社会で「人のせいにしない」とは自分を追い詰める諸刃の剣らしい

「何かあったら,自分が何とかしますんで大丈夫ですよ.」
そう言いたかっただけかもしれない.実際にそう言って何とかしてきた自負があったのかもしれない.けれども,それはただ単に自分を追い詰めて切り刻んできた諸刃の剣なのだったと思う.

目の前に無理難題があれば,自力で何とかしてきた.頭をフル回転させて周囲に怪しまれないように何とかやってきた.この「何とか」は本当にたくさんある.話し出すと社畜自慢になるし,もっと社畜に働いている人も多いだろうし,ここでは割愛しておく.
きっと働いていた時の一番悪い癖だと思う.人に頼らず,自力で何とかしていこうとする癖.良い時は成果をくれて,悪い時は責任の所在で上司が困る.こんな部下を持つと上は大変だろう.

でも,どうしてそれを繰り返してきたのだろうか.答えは単純で『誰かのせいを言い訳にして怒られたくないから』だ.「誰かのせい」にして言い訳をすると,まるでその誰かの悪口を言っているような気がして胸が痛くなる.そして矛先がその誰かに移った時,まるで不正情報をリークされたかのように相手から恨みが回ってくる.そんな気がして怖かった.こっちも他人の足を引っ張るために仕事をしているんじゃない,と心が痛む.
八方塞がりの怒られ方もしてきたからかもしれない.「自分が~~したからです」と言ってしまうと早く物事が進むと学んでしまったからかもしれない.
もちろん信用した人間にハシゴを外された経験も,悪者扱いにされて一方的に干された経験もある.

だから「誰かのせい」にできるのは,その確たる証拠が第三者的に見てもわかる状況にないと言えなくなってしまった(まるで犯罪の証拠探しみたいな書きぶりになってきた).それだけの『信用力』のある証拠がないと人は手の平を返すことを知っている.その先は本当に怖い.けれども「誰かのせい」にするのは苦手だ.やっぱり悪口と表裏一体だからだ.

だから『自分で何とかするしかなかった』し,どうしようもなかった時以外は言い訳をしなかった.

けど,それはどんどん自身を蝕んでいく.一番辛いのは,他人の失敗を自身の失敗と無理矢理思い込ませて,それでも何とかしようともがいた時(上司と部下の責任分界点はちゃんとあったうえで).積もり積もったものは,自尊心をぶち壊して人への信頼というものを消していった.

「助けを求めてくれればよかったのに」という言葉はだいたい後から嘲笑のように湧いてくる.どうやら私は「助けの求め方」が下手らしい.
「逃げたかったら逃げてもいいから」というのは言いっぱなしで「確実な逃げ道」なんてのは誰も知らない.道端に缶を投げ捨てるように,みんな見放していく.

みんな怒られたくもないし,怒りたくもない.心にゆとりがない中で働いているのも知っている.だからこそ,もっと心に余裕をもって人にやさしくやっていってほしい.心に余裕があれば,職場でメンタルが危険な人ってのはすぐにわかる.ちゃんとサインは出ているのだから.

けれども社会はそんなに甘くないらしい.「こんなんじゃやっていけないよ」なんて言われたこともある.人を切り捨てて,自身に降りかかるリスクを減らさないと生き残れない.そう言われた気がした.

生憎,人を切り捨てても働きたいだなんて思ったことはない.そんな会社ばかりの社会なら早くつぶれてしまえとも思う.理想論だとか甘ちゃんの絵空事だとか言われようが
『人が人にやさしく生きていける世界』
それを目指していきたいと,ずっと思って生きている.


***あとがき***
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urara
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