ウマ娘で学ぶ競馬史 #15 万感の日曜日 (1997)
みなさん、ウマ娘やってます?
アオハル杯が始まって久しいですね。ステータスのインフレ、今まで使わなかったサポカの起用機会(主にデジたんとウインディ)爆増と、良くも悪くも今までが嘘のような盛り上がりを見せてます。仕様はわかりにくいけど。
この調子で1周年の時にも別シナリオ用意してくれたらアプリの寿命はかなり伸びそうですね。
その頃にはサクラローレル実装を何卒…何回言うんだこれ…
ってことで今回はサクラローレル含めオールスター大集合会です。ここから#20あたりまでずっとそういう回が続きます。カロリー高め。
いよいよ迎える日本競馬史上3度目の最盛期。
(ハイセイコー〜TTG、オグリ〜テイオー、そして…)
散々語られる時代がどれだけヤバかったのか。
解説していきます。
まずは、ウマ娘で語られることのない97世代の偉大なる二冠馬の話から。
↓前回
予感
当時の世界トップジョッキー、オリビエ・ペリエは語った。
ナリタブライアンは世界のどのレースに出ても通用した。そしてそれ以前からトップレベルの日本馬は強かった、と。
オグリやマックイーンが世界と戦い、ルドルフとテイオーがホームではあるが世界の敵を仕留めた。
そしてフジヤマケンザンが国際GIIを制覇。ブライアンは無事なら凱旋門も勝てていたとすら言われた。
ブライアンがターフを去り早一年。
レコードが毎年更新されていくように、「最強」も更新されていくのがスポーツであり競馬だ。
世界に追い付く時が、すぐそこまで来ていた。
波乱
1997世代は、黄金世代だ。
翌年の98世代が大きく取り沙汰され神格化しているが、この年の馬も98に負けず劣らず名馬だらけだ。
だが、その世代のクラシックにおける主人公は、翌年のそれと“立ち位置”が大きく違っていた。
97年、弥生賞。
クラシック緒戦、その年の有力馬が一堂に会す場所。
今年も注目馬が顔を連ねる。
ドーベル、ブライトに次ぐメジロライアン産駒の星エアガッツ、武豊が見込んだ快速馬ランニングゲイル、オリビエ・ペリエが鞍上のサンデーサイレンス産駒、オースミサンデーらが出走することになっていたが、最も将来を期待されている馬は他にいた。
サイレンススズカ。
調教の段階から驚異的なタイムを見せ、新馬戦も7馬身差でぶっちぎり。「皐月賞もダービーもこの馬が勝つ」と信じた者も少なくなかった。
しかし、サイレンススズカの欠点はその性格にあった。
サンデーサイレンス産駒特有の気性の荒さが顕著に現れており、レース中も先頭に立たないと気が済まず、少しでも位置取りを下げると掛かるという扱いの難しい馬だった。
それだけではない。
実はスズカは極度の寂しがり屋だった。
離乳しても母が忘れられず、厩舎の中をひたすら左回りにぐるぐる回り続ける癖がついた。
近くに気の知れた人がいると旋回癖も落ち着くため、やがて厩務員さんは寝る間も惜しんでスズカのそばにいてあげるようになったという。
3歳前半はまだまだ精神面が未熟な馬が多い。
スズカも例外ではなく、弥生賞は悪い所が出まくる一戦となった。
厩務員さんが視界から消えるのが寂しくて、ゲートを出てしまった。そんなことあるんだ。
鞍上の上村騎手はゲートに挟まって結構な怪我を負ったが、乗り替わりにはならず、そのまま発走になった。今なら100%乗り替わりだ。
スタート早々スズカはものすんごい出遅れ。ゴールドシップの120億円事件より出遅れている。
そして上村騎手は足が痛すぎてまともに騎乗できていなかった。
しかし驚異的な追い上げで8着に。これ以上ない不利がありながら、1番人気のエアガッツにハナ差まで肉薄したのだ。
ゲートをくぐり抜け、出遅れを取り戻す激走を見せ、レース後は筋肉痛一つなくケロッとしていたスズカ。才能の片鱗が見えたが、覚醒にはまだ時間を要した。
