【競馬】ウマ娘じゃ学べない!もう一つの最強世代「花の47年組」とタイテエムについて
新年明けましておめでとうございます。
今年も競馬とウマ娘飛躍の一年になりますように。
ウマ娘は未実装のサポートカードが残すところシービーとブライトのみとなり、新ウマ娘発表の機運も徐々に高まってきました。
そしてリアル競馬の方は金杯の季節。今から34年前の金杯で伝説のイン突き直線一気をやってのけた名馬が擬人化されてガチャの目玉になってるって、相当おかしな国ですよね、日本って。最高です。
そしてウマ娘といえば、です。
元日からこんなツイートが競馬、そしてウマ娘界隈を賑わせました。
メイタイファームさん直々のウマ娘化逆オファー。
まずメイタイファームさんについて説明をすると、馬産の盛んな北海道は新冠町にある競走馬の生産と中期育成(馴致など)を行っている、1973年の天皇賞・春勝ち馬タイテエムや、2021年ジャパンダートダービー勝ち馬キャッスルトップを輩出したことで有名な牧場です。
キャッスルトップ号については以前(かなり雑ですが)ここで紹介させて頂きました。(ジャパンダートダービーの項)
要約すると、「12番人気で騎手も馬も重賞初挑戦でGI制覇しててすごいし、この馬の血統が昔の名馬の血がかなり入ってて、よく今まで続いてきたなと思った」という文章を書きました。
トウカイテイオーの子孫問題が深刻なことになっているように、馬産の世界は名馬が生まれなければ血が途絶えます。加えて、海外から輸入された繁殖牝馬が重用されると、日本の血は淘汰されます。
そんな状況下で昔の名馬の血をつなぐ牧場さんの想いを感じたし、「70年くらい前のGI級競走勝ち馬の血が入った馬がGI馬になるなんて、なんてロマンのある話だろう」と思った数ヶ月後に、その馬の生産牧場さんが「うちの馬をウマ娘にしてください!」って呟いてたんです。世界って狭いですね。
ここまでの話をまとめるとそんな感じです。
ウマ娘パワーは凄まじく、少なくとも僕のTLの中ではあっという間に「タイテエム」という競走馬の名前が浸透しました。
言うまでもなく、ウマ娘公式が取り上げるともっと知名度は増すと思います。
いつかウマ娘公式がタイテエムをウマ娘化する前に、タイテエムについて色々知っておきたい!って思うのは当然ですよね。
ということで、タイテエム世代の歴史を一緒に学んでいきましょう。競馬の知識あった方がウマ娘のシナリオは10000倍楽しめるので。
今回はタイテエム世代とその一個下の世代について。
最強馬が入れ替わり立ち替わり登場した「花の47年組」と、伝説の元祖アイドルホースの世代。
次回は18世紀〜ルドルフ世代までざっくりと紹介する予定です。(予定めちゃくちゃ変わりました。続編です。見てね)
では参ります。
追記:その前に。「タイテエム号の名前の由来」について。
元日からずっと「タイテエムってどういう意味なんだ…?」と考えていた方も多いと思います。
有識者の方から意味を教えて貰いましたので書いときます。
タイテエムのタイは、馬主だった名鯛興業のタイ。
テは、タイテエムの母テーシルダから。
エムは、メイタイ牧場(現メイタイファーム)の関係者(オーナー?)中山増雄さんの名前Masuoからのエム。
鯛テM。タイテエム。
決して当時の流行りの命名方法とかではなく、かなりイレギュラーな名前の付け方だと思います。そりゃ分からないわけですね。
メイタイファームさんに確認は取れてないですが、多分これはマックイーンの半兄メジロデュレンの高祖父で、凱旋門賞を連覇した名馬「タンティエーム」から来てるんじゃないでしょうか。
当時スティービーワンダーをもじったスピーデーワンダーなんて馬が走ってた中央競馬なら大いに有り得ます。確認取れ次第追記します。
気を取り直して本編いきましょう。
花の47年組
ウマ娘をやっている人なら「最強世代」といえばエル、グラス、スペらの1998世代を思い浮かべると思いますが、実は「最強世代」と呼ばれた世代が結構あることをご存知でしょうか。
TTG世代、ジェンティルドンナ世代、アーモンドアイ世代…様々な時代で最強世代が存在します。
そんな最強世代の中でも古の部類に入るのが、1972年、昭和47年のクラシック世代。
彼らはその強さから、「花の47年組」と呼ばれていました。
時を戻して昭和46年。西暦にして1971年。
皐月賞でゴルシをワープさせた内田博幸騎手がまだ1歳だった頃。
当時はまだグレード制もなく、あるのは八大競走(実質GI)、重賞(実質GII〜GIII)、オープン、条件戦のくくりのみ。
