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読書記録 吉田恵里香「恋せぬふたり」

はじめに


一個前のノートを書いた直後朝ドラ「虎に翼」にドハマりしまして。しばらくは読書どころじゃなくNHKオンデマンドに四六時中張り付き、全130話をほぼ一週間で観終わるという怒涛の一気見を決めました。感想を書きたいと思ってるんだけど量が膨大すぎるのもあって何から書けばいいのか分からない笑そんなこんなでなにも残せずに時間が経ち今に至ります。

さて、今回読んだのが吉田恵里香さんの「恋せぬふたり」。吉田恵里香さんは上で語った「虎に翼」の脚本を書かれた方!それ繋がりで手に取った次第です。

以下めちゃくちゃネタバレしているので未読・未見の方注意!

痛気持ちい?

まず第一の感想は「痛気持ちい」!です!
「今までの自分になかった思考を思い知るのは痛気持ちいいです」っていうハイキューの谷地仁花のセリフがあるけど、それをすごく感じた。

快と痛み?

「恋せぬふたり」の主人公ふたりは誰にも恋愛感情を抱かず、性的にも惹かれない(アロマンティック・アセクシャル)。

私はその感覚に対してある程度共感があるんだよね。
だからその中でも知らなかった感覚(アロマンティック・アセクシャルのひとのなかでも恋愛感情に鈍感で人を傷つけてしまう人、逆に恋愛感情に対して敏感で周りの人に対して警戒心を向けずにいられない人がいる、とか)に対してはなるほどなるほど、とすんなり受け入れられた。
そこにあるのはは明らかに「快」なんだけど、そこに「痛み」が伴わないのは恐らくアロマンティック・アセクシャルという思考・存在が自分の中で既存のものであるから。

最終パート付近、高橋さんの昇進をきっかけに家族の在り方が改めて問われることになる。そこで上がったのは「家族は必ずしも同居しているものなのか?」という問題。高橋さんは家族っていうのは 繋がれてきた家を守り、「味方」になってくれるひとと同居すること、と思っていてそれを捨てたくないがために自分の夢を捨てようとする。でもなんやかんやした結果、高橋さんはおばあちゃんの家を出、咲子さんは高橋さんのおばあちゃんの家に住み続けることになった。その結果に対しての私の正直な感想は「えーーー!!いや!!」だった。

痛みの正体

なんで嫌!って思うのか考えたとき、私は「同居してなくても家族」って価値観を受け入れられないのかな、それが「痛み」として私の中に現れたのかな、と思った。けど違った。
私自身今両親と離れて暮らしているけど家族であることに疑ったことはないはず。

じゃあなに?っていうとそれは単純に…寂しいから!!

別居したとしてもふたりは家族に違いない。それは頭では分かってるんだけど、私もカズくんと一緒で三人(ふたりが毎日)一緒に過ごす時間が日常でなくなってしまうのがすごくすごく寂しいだけなんだよね。

だからといって、自分の「私が(←ここの主語大事)寂しいからふたりに同居していてほしい」っていう欲望を既存の「家族像」・「規範」を武器にして押し通してはいけないよね、って話だったわ。

「規範」と「欲望」

恋愛はするべき、とか家族は同居するべき、みたいな「~べき」みたいな考え方って、誰かの欲望を正当化するため、もしくは無理やり実現するためにくり返し持ち出されて、結果的にそれがたくさんの人に内面化されてしまったものなのかもしれない。
(例えば家族の同居だって「家事・育児・介護を誰かにやってほしい」っていう欲望から生まれた規範だという風に考えられる。かも。)

自分にない価値観(=家族は同居しててほしいけど別居を選ぶふたり)を目の当たりにして、「痛み」が発生しているのかと思った。というか書き出した時はそうまとめるつもりだった。
んだけど、「痛い」というより「寂しい」だけだった。三人でおだやかに過ごしているところをもっと見たかったし想像したかったっていう欲望!それに対して「いや、家族ってやっぱり同居すべきでしょ」じゃなくて、「やっぱり私は寂しい!!!けどふたりが幸せならそれがいちばんだよね!!!」って大声で言うことにした。というより「恋せぬふたり」を読んだ私はそう言える。

それも含めてやっぱり感想は「痛気持ちいい」かもしれない。
自分の中の「~べき」みたいな「規範」の底面には「~たい」っていう非常に個人的な「欲望」があるんじゃないか?そして「規範」を武器に自分の「欲望」を人に押し付けてないか?と、自分のこれまでを振り返るきっかけになった作品でした。

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