1着は後方から一気の追い込みで2着に3馬身差をつけたランニングゲイル。メジロブライトに対抗できるのはこの馬しかいないと思わせる走りだった。
今のようにネットの無い時代。
弥生賞はこの2頭のインパクトがデカすぎた。
伏兵の存在は明るみに出ないまま、事は進んでいく。
一冠目、皐月賞。
朝日杯勝ち馬マイネルマックスは脚部不安で回避し、有力馬が絞られてきた。
1番人気はメジロブライト、2番はランニングゲイル。
順当な結果だが、ブライトはスプリングステークスで、ゲイルは若駒ステークスで2着になってしまっていた。
有力馬がトライアルを取りこぼすということは、本番でもそれが起こりうる。少しの波乱の予感を忍ばせて、各馬がゲートに入る。
メジロブライトは4枠8番。可もなく不可もない枠順。
ステイヤーであるブライトにはスプリングS(1800m)は試金石。しかし皐月賞は別。
ダービーと菊花賞、その先の有馬と天皇賞春秋連覇を目指すためには、ここでいい走りを見せておく必要がある。
父はいつも勝てそうでなぜか勝てなかったメジロライアン。父とは違うところを見せられるか。
ランニングゲイルは5枠10番。ちょっと外めの枠。
追込馬だから別に支障はない。
ゲイルの父はランニングフリー。日本馬だ。
アメリカJCCと日経賞の勝ち馬で、天皇賞で6回走って5回入着したり(1回目の春天はタマモの2着)、そこそこの成績だったため種牡馬入り。
しかし強い子供は全く生まれず、関係者が諦めかけてた頃に出てきたのがゲイル。夢は届くのか。
サンデーサイレンスやブライアンズタイムの子、もとい外国産種牡馬の産駒たちが躍動するクラシックで、内国産馬の子たちが頂上決戦を演じるのは史上稀なこと。どちらが勝つか。視線はそこに注がれる。
大外18番。暗躍する影を追いかける者はいなかった。
レースは、世紀の大伏兵の逃げ切りとなった。
1着から順に、11番人気、10番人気、12番人気。
単勝52倍、複勝10倍。馬連で5万円超の大波乱。
三連単や連複が無かったとはいえ、異常なオッズ。
どよめきに包まれる中山競馬場。
策略通りだった。
サニーブライアン主戦、大西騎手はほくそ笑む。
サニーブライアンは人気がなかった。
父はブライアンズタイム。大種牡馬だ。
人気がなかった理由は、それくらいしかセールスポイントがなかったからである。
厩舎、騎手共にGI未勝利、騎手に至ってはサラブレッドで重賞を勝ったことが無かった。
有力騎手を語る上で、「馬質」というワードが重要になってくることがある。騎乗する馬の質のことだ。
競馬界はコネが重要。
生まれた時から馬に触れられる環境にいた者や、父が厩舎関係者である騎手はいい馬を恵んでもらいやすい。
サニーブライアン主戦の大西直宏騎手には、それが無かった。
実力はあった大西騎手は、若手時代はいい馬に恵まれ、勝利数も稼げていた。
日本ダービーでは2着になるなど、着実に好成績を残し続けていたのだが…
騎乗する機会が徐々に減少し、勝利数を重ねられなくなってきていた。
馬に誰が乗るかは馬主と調教師が決める。
愛嬌やトークスキルがあればそこに取り入り、「あいつ良い奴だから乗せてやるか」と思わせることができる。福永祐一などはここに天才的なスキルがある。
大西騎手にはそれが無かった。
唯一懇意にしてもらっている馬主がいたが、その人が所有する馬は年に数頭。
満足のいく回数を乗れる訳もなく、引退説まで囁かれていた。
…だが、繋がっていた首の皮一枚から奇跡が起きた。
その馬主が所有していた馬が、クラシックでも戦えるほどの強さを秘めた馬、サニーブライアンだったからだ。
とはいえ、サニブの前途は程遠かった。
