ウマ娘で学ぶ競馬史 #20 世紀末覇王 (1999〜2000)
みなさん、競馬やってます?
どうも、生涯収支マイナス1万円くんです。
レースは賭けずに見た方が数倍面白いぞ。当たった時は数億倍面白いがな!ガハハ!
というわけで今回は生涯獲得賞金20億円弱くんの解説となっております。
ようやくアニメウマ娘の時代から抜け出しました。
ここからの歴史は未知の領域な方も多いはず。
気合い入れていきます。
どの馬とも異なる、「ディフェンディングチャンピオン」として君臨し続けた孤高の栗毛。
不世出の歌劇王の魅力について語ります。
↑前回
黄金時代はまだつづく
サニーブライアンから始まりメジロブライト、ステイゴールド、サイレンススズカ、タイキシャトル、メジロドーベルと大名馬が名を連ねたクラシック97世代。
グラスワンダー、エルコンドルパサー、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、エアジハード、ファレノプシスが揃った狂気の98世代。
しかし日本競馬の極致はここではなかった。
三世代連続で顕彰馬が誕生した時代。
日本競馬はある種の伝説に至る。
嘘のような本当の話、世紀末覇王伝説へ。
新三強時代
1998年は、2歳世代も活況を呈していた。
前々回で語ったアドマイヤコジーン、アドマイヤベガの2歳戦。牡馬2歳戦線をアドマイヤが制圧し、ここからアドマイヤ全盛期が始まるかと思いきや、コジーンが故障。アドマイヤベガも次走で足を掬われる。
妨害こそしたものの、すんごい脚で1位入線した新馬戦から始まり、未勝利戦すっ飛ばして1勝クラスを余裕勝ち、GIIIで快勝したアドマイヤベガ。
で、朝日杯勝ち馬が長期離脱となると、やっぱイメージとして世代最強と見てしまうのは当然。
弥生賞でも単勝1.5倍だったのだが…
ご覧の通り、差し届かず。
ベガが足りなかったか、勝ち馬が強かったか。
間違いなく後者だっただろう。
離れた2番人気だったのは、きさらぎ賞で単勝1.3倍の朝日杯2着馬エイシンキャメロンを負かした実力馬、ナリタトップロードだった。
ナリタトップロードの鞍上は渡辺薫彦。
決して飛び抜けて上手かったわけではなく、人気があったわけでもない騎手だったが、この馬がきっかけで人生が好転する。
一強体制は崩れ、舞台は皐月賞へとなだれ込んだ。
皐月賞でも1番人気アドマイヤベガ、2番人気ナリタトップロードの攻勢は変わらず。
3番人気に札幌3歳(現2歳)ステークスを5馬身差で勝利した若葉S勝ち馬、マイネルプラチナムが浮上した。
この年のクラシックは、どこか“あの年”に似ていた。
抜けて上位人気の2頭、うち1頭は安定感があるものの若干の不安点あり、残り1頭もあくまで優等生で少し決め手に欠ける部分あり。そして皐月賞本番…
外から伏兵が強襲する。
最初の輝きは、挑戦者としてのものだった。
後に最強として君臨する王は、高らかに勝利を謳う。
世紀末覇王
テイエムオペラオー
父 オペラハウス 母父 ブラッシンググルーム
26戦14勝[14-6-3-3]
主な戦績
グランドスラム(古馬王道GI同一年完全制覇)
年間8戦無敗 春天連覇 皐月賞 京都大賞典連覇
99世代
(このCM見たさのために全GI馬をウマ娘化してほしいくらいには好き)
6年前、ビワハヤヒデとウイニングチケットが競り合う中、後ろから突っ込んできた伏兵ナリタタイシンと武豊。
今度は豊とナリタが差される側となった。
テイエムオペラオー鞍上は期待の新星、和田竜二。
競馬学校花の12期生の1人で、ウマ娘でもおなじみの下ネタパドック解説の人、細江純子や、福永祐一と同期。その中でも腕は一番とされていた。(当時は)
再び三強時代が到来した99世代。
そして夢の日本ダービーへ舞台は動く。
経験と執念
日本ダービー。そこは一生に一度の夢の舞台。
全ての騎手の憧れの場所。
