「炭酸」
「私、炭酸飲めないの」と言いながら、彼女は3杯目くらいのビールをおいしそうに飲んでいた。
初めてビールをおいしいと思った時はいつだったろうか。人が初めてビールを体験するのは、だいたい小さい頃の親戚の集まりと相場が決まっている。酔っ払った親戚のおじさんあたりにグラスにちょっと注いだビールを勧められて、舐めるように飲むのだ。そして「苦い!」と言って渋い顔をして、座の笑いを取る。日本全国で年間何万回とリピートされているであろう、お決まりの家族の微笑ましい光景である。ここで被験者となった少年少女はほとんどの場合、こんなに苦くてまずいものをおいしそうに飲む大人が信じられないと思う。しかし、そこまで嫌悪した彼らをして、10年後20年後には「この1杯のために生きている」とまで言わしめるのだからビールの巻き返しはすごい。もちろんぼくもその一人だ。しかしいつから、どの瞬間からビールをうまいと思えたか、そのタイミングは曖昧だ。ビールは変わっていない。ぼくらが変わったのだ。
炭酸飲料に関して一様に言えることは、「炭酸が抜けるとひどくまずい」ということではないだろうか。気が抜けたコーラはこの世のものとは思えないほど甘いし、少し放置してしまった缶ビールを飲んだ時にぬるくなって炭酸が抜けていた時の絶望感と言ったらない。永遠に抜けない炭酸、もしくは炭酸が抜けてもなおおいしい飲料を開発すれば、それは大袈裟な話ではなくノーベル賞ものかもしれない。
ぼくは、昔から炭酸飲料をさほど好んで飲んでこなかったように思う。少年時代、友達がコーラ、ファンタあたりをおいしそうに飲んでいる隣で、ぼくはだいたい炭酸の入っていないスポーツドリンクやお茶を飲んでいた気がする。そしてそれは今も変わらない。夏目漱石や宮沢賢治が愛した三ツ矢サイダーを文学少年的好奇心でたまに買うことがあるのと、恩師とも呼べるラジオディレクターの「風邪をひいたときはコーラ飲めば治る」というおよそ医学的根拠のなさそうな言説を真に受け、風邪のひき始めに亡き氏を偲んでコーラを買うくらいである。
そう考えると、ぼくも炭酸は別に好きではないのだ。しかし、ビールやハイボールは好んで飲む。そしてこれらから炭酸が抜けていた時には「まずい」と文句を言う。そう考えると、「炭酸が飲めない」と言いながらおいしそうにビールを飲む彼女の言動は、まんざら理解できないわけでもないのだ。
ビールをおいしいと思ったタイミングがいつだったかわからないように、彼女のことを好きになったタイミングもわからない。そしてどういうタイミングでつき合うようになり、どういうタイミングで好きではなくなってしまったのかも。最初はお互い刺激があったのに少しずつそれも薄れ、やがてすっかりなくなってしまうのは、ちょうど炭酸みたいなものだったのかなと思う。そしてぼくらは炭酸の抜けたビールに、「まずい」と文句を言うのだ。
ただ、今でもたまに炭酸(ビール以外の)を飲んでみた時、「炭酸が飲めないの」と言いながらおいしそうにビールを飲んでいた彼女の顔をふと思い出す。炭酸が抜けてもおいしいビールなんてないけど、炭酸が抜けてもそれはそれでいいなと思えるような、そういう人に彼女は出会えただろうか。出会えていたらいいなと、思う。
今夜のビールがいつもより少しだけ苦い気がした。