新馬戦こそ逃げ切り勝ちを収めたものの、それ以降全く勝てずにいた。
先行、後方待機…競馬を覚えさせるために様々な戦法を取ったものの、上手くハマらず。
感覚を掴んだのは年が明けてからだった。
1勝クラス、若竹賞に出て2着。
初の2000m。先行策を取ったレースだったが、ここでサニブが「スタミナはあるが瞬発力がない」タイプだと気付く。
もしやと思い次のオープン戦、ジュニアカップで逃げさせてみると、ついに勝てた。
その調子で勝ち続けられたらよかったのだが、弥生賞では出負けしてしまい、逃げの競馬はできず3着。
どうしても勝ちたかった次戦、若葉ステークスでも逃げられずに4着。
こうなると普通は騎手が降板になる。事実、大西騎手は降板になる予定だった。
それを制止したのは他でもない馬主だった。
サニースワローという馬がいた。
大西騎手がダービーで2着になった時の馬だ。
「サニー」の冠名から分かる通り、サニーブライアンと同じ馬主の馬で、厩舎まで同じだったし、サニーブライアンの母・サニースイフトの兄にあたる馬だった。
ダービーでは24頭中22番人気という低評価ながら、ゴールドシチーやマティリアルらを抑え、メリーナイスの2着となった。(6馬身離れてたんですけどね)
そんな輝かしい記憶をくれた大西騎手との関係を反故にしたくない。そう思った馬主さんの意向で、サニブは三冠も大西騎手で行くことに決まったのだ。
そして皐月賞で大外8枠18番。
普通の逃げ馬からすれば嫌な枠だが、サニブにはかえって都合がよかった。
サニブが弥生賞と若葉ステークスで負けたのは、スタートが上手く切れていなかったから。
逃げ馬のくせにスタートが上手くなく、馬群に揉まれると沈むので、なるべく外から伸びていく競馬がしたかった大西騎手は、この枠順に安堵。
本番では逃げようとしたが、テイエムキングオーと競りかけ、キングオーが掛かったので先に行かせて様子を見る「実質逃げ」に持ち込んだ。
キングオーが後退する中で先頭に立ち、後方から飛び込んでくるシルクライトニングもなんとかクビ差でしのいでGI馬になった。
さて、こうなったら曲がりなりにもダービー有力馬。
ここで陣営は盤外戦に持ち込んだ。
大西騎手はダービーで「絶対に逃げ切る」と「逃げ」宣言を繰り返したのだ。
これに新聞社は注目し、紙面で大々的に取り上げた。
揺さぶりを掛けられた他馬の関係者たち。
スズカ陣営は選択を迫られていた。
逃げるか、逃げないか。
精神面での未熟さで負けたと言っていい弥生賞。
ダービー間に合わせるとて、精神面では不安材料が残る。
一方、サニーブライアンは利口な馬だった。
掛からないのだ。
普通、レース中に1回加速させたら止まらなくなるものだが、サニーブライアンはそういう心配がなかった。
指示通りに動いてくれるので、揉まれさえしなければ勝てる。
この2頭がどう出るかが、ダービーの争点となる。
大西騎手はついていた。
サニーブライアン調教師は体重管理第一の古風な考え方の人で、太ったらとにかくレースに出そうとしていた。
今回もダービートライアルのプリンシパルステークスに出走させようと考えていたのだが、調教中に未勝利馬に蹴られたことで大事を取って取りやめに。
ただでさえ「まぐれで逃げ切った」との声も少なくなかったサニーブライアン。
他馬のファンは「皐月賞馬が未勝利馬に蹴られてやんのwww」と、彼がまぐれ勝ちであると確信していた。
だが、出られなかったことで体力を温存することが出来た。正直な所レースに出して欲しくなかった大西騎手の思惑通りだ。
馬は未勝利馬に蹴られ、逃げ宣言の鞍上は「浮かれてるだけ」「2400mを逃げ切れるわけがないだろ」と嘲笑されていた。
伏兵は伏兵のまま、次の大舞台へ進む。
日本ダービー。
サニーブライアンはまたも大外枠を引き当てた。