他のGIとは求められる力も、要素も全く異なる。
冷静さが最大の武器。慣れこそ全て。
騎乗経験でなく、ダービーの経験がアドバンテージ。
ナリタトップロード鞍上、渡辺薫彦。
重賞初制覇はナリタトップロードのきさらぎ賞。
テイエムオペラオー鞍上、和田竜二。
数えで22歳、ダービーは2回目の挑戦。
アドマイヤベガ鞍上、武豊。
牡馬、牝馬共に三冠制覇済。ダービー連覇を狙う。
この時点でもう結果は決まっていたのかもしれない。
ダービーの経験が浅いと、「焦り」が出る。
皐月賞ならむしろそのくらいがいい。中山は短いから早めに追い出すのがベスト。
しかし、ダービーは東京競馬場。直線がめちゃくちゃ長い。
そんな中で焦ってしまうとどうなるか。
直線で抜け出し、バテて沈む。
1999年ダービーはその参考資料だ。
早めに仕掛けたオペラオーを交わしたトップロード。
その更に後ろから、一等星がゴールへと流れる。
様々な想いを背負い、アドマイヤベガはダービー馬になった。
弥生賞から2連続の輸送のストレスで、大幅な馬体重減で迎えた皐月賞。陣営のケアマネジメントでベストの体重、馬体に戻して迎えられたこの一戦。
橋田調教師にしてみれば、サイレンススズカで「取り逃した」ダービー。ここで勝たないと後がない。今までのノウハウの全てを賭けて臨んだ戦いだった。
そして武豊は昨年のスペシャルウィークに続いて今年も勝利。史上初の日本ダービー連覇の瞬間だった。
武豊は行くところまで行った。
ここから更に数年後に第2の全盛期が来ることは、まだ誰も知らない。
頂点の景色
三強は夏を越え、一回り大きくなって秋に臨む。
オペラオーはセイウンスカイに倣い、菊花賞制覇のため、京都大賞典で古馬と闘うことを選択した。
結果は3着。1着は素質はGI級のツルマルツヨシ、2着はメジロブライトなので悲観する内容じゃない。
しかもステゴとスペに先着している。
そう。このレースはスペが終わったとすら言われた、初めて馬券外の着順になったレース。
スペは参考外として、天皇賞馬と僅差3着なのだから不安は無い。そのまま菊花賞へ直行する。
残りの二強はもちろん京都新聞杯へ。
僅差だがトプロが一番人気。弥生賞で勝ってるからダービーより距離が縮めばトプロが勝つと考えた人も多そう。
しかし結果はアドベが1着、トプロ2着。
ダービーと同じ結果になってしまった。
要因はおそらく直線の長さ。
後方から追い込むアドベにとって中山はかなり不得手なコース。京都でなら負けない。
そうなると中距離ではアドベの方が強いことは確定した。だが、長距離ではどうか。
負けられない戦い、最後の一冠。
菊花賞。
アドマイヤベガ、テイエムオペラオー、ナリタトップロードの順で流れた人気。
4人気ラスカルスズカからは単勝21倍。圧倒的三強。
最後だけは、譲れなかった。
頂上の探求者
ナリタトップロード
父 サッカーボーイ 母父 アファームド
30戦8勝[8-6-8-8]
主な勝ち鞍 菊花賞、阪神大賞典連覇ほかGII5勝
主な産駒 ベッラレイア
99世代
(ウマ娘化大感謝)
テイエムオペラオーの襲撃を退け、見事戴冠。
この時点ではただのクラシック制覇だったが、後にこの勝利が何よりも大きなものとなる。
そしてアドマイヤベガは…6着だった。
後にレースに出ることなく繋靭帯炎で引退しているということは、菊花賞でやっちゃった可能性が高い。
誰が勝ってもおかしくなかった。
後のことを鑑みるとオペラオーが勝つのが順当だし、アドマイヤベガも炎症さえなければ3000も1位で走破できたかもしれない。母ベガから脚の弱さまで受け継いでしまったのかどうかは分からないが。
3頭が今の時代に生まれてたらダービー後に外厩で調整してぶっつけ菊花賞のアドマイヤベガが勝ってただろうし、テイエムオペラオーの鞍上が武豊なら差されてなかったかもしれない。