絶対王者スピードシンボリ(ルドルフの母父)がターフを去り、メジロアサマ(マックイーンの祖父)とメジロムサシ(エフフォーリア横山武史の祖父富雄さんが乗ってた馬)が幅を利かせていました。
第一次メジロ全盛期と勝手に呼ばせて頂きます。
そんな中で走り出した2歳馬(当時でいう3歳馬)世代。
当時は輸送技術とか交通が発達していなかったため、関西馬と関東馬で2歳No.1を決め、クラシックでぶつかるという形になっていました。
(現代でもその傾向はあり、エフフォーリアは3歳までずっと関東で戦っていたりします。輸送はかなり精神を消耗するのです)
「この世代はすごいぞ」というのが前評判から囁かれており、噂に違わぬ馬たちが続々と勝ち上がっていきました。
当時の関東人気No.1はトモエオー。 後にニッポーテイオー(シンデレラグレイのアキツテイオー。ハルウララの父)の主戦を務める郷原騎手を背にデビューから大差勝ち、5馬身差、6馬身差で3連勝。
しかし、4戦目となった白菊S(OP)では2番人気に落ち着きます。
白菊Sの1番人気は牝馬トクザクラ。シンボリルドルフの父でお馴染みパーソロン産駒。こちらもデビューから6馬身差、4馬身差レコード、7馬身差で3連勝してます。
トモエオーが北海道で連勝を重ねていたのに対し、京成杯3歳S(現GII)で結果を出していたが故の1番人気。
しかし4着に敗れてしまいます。調教代わりに出したから緩めの仕上げだったのかもしれないですね。
そして迎えた関東No.1決定戦、朝日杯。
トクザクラが2着に半馬身差付けて勝利。一気に桜花賞の本命候補に。
トモエオーは3着に敗れ、以降ほぼ勝てず引退します。トモエオーの父はロイヤルチャージャー系のマイナー種牡馬ジルドレ。同じロイヤルチャージャー系のサンデーサイレンス産駒に気難しく繊細な馬が多いように、一回負けたら立て直しにくいタイプだったのかもしれないですね。マカヒキみたいな感じで。
一方の関西は一強ムード。
マチカネフクキタルの4代母ワカシラオキから産まれたヒデハヤテがデビュー戦で7馬身差勝利。
2戦目は不良馬場に脚をとられるも、3戦目も有力馬相手に堂々勝利。あとは大一番のみ。
阪神3歳ステークス。
ヒデハヤテは後にミスターシービー主戦になる吉永騎手が手綱をとっていたのですが、ここで福永洋一騎手(コントレイルやシャフリヤール、キングヘイローの福永祐一騎手の父。天才と呼ばれた男)に乗り替わり。
洋一騎手が乗ったら8馬身差圧勝。
2歳GI8馬身差勝ちとか今では考えられない光景。
残念ながら映像が残ってないので想像するしかないです。サンキューシラオキ。
洋一騎手は当時まだ23歳。もしかしたらこの若さで三冠ジョッキーになれるんじゃないか?と騒がれるほどヒデハヤテの強さはずば抜けていました。
しかし、ここで運命の歯車が狂い始めます。
馬インフルエンザ。
有馬記念が行われる直前、海外から入ってきたウイルスが南関東競馬内で広がり、中央でも流行し始めていました。ワクチンもなかったため、輸入を待つ状況。
有馬記念は出走予定のメジロアサマ、アカネテンリュウ含む3頭が回避し6頭立てで行われるなど、何やら不穏な雰囲気に。
当時は有馬の後に行われていたステイヤーズステークスと中山大障害は中止が発表され、馬インフルが流行していなかった阪神競馬場だけはレースを続行。阪神大賞典(これも年末開催だった)は無事開催されました。
ワクチンは12月23日に届いたものの時すでに遅く、関東の中央所属馬の8割超が感染してしまうという異常事態に。
一方の栗東トレセンは水際対策がバッチリだったため被害0。普段通りのレースが行われます。
関東は開催日程が狂いに狂ってしまい、関東に合わせ、クラシックの日程は2ヶ月弱のズレが生じることに。
年が明け、昭和47年。
季節遅れのきさらぎ賞、京成杯で連勝を続けていたヒデハヤテは脚部に異常が見られたものの、スプリングステークスに強行出走。2着に敗れ、以降姿を消します。
桜花賞。
関西開催のためつつがなく事は進みましたが、結果は大荒れでした。
阪神3歳ステークス2着のシンモエダケがシンザン記念とフィリーズレビューを制して1番人気、トクザクラが2番人気になったのですが…
どっちも馬券外でした。
(流れるコメントは右下の吹き出しマーク押せば消えます)
先頭がとんでもないハイペースで飛ばし、先行勢は総潰れ。後ろで脚を溜めたアチーブスターがすごい末脚で差し切り。
8番人気アチーブスター。鞍上は武邦彦(武豊の父)。馬券買ってた人のほとんどは騎手買いなんじゃないでしょうか。
だってそれまでの戦績がこれですよ?