これでやりたい競馬が出来る。
大西騎手はレース前日に麻雀をして、四暗刻緑一色のダブル役満で上がるというかつてない幸運を見せていた。
さらに、皐月賞で僅差となり、敵視していたシルクライトニングが競走除外。最大の敵が消えた。
そうなると怖いのは、回避したプリンシパルSを勝ち上がってきたサイレンススズカのみ。
落ち着きを持って競馬をすることが鍵となる。
メジロブライト、ランニングゲイルの上位人気は未だ不動で、3番人気は…本格化して連勝でダービーに殴り込んできたシルクジャスティス、4番人気にサイレンススズカ、5番人気に青葉賞勝ち馬トキオエクセレント、6番人気にようやくサニーブライアンという、期待されてない感が満載の順位に。
しかもシルクライトニングが除外されるまでは7番人気だった。
ナリタタイシンですら3番人気だったのに…やはり騎手人気ってすごい。
「1番人気はいりません、1着が欲しいです」
そう記者に笑って話した大西騎手。
いつぞやのアイネスフウジン鞍上とは真逆の言葉。
サニーブライアンの強さは、大西騎手自身が一番よく分かっていた。
戴冠
逃げ馬は人気が出ない。それは何故か。
レース展開が単調になるからだ。
逃げ馬の勝ちパターンは、「自分の思い通りのレースをする」こと。
後ろでどの馬が何をしようと届かないように「ペースを作って」逃げる。
負かすのではなく、「一番のまま走り切る」。
波乱が起きないからつまらない。
つまらないから人気が出ない。
人気が出ないから過小評価される。
それはダイワスカーレットのような圧倒的な逃げ性能を有した馬でもそうだ。
キタサンブラックのような伝説的な逃げ馬でも、最強馬論争にその名は上がらない。
それでもレース中は確かに「彼らの領域」に嵌められている。
全て逃げ馬の手の中なのだ。
ゲートが開き、駆け出す18頭。
サニーブライアンは宣言通り先陣を切る。
対して…
サイレンススズカは、逃げを諦めてしまった。
プリンシパルステークスにて「2番手に控える」競馬で勝ちを経験したスズカ。
これが陣営の選択に大きく響いた。
スズカはとにかく掛かる。サニーブライアンが先頭を譲らなかったとしたら、序盤の競り合いだけで体力を消耗することは間違いない。
だったら、最初から折り合いを付けることに徹してレースを進めようと陣営は判断したのだろう。
正直、これはサニブ陣営にとっては意外なことだった。
実はサイレンススズカが競りかけてきたら先頭は譲ろうと考えていたのだ。皐月賞はそうやって勝ったから。
これは結果オーライどころか嬉しい誤算。
だって、スズカは先団で掛かりまくっているから。
敵が一つ消えた。全ての事がサニーブライアンと大西直宏を中心に回っていた。
逃げ馬は自分の存在を忘れさせたら勝ちだ。
単独1番手に付け、自分のペースでレースを進めれば、自ずと視線は後方馬群の中だけに向く。
馬群の中で仕掛けるタイミングを見計らうシルクジャスティス、ランニングゲイル、そしてメジロブライト。
彼らの敵に、サニーブライアンはいなかった。
競走除外となったシルクライトニング主戦の安田富男騎手だけが、サニーブライアンを見ていた。
「何やってんだあいつら…!!」
1000m通過が1:01.5。完全にサニーブライアンのペース。
コース外で項垂れる彼の思いを、馬群に揉まれる馬の鞍上が知る由もない。レースは粛々と進む。
やがて最後のコーナーを回り、ゴールを見据えた時にはもう遅かった。
いるはずの無い馬が、そこにいるのだから。
遥か前方に見えるサニーブライアン。
圧倒的一番人気、メジロブライトが必死に追いかける。
3番人気シルクジャスティスも猛然と差を詰める。
父ライアンの無念を晴らすため。
ここまでの臨戦過程で得た自信を力に変えて。
しかし。