それくらい、馬の力は拮抗していた。それだけにここで勝てたのは大きい。
まさかここで打ち負かしたテイエムオペラオーが、史上最強クラスの馬になるなんて。
届きそうで届かない
その頃の牝馬クラシックも解説しておきたい。
99世代の牝馬は1頭を除いてパッとしないのでサラッと行く。
まずは桜花賞。
1番人気は阪神3歳Sからぶっつけで来たスティンガー。
当然沈んだ。ローテ選択の時代が早すぎた。
2〜5番人気のガチガチ上位決着。勝者は4番人気プリモディーネだった。
プリモディーネ
父 アフリート 母父 マルゼンスキー
10戦3勝[3-0-1-6]
主な勝ち鞍 桜花賞、ファンタジーステークス(GIII)
99世代
鞍上を務めたのは福永祐一。同期の和田竜二より一週間先にGI初制覇を果たした。
プリモはオークスでも善戦するのだが、そこから故障して復帰すると全然勝てず引退。産駒は地方競馬で走っている。そういうことだ。察してほしい。
オークス。
スティンガーは敗走後ちゃんと現フローラSを勝ち進み、本番では2番人気に。
同時に、ある馬が1番人気に急浮上した。
桜花賞にて、当時はまだ無名だったゴルフが上手いイケメン幸英明騎手を乗せて3着だったトゥザヴィクトリーという馬が、武豊に乗り替わりになったのだ。
恐らくこれは馬主の意向。
若手乗せて3着で豊乗せて勝たん訳がない。そりゃファンはそう思うはず。で実際勝てるレベルの騎乗はした。
でもライバルが最高の騎乗をしてしまったのだ。
豊さんの同期であり、青春時代を共に過ごした戦友、蛯名正義。
前年にエルコンドルパサーに出会いノリに乗っていたその勢いで、99年はGIを4勝する。
7番人気の大波乱。完全に勝った手応えのトゥザヴィクトリーを大外から差し切る。ラチも無いのに真っ直ぐ全力疾走させて差し切っちゃうんだからすごい。
蛯名先生自身も「最高に上手く乗ったレース」と回顧している。
ウメノファイバー
父 サクラユタカオー 母父 ノーザンディクテイター
16戦4勝[4-0-0-12]
主な勝ち鞍 オークス、京王杯3歳S(GII)、クイーンC
99世代
この馬はとにかく名牝系。牝系というのは母の家系。母の母の母の…を辿っていくラインのこと。
ファイバーの5代母は顕彰馬なのだ。
その名もトキツカゼ。皐月賞とオークスの二冠馬。
そういうこと出来ちゃう時点で相当昔であることがお分かり頂けただろう。それでもギリ戦後だ。そんな牝系が近代になっても活躍していることに驚く。しかもファイバーの娘からはオールカマー勝ち馬ヴェルデグリーンも出ている。
トゥザヴィクトリーは2着。
実質勝ったようなもんだし、もちろん秋は…と思った矢先…
めっちゃ太っちゃうんですよね…
ローズステークスで+12kg。まあ3歳だと思えば成長分…かと思いきや惨敗。
秋華賞でもさらに+4kg。大きくなる馬体になかなか身体は付いて行かなかった。
大荒れ中の大荒れ。
12番人気と10番人気が1〜2着。馬連9万円。
荒れたのは結果だけでなく馬も。
上位4頭は以降1勝もできないまま引退している。
ブゼンキャンドル
父 モガミ 母父 アスワン
27戦4勝[4-3-6-14]
主な勝ち鞍 秋華賞
99世代
モガミ産駒。メジロラモーヌからかれこれ10年以上が経過した。懐かしさすら感じる血統。
ブゼンキャンドルは後に勝てなさすぎて障害転向され、熊沢騎手を乗せて1勝するも平地に戻ってきて全敗で引退している。
秋華賞の時の鞍上は安田康彦。通称ヤスヤス。
当時中堅騎手だった彼。この勝利がきっかけで、翌年大きなチャンスを手にする。
痛切
NHKマイルカップについても話しておこう。
クラシック路線から離れた舞台は、当然のように大混戦となっていた。アドマイヤコジーンに替わる逸材は未だ見つかっていなかった。
結果から言うと、4年連続で米国産馬が1着となった。
ルドルフ以来、実に14年振りとなる「シンボリ」のGI制覇だった。
