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ただの占いじゃねぇか、こんなもん

「ただの歌詩じゃねぇか、こんなもん」
と、ある天才シンガーソングライターが叫んだという。

彼は独特な歌い方と語感を重視した歌詩を書くため、「聞き取り辛い」「意味がわからない」、、などといった一部の批判を浴びた。そのことに対しての叫びらしい。

彼の曲作りの過程をTVで見たことがある。それを見た僕の感覚だが彼は歌を作るときに集合無意識にアクセスしているとしか思えないのだ。

まずは耳馴染みの良い適当な音を口ずさみ、作曲をする。そしてそこに合いそうなコトバを日本語や英語、外国語、場合によっては造語を作り上げて当てはめていく。

確かに意識的に歌詩の意味を考えるというよりは、耳馴染みを優先しているので、歌詩の意味はないという批判も理解できるし、彼もそのつもりなのかもしれない。

しかし、、例えばある歌の歌詞がとあるマイナーな歴史上の女性をモチーフにしたとしか思えない歌があるそうで、そのことを指摘されると彼は「その人のことは全く知らなかった」というのだ。

これは歌を作る作業(オプス)の中で、彼の中に歴史上のその女性と集合無意識レベルでシンクロした結果、そのような歌が出来上がったと僕は考える。

なのでただの「歌詩」ではなく、とんでもない意味を込められた「言霊」なんだと僕は思うのだ。

そして、他にも数多くの曲を彼は生み出しており、中には明らかにふざけたようなそれこそ意味不明の曲もあり、中には政治問題やスピリチャアルティの世界観を歌っているようなものもある。

しかし、そのようなシビアな歌は非常にそれと分かりづらい形で表現されている。
本当に大事なものは隠されないといけないのだ。

オカルトとは隠されたものであり、タロットのアルカナも無闇に公開してはいけないと言われている。

あるときは彼はインドネシア語のラップで歌詞カードにすら表記されない形でスピリチュアルメッセージを歌っている。

遥か以前から光り輝く星を見つめる時、涙ぐんでしまう。人間の存在、肉体、それらは、宇宙からの言霊(ことだま)を記憶するのだ。

明らかに、何か意味ありげな歌詩である。それこそ「ただの歌詩」とは思えない。

だけれども、彼はあえて「ただの歌詩じゃねぇか、こんなもん」と叫ぶのである。
半分冗談で半分本気で。

占い師のコトバも、ただの占いの結果から導きだしたものにすぎない。

だけれどもそのコトバが大きく人生を変えることだってある。

その自覚を持って、占いをしている。

カードやホロスコープ、そして目の前のクライアントさんの雰囲気を見て話す僕のコトバは曲作りと同じなのかもしれない。

協奏曲としての、メッセージ。そう、紛れもなくそれは

「ただの占いじゃねぇか、こんなもん」

と言っておこう。

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