ウマ娘で学ぶ競馬史 #17 最強世代 (1998)
みなさん、ウマ娘やってます?
と言いながら今回も競馬の話をします。
そろそろこのフレーズ変えた方がいいな。
僕が凱旋門賞で500円を溶かした裏でフォロワーさんがビギナーズラックで80万儲けてたので、今後自分の身に何かあったらあの人にすがろうと心に決めました。
日本馬は今年も惜しいどころか惨敗でしたね。壁は高いです。むしろ今までよく4回も2着取れましたよね。
今回紹介するのは凱旋門賞で日本馬初の2着となった伝説の馬の世代。
いよいよですね。
史上最高クラスに熱い時期のおはなしです。
↓前回
変わる常識と切り拓く者。
その道の先に見える世界。
踏み入るは新しい風。
相対する王道を歩む者。
目指す頂を超える激闘が、そこにはあった。
飛颺
グラスワンダーが朝日杯をレコードで勝利し、不世出のつわものが現れたと歓喜する観衆。
その熱狂は今からは考えられないほどのものであった。
JRA賞は記者により投票されるのだが、グラスワンダーはまだ2歳だというのに年度代表馬に投票されたくらいだった。それも何票も。
結局、エアグルーヴが牝馬としては20年以上振りの年度代表馬になるのだが、翌年にはグラスも、と考えていた人は大勢いたはずだ。
空想し、敷衍するは大いなる飛躍。
重ねるはマルゼンスキーの幻影。
あの頃には無かったGI、NHKマイルカップ。
そしてその直線上にある天皇賞。
いつか夢見た幻想が、現実に変わる瞬間が来た。
誰もがそう思った。しかし。
伝説的な激走には、往々にして故障が付き物である。
ごくごく軽いものではあったが、グラスワンダーは骨折していた。
春は休養に充て、秋からの復帰となった。
王者不在かと思われたNHKマイル。
もう一頭の王者は颯爽と現れた。
さながら猛禽類のような猛々しい走り。
わずか90秒で世代の頂点に立った。
98世代、第二の怪物。それがこの馬だ。
怪鳥
エルコンドルパサー
父 キングマンボ 母父 サドラーズウェルズ
11戦8勝[8-3-0-0]
主な戦績
ジャパンカップ 🇫🇷サンクルー大賞 NHKマイルC
🇫🇷フォワ賞 ニュージーランドT 共同通信杯
🇫🇷凱旋門賞2着 🇫🇷イスパーン賞2着
主な産駒
ヴァーミリアン アロンダイト ソングオブウインド
母父としての主な産駒
マリアライト クリソベリル クリソライト
98世代
新馬戦(ダート)を9馬身差で勝って以降、連戦連勝。
大雪で芝が使えず、ズブズブのダートで行われた共同通信杯も、芝のニュージーランドトロフィーも余裕で勝利し挑んだGI。
ここでも余裕の手応え。先が期待できる走りだった。
あまり血統の詳しくない人にはピンと来ない父と母父かもしれないが、この血はガッチガチである。
父の父ミスタープロスペクターの血は国内外問わず数多くの競走馬に入ってるし、父キングマンボの子孫はエイシンフラッシュからソダシ、アーモンドアイまで多岐に渡る。
母の父サドラーズウェルズは欧州競馬でこの血が入ってない馬はいないほど必須アイテムであり、サドラーの血があるだけで重馬場適正が付く。今世紀の欧州の名馬を辿るとだいたいサドラーズウェルズの血が入っている。
そんなガチガチの良血のエルコンさん。
サドラーの血が入っていること以外にも外国産馬らしい点が見受けられた。
血が濃すぎるんすよ。
画像は5代血統表。つまり曽祖父のさらに祖父までが書いてある。
さて、この中で同じ名前はいくつ見つけられたでしょうか。
簡単にまとめるとエルコンは
父方の祖母の父の母 と 母方の祖父の祖母 が同じ馬、そして母方の祖母はその馬の兄弟
父方の祖母の祖父 と 母方の祖父 が同じ馬
父方の曽祖父 と 母方の祖父の母の父 が同じ馬
ということになる。
要するにエルコンは皇族かと思うほどに近親だけで交配され生まれた馬なのだ。
ここでも書いた通り、ここまで濃くインブリードが入ると気性面が狂ったり、体質が弱くなったりする。