武パパが乗ってないと買おうと思えないですよこれ。
大波乱の星、アチーブスターはオークスを回避。クラシック登録を済ませてなかったのか、はたまた脚部不安か。そのあとも勝ち星はほぼなく、なぜか三冠目のビクトリアカップで勝利。
本番の強さで二冠牝馬に。スティルインラブに似たものを感じますね。
(三冠目の映像はネット上にはありませんでした)
1番人気シンモエダケは先行勢について行って潰れたのはわかるんですが、トクザクラの敗因は何か。
おそらく調整の遅れでしょう。
トクザクラは関東所属。馬インフルの被害をモロにくらい、本番で勝てなかったんじゃないでしょうか。
トクザクラは桜花賞後は5ヶ月休養。
復帰後は1600mと1800mの重賞を連勝し、その流れで有馬記念に出て敗北、以降勝てずに引退しました。
関西三強
馬インフルのあおりを受けたのは、牝馬だけではありませんでした。
牡馬クラシックは「関西三強」のものとなっていました。
純血のサラブレッドでないという血統面でのディスアドバンテージを背負いながら、他馬と互角以上に戦った「野武士」ランドプリンス。
デビュー以来無敗。500kgを超える雄大な馬体から繰り出される末脚が持ち味の「重戦車」ロングエース。
英国育ちの母から生まれた持込馬。額に映える四白流星。トレードマークの白メンコ。その美貌に負けぬ強さを誇示する「貴公子」タイテエム。
馬インフルの影響を受けなかった関西馬の三強でクラシックは決まると予想されていました。
迎えた皐月賞。
弥生賞でロングエースとランドプリンスは1着2着。
ロングエースは未だ負け無しで1番人気。
スプリングSでタイテエムはヒデハヤテを破り1着。
「あのヒデハヤテを破った」ということでタイテエムが2番人気に推されました。
そう簡単にはいかないのがレースです。
直線で先頭に立とうとしたタイテエム(白のメンコ。メンコとは覆面のこと)ですが、思ったより伸びず後ろから差され7着。
馬場荒れまくりのインコースから飛び込んできたのはランドプリンスでした。
ヒデハヤテに2度負かされているランドプリンス。彼が無事だったら結果も変わっていたかも。
3着にロングエース。そして2着は関東馬の意地、イシノヒカルが入りました。
そうなると関西三強+イシノヒカルで四強ムードになり、もつれ込むのは次戦。
日本ダービー。
馬インフルの影響で開催が遅れに遅れ、7月7日の開催。通称「七夕ダービー」として今日まで語り継がれることに。
1番人気で単勝6倍台になるほどに票の割れた一戦。
雨の中観客が見つめるのは、もちろん関西三強とイシノヒカルの姿でした。
時にそんな夢が叶うのがダービーです。
3コーナーから4コーナーあたりで下り坂がありペースが早くなるため、息をつく暇がない東京の長い直線。そこでわずかに位置を下げ、脚を溜める形をとった武邦彦のロングエース。
この判断が功を奏し、直線での叩き合いに使う余力が生まれました。こういうところが武邦パパが「ターフの魔術師」と呼ばれる所以。
三強が三強として叩き合う夢の直線。
真ん中で揉まれたタイテエムはちょっと後退。ランドプリンスも届き切らず。
34歳、ようやく掴んだダービー。
息子より6年遅咲きのダービージョッキーでした。
菊花賞。
皐月賞馬とダービー馬は燃え尽きていました。
秋以降は勝ち星無く挑む菊花賞。
対するタイテエムは京都新聞杯、神戸新聞杯を制し、「今度こそ」という思い。
しかし、ここであの馬が牙を剥きます。
アドマイヤベガの母ベガと同じで、外向といって左前脚が僅かに外に向いていたため、あまり強い調教を行えなかったイシノヒカル。
菊花賞本番で騎手が乗り替わります。主戦の加賀騎手が海外に遠征していたためです。
乗り替わったのは翌年に伝説を残す馬の相棒となる、増沢末夫騎手。
直前の決定だったため、福島での騎乗依頼をキャンセルしてまで行くはめになった増沢騎手。乗り気ではなかったそう。
しかし、走らせてみるとこの強さ。乗り替わりもうまくハマりました。
