこ知っているつもりでいた。だからこそツイッターで話題になっているチバユウスケという人と、ミッシェルガンエレファントというバンドを自分が知らないことが不思議であった。
チバユウスケという人の訃報が出てから、そういう不思議な感覚と疑念がしばらく止まらなかった。訃報の10日後ぐらいに開催されたとあるお笑いライブでは、私が好きな芸人もチバユウスケという人の話題を出していた。
「そういえば僕、ミッシェルガンエレファント大好きだったんで、チバさんが亡くなったのめちゃくちゃ悲しくて…」というようなことを言ってから、がなる〜われる〜だれる〜♪と口ずさんでいた。これがチバユウスケの曲なんだ。そうなんだ。全く聞いたことがない。その場には他にもチバユウスケのことで悲しんでいる芸人が何人かいて、真似してがなるわれるだれる、みたいな歌詞を口ずさんでいた。
ツイッターで繋がってる人たちだけでなく、好きな芸人達のトークの話題にも挙がると、一連の報道がネット上だけの出来事ではないのだという認識が生まれて、チバユウスケがどれだけ愛されている人であるのかを実感した。そんなに凄い人だったのか。そんな凄い人なのに私は知らないのか。そう思うと少し興味が沸いてきたのだが、訃報を機に曲を聴き始めるってなんか少し小っ恥ずかしいというか、ミーハーっぽいし、もし本当に好きになってしまったら亡くなる前に知りたかったと後悔しそうだし、もし好きじゃない音楽性だったら色々落胆しそうだし、などと考えを巡らせた結果チバユウスケの曲を聴くことは諦めてしまった。

それから数ヶ月経ち、私は大学2年生になった。この数ヶ月の間に、高校生の頃からずっと心の支えにしていたとあるトリオのコント師の間で色々ゴタゴタがあってお笑いを見れなくなってしまって、なんとなく味気ない生活を送っていた。
お笑いを見なくなってからとにかく暇な時間が増えて、サブスクリプションサービスで音楽を聴くことが多くなった。お笑い見るのはもうやめて音楽を聴こう!と思って聴いてるのではなくて、他にやることがなくて惰性で聴いているような感じだった。好きだった芸人が出囃子で使ってた曲や、元々よく聴いていた椎名林檎などから色々辿っていった結果、ロックバンドの曲を聴くことが多くなった。スマホで音楽を聴いても、劇場にお笑いを見に行ってた時ほどの高揚感は抱けないけれど、何かに深く執着している訳ではなく何となく楽しいことがある生活もこれはこれで良いなと思った。

そんな中である日、音楽のサブスクリプションで適当にランダム再生で曲を流していたら、なんかすごくギターがジャカジャカしててかっこいい曲が流れてきた。何だこれ、めちゃくちゃかっこよ!と思って誰の曲なのかアプリを見て確認してみたところ、アーティスト名には”THEE MICHELLE GUN ELEPHANT “と書かれていた。
あのミッシェルガンエレファントだ。みんなが騒いでた、あのチバユウスケとかいう人がいたバンドだ。あの日からずっと名前だけが脳裏から離れなかった人達だ。これがミッシェルガンエレファントの曲なのか!
まずい、聴いてしまった、と思った。先述したように、亡くなった後に聴き始めるのはミーハーっぽくて恥ずかしいし、もし本当に好きになっちゃったら亡くなる前に知れていたらよかったと後悔しそうだからなるべく聴かないようにしたいと思っていた。でも聴いてしまった。そしてその時流れていた『世界の終わり』は本当にかっこよくて、どうあがいても好きになってしまう曲であった。
どうしよう。ミッシェルガンエレファントの曲を聴いてしまった。でもこんなにかっこいい曲が耳に入ってしまった以上、もう知らないふりはできそうになかった。

