鬱が獣のように襲い掛かろうとも
年の瀬だ.
色んな人に出会い,色んな別れもあった.
かつての仲間や今の仲間,友や初対面の人,先輩や後輩,男性や女性,色んな人に会った1年だった.色んな人と別れた1年だった.色んな人に出会えたことは,僕にとって「学び」でしかなく,心を大きく育てることができたと思っている.その代償として一部の感情と記憶は無くしているが,それはそれで等価交換ということにしておこう.あと1週間ちょっとで今年が終わると思うと少し胸が軽くなってきた.苦しく,永く,悲しい,儚い1年だった.
もうすぐ始まろうとしている来年はどんな年になるのだろう.「今」に必死にしがみついて精一杯なこの身体はいつどうなることだろうか.
何かに「期待」することはなくなった.誰かに「絶望」することもなくなった.「虚無」だけが傍に寄り添い,一緒に先を見据えている.
どうでもいいことに笑い,調子を合わせて悪口を述べる自分に呆れている.いつもそうだ.思ってもないことを笑いながら放つ自分は何者なのだろう.言えば"そう伝わってしまう"のに.出てきた言葉が"真実"になる嘘の世界で,やってはいけないことを繰り返している気持ちになって吐きそうになっている.それでも,吐しゃ物に塗れようとも,這いつくばって泥に塗れようとも,血に塗れようとも,生きてしまっていることに罪悪感を覚えて今日も生きている.
『理解できない人とは付き合うな』とは言うけれど,そうは言っても理解しようとしてしまう.一挙手一投足の仕草で性格をわかろうとする.気分の変化を感じ取ってしまう.目がそれを訴えてきている.なんとなく,わかってしまう.だから付き合うこともできるのだろう.本当は,受け容れる情報量が多すぎて,心が疲弊してしまっているのに.どうしても受け入れようとしているのは承認欲求なのか,誰かに"見てもらいたい"のか.
手に触れることが怖くなった.
拒まれるのではないかと恐れてしまった.
こちらは受け入れたいのに,受け入れてくれないのだ.
から元気でごまかしても,結局いつも一人なのはやっぱり寂しい.家は無音で,ご飯を食べて風呂に入り,寝るだけの場所.眠りだけが優しく僕を包み込んでくれる.夜中に獣が襲ってきても,枕元に置いた水を一口飲んで,もう一度眠りの中に潜っていく.誰かと誓いを立てることはもうできないけれど,それでも生きてしまうことがどうしても怖い.
夜中のTwitterは静かだ.まるで街のように静かに眠っている.その姿を見るだけで「みんな寝ているんだね」と思って安心する.少しだけ起きた自分はいつもTLを眺めて,何かを書こうとしては消して終わっている.
『いつからこうなってしまったんだ.』
気がつけば傲慢になっている自分がいて,傲慢な他人を許せなくなる時がある.その基準はいつも曖昧で,目が醒めたらその傲慢さに傷つけられた自分が鏡の前に立ち尽くしている.
『なんてことをしてしまったんだ.もっと早くから気づいてたじゃないか.』
そう思ってもいつも後の祭りで,心は遊み,傲慢な自分と傲慢な世界に囲まれて穢されていく自分を感じて自己嫌悪に陥ってしまう.
『いつか救われることはあるのだろうか.』
願いは行動に起こさないと叶わない.祈りは少しだけ心の向きを変えてくれる.心は深い黒色に染まってしまっている.色んな色を取り込みすぎてしまった.そこから透明になることはできるのだろうか.
『やってやれないことはない.』
そんな風に思ってやれるほどの勢いは無くなってしまった.せめてこの無気力な言葉たちを目に見えない海の中に溶かしていきたい.
『誰かが主人公の物語を書くならば,すべからくそれはきっと"悲劇"だ.』
みんなそれぞれの"悲劇"を抱えて生きている.救いを求めて祈りを捧げてもそれは変わらない.いつもそこに横たわっているのだから.
『一番毛嫌いしている"影"が僕から離れてくれない.』
どうして拒絶するたびに意識してしまうのだろうか.感情の裏返しで,実は求めていたのだろうか.そう思うたびに,謂れのない中傷を浴びていた過去を思い出し,気がつけば地面に横たわってしまっている.影がすぐそばにいることを実感する.どうしても離れられないのは,まだ呪縛に囚われているからだろうか.
