青い蜂は幸せを呼んだのだろうか
<タイトル画像は、2020年8月21日に撮影したルリモンハナバチ>
今年も青い蜂に出会うことができたので、それだけで幸せな気分。
青い蜂について述べる前に「青い鳥」について考えてみたい。
メーテルリンクのやつ。
このお話の「青い鳥」は幸せの象徴。
幸せという形のないもの、目に見えないものを青い鳥で表した。多分、そういうこと。
青い鳥が幸せを呼ぶわけではないということだ。
幸せはコンビニで買えない。違うか。
幸せは、探し求めて手に入るような性格のものではないということ。
さて、青い蜂の話。
幸せを呼ぶ青い蜂なんて呼ばれている。
青い鳥からの連想で幸せを呼ぶなどというのは、間違いではないのか。
なぜなら、青い鳥は幸せを呼ばないのだから。
と言う。
ま、それが始まりなのか、その前からそのように言われていたのかはわからない。
ま、それがなかったとしても、青いものと幸せとを結びつける思想は存在すると思う。
青い蜂。
和名を、ルリモンハナバチという。
ナミルリモンハナバチと呼ぶ人もいる。近縁種との区別のためだろうか。
どっちが主流?勝手に和名を変更しないでもらいたいものだ。
自分は、ルリモンハナバチで何も問題ないと思っている。
山と渓谷オンラインの記事。
青く輝くと言うが、よく見ると輝いてはいないようだ。
よく見ると、どちらかというとマットな感じで、青い毛が生えていた。キラキラ光っているわけではなかった。
出会ったときはテンションが上がってしまって、キラキラ光っているように見えるのかもしれない。
先日、キツネノマゴのお花畑で花に集まる虫たちを撮影して来た。茶系統か黒が中心の色合いの昆虫が多い中で、ルリモンハナバチは特別なものに見えた。
神奈川県の話題も、
この記事を書き始めたころはまだ旬だったが、キツネノマゴの花もほぼ終わってしまい、もう幸せの青い蜂を見ることはない。
また来年。
青い蜂を見た自分に幸せが訪れたかというと、それはわからない。
結局、メーテルリンクの青い鳥を思い出して、思うのである。
幸せというものは、それ自体を探し求めても手に入るものではない。
きっと、そういうこと。
おしまい。
t.koba