「生涯乗った馬の中で菊花賞の時のイシノヒカルが1番強かった」と後に語った増沢騎手。
関西三強を打ち破っての戴冠。それも大まくりの大外一気。
一気に世代最強としての評価を受けるようになります。
有馬記念。
菊花賞の勝ち方が評価され、ファン投票1位での出走となったイシノヒカル。
ロングエース、トクザクラらも出走しました。
メジロアサマ、メジロムサシ、ベルワイドら強豪を差し置いて1番人気になったイシノヒカル。
ちなみに、この時点では3歳牡馬が有馬記念に勝ったことはありませんでした。どれだけ期待されてたかがわかりますね。
このレースでイシノヒカルはまたも伝説的な勝ち方を見せます。
1周目でインを突いてポジションを取りに行き、最後の直線で外に出して末脚炸裂。
史上初の3歳牡馬の有馬記念制覇。
敵はもう居ないんじゃないかと思うほどの圧倒的な勝ちっぷり。菊花賞と有馬記念の時は脚元の調子が良く、思い通りのレースができたとのこと。
しかし、直後に状態が悪化。翌年はほぼ姿を見せぬまま、1戦して引退。脚部不安が惜しまれます。
そしてロングエースもここで引退。脚元にガタが来ていたのでしょうか。
ロングエースは種牡馬になり、宝塚記念勝ち馬と中央馬史上初の白毛馬ハクタイユーを輩出しました。
ソダシやその家系が活躍する限り、ロングエースもちょこちょこ思い出してもらえそうですね。
貴公子の春
さて、3歳馬の1年が終わりましたけども、1頭明らかに不憫な馬がいますね。
そう、タイテエムです。
重賞は3勝してるのに、ダービー3着、菊花賞2着。
なかなか思うように結果が出ません。
この頃になると「無冠の貴公子」なんて言われ始めていました。
年明けの金杯を4着とすると、主戦騎手が変更。
須貝四郎騎手から須貝彦三騎手になりました。
皆さんの予想通り兄弟騎手です。今の競馬で例えると横山和生と横山武史、藤岡佑介と藤岡康太みたいな感じです。
四郎さんが落馬負傷のため、彦三さんにバトンタッチしたのでした。
で、須貝という苗字にピンときた方。お目が高い。
元騎手で引退してから見違えるように太った現調教師の須貝尚介先生は彦三さんの息子さんです。
須貝調教師はゴルシ、ソダシ、ジャスタウェイ、ステラヴェローチェを管理されていて、ゴルシにめちゃくちゃ嫌われている人です。
(ちなみにタイテエム調教師の橋田先生もご子息がアドマイヤベガとかサイレンススズカを管理されています)
そんな須貝調教師パパに乗り替わり、不良馬場のマイラーズカップを制覇したタイテエムは、そのままぶっつけで天皇賞に挑みます。異次元のローテ。
四郎さんの分も、兄は必死で勝利を導きました。
雨で視界の悪い京都競馬場。
実況の杉本アナが彼の姿を見失う中、なんと大外からまくるように外に出して他馬をぶち抜き、見事八大競走初制覇。
純白のメンコが黒く滲む激走。春の盾は貴公子に輝きました。
クラシックで強豪と殴りあってきたポテンシャルはさすがのもの。堂々の完勝でした。
そうなるともちろん目指すは宝塚記念、なのですが…
「タイテエムをウマ娘化する」となった際、絶対に再現できないレースが、この宝塚記念なのです。
宝塚記念は有馬記念と異なり、当時は関西馬最強決定戦のような役割を担っていました。
当時は関東馬>関西馬になりがちで、基本的に活躍馬は関東から出ていたのですが、今年は別。
関西馬が強いため、事実上の最強馬決定戦となった春のグランプリ。
予想通り、47年組世代の関西馬が強さを見せるレースとなりました。
ハマノパレード、タイテエム、ナオキの同期でデットヒートを繰り広げ、3着以下に8馬身差を付けゴールイン。
1着はハマノパレード。惜しくも2着のタイテエム。3着にナオキ。
いかにこの世代が強かったかを証明しました。
が、その後が凄惨でした。
タイテエムはレース直後に鐙が切れ、須貝騎手は振り飛ばされ放馬。タイテエムは転倒し、アキレス腱に致命的な故障を発症。有馬記念を目指して懸命に治療したものの回復せず、引退となりました。
命に別状はなく、無事種牡馬入り。GI馬は輩出できなかったものの、母の父としては代表産駒に朝日杯FS勝ち馬マイネルレコルトがいます。
