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「ダブルで得じゃん」をやめたら、世界が変わるかもしれない話
現代人の生活は、常に「効率化」との戦いをしてます。
仕事をしながら音声学習。
歩きながらニュースをチェック。
食事をしながら動画を見る。
トイレやお風呂にスマホを持ち込んで、隙間時間を有効活用する。
「一つの行動だけではもったいない」
「せっかくだから、二つ同時にやろう」
私は、そんなふうに、何かと 「ダブルで得じゃん」 という考え方をしがち。
もちろん、これは決して悪いことではないです。
現に、私も 「ながら作業」で得をしてきた側 の人間です。
時間は有限だから、同時に複数のことをこなせたら 生産性が上がる に決まっている。と。
でも最近、ふと気づいたことがあります。
この「ダブルで得じゃん」精神が、もしかしたら見えるはずの変化を阻害しているのかもしれない。と。
トイレとスマホ、お風呂とスマホ
例えば、トイレにスマホを持ち込む習慣です。
今や、これをしていない人の方が少ないかもしれない。
SNSをチェックし、LINEを返信し、ニュースを読んでいる間に「用が終わる」。
お風呂に入るときも、YouTubeを流したり、電子書籍を読んだりする。
確かに、 「何かをしながら」の方が退屈しないし、時間を有効活用している気分になれます。
でも、その一方で 「本来見えるはずのものが見えなくなっている」 ことに気づきました。
トイレにスマホを持っていかないと、
何気ない壁の模様が目に入るかもしれないです。
考えごとをして、ふと 「あ、このアイデアいいかも」 と思うかもしれないですし。
お風呂にスマホを持ち込まなければ、
お湯の温かさをじっくり感じられるかもしれない。
水の音や、自分の呼吸に意識が向くかもしれない。
私たちは、何かをしながら別のことをしている間に、
「余白の時間が奪われている」 ということを忘れがちなのかもしれない。
「ダブルで得じゃん」をやめると、見えてくること
とはいえ、いきなり「トイレにスマホを持ち込まない」「お風呂で何もしない」生活に切り替えるのは難しい。
長年の習慣は、そんなに簡単に変わらない。
だからこそ、最初から完璧を求めずに、
「10回のうち3回はスマホを持ち込まない」
くらいの緩いルールを作るのがいいですね。
実際に試してみると、意外と面白いことに気づきます。
・トイレにスマホを持ち込まないと、「思考」が生まれる。
→ 何かを考える時間って、日常生活の中で意外と少ないです。
でも、何もない時間があると、思いがけず良いアイデアが浮かんだりします。
・お風呂にスマホを持ち込まないと、「リラックス」が深まる。
→ 湯船につかりながら、スマホで何かを見ていると、頭がずっと「情報を処理するモード」になってしまいます。
でも、何もしないと、呼吸が落ち着いてリラックスできます。
・「ながら作業」をやめると、世界がクリアに見えてくる。
→ 例えば、食事をしながらスマホを見ないようにすると、料理の味や香りに意識が向くようになります。
「こんな味だったんだ」と、新しい発見につながるかも。
効率だけが正解じゃない。余白の時間を楽しむ生き方
もちろん、効率を求めることが悪いわけではないです。
むしろ、効率化によって得られるメリットは大きい。
でも、そればかりを追い求めると、
「ただ時間を消費しているだけ」 になってしまうこともある。
例えば、本を読むときも、音声で倍速再生すれば確かに早く内容を吸収できる。
だけど、その本を「本当に味わえているか?」と考えると、どうだろう。
たまには、 「ただその瞬間を感じる」 ことも大事なのかもしれない。
「得すること」より、「楽しむこと」を選んでみる
私たちは、つい 「損したくない」 と思ってしまう。
せっかくの時間を 「ただ何もしないで過ごすのはもったいない」 と感じる。
でも、本当に 「もったいない」 のは、
その時間の中で見えるはずだったものを 見落としてしまうこと なのかもしれない。
だからこそ、
「ダブルで得じゃん!」という思考を、一度手放してみるんです。
トイレにスマホを持ち込まない。
お風呂で何もしない。
食事に集中する。
そんな小さな変化から始めるだけで、
「本当は見えていたはずのもの」 に、気づけるかもしれない。
たまには、「何もしない時間」を楽しんでみるのも、悪くないんじゃないかな。と思いました。
やるぞおおおお!