6/24 第1回調停日
東京のとある1Kマンションのひと部屋に住む私と、地元のとある市のとある場所に住む元夫と息子2人の、小さくて大きな長期バトルが始まった。
ッファイ‼‼
息子’sが家出騒動を巻き起こして約2か月。
ようやく在りつけた親権者変更の第1回調停日。
コロナの緊急事態宣言で行政機関パンク状態のなか、いつ調停を始められるか分からないと調停係の受付に言われながらも、しつこく「子供が虐待されてるって警察も児相も認めてるんですよ!このまま虐待する親権者のもとに長く留めとくんですか!」と電話でまくしたてた5月後半。
私、モンスターか。
そんな気分にもなりつつ、「いや、でも、それでも緊急性を判断するのは家裁だから言うだけ言わねば」と、いつもの流れに流される大人しくしおらしい性格を封印し、母性の凶器を発揮。
そして決まった調停の期日は2020年6月24日。
東京から地元家裁とをテレビ会議システムを使ってリモート調停しようと思っていたものの、期日が決まった6月の初旬では東京家裁がまだコロナ対策に追われていてテレビ会議システムの予約が出来ず、結果、地元に飛んで直接調停することになった。
私は調停日の朝に東京から発ち、お昼からの調停に合わせ、開始時間の3時間前に地元に到着。
余った時間にしっかり縁切り寺で縁切りして挑む抜かりなさ。
切りたもーれぇぇぇえ!
そしてタクシーに乗り込み「〇〇家裁まで!」と鼻息荒く運転手に告げる。私の心臓は緊張でバクバクして張り裂けそう。2度目といえども慣れるものじゃない。
タクシーの運転手は陽気に言う。
「え、それどこー?」
っは?!・・・裁判所知らんの?!
「縁がないからね~。はっはっは」
いやいやいや、いやいやいやいや・・・・・タクシーの運転手でしかも中心街回してるなら目立つ場所くらい知っとこうよ。ここから5分くらいのとこやぞ。私がじもってぃーじゃなかったら引くぞ。じもってぃーでも引いてるぞ。
若干引きつった笑顔で「この辺の~」とか教えながら、無事到着。いや、隣の普通の裁判所で降ろされたから無事じゃないけど。
私が行きたいのは家庭裁判所なのよ。家庭な。
陽気な運転手は嫌いじゃないけど、今日はダメ。あかん日です。
時計を見るとまさかの調停開始10分前。予定じゃあと5分か10分早く着くはずだったんですけどね?こんにゃろ。
タクシーから急いで降り、旅行バッグとリュックを抱え、隣の家庭裁判所に走る私の心臓は違う意味でバクバクし始め、見慣れた調停受付の部屋に走り、待合室で待つかと思いきや、そのまま調停室に案内され調停が始まった。
息も上がり、汗だらっだらの状態で入った部屋には、調停員2人と調査官1人の計3人がすでに鎮座。気まず。
「ぉ、お待たせしてすみません・・・(一応5分前)」
調停員①(女性)「いえ、大丈夫ですよ~。落ち着いたら始めましょう」
優しそうな還暦越えのおば様調停員①さん。
調停員ってだいたい警察などの法執行機関の退職者がなるらしいので、ほぼ65歳オーバー。前回は30代か40代くらいのお姉さんだったけど。
コロナ対策ということで、前回の調停と違ったのは、机の真ん中に透明ビニールのカーテンがぶら下げられていて、おそらく書記官と思われる人物が同席していないこと。
前回は4人態勢で囲まれて調停してました。
ひと部屋に入る人数を減らしたんでしょうね。
それと、申立人と相手方が同席しないスタイルの調停を前回も今回も望んでいたんですが、前回はひと部屋に調停員と調査官と書記官が待ち構え、1人ずつ交互に面談して1事件1部屋という形でしたが、今回はコロナ対策ということで待合室が使えず、1事件2部屋で申立人と相手方がひと部屋ずつ割り当てられ、調停員と調査官が移動する形になっていました。
このせいで1日に出来る調停の数が減ってるらしい・・・。そりゃ調停が進まないよ。コロナめ。
1回目の調停の流れは・・・
最初の調停の流れは、だいたいこの申立てをした詳しい事情説明の場という感じです。
んが、私の場合、4年前にも親権者変更の調停を行っているため「なぜまた親権者変更が必要だと思ったのか?」という、ちょっとチクッと針を刺してくる質問から始まりました。
そうコロコロと親権者を変えるのは良くないと言ったでしょーが!
と、調停員と調査官から厳しい目で見られます。痛い。
ですが、そこは豆腐メンタルの持ち主の私でも想定していれば怖くない!それをしっかり伝えるために来たんですよ!
