人生いろいろ有りすぎて笑える
別アカで親権変更の事のみを書いていこうと思って書いていましたが、なんだか面倒くさいのでまとめることにしました。THE ものぐさ。
本記事では
①自己紹介と人物紹介
②離婚→元夫へ親権変更→元夫から親権奪還になった経緯
などを、親権変更にまつわる人物などの補完内容です。
こんな経験、滅多に起きないだろうと思い記録として残すことにしました。
必ずしも同じ経験をする人が居るとは思いませんが、何か役に立つ情報を共有できればいいなと思っています。
それではどぞ。
自己紹介&人物紹介
AMUKO(@you)
私。書いてる人。
33歳。
パートナーと同居中。
専業主婦という名の自宅警備。
豆腐メンタル。
パートナー:ととさん
4年くらい交際中。
子供たちとも仲良し。むしろリスペクトすらされてる。
ちょっと昔気質なタイプで「男が稼いで養うのが普通」という思考の持ち主。その割に家事も率先する働き者。夫の鑑か。
息子①
中学1年生。
サッカーにひたむきな色黒男子。GKに情熱注いでる。
TikTokとYouTube好きで、やたら”すとぷり”を推してくる。
ととさんにリスペクトし、恋愛相談もしていた(私は知らんかった)
昔から大人びた性格をしていて、最近は拍車をかけて論破してくるようになった。その辺もととさんに倣ってる気がして恐ろしい。
息子②
小学4年生。
お兄ちゃんといつも一緒。その割に自由奔放。
ゲームが何より楽しいゲーマー。口を開けば「ゲーム買って」。
常にポーッとしてるけど本能のままに動くから、よく顔面から転ぶ。鼻の下擦りむくって何事。本人は結構マジメだけど笑わせてくれる。
元夫
モラハラ男。
浪費大好き。
無職なりがち。
ロースペックの持ち主。
息子2人にも見放されている。
元義母
この親ありて元夫あり。
被害妄想の塊。
知識浅め。
とりあえず喚けばいいと思っている。
これまでの簡単な経緯
2014年 離婚
離婚原因はモラハラ。
無職中にも関わらず毎週飲みに出ては散財。
挙句の果てには私のクレカを寄越せ!と言い出し飲みに行く始末。SEXを拒むとブチ切れるという日々を繰り返し、疲れたのでお別れしました。
その時は普通に私が親権を持っていました。
2016年 復縁?
もう・・・ただただ私の馬鹿野郎としか言えません。
こんな奴がまともになる筈もないのに、変わったのだろう、やり直してみようと勘違いした私が馬鹿だった・・・。
モラハラ男は磨きを掛けて再登場。
私の生活をぶち壊していきました。
2016年5月ごろ 私、家出
私名義のアパートから私が家出するのもおかしいんですけどね。
喧嘩したので頭を冷やそうと実家に戻ったら「母親失格。クソ女」とか色々汚い言葉だらけの長文メールを送り付けられ、帰るに帰れず。
加えて着信も毎日100件近くあったかな。身の危険すら感じるほどでした。
とりあえず身を隠そうと思い、新しくアパートを借りて実家からも避難しました。キレると何するか分からないタイプだったのでね。
その間子供たちはというと、元夫がガッチリガードしており連れ出せず・・・いや、考えれば連れ出すチャンスはあったかもしれませんが、その時は冷静な判断なんて出来ないほど追い詰められていました。無念。
2016年6月ごろ 1回目の警察沙汰
長くなるので箇条書きにします。
1.話し合いの場を居酒屋で開いた(人目が多い所がいい)
2.仲直りできたと勘違いしたのか、家に帰って来いと言う。
(実際には話し合いの論点をずらされて何も解決できてない)
3.それを振り切って新居へ帰る。
4.ブチ切れた元夫から電話で「居酒屋代払え!!!」と罵声を浴びる。
