操られ人形の抜糸
※しっくりきてないなら都度手入れします。
蜘蛛の糸が垂らされたカンダタ。一本の糸は極楽浄土と地獄の分かれ道。すがる様は必死で、糸を垂らした仏はどの立場でそんなことやってんだと思ったものだ。
糸を垂らされた経験はないか?仏のような崇高な立場じゃない。それは親で、兄弟で、親戚で、教師で、先輩で、上司と、現実味しかない糸に繋がれてやしないか?という問いだ。
この糸を辿れば間違いないだろう。怒られないだろう。喜ばれるだろう。そんな心持ちで垂らされた糸を手繰る。家庭にいる時で人数分。外に出たら関わった人数分の糸を手繰る。いつしか、操られ人形になってやしないか?
糸を手繰る、操られるだけで得られる幸せもあろう。ただ、そこまでだ。手繰った先には何もない。もう、わかってるだろ?
口々に不満を吐き出し、すっきりしたらまた糸を手繰るのか?自分の意思で何かしたいと口は動けど、手は、足は糸に繋がれてやしないか?
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