シンボリインディ
父 エーピーインディ 母父 ダンジグ
15戦5勝[5-2-0-8]
主な勝ち鞍
NHKマイルカップ 京成杯AH
99世代
父A.P.Indyは日本人馬主の所有馬史上、世界の血統地図に最も大きな影響を及ぼした大名馬。その名から拝借してシンボリインディ。後に登場する名馬シンボリクリスエスと同じ形式の命名方法。
連勝街道を歩みながらも勝ち方にインパクトが無く、体重も前走から12kgマイナスだったため6番人気(それでも単勝8倍台)となっていたが難なく勝利。
その後の活躍も期待されていたのだが…
この馬は度々、マティリアルの再来とは行かないまでも、そのような語られ方をすることが多い。
マティリアルは弊競馬史#2.5でも取り上げた、GI級の素質を抱えながら無冠のままこの世を去った悲しき名馬。この馬もシンボリの馬だった。
↑これです
マティリアルは強烈な追い込みで名を馳せたが、インディはそんなタイプの馬ではない。じゃあ何が似ていたかと問えば、最期だ。
GI勝利後インディは怪我をする。暴れ癖が災いした。
年末の有馬記念(スペVSグラスのやつ)で復帰するも以降鳴かず飛ばず。
しかし彼は復活する。その舞台が奇しくもマティリアルと同じ京成杯AH。鞍上も岡部幸雄だった。
後のGI馬トロットスターや、NHKマイルで一番人気だったエイシンキャメロンを抑えて1着でゴール。4歳秋のことだった。
その後もGIIスワンSで2着になったりと覚醒の片鱗は見せていたが、“その時”は急にやってきた。
5歳シーズン、4月1日。ダービー卿チャレンジトロフィー。勝ち目のあるレースだった。
ゲート内で暴れ出すインディ。これはいつもの事だったのだが、ゲート入りが突然中止された。インディは座り込んでいた。
やがて彼は立ち上がる。そして岡部は目を合わせず、ゼッケンを抱え、足を痛めながらその場を去る。
インディの脚は、目視で分かるほどはっきりと折れていた。まるで他人の物のようにプラプラと揺れる脚がテレビに映し出される。もう助からない。それだけは分かった。
シンボリのオーナーは代が変わった。先代でやらかした過去を教訓に、至るところに頭を下げ、シンボリを継いだオーナーだ。これ以上の無茶は、延命はしない。
エイプリルフールの日。残酷な現実がファンを悲しませた。
時代は変われど、不慮の事故はいつでも起きるし、生命は一瞬で終わる。
いつの時代の馬も結局は商業動物。割り切るしかないが、悲しいものだ。
負けられない
さて、クラシックが終わり、アドマイヤベガは引退、トップロードとトゥザヴィクトリーは年内休養。他の馬はここでは取り上げない。取り上げるほどのレースがない。
ということで、オペラオーが世代代表として97、98世代に立ち向かうことになる。
菊花賞から距離延長してステイヤーズSに参戦。メジロブライトローテだ。
オペさんはとんでもない人気になった。1番人気単勝1.1倍、2番人気は単勝13倍。オペさんの勝利しか見えない、そんな感じだったのだが…
2着に甘んじてしまう。
そもそもオペさんは多分ゴリゴリのステイヤーではない。2000mを追い込みで勝った馬が3600で勝ち切るのは中々難しい。それでもこの敗北は大きな敗北だった。
そして99年有馬記念。
陣営がステイヤーズを選んだ理由は、ここに出したかったから。11月から長距離の中山で戦わせ、本番に慣れさせておいた。
それでも、最強の2頭の壁は大きかった。
1着がグラスワンダーかスペシャルウィークかで荒れる中、オペラオーはクビ差の3着。
あの2頭相手にここまで粘ったことが何よりも強さの証明なのだが、陣営は憤慨していた。
なにせ、皐月賞以来1着が遠ざかっている。本来ならダービーも勝てていたかもしれないレベルの素質馬だ。
「武豊に乗り替わらせろ」
テイエム馬主の竹園さんは何度もそう言った。
