心理学と占星術はまぜるな危険
心理占星術やっとる先生方に喧嘩売る気はないんじゃけれども、いうてもユングは占星術家じゃのうて心理学者で悩めるスイスの白人のおっさんじゃけえ、ユングの説をまんま占星術にあてはめようとすると無理があるというお話です。
名古屋の講座のコラムに書いたんだけど、長くなったのでこちらに載せておきます。キリスト教社会における占星術家の立場、職業差別、人種差別、フェミニズムに踏み込んだ話でもある。
本文にも書いたけど、私は個人的に、占星術の仕組み自体が差別的な思想と偏見にまみれたものなら、それは受け入れるしかないと思っています。仕組みを作ったのは私ではなく、私はそれを利用して星を読ませてもらってる立場だから。
でも自分たちの好みに合わせて占星術の概念そのものを変えてきた人たちは大勢いたようで、そうした人たちが混在させてきたものは取り除いて読まないと、チャートの理解が混乱する。率直にいって当たらない。理解できないところを自分好みに変えたら当たらない。なのでなるべく時の試練を経た原典に当たりたい。
こうして調べていった結果、占星術の解釈にみられる偏見は占星術の仕組みそのものが持つものではなく、それを解釈する立場にいた主に特権階級の人々の思想に根差すものだという結論にいたりました。そういう後付けの解釈は外していかないとチャート解釈の精度が落ちる。
私はどうとでも解釈できるような占いだったら信頼できる相談者がいる人生相談へいった方がいいと思っています。私は占星術を天気予報くらいには信頼しており、いうなれば信頼できる気象予報士になりたいと思っています。
タイプ論はヒントのひとつにすぎない
エレメントは直観(火)、感覚(地)、思考(風)、感情(水)の象徴と解説されることがあります。これはユング心理学がベースになっています。 しかしエレメントそのものはユングが提唱したものではなく、ユングは占星術をもとに心理学を発展させたわけではありません。
彼は心理学を確立していく中でさまざまな文化に見られる神話や伝承から自身の仮説を裏付けるものを見出していきました。そしてエレメントの概念は彼が提唱したタイプ論と一致すると考えたのです。
しかしエレメントとユングのタイプ論には本質的に相いれない要素があります。ユングが対立した要素として述べた思考と感情、直観と感覚はエレメントとしては対立しておらず、二つの軸と(そして熱冷乾湿という四つの極)の働きと比較すると矛盾しているという点です。
実際チャートを読むときユングのタイプ論をベースに読んでいくと数々の矛盾が生じることがわかります。ではなぜこのような誤った概念がこれほど広く信じられるようになってしまったのでしょうか。
占星術が特権階級に独占されていた時代
まず最初に考えなければならないのは、手相やタロットなど庶民のあいだで広まった占術と違って占星術は学問としてはじまったということです。占星術を学ぶには高価な万年暦を手に入れ、貴重な紙とインク、そして読み書きと数学を学ぶ教育の機会をえる幸運に恵まれなければなりませんでした。
西洋でこうした立場につけたのは主に身分の高い白人男性でした。そして彼らの多くは望むかどうかは別としてキリスト教文化の影響を強く受けていました。教会が国家と比肩するほど力を持っていた時代には、占星術が悪魔的、背教的なものではないと理解してもらえなければ社会的に抹殺される恐れもありました。
残念ながらこうして生まれた文化的、社会的な偏りは占星術の理解にも影響しています。チャートを分析するとき、また占星術の解説書を読むときにこうした先入観に染まらないよう注意する必要があります。
たとえば6室はかつて奴隷のハウスと呼ばれました。占星術に携わることがいまよりもっと贅沢なものだった時代の貴族たちにとって、人生の厄介ごとを引き受けるのは奴隷の役目だったからです。現代ではこの解釈を自分のチャートに当てはめる人はいないでしょう。しかし役割を性別で固定する傾向は未だに根深く残っています。
月と金星は女性天体と呼ばれますが、これを年齢域に当てはめると女性の生涯は思春期を終えたのちは妻、母になる以外社会的な役割がないということになります。実際そのような根拠にもとづき太陽は父、または夫であり、女性は主体的な働きを男性に託すと読む占星術家もいます。しかしいうまでもなく女性であれ、男性であれ、人は誰でも主体的に自由な決定をする意思があり、共感と愛情を向ける対象を持ちます。
