暇じゃないのヨ
オンライン授業①
休日ではない。そう思いつつも終始まったりモード。昨年につづき2回目です。
そんな日々も明日でおわり。気分は、夏休みが明けるときのよう。
非日常なのか日常なのか。今日は、そんな日々にある現在の感情を綴っておこうと思います。
大学生活と⁉️🦠💉💔💊
わたしの大学生活はころな🎀と共に始まりました。
「可哀想~」
「もったいないなあ(大学生活を存分に楽しめなくて?)」
「何のために行ってるのか分からんねー」
この一年半の間に、何度も言われた言葉です。まあ言ってることは分かるので、わたしも肯定の言葉を返します。
でも実際、そんなに辛くはないです。それなりに楽しく、大満足とはいかなくても、充実感のある生活だと感じています。人によると思いますが。
そもそも、ころな🎀がない大学生活をわたしは知りません。
たしかに、高校生までに何となくイメージしていたものはあったけど、それはイメージでしかなく、経験して体感したわけではないのです。
履修選びで休日をつくろう!とか以前に毎日はない登校、人同士の接触を抑えることを前提にした授業、間隔のとられた席、人でいっぱいになることはない教室。
わたしの大学生活はこれが普通で、これが日常です。
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ころな🎀のいない大学生活は知らないけど、ころな🎀がいない暮らしなら18年はやりました。長いのか短いのかは分からないけど。
👗わたしたちの生活には体裁が欠かせない
👗環境と体感は重要
これは、そんな暮らしが変化し、ころな🎀のある生活が日常になりつつある中、わたしが感じたことのうちの2つです。そしてオンライン授業を通して、改めて感じたことです。
オンライン授業②
外出準備、通学時間、昼食や休憩時間の規定がないので、自分の配分で自由に使える時間が多くなります。
いつもは入れない時間帯のバイトに入れたり、ちょっと授業や課題に取り組むタイミングを調節すれば、時間をつくることができます。
そんな時間の融通を利かせられるオンライン授業をしばらくやっていて気になったのが、余裕あるよね?という空気の混じった周りの大人の言動です。
別に嫌味とかでは全くなくて、ただごく自然にそう思うんだろうなと思います。学校に行くという事実に、わたしの学生生活が証明されている部分は大きいようです。
たしかに時間には余裕ができる分、ゆっくりして見えるかもしれない。だけど見た目以上にわたしには余裕がなかった。特に精神的にはずっと忙しい日々でした。
頭には常に課題の締め切りがあって不安になります。何か提出し忘れてないかそわそわするのです。
で、実際忘れます。遅れてることに気づいた瞬間のゾワッと感…
何度、弁解のメールを送ったことでしょうか( > < )
活動量は少ないから、一日が一瞬で終わっていくので気を抜けません。
でも無気力で何も手につかなくなるときがあります。突然やる気がでて、集中して取りかかれるときもあります。
こうした日によるバラつきが許されるのはオンライン授業の利点ですが、最終的にはすべてこなせるよう調節するのは大変でした。
周りのペースを知ることができないのも怖かったです。もしかして自分はすっごく遅れているのではないか、というより皆本当に同じことをしているのか。寝る前にはよく、こんなことを考えてしまうのです。
学校という場所で、周りには一緒に授業を受ける人がいて、直接顔を見て声を聞く。そんな実感が得られないのは不安の要素であるのだと感じました。
それでも、どんなに予想外の環境でも、実際その状況になれば人はそれなりに適応していくのではないかと思うのです。
しかしそうしたイメージとのギャップは、見聞きしているだけでは簡単に理解できないのかもしれません。
なにごとも見た目だけで判断することはできない、オンライン授業期間を通してわたしが一番感じたのはこれかもしれない。
そして一番言いたいこと、