しかし、「どうしても」と譲らなかったのは、和田竜二の師匠、岩元市三調教師。
どうしてそこまで和田竜二に拘ったか。
理由は、岩元調教師、もとい岩元元騎手がダービージョッキーになった背景にある。
岩元師のさらに師匠が、どれだけ自分が勝てなくてもいい馬に乗せてくれたから、ダービーを掴むことができたのだ。
愛弟子にもそうさせてやりたい。大きいところを取らせてやりたい。そう思うのは当然のことだった。
年が明けた。
オペラオーは京都記念から始動する。
ナリタトップロードとステイゴールドも出走していたが、これらを退けてクビ差勝利。
勝利後、ようやく竹園オーナーと話せる機会を持てた和田騎手。その時に言われた言葉。
その言葉で思ったという。
もう負けられない、負けたら終わりだ、と。
和田竜二という男は、とても面白い。
面白いというのは興味深いとかそういうことではなく、芸人とかタレント的な面白さだ。
和田竜二という男の人間性を知るためには、↑この写真ほど完璧な1枚はないと思う。
イケメンなんだけど残念なイケメン。
酒飲ませて喋らせたら止まらない。
俳優としてデビューしてても大泉洋とか沢村一樹みたいなポジションに落ち着いてそうなタイプ。
でも根は超が付くほど真面目。
人の良さが透けて見えるから、ファンにも関係者にも人気だし、JRA騎手会では関西支部の副部長&宴会部長(こっちが本業)なのだ。
ウマ娘オペラオーからナルシスト要素を抜いたらほぼ和田竜二だと思ってもらっていい。
そんな和田さんにとって地獄の一年間が幕を開けた。
師匠の恩を裏切れない。もう一度も負けられない。
当時の事を振り返って、「レースの時以外は廃人になっていた」と語るほど、オペラオーのことで頭がいっぱいになっていた和田さん。
「オペラオーのレース前は毎回吐いてた」みたいな噂すらあるほど重いものだった。
未だに当時を振り返って話をする時は、表情が変わるし言葉を選ぶ。
とにかく人を笑わせるタイプの人が廃人になる。その裏には、プレッシャーだけでなく批判もあった。
オペラオーのリュック。それが当時の和田竜二の蔑称だ。和田は背負われているだけ、オペラオーが強いだけ、和田じゃなかったら。そんな言葉が飛び交う中、世紀末のGI戦線が始まる。
覇道
阪神大賞典
大阪杯がGIIだったこの頃。春の二冠を勝つためには、ステップレースの阪神大賞典から進むのがセオリーだった。
もちろん、他の天皇賞有力馬もここに集結した。
“幻”の弟
ラスカルスズカ
父 コマンダーインチーフ 母 ワキア
母父 ミスワキ 半兄 サイレンススズカ
16戦4勝[4-2-4-6]
主な戦績
1着-万葉ステークス(OP)
2着-天皇賞(春) 阪神大賞典
3着-菊花賞 神戸新聞杯 金鯱賞 中山記念
99世代
サイレンススズカが亡くなって、競馬ファンはスズカの全弟を望んだ。つまりスズカ母ワキアにもう一回サンデーサイレンスを付け、牡馬を産ませてほしいということ。状況こそ違えど、オリエンタルアートでいうドリームジャーニーとオルフェーヴル的な感じだ。
しかし運命とは残酷で、それは叶わなかった。ワキアは既に亡くなってしまっていたからだ。
そんな中で期待されたのは、残された産駒。スズカの半弟、ラスカルスズカ。
父はコマンダーインチーフ。キングヘイローと同じダンシングブレーヴ産駒で、GI馬もちょこちょこ出ている中堅種牡馬だ。
ラスカルはサイレンススズカと同じ厩舎、同じ騎手でレースに出ていた。武豊も、この馬には特別な想いを抱いていた。
菊花賞でトプロの3着。サイレンススズカと違い長距離で強い馬だったが、「強い馬」だったことが何よりの救いだった。
サイレンススズカの想いを乗せて、何としてでも「天皇賞」というタイトルを獲りたい武豊。
が、それ以上に和田の思いは強かった。
1着はオペラオー、2馬身半離れてラスカルスズカ、クビ差でトップロード。