居酒屋代を払ったのはヤルためだったと言い放ったクズ認定者。
5.最終的に「お前の裸の写真、ネットでもどこでもばらまいてやるからな!!」とリベンジポルノを仄めかす捨て台詞を吐き切電。
そんな写真いつ撮ったんだ。
6.翌朝、実家の母から電話があり「夜中にガンガン玄関叩いてた」と元夫の奇行報告受ける。青ざめるやらゲンナリするやら。
7.リベンジポルノを仄めかす発言もあったので女性相談所へ電話。アドバイスを受け警察へ連絡し、役所で住民票閲覧制限の措置をしてもらった。
8.後日、元夫は警察に呼び出されたらしい。注意くらいで終わったのかな。あまり事細かには教えてもらえなかった。
9.そこから元夫との連絡を一切絶った。
2016年6月下旬 突然の親権変更調停のお知らせ
前回の居酒屋での話し合いで「法律とかにちょっと詳しい人が居てさー」とか言ってたので恐らくその人の入れ知恵なんだろうと思う。元夫自身は「行政は敵」としか思ってないので。
この時点で私のメンタルはボロクソ。おぼろ豆腐なみにぐっちゃぐちゃ。元夫と連絡は取らなかったが一方的にメールや着信は入りっぱなしなので回復する暇もなかった。
しかもアパートを2部屋借りてる状態だったので昼も夜も働いて寝てもなかった。初めての調停に勤しむ元気なんかあるわけないが、無視もできない。
毎回胃をキリキリさせ、調停員さんに「顔色悪いけど大丈夫?辛いよね」と心配されながら家裁に通ってた。
2016年11月 調停終了ともに親権喪失
今でもその時もっと元気だったらと思う。
収入の多い昼間の仕事をしてたら良かったのにと思う。
私は精神面のボロクソさと、収入の低い昼間の仕事(さすがに夜の仕事は言えなかった。アパートを解約するまでの短期間だったし)のWパンチで親権を失った。
もう少し言うと、元夫はすでに子供たちを転校させていて、元夫の実家の近くへ引越し「子育ての環境は整えました」と言わんばかりの状態で挑んでいた。私は『数か月でまた子供たちを転校させるのは可哀想かな』とか考えてしまい折れてしまった部分もある。転校させないために元夫の家の近くに住むなんて事は一切考えられなかった。そんな自らトラブルの中に入っていくなんて自殺行為と変わらない。
調停員も子供の環境を重視するのが当然だから、私がすでに子供たちが通っている学区内に引越す気がなければ難しいとさえ言っていた。当り前なんだけれども悔しい。
現在 2回目の警察沙汰で息子’sが一時保護される
事の発端は、元夫の相変わらずのモラハラ発言のブチ切れ行動に息子①がキレて兄弟そろって家出したことだった。
家出と言っても近くの元夫の実家なんだけれども。
1週間ほど祖父母の家に居て、そこでもまた面倒なことになり、私の兄の家へ避難させたら、今度は祖母から「誘拐よ」と警察に通報され警察沙汰に。
結果、兄の誘拐疑惑から、父親からの児童虐待に切り替わりそのまま警察から児相へ一時保護されることになった。
ただいま親権変更調停中
そんな流れで今回の親権奪還の記録を取ることにしました。
書いていくことで私自身の安定にも繋がるので。私が安定していれば子供たちは確実に守れると思うから。
正直、今回の件で一時保護やその間の親権変更などの情報が少なすぎて困りました。いや、今でも困ってることもあります。あまり大きい声で話す内容ではないのかもしれませんが、こういった状況での不安は何よりも耐え難いです。
不安を少しでも解消できるよう、自分自身のために書いていきますが、いずれ似たような状況になった人の役に立てたらと思います。
長くなりましたが、最後までお読みいただき有難うございました!
過去のことも交えつつ、noteを書いていこうと思いますので宜しくお願いします。