『道はいつもそこにある.』
切り拓くのは自分次第だ.たとえ勉強が嫌いでも,やりたいことが違うだけで,無理にそんなことを学びたいとは思わない.だったらたとえ有刺鉄線で阻まれた道であろうと,素手で血を浴びながら押し通っていきたい.それだけそこにかける想いは負けたくないと,こんな心になっても考えてしまう.
『何かに意味を見出してしまうのは人間の性なのだろう.』
いつでも裏を読み,表を読まない私たち.踊らされているのか,踊っているだけなのか,いつも誰かの舞台の上で,踊り操られ,それでも「自分の意思だ」と,「これにはこういう意味がある」と,勝手に納得してしまうのはいつも滑稽に思えてならない.結局のところ,何も意味はないはずなのに.意味に縛られて縋り付いている様はまるで教祖に教えを乞う迷える羊たちにも思える.その教祖は本当に救いを与えてくれるのだろうか.
『正解と思うのは人それぞれだ.』
結婚が自分にとっての幸せかどうかなんて,人それぞれだ.家族を持つことが幸せかどうかなんて,その人次第だ.大切な人と一緒に時を過ごしたいと思うことを否定しているわけではない.多様な価値観が「見える化」された世界で,色んな人たちが色んなことを言っている.そんな欲と価値観が押し売りされている世界で僕たちは何を正解と思って,生きていくのだろう.何か正解と思って"信じ切れる"自信が,残念ながら僕にはない.
『憧れを持っていてはその人を知ることは出来ない.』
自分で"偏見"を作ってしまえば,その人との距離感はそこまでになってしまう.いつも見えているのは何十面体にもなっているその人の心のほんの一面だ.すこし角度が変わればもう違う面が現れる.それを「裏切られた」と感じるのはお門違いだろう.その人が生きた数十年間をたった何年かで知ることなんてできない.お互いの傲慢さをぶつけあって,さらけ出し合って,それでも寄り添うようになって初めて"知ること"ができるだろう.それだけ人間関係は複雑で,難しい.あなたはどうだろうか?
『人の生き死には自由だけれど,きっとそれさえも不自由なのだろう.』
人の価値みたいなものが簡単に測られてしまう.生きてきた人生がなんだったのか,そこに正しい価値を見出せる人はいるのか.死んでからでは遅い.生きている間に自由が欲しいと思ってもがいても,そこは不自由で不条理な世界であることを気づかないフリをして,結局は酔ったふりをしてシラフで踊るしかないのだろう.僕たちはいつだって不自由だ.
『自分を愛せるようになっても他人は愛せないのだろう.』
ナルシズムのもとに育っていようが,そうではなかろうが,人はみな自分を愛している.自分の世界がどうしようもなく愛おしい.他人さえも愛する自分の世界に引きずり込もうとする.引きずり込まれた人に対して述べる謝罪が「愛してる」なのだろう.本当は「あなたを愛していると言っている私を愛してもいいかな?」と許しを乞うべきなのだろう.
『この世界に良い子はいない.』
自分を守るため,自分の世界を守るため,自分の傲慢さのため,人はこれでもかというほど"悪人"になる.それを自覚して"善人"になろうとする人はたくさんいる.それでも"善人"として振舞った行いが他人を壊すこともある.結局,「良い子だね」と言ってくれたあなたも悪人で,褒められて喜んでいる私も悪人なのだ.
『柔肌な心が石に変わる時が死に際で,その死に様は言葉に言い表せないほど哀れなものだろう.』
純白な処女のように柔肌の心をみんな持って生まれている.雨風にさらされ,叩かれ,切り裂かれ,穢れ,傷口が膿み,腐り,萎み,石のようになっていく.その時が人間の死に際だ.そこから先の人生は,石ころが風化して砂になり,漠漠と広がる砂漠の一部となって消え去るだろう.その様は人生の長さを感じさせる一方で,どうしてこうも儚い終わり方をするのだろう,と哀れに思えてしまう.
『鬱が獣になって襲い掛かろうとしてきたら,喜んでこの身を捧げよう.』
カラスが引き裂いた希望の切れ端を握りしめ,愛情を搾取され続けようが,子どもが泣き叫ぶ夜だろうが,僕は喜んでこの身を捧げよう.獣の血肉となって,欲望と傲慢さが渦巻く世界を重々しく一歩ずつ踏み越えていこう.
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