アドマイヤベガが抜け、同世代で新たな三強が形成されつつあった。
一方の日経賞。
中山記念から復帰する予定だったグラスワンダーはかなり状態が悪く、日経賞にまで長引いた上に馬体も絞れておらず(まさかの+18kg)、明らかに厳しい状況だった。
それでも単勝1.3倍。もちろん2番人気はステゴ。
結果は予想通りの大敗。伏兵レオリュウホウが逃げ切ってしまって大波乱。そして定位置2着にステゴ。
スペ、エル、ジハードが引退、ウンスは絶不調。そしてグラスも。黄金世代の最強馬最後の砦は、今にも崩れそうだった。
天皇賞(春)
昨年の菊花賞で悔しい思いをした和田竜二。
「人生で一番悔しいレース」と語るその一戦のリベンジ。同じ舞台、同じライバル。
覇王は想いに応える。
しっかり差し切って1着。
3着まで阪神大賞典と全く同じ着順。
高らかに謳うは春の盾。
オペラオーの時代が始まろうとしていた。
ちなみにこのレース、弥生賞でフジキセキの2着になったホッカイルソーの引退レースだった。
御年8歳。ライバルのフジキセキは既に産駒が走っている。逆に今までよく走ってたな。
しかもその年齢で5着に入った。大健闘だ。
…10年と経たないうちに、ルソーの努力が霞みまくるほどヤバい老雄が現れるのはまた別の話。
目黒記念
そして春天にていつもの着順に入ったステゴさんは、ここで再起を目指したのだが…
ついに、ついに掴んだ重賞初制覇。
内からスーッと抜け出し、しぶとく耐えた。
ゴール前ではGIIとは思えないほどの歓声が場内に広がったという。
阿寒湖特別で1着を取って以降、約3年間も勝利から遠ざかっていたステイゴールド。
錚々たるGI、GIIで5着以内に入り続け、やっとの思いで勝てたタイトル。GIIの中でもそこそこ存在感のある目黒記念で勝てたのも大きい。
最強の重賞未勝利馬は、満を持して最強のGII勝ち馬になった。
しかし、その裏ではちょっと切ない出来事もあった。
このレースから、ステイゴールドは熊沢騎手から武豊に乗り替わりになっていたのだ。
あまりにも善戦止まりだったため降板ののち、重賞初制覇を奪われた悔しさは相当なものだっただろう。
それでも熊沢さんは豊さんに「おめでとう」と笑顔で話したという。やはりいい騎手は人もいい。
だから今でもいい馬に乗っていいレースができているのだろう。
武豊を乗せて勢い付いたステゴはそのまま次のGIへ向かう。
宝塚記念。
グラスワンダーが連覇を飾ったグランプリ。
もちろん今年も出走していたが、やはり調子は良くなかった。
前走の京王杯で無理やり20kg落としたが、出負けから直線で全く伸びず9着。「降板かもしれない」と感じていた的場騎手の予感は的中し、蛯名騎手へと乗り替わり。
しかし、騎手の仕事はあくまで「馬の能力を最大限に引き出す」こと。調子が悪ければ勝てるものも勝てない。厩舎サイドに問題があるのは火を見るより明らかだった。
グラスは有馬で燃え尽き、以降歩きのバランスすら崩れてしまっていた。
そのタイミングでグラスを担当していたベテラン厩務員が定年を迎えてしまい、新しく彼を担当したのはなんとまだ24歳の新人厩務員、佐々木さんだった。
当然24なのでノウハウもなく、状態は一向に良くならないため、自責の念からか不眠症になったという。
的場騎手も「グラスワンダーも心配だが佐々木厩務員も心配だった」と語っている。
そんな状態で迎えたグランプリ。
中距離では分が悪いと判断したトップロード陣営は宝塚を回避。そしてフクキタルはこの一戦で引退を表明。
もうオペラオーの独壇場になるのは明らかだった。
GI3勝目。勢いは止まらない。
そしてグラスは伸びなかった。骨折していた。
強かった98世代の片鱗を見せられぬままターフに別れを告げたグラス。
98世代の三強は、種牡馬として争いを続けることとなった。
(もちろんステゴは掲示板には入ってた)
