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『与える人を選ぶ』ということ

新R25のコラムで、西野亮廣さんの、『無料でモノをもらったとき「ラッキー!」と思う人は“お金持ち”になれない』という記事が掲載されていました。

記事はこちら→『無料でモノをもらったとき「ラッキー!」と思う人は“お金持ち”になれない』

これについて、『お金持ちかどうか?』よりも『与える人を選ぶ』というところに違和感を感じたので、それをつらつらと述べてみます。

西野さんはご自身の個展のお手伝いをしてくれたお寿司屋さんが、”食事代を受け取らなかったことによって、「何かお返しをしてあげたい気持ち」という、お会計以上の大きな資産が手に入った”と仰っています。

それは確かにそうだと思います。

お寿司屋さんは『計算』ではなく、当たり前に西野さんに『与えた』のだと思います。

その次の、貧乏人の思考と行動に、私はちょっと違和感を覚えました。

”貧乏人は、無料で何かを受け取ったとき「ラッキー!もうけた!」と考えます。こういう人は「こいつに与えても得をしないから、近寄らないでおこう」と距離を置かれ、与えられる回数が減っていってしまいます。”

とおっしゃっているのですが、『こいつに与えても得をしない』と思う以前のような…


そういえば、私の周囲で、ちゃんとお返ししてくれる人は「ラッキー!」とは言わないかも。

数人思い当たるんですけど(笑)、何か貰って「ラッキー!」って言う人に、何かしてあげてお返し貰ったり、されたことないかもしれません…。

私も誰かに何か貰って「ラッキー!」とは言わないです。
「え?マジ?いいの?ありがとう‼️」って言うかなぁ。
実はこれ欲しかったんだよ!という時に、「ありがとう」の次に言ってるかもしれない。

返報性の法則以前に、人としての礼儀な気がするんですよね。
何かしてもらって、「ラッキー!」じゃないでしょ、っていう。

ダメだと思ってたことが、たまたま上手くいったときに「ラッキー!」と、口に出すことはあります。
でもそれが誰かのおかげなら、「ラッキー!」じゃなくて、「ありがとう」だよね、と。

そういう人がお金持ちになれないのは、その感謝のなさが人に嫌われるからでは。

『計算ではなく呼吸をするように自然とやっている』ことで、人間性ってわかっちゃいますね。

「ツイてる」とか「ラッキー!」って、クレクレ星人がよく言ってる感じがします。
(ミコペディア調べ)



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