信頼も名誉も、革命の前には無力だ。
実力の二冠馬
サニーブライアン
父 ブライアンズタイム 母 サニースイフト
10戦4勝[4-1-1-4]
主な勝ち鞍 二冠(皐月賞、日本ダービー)
97世代
実況はそう叫んだ。
確かな実力だけで掴み取った二冠目。
強敵がいなかった訳ではない。直前までの道のりも順調ではなかった。
それでも彼らは成し遂げた。
大西騎手と陣営にとって二度目のダービー挑戦。
ちょうど10年ぶりの悲願の舞台で、堂々の戴冠。
「僕も騎手も馬主さんも、ダービーは連対率10割なんです」
レース後におどけて笑った中尾調教師。
関係者席で涙を流した馬主の村上氏。
ガッツポーズを見せた大西騎手。
安堵と歓喜が渦巻く中で、大西騎手が口にした言葉。
「菊も逃げます!!」
だが、その言葉が現実になることはなかった。
サニーブライアンは骨折し、後に屈腱炎で引退。
本当の実力が分からないまま、ターフを去ってしまった。
一方の大西騎手は能力の高さが認められ、騎乗機会が爆増。
引退するまでの10年間で300勝、重賞を10勝、GIを2勝した。実力がなければ出来ないことである。
ちなみに、逃げじゃなくてまくり(追い込み)が得意だったらしい。
王者は消えた。しかし残された者達も役者揃いだ。
菊花賞。
ようやくメジロブライトが輝ける場所がきた。
と思いきや、またしても新星現る。
マチカネフクキタル。
ダービー敗北後に覚醒した彼。神戸新聞杯ではあのサイレンススズカを破り1着、京都新聞杯でもメジロブライトを破って1着になったというではないか。こんな名前ながら確かに世代の頂点に立とうとしていたのだ。
この驚異的な末脚。恐ろしい強さだ。
おかげでブライトは2番人気に転落。
1番人気は京都大賞典であのダンスパートナーを破ったシルクジャスティスに。
でもシルクジャスティスも神戸新聞杯では大敗していたし、ランニングゲイルは故障で戦線離脱。
また波乱の予感。
別次元の脚色でゴール前を駆け抜ける栗毛。
神戸、そして京都に次いで、菊の舞台でもまたまた福が来た。
招福の求道者
マチカネフクキタル
父 クリスタルグリッターズ 母父 トウショウボーイ
22戦6勝[6-4-1-11]
主な勝ち鞍 菊花賞 神戸新聞杯 京都新聞杯
97世代
(デバフスキルの数すごそう)
特徴的な名前の由来は「笑う門には福来る」から。
じゃあマチカネワラウカドはいないのかよ!!と問われたら、いる。
フクキタルとは血縁関係は無いが同世代であり、ダート交流GII・東海菊花賞を勝っているため、「菊花賞コンビ」なんて言われていた。
最も強い馬が勝つとされる菊花賞で勝ちを手にしたフクキタル。
来年からの活躍は約束されたも同然だったが、なんとここが運の尽き。
裂蹄に悩まされ、主戦の南井克巳騎手が引退し、翌年からは別物に成り果ててしまった。
現役期間の短さゆえに活躍の割にめちゃくちゃ印象が薄い馬なのだが、ウマ娘にて属性過多のフクちゃんが名を馳せたため、認知度向上に繋がっている。
フクキタルのキャラソン、いい。とても、いい。
女王
一方の牝馬クラシックはというと…
ブライトが微妙な結果に終わった割に、ドーベルは好成績を残した。
桜花賞では最大の敵シーキングザパールがNHKマイル路線のためドーベルが有力候補に。
チューリップ賞を取りこぼしたものの、2番人気に押された。が…
やはりメジロの馬に1600mは短かった。
勝ったのは後に大きく名を馳せる快速牝馬だった。
短距離女王
キョウエイマーチ
父 ダンシングブレーヴ 母父 ブレイヴェストローマン
28戦8勝[8-4-3-13]
主な勝ち鞍
桜花賞 フィリーズレビュー ローズS 京都金杯 阪急杯
97世代
4馬身もの差をつけて快勝。マイルにおける能力の高さを見せつけた。