オペラオー旋風は止まらないが、少し風向きが変わった。そう。オペラオーの2着になった馬だ。
最強の二番手
メイショウドトウ
父 ビッグストーン 母父 アファームド
27戦10勝[10-8-2-7]
主な勝ち鞍
宝塚記念 日経賞 オールカマー 金鯱賞 中京記念
99世代
ウマ娘と現実の性格の乖離が激しい馬、メイショウドトウ。
実際のドトウくんは誰にでも打ち解け、馬房にタヌキとか他の動物が入ってきても驚かないどころか一緒に寝てあげる包容力の塊であり、羊とも仲良くしている。人がいると近寄ってきて顔をぐいぐい近付けてくるし、タイキシャトルともめちゃくちゃ仲がいい。
しかし育成シナリオは史実に忠実で、シニア級まで本格化を待たなければならない。そして「私をあげますぅぅぅぅ」は伝説。
そんな(?)ドトウがオペさんの2着に入った。
鞍上は安田康彦。ヤスヤス。
さっき紹介した秋華賞でGI初制覇したあの人である。
メイショウの馬主さんは力はあるけどなかなか日の目を浴びないジョッキーに騎乗依頼しまくる聖人なので、安田さんにもたまたまかかったら、たまたま乗った馬がたまたま本格化してたまたま世代2番手になるほど強くなったのだ。運命の巡り合わせがすごい。
もうここからはダイジェストでお送りしてもいいくらい同じ展開にしかならない。軽く振り返っていこう。
京都大賞典。
オペが先行から抜け出して1着、トプロ2着。
天皇賞(秋)。
サイレンススズカの悲劇が記憶に新しい。
メジロマックイーン以前から度々言われていた、「1番人気は勝てない」という呪いめいたジンクスがあったが、オペラオーは…
軽々と打ち破り快勝。
オペラオー1着、ドトウ2着。トプロは距離が足らず5着。
(ステゴは珍しく7着になった)
ジャパンカップ。
2番人気、来訪者ファンタスティックライトをもろともせず、オペドトウで1着2着。見事に差し切った。
(ステゴはこの秋調子が良くなく、8着に敗れている)
だいたいオペがどういう馬かお分かり頂けただろうか。
この馬の特徴はその柔軟性。テイオーみたいな身体の柔軟性じゃなく、レース展開に柔軟に対応できることが強み。
皐月賞は追込強襲、宝塚は先行、JCは中団から差し切りと、馬サイドが確実に勝ちに行ってくれる。
これはもうどんな騎手が乗ってもリュックになってたに違いない。
古馬王道GI完全制覇まで、あと一勝。
和田竜二は燃えていた。
そんな彼らを快く思わない者がいた。
310mの死闘
有馬記念。
華やかな祭典に、今年は暗雲が立ち込めていた。
勝ち続ければ、全ての馬が敵になる。
思い返せば、今年のGIはほぼ全てオペラオーに話題をかっさらわれた。しかもどれも2着はトプロかドトウ。
生産者的にも競馬関係者的にも、当時の競馬ファンとしても面白くないと感じるものではあっただろう。
勝ち続けるが故の壁。せめてディープインパクトのように外から差し切るタイプなら良かったのだが、オペラオーは好位抜け出し型の優等生。
“潰しよう”なら、いくらでもあった。
そろそろオペラオーの時代は終わらせたい。
そう思っていた陣営が大多数だった。
ここであるCMをご覧いただこう。
もう答えはわかっただろう。
オペラオー以外の馬全てが、オペラオーを負かしに行っていた。
17頭から受ける厳しいマーク。その中で彼らは何を思ったのだろうか。
レースを見よう。
最後の4コーナーからゴールまで。
そこだけでいいから見て欲しい。
完全に進路を塞がれ、苦しすぎる競馬を強いられたオペラオー。
向正面を過ぎた辺りから和田は手綱を動かしている。
しかし、道が開かない。
4コーナー手前で馬群を前にやや失速するオペラオー。それでも和田は手を止めなかった。
オペラオーは意を決してキングヘイローの位置を奪い取り、馬込みの中に呑まれていった。
悲鳴にも似たどよめきが響く中山競馬場。
しかし、オペラオーだけは、和田竜二だけは勝利を諦めていなかった。
