memento mori
事前に申し上げますが,今回の文は懺悔に近く,非常に気分を害すこともあろうかと思います.特にご家庭のある方.あらかじめご了承ください.
どこかの媒体でいいから,”こんなこと書くなんてあり得ない”,”不謹慎だ”,"可哀そう","神経を疑う"とかどういう風に咎められようとも書ければと思ってました.それが,ちょうど今日ある意味,節目的な日付だったので世に放とうと思います.私の本心まで迫ろうとせず,こういうことがあるんだ程度で読み流してもらって結構です.正しく伝わることは無いのですから.
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私は離婚者ですが,離婚の原因は"子の堕胎"にあります.前妻から私への拒絶と今後の生活への不安を支え切れず,遂には「子どもを堕ろしてすべてを無かったことにしたい」と懇願され,それを覆すことができず,離婚し,子を堕胎しております(個人的なことのため,詳細は割愛します).
妊娠20週未満での離婚後の堕胎は母親のみの署名で手続きができるので,いつどこで行われたかも知りませんが,経過を人づてに聞き,その通りの結果になったことは把握しています.
当初は望んでいて,望まれるべくして生まれてくることだろうと思っていたにも関わらず,それが叶わなくなってしまいました.
人を殺めているんです.形がどうあれ,結果として私は人殺しです.
自分を責めるだけ責めて,他人(親類含む)からも責められ,挙句「本当にあなたの子かどうかもわからないんだし」という言葉まで浴び,一方では「子どものことは一生忘れてはいけない」と胸に杭を打ち込まれ,今日に至ります.
同情の余地はないでしょう.それ相応のことをしてしまったのですから.
励ましももらいました.「別れて正解」「相手が最低すぎる」「お前は悪くない」「時間が解決する」「大丈夫」.何が大丈夫なのか.大丈夫だったらとっくに自殺してる域まで行ってますよと言ってやりたい.
親とは,両親揃って初めて親です.その責任は両方に等分されるべきだと思ってます.だから,ある意味励ましは辛くて,その分責め立ててくれればどれだけ楽なのか,と思ったこともありました.私もその半分を担っているんだと.
つい先日の出来事のような,そんな気持ちでいて,今でもエコーの映像は鮮明に思い出されます.堕胎を提案され,どういうものかを調べてぞっとしました.こんな悲しいことをやるのかと.やるなら必ず同席させてくれと言いましたがそれも拒絶され,結局どこに埋葬されたのかも知りません.
どれだけ自分が無力なのかというのを思い知り,生まれくるはずだった子どもが愛おしく,周りは幸せに溢れる家庭があることをどこか妬み,そんな自分を蔑む生活.気がつけば半年が経ちました.
今日は本来であれば生後2か月の記念日になる予定の日です.あなたを忘れることはありません.覚えている限り,生きているのだから.
みんな気を遣って距離を置いたり言葉を選んだりするのがよくわかります.だから,余計に本心ではどう思っているのかが気になるんです.結婚式にも行くし,友達を祝福もします.もちろん子どもを見かけたら笑かそうとしてやります.
「だからこそ気丈に振舞わないといけないんじゃないか」と自分に重荷を課します.
「だからこそ人前では元気になった姿でいよう」と無意識に動きます.
どうすればよいのかがわからなくなり,遂には動けなくなりました.そして今に至ります.それでも生きています.
それでも生きている.命を繋ぐ理由はあるのかと問われると答えられない.
それでも生きる.子の分とその愛情を他に捧げるようになるために.
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