しかしエルコンにはそういった点は見られず、むしろ先祖の強い所だけを受け継いだ強い馬になった。
そんなわけで期待されるのはグラスとの頂上決戦。
秋の東京に期待は募る。
青嵐
グラスとエルコンという二大巨頭。
されど国産馬にも頂点を揺るがす存在がいた。
当時からGI並の熱量だったGIIIラジオたんぱ杯(現ホープフルステークス)。
圧倒的1番人気のコンビは、大きな問題を抱えていた。
不屈の結晶
キングヘイロー
父 ダンシングブレーヴ 母父 ヘイロー
27戦6勝[6-4-4-13]
主な勝ち鞍 高松宮記念 中山記念
主な産駒
ローレルゲレイロ カワカミプリンセス メーデイア
ダイアナヘイロー キタサンミカヅキ
母父としての主な産駒
イクイノックス ピクシーナイト ディープボンド
98世代
父ダンシングブレーヴは当時の歴代最強馬(今でも最強と言われている)、母グッバイヘイローはGI7勝馬。
なんでこんなすごい馬の子が日本なんかで走ることになったのかと言うと、日本の競馬関係者が1990年にグッバイヘイローを2億強で落札していたから。
後のサンデーサイレンス(グッバイヘイローと同じくヘイロー産駒)の種牡馬としての活躍っぷりや、シングスピールの大激走を見てると2億なんて安すぎた…
かと思いきや、グッバイヘイローの子は全然走らなかった。厳密には、グッバイヘイローに種付けされていた父の子が全然走らなかった。
で、3年連続で同じ馬の種を付けたものの諦め、4年目でダンシングブレーヴにしたらとんでもない子が生まれたのだった。
最初は馬主の浅川さんの冠名「アサカ」(わかりやすい)を冠し「アサカヘイロー」にする予定だったが、世代No.1の実力と騒がれ、なんやかんやでキングヘイローになる。アサカヘイローならここまで人気出てなかったって誰もが言う。
ウマ娘では何度挫けても諦めないドラマティックウマ娘になっているが、実際はそんなことはない。
素質の高さの割にわがままで言うことを聞かず、思い通りのレースが出来なかったのだった。
ベテランジョッキーなら無理やりにでも勝てるパターンや、レースしながらやる気を出させたり勉強させたり出来るのだが、当時のキングヘイローの主戦騎手は福永祐一。デビューして日の浅い若手ジョッキーだった。
実際、ラジたんでも脚を余して2着。
若干の不安点を抱えながら春へ向かう。
一方、1着になったロードアックス。
しかし彼の父はヒシアケボノと同じウッドマン。
ウッドマン産駒は早熟傾向が強く、3歳春からはロードアックスの躍進は鳴りを潜めた。
そして弥生賞。
例年と同じく若い優駿たちが出揃う。
例年と違うところと言えば、ここに出た馬だけでクラシックが完結するほど上位3頭が頭一つ抜けていたところだ。
語るまでもないだろう。
1着はこの馬。
日本総大将
スペシャルウィーク
父 サンデーサイレンス 母 キャンペンガール
母父 マルゼンスキー
17戦10勝[10-4-2-1]
主な勝ち鞍
日本ダービー 天皇賞春秋制覇 JC GII4勝 GIII1勝
主な産駒
ブエナビスタ シーザリオ トーホウジャッカル
ゴルトブリッツ リーチザクラウン
母父としての主な産駒
エピファネイア サートゥルナーリア ディアドラ
ジュンライトボルト リオンディーズ
98世代
(この画像の汎用性すごい)
90年代競馬の主人公、スペシャルウィーク。
アニメでもそこそこ言及されはしたが、深めのバックボーンを抱えた馬だった。
母はシラオキ様から脈々と受け継がれた血を継ぐキャンペンガール。つまりハッピーカムカムである。
しかしキャンペンガールは出産後に亡くなってしまう。
人間に愛されながら育てられたため、スペちゃんは人間大好きな子になった。ここまではウマ娘知識でもぼんやり分かるはず。
でもスペちゃんは馬と戯れず育ったため、馬不信というか、そこまで馬が好きじゃないのだ。スズカさん…