動画時間にして2:20ごろ。明らかに彼は脚色が変わっている。道を見付けて自分から手前を変えた。
そして、この選択の良かったところは、左隣がメイショウドトウだったところだ。
毎レース馬体を併せてデッドヒートを演じてきた戦友であり、誰より強いライバル。
もちろんこの日もドトウは抜け出した。
それを見た瞬間に、オペラオーは手前を替え、加速した。
格の違う脚色で内から伸びるオペラオー。
オペラオーの進路がいくら塞がれようと、最後を飾ったのはメイショウドトウとテイエムオペラオーの一騎打ちだったのだ。
ダイワテキサスが蛯名の左ムチで右に行って開いたスペースに飛び込んだ。
中山には急坂がある。そこで失速する馬が大勢いる。
内を進んでいた先団の馬は脚色が鈍っていく。
そんな中、テイエムオペラオーだけがギアを上げた。
追い出しの合図はもっと前から始まっていた。もちろんそれにも反応していたが、オペラオーが強かったのは坂に入ってから。
自らもう一段階ギアを入れて沈み込み、ピッチを変えた。
動画をよく見るとわかるが、坂の所だけオグリやブライアンのように大きく沈み込んで、ディープインパクトみたいに大きな跳びで走っている。
この数完歩で完全にドトウを引き離したオペラオー。
坂を登ってからドトウが追い詰めるも、再びピッチを上げて粘ったオペラオーにはギリギリ届かなかった。
単純に強い馬は心肺機能がズバ抜けているし、歴史に残る強さを持つ馬はレースセンスがあり、賢い馬がほとんどだ。
だが、オペラオーと同じ水準で自ら動けたりピッチを変えたり、抜群のレースセンスで他馬を捻り潰す馬は、彼以降は引退直前のディープインパクトとオルフェーヴル、晩年のオジュウチョウサンくらいしかいない気がする。ここまで万能な馬はなかなかいない。
ドトウにつけた着差はハナ差ではあったが、道中かかるストレスやマーク、位置取りの差を考えるととんでもない勝利だ。
ハナ差圧勝。
このレースのオペラオーの勝ち方はそう呼ばれている。
オペラオーとドトウ。不動の二強は二強のまま一年を終えた。
ここでオペラオーが負けたら世紀の闇深レースとして後世に語り継がれていたので、勝てたことはめちゃくちゃ大きかった。
アンチが多いということはそれだけファンも多いということ。オペラオーは再評価されてきてるという話をよく聞くが、好きな人はきっと当時から大勢いた。
なにはともあれ、和田竜二は当初の約束通り年間無敗で一年を終えることができた。天皇賞(春)では岩元師がとても喜んでくれたらしく、和田さん本人はそれを「今まで競馬をやってきて一番嬉しかった瞬間」として挙げている。
オペラオーに競馬を教わり、後に「テイエムオペラオー産駒和田」とネタにされる和田さん。この出会いはかけがえのないものだっただろう。
そんなオペラオーに毎回僅差まで迫るドトウも化物だ。時代さえ違えばGIめちゃくちゃ勝ってたはず。それ故に不憫ではあるのだが…
後にドトウは覇王を超える。
絶対王政は必ず崩壊する。
オペラオーは強かった。しかし、それ相手に勝機があるくらい強い馬が何頭も出てきたとしたら。
次次回紹介するのはそんな馬たちだ。
次回はオペさんに蹂躙された世代。世紀の変態ホース(褒め言葉)と愉快な仲間たちのおはなし。
まだまだ競馬は止まらない。
あとがき
サンデーサイレンス以降、本当にインフレが激しすぎて笑っちゃいますね、日本競馬。
そして今ではGI4勝しても顕彰馬どころかヒーロー列伝にすら取り上げてもらえないって?なあラッキーライラック?
弊シリーズはラッキーライラックおよびオルフェーヴル関係の馬を応援しています。
オルフェーヴルの時代を書くのが自分でも楽しみなので、暇さえあればせっせと書き綴っていきたいと思います。
それでは。
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