ざるそばでも食べよ
実は夏はそばよりもそうめん派です。ただ、そばには適量以上のワサビを使います。
何事も他責にする人は嫌いです。また、当人が一人だけでは到底解決できないような大きな問題/課題に対して憂いたり文句を言うのもあまり好きではないです。
ただし、どうしても溜め込んでしまって吐き出さないと気が済まない/正気を保てない、とかがあるのでね。みんな好きにやろーぜと思ってます。
そういうのは勝手に言ってろ主義ですし、それを見て誰かが嫌な思いをしようが知らんがな主義です。頻繁にSNSに出てくるときは「この世界から叩き出してやる!!!出てゆけぇ!!!」という勢いでミュートにします。
私が見たいと思ったものを見る世界、それがSNS。見たくないものには意思を持ってミュートにすればいいのである。
そんな中でも、目について気になって書かないと仕方がないテーマについて、書きかきしようと思うわけですね。
そばをこねこねして切っていくような感じで(※筆者はそば打ちの経験はありません)、淡々と書いていきたいと思います。
以下の内容も、筆者が溜まったお気持ちをただ吐き出してるだけに過ぎないわけです。そんなことは分かったうえで書くからええんじゃい。
【感染者増減に憂いてとやかく言う感じのアレについて】
先日はメモリアル的な1万人突破がありましたね。何もめでたくないですし、日々のカウントで増えるだけなので大した意味はなく。
筆者は俗にいう一般市民の枠を超えないので、感染云々については「感染しないよう自助努力し、何かあれば早急に検査を受け、その後は各組織の判断にゆだねながらワクチンを待つのみ」なので、一切悲観的に見てないのです。
(余談だけど「一般市民の枠を超えて」と書いてみたかった・・・上級化?したかったぜぇ・・・)
また、筆者がどこで何を言おうと別に世論に影響も与えるわけでもない。だってその立場にいないから。自身を外野だとわかっているからこそ、余計な喚き散らかしもしない。喚き散らかしても何も良いことはないし、そこで群れたところで騒がしい集団でしかない。例えば「~~であるべき」とか「~~といった説明を」とかいった内容をよく見るが、お偉いさま方には届いてないぞ?ってな・・・。同調しても仕方ないんやぞ?ってな・・・。
何よりも、最前線で仕事している人たちは「色んな意見なんぞ知ったことか」と思って向き合うべきなのよ。世論やSNSの声を見て一喜一憂してる場合じゃない。従事者は組織が決めた方針を全力で遂行するしかないのよ。決定権や判断者ではないからね。むしろ、勝手に何かをやられた方がリスクでしかない。自分の立場の範疇でできることを全力でやるしかない。
何も考えるな、ということではない。自分の立場ででき得ることに頭を使えばいいし、もっと上の立場になった時、全力で仕事ができるように考えをしたためておけばいい。思考停止でもいいが、考え続けることが何よりも有意義だとは思っている。
それが他責系、不安なことを憐れむ系に時間を取られている方が問題だ。卑屈になるし、ネガティブにもなる。良いことなんて一つもなく、ただただ虚しいだけということをわかってほしい。
そんなことをするなら、ちょっとそばを食べた後の蕎麦湯でも飲みながら本来やりたかったことを振り返って考えてみるのも一手かもしれない。
【不安ごとを考えすぎる人】
悲観的に考えるのは女性に多いそうだ。もちろん心配性のメンズもいる。どうやら、狩猟時代から続く本能として女性には「物事に対する不安視」というのが備わっているそうで。
小さな不安がまるで生き死にのレベルになって襲い掛かってくることがあるらしい。バケモノの影が実はネズミだった、といった笑い話にできればいいものの、当人にとっては本物のバケモノであり、怖くてたまらない。不安になりがち/悲観的になる人は日々、そうやってバケモノとモンハンをやっているわけだ。
足元をちゃんと照らしてほしい。そうすれば実はネズミだった、っていうことがわかるはずだ。
よく見るアドバイスとして「そこまで不安にならなくていいよ」とあるが、これはアドバイス放棄しているだけだ。当人にとっては目の前にある不安なのに「見なくていいよ」って言われてすぐ消えるはずがない。ちゃんと直視してやることが必要だ。
本のタイトルで知ったが、対人相談でのアドバイスに「あいつ、どうせ今頃パフェでも食ってるよ」なんていうフレーズがあるそうだ。これは実に的確で、誰かに向けた感情が、実はそこまでの大きさじゃないよと伝えている。
物事は捉え方次第でどうとでも解釈は変わる。
世の中の誇張しすぎた不安になるニュースなんて、どれも実はネズミサイズなのだろう、直視して捉えてみればいい。案外、大したことはないのだ。