鞍上はファビラスラフイン主戦の松永幹夫。今年も牝馬で魅せた。
このキョウエイマーチ、とんでもない外国馬血統の上にゴリゴリの良血。日本で例えるなら父ディープインパクト、母父キングカメハメハくらいのゴリゴリ血統である。多分血筋のGI勝利数数えたら50は下らない。
そんな名牝相手に崩れなかったのがメジロドーベル。
しかも次戦、800m距離が伸びるオークスでは圧倒的にドーベル有利。
変わらずの2番人気だったが、力で押し切った。
牝馬と思えない豪脚。スタミナの違いを見せつけた。
キョウエイマーチはやはり距離が伸びると辛いようで、馬群に沈んだ。
秋華賞。
こうなるとドーベルが1番人気になる。
キョウエイマーチも2000まではこなせるらしく、ローズステークスを快勝。
だがドーベルはその上をいく。
牡馬混合GIIオールカマーを快勝したのだ。
今のドーベルに不安は何も無かった。
逃げ粘るキョウエイマーチを一気の差し脚で捉える。
美しくも強い女王。
ベガ以来、4年振りの二冠牝馬誕生の瞬間だった。
エリザベス女王杯も期待されたが、当時は日程の都合上、秋華賞→エリザベス女王杯ローテが難しかったため、有馬記念に直行することとなった。
一方その頃。
NHKマイル。
単勝2倍。もう勝ち馬は決まったようなものだった。
シンザン記念、フラワーカップ、ニュージーランドトロフィーと重賞3連勝。
4連勝目、燦然と輝くその馬の名は…
世界を駆ける宝石
シーキングザパール
父 シーキングザゴールド 母父 シアトルスルー
19戦8勝[8-2-3-6]
日本調教馬初海外GI制覇
主な勝ち鞍
🇫🇷モーリス・ド・ゲスト賞 NHKマイル
主な産駒 シーキングザダイヤ
97世代
(本人よりも後ろのエルに目が行く)
誰が見ても頭一つ抜けた強さ。
悠々と抜け出し1着。
秋華賞は外国産馬も出走できるため、この勢いのまま目指すことにしたものの、ローズSでまさかの3着。距離が合わなかったので翌年の高松宮を目指すことに。
正念場で勝ち切れない馬が多い世代とも言える97世代。
クラシック終了後、その評価は一変することになる。
万感の日曜日
95年からダート競走が活発化し、ようやく今年フェブラリーSがGI昇格、地方重賞が4つもGIになって大盛り上がりを見せていた。
その盛り上がりの立役者とも言えるのがホクトベガ。
彼女は地方重賞を荒らしに荒らしまくり、日本に敵はないとしてアジア最高峰ダートGI、ドバイワールドカップに出走を決めた。
鞍上は横山典弘。
体調は万全とは言えなかったが、日本の女王は伊達では無いというところを見せたい。
その決意を胸にゲートが開いたが…
遠く離れたドバイの地で、ホクトベガは星になった。これに関してはまた別の記事で詳しく書く。
自分の騎乗が事故の原因になったと悔いた横山騎手。
後悔の整理がつかないまま、春競馬が始まる。
天皇賞(春)。
期待されていたのはもちろん古馬三強の対決だった。
阪神大賞典で余裕の勝利を見せたマヤノトップガン。産経大阪杯を勝ち上がってきたマーベラスサンデー。ぶっつけ本番のサクラローレル。
勝利を掴んだのは…
ローレルとマーベラスが競り合う中、強烈な脚で突っ込んでくる栗毛。
GI4勝目を挙げたのは、マヤノトップガンだった。
逃げでも、先行でもなく、豪快な大外一気の追い込みで差し切り勝ち。
阪神大賞典で予行練習はしたものの、GIの、それも当時最強格とされた相手に対してこれを使うのは相当リスキーだった。
明らかに折り合い面が厳しくなっていたマヤノ。こうでもしないとローレルやマーベラスには勝てないと思ったのかもしれない。
いつもは派手に投げキッスや十字を切る田原成貴も、今回ばかりは真っ先に馬を撫でた。