こうした歴史的背景を念頭にユングのタイプ論がどのようにエレメントにとって換わられていったかを考えてみましょう。
エレメントは男女で区分できるのか
ユングは直観と感覚、思考と感情はそれぞれ対立するという仮説を立てました。そして男性サインと呼ばれる火と風のエレメントに直観と思考を、女性サインと呼ばれる地と水のエレメントに感覚と感情があてはまると考えました。彼は易にも興味を持っていましたが、易における陰陽が女性と男性の象徴であるように男性サインと女性サインは対になると考えたのかもしれません。
ユングはタイプ論のなかで「男性は論理的、女性は感情的」であると主張しました。ユングによれば「女性は本質的な意味では論理的に思考することはできない」のです。しかし果たしてこれは論理的な思考でしょうか。
女性は論理的に物事を考えることができないというのは彼の時代に蔓延していた(そして現代もしばしば根拠なく繰り返される)非科学的な発想です。私たちは彼を絶対的な真理を知る教師ではなく、それを模索していたひとりの人間としてみること、また当時のヨーロッパの文化の中で白人として生きた古い時代の男性の一人であることを念頭に置く必要があります。
もちろんそれがどれほど差別的な偏見に満ちたものであったとしても、占星術そのものがエレメントをそのように規定しているなら、現代に生きる私たちの感覚でそれを都合よく曲げることはできません。「現代は家庭の中心にいるのは母だから4室は父ではなく母で解釈するべきだ」とは言えません。
しかしエレメントを理解するにはユングの仮説の正当性を問うことよりも、大元の概念である温度と湿度の軸と熱冷乾湿という4つの極の相関性に注目する必要があります。温度と湿度を図にしてみると彼が対立すると考えた火と地、風と水のエレメントは湿度の軸で結ばれており、あきらかに対立関係にありません。ではなぜ彼のタイプ論はここまで広くエレメントの概念として広まってしまったのでしょうか。
占星術家たちのコンプレックスと心理占星術
近代に入って占星術が庶民のものになると、占星術は庶民文化の影響をうけるようになりました。
カウンセリングとセラピーブームがヨーロッパを席捲するようになり、人の気質は先天的なものより後天的な影響の方が大きいと考えられるようになると運命論より自由意志と自己決定権の重要性が強く叫ばれるようになります。
こうして吉凶と運命を読みとるチャート解釈からチャートをさまざまな可能性を持つ心理的な傾向として読むことが提唱されるようになりました。「悪いアスペクト」「不運なハウス」という表現にかわって「チャレンジングな」「イレギュラーな」とった表現が好まれるようになっていきます。
やがて心理学と占星術を融合させた心理占星術が生まれると、(実際には占星術に関して門外漢である)ユングの仮説はあたかも裏付けのある事実であるかのように占星術の世界に入り込み、火と地、風と水は対立すると考えられるようになりました。
人の心がその人の世界を形作るのだという心理占星術の考え方は、それまでの逃れられない宿命として吉凶を予言する占星術の重苦しさに希望を与え、新時代を予感させるものでした。
同時に「心理占星術」という名称とユングのタイプ論に基づくエレメントの解釈は、この技法に世界的な心理学者として名をはせていたユングのお墨付きがあるかのような印象を与え、占いとは一線を画した学術的な根拠に基づいた学問であるかのような錯覚をもたらしました。
これは占星術家たちの傷ついたプライドをいくらか回復させる効果もあったことでしょう。占い師を取るに足りない、怪しい、そして人を煙に巻くいかがわしい職業として認知する文化はいまも根強いものだからです。
占星術は古代カルデアで知識階級の学問として登場し、天文学の一部として信頼されていた時代を経て、現代ではオカルトのひとつとして扱われています。
そのせいか数ある占いの中でも学とつくジャンル、統計学、心理学といった社会的な信用をえている学問に寄せて占星術の正しさを証明しようと果敢に挑戦した占星術家が大勢います。(インドでは実際に「占星術は学問である」として国家を相手取った裁判を起こし、勝利したインド占星術家がいます。インドにはインド占星術の大学があります。)