その日から『世界の終わり』を頻繁に聴くようになった。他の曲も少しずつ聴いていった。『G.W.D』を聴いた時は、あの芸人さんが歌ってたやつの元ネタってこれか〜と感心した。
とにかくギターの音がかっこよくて、ドラムもベースもかっこよくて、そしてチバユウスケのしゃがれた声がとにかくかっこよくて好きだと思った。それと同時に、ミッシェルガンエレファントの曲を聴いてしまっているんだな、という感覚が常にあった。あの日タイムラインで話題になってた人がいたバンドの曲を知ってしまったんだ、と。
曲だけでなくて、本人達のことも知りたいと思って色々調べた。チバユウスケだけでなく、ギターのアベフトシという人も亡くなっているのだと知った時は衝撃を受けた。アベフトシが亡くなったのは2009年。15年前。その時の私は5歳。私からしたらあまりにも昔のことであり、なんだか色々と想像が追いつかなかった。
そして衝撃を受けたことがもう1つある。色々調べていくうちにミュージックステーションの動画に辿り着いた(グレーゾーンな動画ではあるがそれはさておき)。それはt.A.T.uというアーティストが突如出演拒否をして、ミッシェルガンエレファントがかわりにパフォーマンスをしたという内容であった。
タトゥーの代わりにパフォーマンスした人達ってミッシェルガンエレファントだったの!?!?と思った。
私はt.A.T.uのドタキャン事件が起きた時生まれていなかったので勿論リアルタイムで見た訳がないのだけれど、物心ついてからのMステの放送でも番組史に残る重大な出来事として何回か取り上げられているのを見たことがあるし、母が当時リアルタイムで見ていたそうなので、この「伝説の回」の話は何回も聞かされていた。
それなのに何故かミッシェルガンエレファントのことを今まで知らなかった。Mステでこの回のことが取り上げられている時にもっと注視しておけばよかったと後悔した。そしてこのことを母に話してみたら「タトゥーがドタキャンしたことは強烈に記憶に残ってるんだけど、ミッシェルガンエレファントが代演したことは全く覚えてない。いま初めて知ったような感覚」と言われた。つまり母はミッシェルガンエレファントの記憶が全く無い状態で私に「伝説の回」について繰り返し話していたのである。あり得なさすぎる。覚えててくれよ!!と思った。

それから私はミッシェルガンエレファントを聴き続けた。サブスクリプションで各アルバムにおける人気な曲をちまちま聴いているだけで、まだ「よく聴くバンドのうちの1つ」というような立ち位置でしかなかったが、聴き飽きたりやっぱり苦手かもと思ったりするようなことは一切無かった。そのようにして広く浅く聴いていく中で、『リリィ』が一番好きになった。「溢れかえるパスタの山泳いでいた」「晴れたらソファで何を見ようかリリィ 雨ならシャボンにくるまれたいねリリィ」といった少しファンシーな歌詞と、そのファンシーな歌詞に合わなそうなはずなのに不思議とマッチしているカッコいいギターの音とチバユウスケの歌声がすごく好きだ(今現在の私はおそらくミッシェルガンエレファントの楽曲を全て聴き終えた状態(のはず)なのだが、やはり今でもリリィが一番好きな曲である)。

そのようにしていくうちに何ヶ月か経つと、ツイッターでとあるイベントの情報が目に入ってきた。
そう、ミッシェルガンエレファントの解散ライブの映画の再上映である。しかもスタンディング・発声可能の。
私は最初この情報を見た時、行かなくていいかな、と思った。私はこれに行っていい身分じゃないと感じた。私よりもずっとずっと何年も前からチバユウスケを知っていて、ミッシェルガンエレファントが好きで、チバユウスケが出るライブに行ったことがあるような、そういう人が行くべきだし、そういう方々に比べたら訃報の後に聴き始めた私はとてつもなく薄っぺらくて浅ましいし、そんな浅ましい人間が席を1つ埋めるのは申し訳無さすぎるし、このイベントに行く資格が無い、と思った。
でもミッシェルガンエレファントの曲が好きだし、行かないのも何となく嫌であった。この機会を逃したらいつ再上映されるか分からないし、あったとしてもスタンディング発声可能な上映じゃないかもしれない。でも行ける身分の人間じゃないし。どうしよう。そのように悩んでしまい、ツイッターについこのことを吐露してしまうと、チバユウスケが亡くなった直後にこの映画の再上映に行ったフォロワーさん(この方とはお笑いきっかけで繋がった)から「前回の再上映で満足してる人も結構いると思うんで大丈夫だと思いますよ」という旨の助言をいただいた。確かに深く考えすぎたかもしれない。これはあくまでも生のライブではないし、これが初めての上映ではないから、私が席1つ埋めたところでそこまで影響は無いかもしれない。確かに大丈夫か。
この方のリプライのおかげでなんとかチケットの購入に踏み切れた。とても感謝している。
テアトル新宿、10月11日。ちゃんとミッシェルガンエレファントの解散日に上映されるらしい。2003年10月11日って、私が生まれた日のちょうど半年前だ(2004年4月10日生まれなので)。そうか…。
深く考えるのはやめたとはいえ、本当に行って大丈夫なのだろうかなどという考えは少しばかり浮かんでしまうし、なんとなく緊張していた。