タイテエムはまだ平和な最後。問題はハマノパレードにあります。
見事グランプリホースとなったハマノパレードは、今でいう札幌記念的な立ち位置の夏の重賞、高松宮杯に出走します。
最後の直線でつまづき転倒。
キツい怪我を負い、安楽死処分が下されたはずだったんですが…
詳しく知りたい方はこの記事の「ハマノパレード事件」の項を参照してください。
第一次競馬ブーム
今回の本題だったタイテエムが引退してしまったので、ここからは駆け足でいきます。
有名どころの馬が全部引退した花の47年組。
穴を埋めるのは新世代かと思いきや、覚醒した同期でした。
既に京都大賞典(ハリウッドターフクラブ賞)でメジロムサシを破るほど本格化していたタニノチカラ。
天皇賞でも歳上相手に堂々の競馬で完勝しました。
少し時を戻して、タイテエムが天皇賞を制したころ、日本競馬は今までになく盛り上がっていました。
ある地方馬が無敗のまま中央に移籍し、連戦連勝を重ねて皐月賞を制覇したからです。
馬の名は、ハイセイコー。
オグリキャップ、ディープインパクト、キタサンブラックと並ぶアイドルホースで、第一次競馬ブームの立役者です。
彼はイシノヒカルで菊花賞を制した増沢騎手を背に、無敵の強さでダービーへ向かいました。しかし…
ハイセイコーが無敵だったのはここまででした。
3着に敗れ、以降ライバルとして何度も顔を合わせるタケホープがダービー馬になりました。
以降も2着3着を繰り返し、菊花賞でタケホープが二冠馬になるも、1番人気はずっとハイセイコー。真の意味でアイドルホースだったのです。
同年の有馬記念でもハイセイコーが1番人気になるも、実力でねじ伏せたのは47年組でした。
ストロングエイト。
彼もタニノチカラと同時期に本格化ししのぎを削ってきた馬でしたが、注目度が低く、10番人気での勝利。波乱となりました。
その後はちょっと47年組の活躍も落ち着きましたが、1年後の有馬記念でのこと。
宝塚記念を制覇し、ようやく名馬としての貫禄を取り戻したハイセイコーと、天皇賞馬になったタケホープ。2頭の引退レースになった有馬記念。
1番人気はタケホープ、2番人気はタニノチカラ。
ハイセイコーは3番人気に落ち着いてしまっていました。
ファンが見たいのはハイセイコーとタケホープのマッチレース。
一応そのような展開にはなりましたが、残酷なまでに先を駆け抜けたのは、47年組の最強馬でした。
並ぶまでもなく先頭に立つと、リードをキープしたままゴールイン。後ろで争うハイセイコーとタケホープを尻目に、5馬身差圧勝。当時としては最高クラスの着差でした。
ハイセイコーの引退レースを見に来たファンの目に突き付けられたのは、タニノチカラの惨いほどの強さ。
レース後、会場に流れた曲「さらばハイセイコー」が、タニノチカラの強さをより際立たせていました。
続く京都記念を大差勝ちし、活躍を続けたタニノチカラでしたが、脚部不安を発症し引退。
これで47年組も世代交代かと思われましたが…
半年後のグランプリ。2年前に苦渋を飲んだあの馬が、リベンジマッチを果たしたのでした。
昨年の宝塚記念を骨膜炎で回避したナオキ。
春も秋も3200mの天皇賞。中山2500m、ステイヤー向きの有馬記念。
ステイヤー全盛期の70年代競馬で、中距離馬のナオキに目指せるビッグタイトルはここだけでした。
もうハマノパレードもタイテエムもいない。敵はいない。駆け抜けるのみ。
あっという間に先頭に立ち、2馬身半差で完勝。
見事グランプリホースの座についたのでした。
ナオキの勝利はこれが最後となり、天皇賞7着の後、引退。「花の47年組」の栄光はここで終幕となりました。
まとめ&あとがき
以上がタイテエムらの活躍した「花の47年組」のあらましです。
本当は他にも、あまりにも勝ちすぎてJRAに嫌われ、勝てないようにするルールを作られたにも関わらず勝ち続け、最終的に平地競走の全ての馬より高い額の賞金を稼いでしまい顕彰馬にせざるを得なくなった、いわく付き最強障害馬グランドマーチスっていう化け物が存在するんですが、この馬を語るだけで数千文字必要なので省略させていただきました。