ライスシャワーが命がけで出したタイムを約3秒も縮める、3:14:4の大レコード。
このレコードを更新したのがディープインパクトと言えば、その凄さが伝わるのではないだろうか。
ただ、世紀の大レコード+後方一気には故障がつきものだ。
もともと激走の後は宝塚を回避する前提でローテを組んでいたのだが、京都大賞典のための調教中に軽めの屈腱炎を発症、種牡馬入りが発表された。
ナリタブライアンのせいで顕彰馬のハードルが上がりまくったため、GI4勝馬ながら選出はされなかったものの、逃げ、先行、追い込みでGIを勝った点や、21戦中20戦で5着以内に入った点を見ると、マックイーンやオグリ、テイオーと対して差がないように思う。
ウマ娘では好奇心旺盛なただの女の子だが、歴史に残る名馬だったんだぞということは記しておきたい。
一方、敗北に打ちひしがれる騎手がひとり。
サクラローレル主戦、横山典弘。
昨年からの連覇を狙っていたのだが、軽度の故障があったことや、元より体質がとんでもなく弱いことが影響し、有馬記念からぶっつけで臨むことになった。
昨年の勝ちパターンだと、やや後方に位置取ってから終盤で外に出して直線で差し切り勝ち。今年もこれを狙っていた。
だが、外に出した時点で掛かってしまい、直線に入る頃にはかなり前の方に来てしまっていた。
爆速で飛び込んできたマヤノ相手に粘れる脚は残っておらず2着。
この騎乗の結果か、横山典弘は降板となった。
降板に憤慨したのがローレルの所属する小島太厩舎の調教助手、小島良太だった。
もともとサクラローレルは骨折の経験があり、一年以上のブランクがあった。
復帰後はマンハッタンカフェとかの主戦騎手の蛯名正義が騎乗予定だったが、良太さんは無理を言って横山のままで行くようにしたくらい、横山典弘という人物に全幅の信頼をおいていた。
今度は武豊に乗り替わりとはいえ、この件には納得がいかない。厩舎の雰囲気は最悪だった。
ローレルの次走は、🇫🇷フォワ賞に決まった。
凱旋門賞の前哨戦のこの舞台。
血統構成が欧州型のローレルなら、チャンスは十分にあると考えた。
しかし未だに厩舎のムードは悪い。
その中でフランスに横山典弘がやってきた。
ノリさんはこの1件の一部始終を耳に入れていたのだ。
そして言い放った。
「良太、俺の前で豊と握手しろ」
わざわざヨーロッパに来てまでそれを伝えた。
そこで初めて彼が“自分は乗れなくてもローレルの勝利を願っている”と気付いた。
そして、世界最高峰を目指すのに、心がバラバラになっていては勝てないと痛感すると共に、全てが吹っ切れたという。
おかげで、ようやく良太さんは武騎手と和解することができたのだった。
そしてノリさんはそのまま日本へ帰った。
調教助手に叱責したとはいえ、ローレルに自分以外が乗る姿は見たくなかったのだろう。
調教にすら立ち会わずに、その場を去った。
そうして幕を開けたフォワ賞。
サクラローレルはズルズルと後退する。
故障だった。
元々脚の弱い馬だった。
日本で抜きん出た成績を収めているとはいえ、フランスの重くハードな芝で走らせるのが危険行為だと気付いたのはきっと故障の後だったのだろう。
なにしろ、サクラローレルが凱旋門賞に挑もうとしたのはシリウスシンボリ以来11年振り。前例が3つしか無かったのだから。
並の馬なら予後不良となるレベルの大怪我で、現地スタッフは薬での安楽死を勧めた。
思わず頷きかけたところに、フランス語を理解できるスタッフが「馬鹿野郎!!ローレルを殺す気か!!」と怒鳴ったため、なんとか死を免れ日本に帰国。奇跡的に種牡馬になることができた。
以降、サクラの馬の躍進は鳴りを潜める。
2021年現在、サクラの馬がGIを制したことはローレル以来1度も無い。
ただ、GIIを勝てる馬や、GIに出走する馬がちょこちょこいるのは救いだ。