上映日当日、大学の授業が終わってから新宿へ向かった。
地図アプリを使いながら映画館へ向かっていると、ドクロマークがプリントされているTシャツを着た人がちらほら見えてきて興奮した。良い意味でゾワっとした。本物だ、と思った。経験が乏しいから、ファンの方を見かけただけでもそう感じてしまう。ミッシェルガンエレファント本人じゃないのに。
テアトル新宿に到着した。勇気を出して、階段を下り、中に入る。
人が沢山いた。ここにいる人達みんなミッシェルガンエレファントが大好きなんだな、と思うと少し感動するというか、なんだか嬉しかった。この空間にいれるのが嬉しかった。別に誰とも喋らないし、誰も私に興味ないだろうけど、私をここに入れてくれてありがとう、という謎の感情を抱いた。
座席について開演を待つ。BGMとしてミッシェル ガンエレファントの曲がずっと流れていた。普段はイヤホンで聴いているだけだから、こういう場で好きな曲を聴けるのは嬉しかった。まだ映画は始まっていないのに高揚感で胸がいっぱいになった。
そして嬉しかったことはまだある。隣の隣の席に同世代ぐらいっぽい女の子が座っていたのだ。私は極度の人見知りだから話しかける勇気は無いし、きっと訃報の後から好きになった私なんかよりもずっと前からミッシェルを聴いているだろうから同じ立場だと見なすのはおこがましくて出来ないけれど、同世代でミッシェルを聴いている人がいることを確認できたのは純粋にとても嬉しかった。

そして上映が始まった。
左隣の席の男性は、映像が流れ始めた数秒後にはもう大号泣しており、眼鏡を外して顔を拭っていた。その方はThe BirthdayのライブTシャツを着ていた。
その姿が目に入ると、この人はチバユウスケが大好きなんだろうな、あの日はすごくつらかっただろうな、などと考えてしまい、気付くと私も涙をボロボロとこぼしていた。あの冒頭のインサート映像で流れていた『ダニー・ゴー』を聴くたびにあの方のことを連想してしまうし、あの姿を思い出すたびに少し涙ぐんでしまう。他にもチバ、チバ、と叫んでいるお客さんが何人かいて、とてつもなく愛で溢れた空間に来てしまった、と思った。
ライブ本編は『ドロップ』から始まった(はず)。
映画館のなかに轟音が鳴り響き、私は一気に2003年の10月11日の幕張メッセへと取り込まれていった。
目に映るもの、耳に入るもの全てが衝撃的であった。言うまでもなく私は今までスマートフォンを介して浅く聴いていただけなので(それもここ数ヶ月だけの話)ライブ映像はまともに観たことがなかった。
スタンドマイクを掴んで、躍動し、汗を飛び散らせて、叫ぶように歌うチバユウスケの姿。激しく動き回りながらベースを弾き、うねる様な重低音を鳴り響かせるウエノコウジの姿。その身長と細長い脚と、そして何よりもギターの音色に圧倒的な存在感があって、動き回らずとも際立っているアベフトシの姿。その3人を後ろから支え、激しさと安定感を兼ね備えたドラムを叩き続けるクハラカズユキの姿。
それら全てが新鮮で、衝撃的で、そして本当に本当にかっこよかった。あまりにもかっこよすぎる。心臓がドクドクして、体が熱くなった。イヤホンで音源を聴いているだけでは味わえないものがそこにはあった。間違いなくミッシェルガンエレファントがこの世で一番かっこいいバンドで、こんな人達は今後2度と現れないだろうと感じた。まるで本当のライブ会場にいるかのように、他のお客さんと一緒に「宇宙の果てまでぶっ飛んでゆける!!」「愛という憎悪!!」と叫んで、慣れない拳を突き上げた。
興奮が昂る中、『リリィ』の演奏が終わり、4人が一旦ステージから捌けると、ライブも終盤に近づいているのだなと察した。そして、ミッシェルガンエレファントが既に解散してしまっているバンドであり、チバユウスケもアベフトシも逝去しているという、今まで実感を伴わなかった事実もようやく自分の中で現実味を帯びてきた。
ありえない。
辛い。そんなはずはない。だって私の中のミッシェルガンエレファントはついこの前始まったばかりなのだ。ついこのまえ好きになったばかりなのに、もうこのバンドは存在しなくて、その上15年も前にアベフトシは亡くなっていて、チバユウスケも亡くなってしまっている。これらのことは、今まではどうも実感が沸かなかったのに、ようやくこの現実に感情が追いついた。しかし、受け入れられる訳がない。
私を置いていかないでほしい。切実にそう思った。そのスピード感についていけない。理解できない。
本当に全てが遅すぎた。生まれるのが遅すぎた。私は今世、どうあがいても、この世で一番かっこいい人達のライブに行けない運命だったのである。
でも、そうであったとしても、ミッシェルガンエレファントの解散後のチバユウスケの活動を追うことは可能だったはずなのに、亡くなる前に知ることができなかった。あまりにも、何もかもが遅すぎた。

