ピアノ教室を開いた訳
こんにちは。
姫路市にある音楽教室のurara musicaです。
今回は、私がピアノ教室を開いた訳を書いてみたいと思います。
某四年制大学の音楽学部声楽学科に在籍中、阪神淡路大震災に見舞われました。ちょうど被災地にあった大学でしたが、建物の被害が少ないとの事で、授業が始まり、交通機関もまだ復旧していない最中、片道4時間かけて学校に通ったのを覚えています。
神戸の町は破壊され斜めになっていた中、バスと電車を乗り継ぎ学校に通いました。
その頃、経済バブルが崩壊して、私が就職活動をする頃には、就職協定が廃止され就職氷河期と言われる時代になったのです。
一応、就職活動もしていましたが、面接に行くたびに、君はどうしてピアノの先生をしないの?と問われました。 それは何回も。
面接官の皆様は、見抜いていたのでしょう、私のこの性格。
そこまで、言われるなら、ピアノの先生になってやろうじゃないか!と思ったのが、一番最初です。
しかし、私はピアノが苦手。
そんな私にピアノの先生が出来るだろうか?とかなり悩みました。
悩んでいた私に恩師が、「ピアノの苦手な、あなただから出来るピアノの教え方があるんじゃない?」と声をかけて下さったのです。
目から鱗ですよね。
確かに、ピアノの得意な子ばかりがピアノを習う訳ではありません。
苦手だから、克服したくて習う子もいるよね?って事でピアノ教室を開く方向に思い切る事が出来ました。
ちょうどその頃、アルバイトでスミイングのインストラクターをやっていたのもあり、バイト先の協力を得て、生徒募集をかけた所、学校を卒業する前に10名の生徒さんが集まって下さいました。
なんでも、インストラクターをしていた様子を見て、この先生なら、と思って来て下さったそうです。
有難い事です。
バイト先の上司からは、子供が生き生きと楽しんでいるレッスンをすると評価されてたんですよ、これでも(笑)
そんな訳で、家族の理解と協力も得て、ピアノ教室を開き事が出来ました。
今思えば、結構な難所を乗り越えて来てますね。
なので、このコロナ禍も、乗り越えられると思います。
なんとかなる、成せばなる。
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