ぐうの音も出ない
「うーどうしよう…行きたくない。ガチに行きたくない」
もう数えきれないほど聞いた。
彼女は毎週一、二回の葛藤の感情をダダ漏れにして話しかけてくる。
半年前に彼女は何もないところで転んで、足首とあばら骨を折ってしまった。ただでさえ体力がなかったのに、骨折中動かず安静にしていたため、余計に筋力が落ちてしまったのだ。
快復後「運動しなければならない」という強迫観念に取り憑かれて、ホットヨガのスタジオに入会してきた。
もう2カ月になるが、毎回行く日は朝起きてから繰り替えし嫌だと言っている。散々騒いで、夕方16時のクラスにようやく行くらしい。
「航ちゃん、全く全然面白くないんだよ。ツラいだけなんだよ。まあさ、終わったらスッキリするんだけどさあ。なんだかねえ。暑くて苦しいばっかりで」
「なんでホットヨガにしたの?」
「うちから一番近いし、キレイだったから」
遠いジムまで歩いた方が運動になるのに、既に判断を間違えていると思ったが黙っていた。
「アタシさぁ年齢と共に衰えるばっかりじゃん。筋力つけないといけないと思ってさ。毎月12000円払えば嫌でも行くと思って。自分を無理に縛っているんだよぉ」
彼女はお金を払って入会したら、行かなければ損だと必ず行く性分だ。
「だんだん慣れるんじゃないの?」
「慣れるまでずっと、即身仏の気分だよぉ。今日は休もうかな。」
「そうすれば?俺は会社に行くよ」
フレックス制なのでいつも12時に家を出る。俺が玄関まで行くと大学生の息子が2階から降りてきた。
「父さん仕事?俺も大学行くわ。」
「ふたりともエライ〜仕事と大学に…」
目の前の床で丸まっている彼女を息子はため息をついて眺めた。
「またごねてんの?」
息子は運動のため毎日片道10キロ自転車を漕ぎ、大学に通っている。
「母さん、最初はツラくてもツラいの乗り越えないと筋肉はつかないよ」
涙目で顔を上げ、俺と息子を交互に見る。
そして、彼女は黙ってうなづいた。
《了》