しかし占星術を理解するためには伝聞ではなく元のソースに当たることが必要です。つまり後代につけ足されたキリスト教的な解釈や心理学との共時性を拾い集めるよりも、先に本質的な概念を知り、後代の解釈と相互に比較する必要があるのです。
古典的なエレメントの概念とユングのタイプ論
一人の心理学者が提唱した概念が占星術の古典的な知識にとってかわられ、温度と湿度という二つの軸と四つの極からなるエレメントの概念が失われつつあることは占星術の歴史における悲劇のひとつです。幸い現代に生きる私たちは現代の日本語に翻訳された古典の書籍をクリックひとつで手元に取り寄せることができます。では最後に二つの軸からなるエレメントがどのように構成されているかおさらいしてみましょう。
火と地は乾という共通点を持っており、風と水は湿を共通項として持っています。ユングが提唱する直観、思考、感覚、感情に置き換えると直感と感覚には外部の影響を遮断して内面に集中するという共通点があり、思考と感情には自他で互いに影響し合うことで勢いを増すという共通点があることになります。
実際に感覚は直観を打ち消すものではなく、感情と思考は両立可能です。
値段を知らないワインが高級かどうかを当てるとき、私たちは自分の舌に頼ります。これは直観を働かせるために感覚を駆使している、つまり火と地が協力関係にある状態です。対戦相手の体格から力量を見極める、災害に直面したとき微かな空気の流れから脱出口を見つけ出す。これらは内面の感覚に集中することで直観を研ぎ澄ませる典型的な例です。
感覚は直観を打ち消すものではなく、火と地は乾の力で共闘することができます。
また他者の考えを知ることは客観的な視点をえて感情移入をする助けになります。これは思考と共感が補完し合っている、つまり水と風が連動している状態です。思考と感情には湿という共通項があり、湿は他者と繋がった状態で物事を見る力を持っているのです
「感情的な意見」はしばしば「非論理的な意見」と混同されがちですが「論理的」の反対は「感情的」ではなく「非論理的」です。
確かに強い感情はときに混乱を招くこともあります。しかし感情自体は必ずしも論理性を欠くものではありません。また感情がたかぶるか、鎮まるかはどのように考えるかによるところも大きいものです。
うつ病の改善に用いられる認知行動療法にはこうした思考の癖を改善することで感情の波を整えていく効果があることが実証されています。これは思考と感情、つまり風と水が連動しているひとつの証拠といえます。
一方、直観的に覚えた疑念を詐欺師の口車に乗せられて打ち消してしまうとき、鋭い勘を鈍らせるのは偽りの情報です。風と火は熱という共通項を持っていますが、風は湿っているのでよくも悪くも火の集中力を弱め、勢いを曲げることがあるのです。
また快、不快といった感覚は対象への愛着に大きく左右されます。「あばたもえくぼ」は感情が感覚を凌駕している状態です。これは水が地の感覚を鈍らせているともいえます。地は乾いているので湿った水によって感覚を麻痺させられることがあるというわけです。
心理占星術でサインのエレメントにもとづいてチャートを感覚型、直感型と分類することもあります。しかし惑星そのものが持つエレメントを考えれば人が持つ本質的なエレメントの数はすべて同じです。火と地に対立はなく、風と水は打ち消し合うわけではありません。それらは時と場面によって協調したり相殺したりしながら互いに影響し合っているのです。
4つのエレメントに強弱や善悪はありません。
火と水は温度も湿度も一致する極を持ちませんが、人の情は主に火と水に宿ります。同じく風と地も一致する極を持ちませんが、土星と水星に象徴されるありのままの現実を正しく運用するには風に、つまり希望と善意にかかっています。
まとめ
複雑な概念を身近なものに置き換えて理解するのはとてもよい学習法です。エレメントをユングのタイプ論による分類、つまり直観、思考、感情、感覚にたとえて考えることはエレメントの理解に役立ちます。しかしエレメントそのものをタイプ論で解釈するのは本末転倒です。ユングは占星術家ではなくひとりの心理学者、そしてスイスの悩める白人男性のひとりであったことを忘れないでください。