お手馬2頭が海外で悲惨な目に遭った横山典弘。
蛯名正義や武豊らが海外遠征を何度もしているのに比べ、彼が遠征を避けがちで、遠征する時も海外馬に乗ることが多かったのはこの一件が理由なのかもしれない。
そしてそんな彼の心の傷を癒したのが、翌年のクラシックを共にした芦毛の名馬だったのかもしれない。
苦渋を飲んでいたジョッキーがここにもいた。
安田記念。
去年の安田記念。絶対に勝ったと思ったら見事に横山のトロットサンダーに差し切られた岡部幸雄。
悔しさのあまりロッカーを蹴るなどしてしまうほど勝ちたかったレースだったという。
トロットはもういない、今年こそと自信を持って挑んだ。
吹き荒れるは春の嵐。
タイキブリザードの逆襲。
ここまでGI2着3回。どうしても勝てなかった彼がついに手にしたGIの冠。
今までの先行策から、中団で脚を溜める競馬にシフトさせ、同じく岡部のお手馬、田中勝春騎乗のジェニュインを後ろから差し、見事に勝利した。
狂飈
タイキブリザード
父 シアトルスルー 母父 ササフラ
23戦6勝[6-8-2-7]
主な勝ち鞍 安田記念 産経大阪杯(GII) 京王杯SC
94世代
父は史上初のアメリカ無敗三冠馬シアトルスルー。
母父は11戦無敗だったマルゼンスキーの父ニジンスキーに自身の引退レースの凱旋門賞にて初めて敗北の屈辱を与えたことで有名な凱旋門賞馬ササフラ。スケールがデカすぎてなにがなんだかわかんねえよ。
日本の馬は走る時に首の位置が高めだが、海外は低い。
海外、特に欧州は芝が硬いしボコボコしている。首を高くして下を見てなかった時に脚を踏み外したらひとたまりもないからだ。
その点で言えばめちゃくちゃ外国馬っぽい走りをしていたタイキブリザード。
アメリカのブリーダーズカップのために二度遠征したがどちらも敗北。マイルじゃなく格の高いダート2000mに挑んだのが悪かったのだろう。
彼の初挑戦から日本馬がブリーダーズカップを勝つためにかかった年数はなんと25年にも及んだ。
何はともあれ、善戦止まりだったブリザードもようやくGI馬に。
そのまま宝塚記念へ直行することになった。
宝塚記念も、悲願の一戦となった。
ここで勝てなければもう後がない。
ローレルは遠征、トップガンも秋に備えるため回避した。絶好の舞台。
マーベラスサンデーは1番人気になった。
しかし、決して手薄ではない。
相手は多数いる。
安田記念から中2週で疲れもあるであろうタイキブリザードと、昨年のジャパンカップで謎の大敗をしたバブルガムフェロー。そして女王ダンスパートナー。
バブルはGII鳴尾記念でダンスパートナー相手に勝っている。
しかし大阪杯でイシノサンデーとロイヤルタッチを楽々下したマーベラスサンデーも負けてない。
同じ競馬場、ほぼ同じコースでこの走り。ここももちろん自信があった。
最強のジュニア王者か、古馬になって花開いた三強の寵児か。
仁川の舞台、潜む魔物と舞う粉塵。
その中で拳を掲げたのは…
マーベラスサンデーと武豊だった。
父の縁があり騎乗にこぎ着けたこの馬。
3着以内には入るものの全く勝てなかったGI。
ようやく手にしたこの舞台で、武豊は珍しく何度も拳を挙げた。(たぶんダンスインザダークぶり)
ここからという所で、マーベラスは故障してしまった。綺麗に故障するタイミングもほぼ同じな古馬三強。だがマーベラスだけは有馬で復帰することに。
もちろん1番人気に支持されるのだが…
クラシック97世代の3歳秋はすごかった。
勝者が引退や輝きを失う中、敗者と未出走馬が時代をつくる。
次回、革命前夜。
栄光はつづく。
まとめ
古馬3強は役目を終え、97世代の大躍進が始まります。
次回は世界のマイル王とワンダーホースと再起のブライト、さらに次回は…
お楽しみに。