突き刺さる視線をかわしながら私は
①4月に起きた息子’sの家出騒動。
②警察を巻き込み虐待と判断され児相に一時保護された経緯。
③現状、親権者である父親を恐れ祖父母の家に避難していること。
④息子’sは家出したその日から私の元で暮らしたい、親権者変更をしてほしいと強く望んでいること。
⑤前回親権者変更をしたあとに、家庭環境が悪化しているため親権者変更は必須と感じていること。
を力説し、30分の面談が終わりました。(調停は30分区切り)
走ってきて息上がってるし、マスクで息苦しいし、普段より大声じゃないとマスクとビニールカーテン越しじゃ聞こえないしで、30分喋っただけでグッタリです。普段大声出さないから余計に疲れる。
私との面談が終わると、調停員と調査官は隣室へ移動し相手方である元夫の面談に移ります。手作りパーテーションを小脇に抱えた調査官がなんとも可愛らしかった(枯れ専好きの性)
相手方が面談している最中は休憩時間になるので、御手洗いに行ったり、喫煙所が敷地内にあればタバコ吸いに行ったり自由にさせてもらえます。
30分後。
相手方の面談が終わり、再度私の面談になります。この日最後の面談です。
調停員①さんが穏やかに
「相手方との大まかな流れの認識に違いはないようですね。他に何か聞きたいことがあれば・・・」
と、調停員②さんと調査官にバトンタッチ。
調停員②さんからは、申立書に書いていることや、相手方から聞いた話の事実確認という感じで細かいすり合わせをしているようでした。
その確認が終わると、横で聞いていた調査官が待ってました!とばかりに「これと、これについて聞きますね!」とグイグイ前のめりで質問タイムに突入。
前回の調査官はあんまり何も言ってこない人だっただけに、若干引く私。人選でこんなに違うのか。
調査官からは、相手方は今回の息子’sの行動は反抗期の行動でしかないという認識であるため、児相に行って調査をする必要性があり、私と元夫から児相に連絡して、これまで児相で面談した内容や息子’sとの面談の内容を調査官に公開してもいいですよと許可を出してほしいとの話でした。
え?・・・あれ?
・・・聞き間違いかな?
違う?当たってる?
え、アイツ、反抗期で済まそうとしてんの?!
ふざけんなー!( ゚Д゚)
反抗期で児相行くかよ!!!!
反抗期で2か月父親と会わないとかあるかよ!!!!
バカにも程がある!!!!
つい2分前までは「なんだか今回の調停は穏やかだな。イライラする質問されないな」とか思ってたのに、最後の最後に爆弾投下された気分。
恐ろしや元夫。
ちょっと衝撃で頭が真っ白になりながらも、調査官は構わずグイグイ続けます。
次は「子の監護に関する陳述書」というものの提出を求められました。
子の監護に関する陳述書とは、職歴や健康状態、収入、住宅事情などの記入と、親権が変わり監護することになった場合、子供に対してどう接するかや、私以外に監護を助けてくれる監護補助が近くに居るか、非親権者の間どのように子供たちと接してきたのかなど、ここぞとばかりに「私が親権者になったほうが良いに決まってる!!!!」と主張できるものです。
現親権者の元夫にも、監護者用で作成された陳述書の提出が求められていました。
地元の家裁はそれ専用の用紙を作っているようですが、地域によっては自分で作成して提出するところもあるようです。
というか、これまで何度か家裁に資料提出してますが、決められたフォーマットというのは特にないらしく、家裁毎に用意はしてあるけど、内容が分かれば特にフォーマットに拘らないって感じです。
「この文面を書いてもらえれば、OKです」
って、よく担当の書記官に電話で言われます。ちょっとやる気のないチャラい喋りの書記官がいるんですよ。
話が逸れました。
この日最後の面談は、陳述書の書き方や、次回の調停時には児相へ調査した際の調査報告書と双方の陳述書の内容を踏まえて調停を行う流れになるという説明を受け、次回の期日の調整をして終了しました。
次回の期日は8月12日。
・・・2か月!なっが。
コロナの影響とは言え・・・普通の月1回の調停ですら4~5か月掛かるのに、さらに倍の時間が掛かってるのは何とも辛い時間です。
年内で終わるのかしら。
8月の調停は東京家裁からのテレビ会議システムを使えるようにしてもらいました。毎回地元に帰ってちゃ、金銭的に破滅しますからね。いくら飛行機代が安くなったとは言え・・・。
軽くまとめ
待ちに待った第1回調停は
①申立ての内容確認
②申立て内容の詳しい説明
③相手方と認識に相違ないか確認
④児相が関わっているため、児相への調査許可
⑤今後、子供を監護するための「子の監護に関する陳述書」の配布と期限内の提出依頼
⑥次回調停日の調整
こんな感じの流れで終わりました。
家裁から帰るときは、1回目の調停が終わった安堵と、元夫が「息子の反抗期の行動」だと思っているというあり得ない認識でいる事態にイライラとムカムカが止まらず、母親とパートナーに電話しまくって愚痴ってました。
長々となりましたが、最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。次は2回目の調停までの間に行ったことと、2回目の調停を書いてみようかな、と思います。
でわでわ。