カップとコーヒー スプーンとタロット
占い系カウンセラーとしてデビューして数か月。お客様の数も日頃増えている実感がある。占い師として、ショッピングセンターの片隅などに座っているとふらっとお客様が現れる。
占いに慣れている方や、初めて占いに来られた方もいる。でもまぁ、ほんとは初めてじゃないのに初めてだという人もきっと多い。僕がそうだから。
色んなお客様がいて、色んな相談を持って来られる。中には興味本位で悩みがないのに来られる方もいる。その一瞬の立ち居振る舞いにその人の人生が全て濃縮されている。そんな気がする。
フラクタルという考えがあって、部分には全体が投影されている。だからこそたった1回のカウンセリングや占いであっても、そこでのやりとりがじわりじわりと人生全体に影響を与える。
コーヒーに入れた砂糖は時間を掛けて全てに甘味を浸透させる。それと同じ。
目の前に座られたお客様はこちらとは目線が合わない。緊張と警戒心が見て取れる。視線を合わせることには大きなエネルギーがいる。一方でこちらを真っすぐと見つめてこられる方もいる。
僕がお客様を観察するのと同様に、お客様も僕を観察しているのだ。対人関係における相互作用が、「いま・ここ」で再現されている。
対人関係の悩みについての相談だった。タロットカードを展開しながら、お客様の連想を膨らませるように質問を投げかける。先ほどまでの緊張がウソのようにどんどんコトバが溢れてくる。
「いま・ここ」において、お客様においての最もリアルな人間関係は、僕との関係である。この関係の取り方をどう調整するかでその人の対人関係全体に影響を与える。
またこの場においては、僕とお客様との間にタロットカードという第3の存在がいる。お客様と僕がコーヒーと砂糖ならタロットカードはスプーンのような役割を果たしてくれるのかもしれない。
タロットカードは時間という概念にも介入する。次元を超えた魔法の作用を持つ。
セッションが進むにつれて、僕の連想を超えた連想や解釈を投げかけてくる感覚すらあった。ここにおいて僕とお客様という境界線がなくなった。コーヒーと砂糖という区別はもはや出来なくなった。いや、する必要がなくなったのだ。
スプーンですくったコーヒーは、カップ全体のコーヒーの味わいと変わることはない。フラクタルの元型である。
ここでカップはからだという現実的な枠組みを象徴する。占いにセラピーとしての一面があると認めるならば、からだへの影響もあるというべきだろう。
「カップとコーヒー」は「からだとこころ」と言い換えることができる。そうであるならば、からだとこころを繋ぐスプーンとしての役割がタロットカードにはあるということになる。
お客様は最後に僕の目を一瞬見て、わずかな微笑みを見せた。「また来ます」と言って席を後にされた。
順番を待っていた別のお客様が入れ替わるように席に座った。こちらを真っすぐと見つめ、わずかな微笑みを浮かべながら「また来ました」と一言話された。
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