だったら自分のために働くわよね
筆者のツイッタランドはお勉強の場所でもあり、魑魅魍魎の巣窟でもあるので、良くも悪くも見識は広がっている。無料で他人の知恵や考えから学びを得られるサービス、独り言のぞき見サービスといえるツイッタランド、利用して2年くらいになった。
ここ1年くらいで数々の燃え盛るネタが投下されたキャンプファイヤー場ことツイッタランドであるが、どういうネタに対しても人々の燃え方が変わらないから「進歩しねぇな」って思っているのだ。
火種の中心にいる人の発言、その人となりから勝手に妄想して「こういう人だろう」「そんな人ならこういう考えもあるのでは」「そういえばこんな人も該当しそう」「私だったらこんなことは言わない」「こんな思想がない社会へ」など、ありきたりの薪をくべて、炎は高らかに燃えている。火種はとっくに燃え尽きているのに。
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搾取だとか、善人による組織だとか、いろんなテーマでツイッタランドを回遊していたので、備忘録兼まとめをここで書こうと思う。
善人悪人かどうか × 仕事の組織 で考えた時に、筆者を例えるならば「元善人で、他人のためではなく自分のためにポテンシャルを発揮しようと悟った人」になる。
元善人…
昔は善人としてクリーンで良い社会を志したものの、理不尽で差別的かつ倫理観の無い職場に揉まれて「社会とはこういうもので自分ではどうしようもないもの」と挫折を味わったことから元としている。今は全くもってそんなことはしようと思わない。
他人のためではなく自分のため…
これは本当にそう。自分を安く売ることで良いことなんて一つもなかった。都合よく使われて、リターンはせいぜい飲み会代程度。身に付いたことはあれど、相手からの恩義によるリターンなどは特になく、関係が続くこともなかった。自身を売る前に人を見ろ。損得に関係のない身内や自分のために頑張ろう。
ポテンシャルを発揮しよう…
これまで培った経験があればある程度の仕事はできるという自負と、もっと頑張ればもっとすごいことに貢献できるかもしれないという想いはある。何か新しいことを成し遂げたいとは思わないけど、培ってきた経験とかき集める情報をもってすれば、なんでもできるだろうという希望がある。これがやる気の源泉にもなっている。
善人でいることで良いことなんてない。社会に善を勝手に見出して志望したところで、上にいるのは理不尽で倫理感欠如だが、利益を出せる人たちだ。結局のところは利益をどれだけ出せるか次第だからこそ、そこに善悪なんて必要ない。余裕が出てきた時や、人目に触れるようになってきたときに、社会にとって都合がいい存在だとアピールするために善を引き出す。ただし、組織というものは清濁併せ吞んできている。だから周囲の善人によって悪の一面が露呈して、叩かれどぶの中に突き落とされてしまう。
利益を出すために動くには、開示をせず、自分たちだけでせっせと利益重視で清濁併せ吞みながらやっていくしかないのだ。
他人のために善行をしたところで、叩かれるならやる必要がないだろう?それだったら自分のためにひっそりとなりふり構わず動いてた方がいいに決まっている。その方が幸せだろうからね。