そしてあっという間に2時間が過ぎ、世界は終わってしまった。
テアトル新宿を出て、呆然としながら新宿駅まで歩いた。高揚感がありつつも寂しさや悲しさ、悔しさといった感情が混在していた。
私はどうしたらいいのか分からなくなった。
ミッシェルガンエレファントのファンの人達と一緒に、ミッシェルガンエレファントのライブを見て、一緒に叫んだり、身体を揺らしたり、拳を突き上げたりできたのはとても嬉しかった。そして何よりも、あの大音量と大画面で、あのライブを体感できたのが本当に嬉しかった。
でも、ミッシェルガンエレファントは既にとうの昔に解散していて、アベフトシもチバユウスケもこの世にいないという、今更実感した現実の、その悲しみが大きすぎて、新宿駅に行くまでの途中、脳みそと脚がふらふらして、道端でぶっ倒れそうになった。
何とか駅まで辿り着いて、とりあえず、ライブでやっていた曲をイヤホンで聴きながら電車に乗った。『ドロップ』、『ゲット・アップ・ルーシー』、『ジェニー』、『Girl Friend』、『デッド・スター・エンド』、『GT400』…今までなんとなく好きかも、という感覚だけで聴いていた楽曲たちが、一気に思い入れの深いものになった。

私は、ミッシェルガンエレファントを今後死ぬまで聴き続けるだろうと確信した。そのぐらい虜になってしまった。
その日から私の生活はミッシェルガンエレファント一色になった。他の音楽も色々聴くけど、ミッシェルガンエレファントの曲の再生時間が今までと比にならないぐらい増えた。バイトを辞めたばかりで収入の見込みがなくて、あまりお金を使わないほうがいいはずなのに我慢できずWORLD PSYCHO BLUESのDVDを購入してしまった。解散ライブとはまた違う種類のカッコよさがあって、鑑賞している時はずっとテレビの画面に釘付けになっていた。
あの日、大騒ぎになっているツイッターのタイムラインとネットニュースや、好きな芸人が悲しんでいる様子を不思議な気持ちで眺めていたのに、まさかそこからこんなことになるとは思いもしなかった。

いくら繰り返しDVDを観ても、CDを聴いても、当時からミッシェルガンエレファントが好きでライブに行っていた人と同じ経験はできない。4人揃って演奏している姿を実際にこの目で観ることは一生できないし、新しいアルバムやシングルが発売される時の喜びを味わうことも一生できない。それは分かっている。しかし、そうであっても私はミッシェルガンエレファントに出会えてよかったと思っている。虚しさや寂しさに苛まれることはあるけれど、こんなに凄い人達に出会わずに死ぬよりは全然マシだ。本当に本当にミッシェルガンエレファントを知れてよかった。好きになれてよかった。
私は今晩もミッシェルガンエレファントの曲を流しながら眠りにつこうと思う。

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