年に2回しかないグランプリを一世代で4回勝ってて、他にも京都記念、中山記念、マイラーズカップなどのGII級重賞を総なめにしまくってるとなると、客観的に見ても強い世代ですし、ドラマも多く印象にも残るいい世代ですね。
メイタイファームさんのツイートが無ければこの世代についてここまで深く調べることは無かったと思います。
タイテエムという名馬がいたこと、タイテエムのように我々世代が知らない名馬が沢山いるということ、そしてウマ娘というコンテンツがそれらを過去にせず伝えていく力があるということ、我々ウマ娘ファンは微力ながらその手助けができることに気付くきっかけになりました。
本当に感謝しかないです。
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございます。
あと、メイタイファームさんのツイートきっかけで47年組の動画がいくつかニコニコにアップされました。アップしてくださった方もありがとうございます。
いつかJRA公式で上がるといいですね。
ところで皆さん、JRAの作っている「ヒーロー列伝」というポスターをご存知でしょうか?
活躍した馬、人気の高い馬を1年で1〜2頭取り上げてポスターにしているシリーズで、競馬場の正門前でよく見かけます。
近年は名馬が増えすぎて、僕の好きなラッキーライラックはポスターになれず終わったのですが、昔の名馬はだいたいクローズアップされていました。
もちろん、「花の47年組」からも1頭選出されています。
ここまで読んでいただいた方なら、「イシノヒカルかな?」「タニノチカラかな?」「クラシックの強さならロングエースかな?」と思われると思うんですが…
なんと、選出されたのはタイテエムだったんです。
ヒーロー列伝03がタイテエムです。
イギリスからやってきて、四白流星の美しい顔立ちを持ち、クラシックで善戦するも勝ち切れず、長い長い努力の果てに天皇賞というビッグタイトルを掴み取るというストーリー。そのドラマティックさが選考者の心を掴んだのでしょうか。
タイテエムが愛されていたということが、数十年経った今でもわかる。タイテエムについてなにも知らない我々でもこれだけ感動できているんだから、実際に応援していた人がこういうポスター見たら泣くんだろうな…。
そして、ヒーロー列伝に選出されているタイテエムをウマ娘スタッフは知らないわけがありません。ウマ娘プロデューサーは馬の毛色の遺伝方法とかまで熟知している競馬ガチ勢です。
そんなプロデューサーがメイタイファームさんのツイートを見てどう思ったか。
我々が「なんか昔の名馬が話題に上がってる!!すげえ!!」ってなってたのに対し、
「あのタイテエムをウマ娘化!?やるしかねえだろ!!」ってなってるはずなんです。そう思いたい。
もしもタイテエムがウマ娘化したら、無敗三冠に導くことだってできるし、天皇賞の続きだって見られる。タニノはウオッカがウマ娘化してるから、もしかしたらタニノチカラとの争いもストーリーに組み込めるかもしれない!
本当に夢しかない、嬉しい事件です。
今世紀の競走馬のウマ娘化が厳しいならこれを機に昔のウマ娘が増えてくれるととても嬉しいし、昔の名馬実装の過程で埋もれそうになっていた名馬の歴史を知ることができたら、それも尊いことだと思います。
ついでにマルゼンスキー(ウマ娘)の立ち位置もバブリー最年長さんからただのウマ娘に落ち着くし、一石二鳥ですね。
年が明けたばかりですが、来年の今頃に「こんな事もあったなあ」と笑いながらタイテエムちゃんを育成する未来を夢見ています。Cygamesさんよろしくお願いします。
それでは。
(22年8月追記:さすがにデアリングタクトは斜め上すぎるてサイゲさん)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?