(ウマ娘世界線ではウマ娘も人間のようなものなので、ある意味史実準拠ともいえる)
スペちゃんは勝負根性が強すぎる馬で、とにかく前に馬がいたら差す、並ばれたら差し返すど根性ウマ娘だった。その点はオグリと似てるかも。
史実の弥生賞でも持ち前の脚で差し切り勝ち。
そして2着はこの馬。
逃げの魔術師
セイウンスカイ
父 シェリフズスター 母父 ミルジョージ
13戦7勝[7-1-1-4]
主な勝ち鞍
皐月賞 菊花賞 札幌記念 京都大賞典 日経賞
母母父としての主な産駒
ニシノデイジー
98世代
(ウマ娘のキャラ付けが良すぎて史実馬より好きになる子ランキング、マチカネフクキタル、カワカミプリンセスと同率1位です)
競馬はブラッドスポーツ。何度も語ってきたことだが、セイウンスカイにはそれが当てはまらない。
父方の家系はハイペリオン系、母父はミルリーフ系。
血統だけで言えば20年くらい前に流行ったものだ。
血統に流行り廃りがあるのは、より今の馬場に適応でき、能力を発揮しやすい血統が更新されていくから。
最新の馬場においては、昔の血統より流行りの血統の方が間違いなく優れているのだ。
一方のウンス(セイウンスカイ)さん。98年に主流となっていたサンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンの血は一切入っておらず、ミスタープロスペクターの血もない。ノーザンダンサーも母方に薄〜く入ってるだけ。
簡潔に言えば「終わった零細血統の馬」なのだ。
そんな馬がGIIで2着に入った。
これだけでも目を見張るものがあるが、ここからウンスは更に飛躍する。
3着はキングさん。思ったより脚が切れず。
底が見えたのか、気性の問題か。
そうして迎えた皐月賞。
弥生賞組が上位人気を占める中、4番人気にも有望株がいた。
幻の熱狂
エモシオン
父 トニービン 母 アドラーブル
21戦5勝[5-2-2-12]
主な勝ち鞍 京都記念
98世代
馬名の由来はemotionのスペイン語読み。
競馬ぽたくは「エモすぎてエモシオンになった✋」とか言わない。
実はこの馬、キングヘイローばりの期待を受けていた。
母のアドラーブルはニシノフラワーのライバルであり、オークス馬。
そんな血統背景で、しかも馬体も見栄えが良くてとなると期待されずにはいられない。
新馬戦は3着に敗れたものの、1着馬はその後すぐに重賞を勝つほどの馬。早熟かそうでないかの違い。そう思われていた。
そこからは立て直して2連勝。OP戦で2着になってしまったが、年明け3月のすみれステークスを勝利し皐月賞に挑んだ。
そして5番人気。
孤高の光
ディヴァインライト
父 サンデーサイレンス 母父 ノーザンテースト
26戦4勝[4-6-2-14]
主な戦績
2着-高松宮記念 マイラーズC 毎日杯 東京新聞杯
主な産駒 🇫🇷ナタゴラ(欧州GI2勝)
98世代
弥生賞5着だったこの馬。
なんとか出走賞金を稼ごうと毎日杯に出てクビ差ギリギリ2着。
中2週の強行ローテで皐月賞へ。
岡部幸雄が騎乗し波乱を狙う。
スペシャルウィークは大外18番ながら単勝2倍を切る大人気。
しかし、乗り替わり初騎乗となったセイウンスカイ横山典弘は強かに笑った。
サクラローレルやタイキシャトル以来の手応えを感じていたに違いない。
さほどペースは速くなかった。
途中までは2番手だった。
なのに、キングが追っても、スペが伸びても、一向に追い付けなかった。
ライアンでできなかった、悲願のクラシック制覇。
横山は人差し指を天に突き立てた。
目指すは三冠。薄曇りの中山競馬場に青雲が広がった。
上位人気5頭が全員入着、1〜3着、そして5着が弥生賞出走馬と、実力の拮抗したレースだった。
日本ダービー
それでも観客の総意は変わらないもので、スペシャルウィークが1番人気、キングヘイローは2番人気で、セイウンスカイはむしろ3番人気に転落していた。
もちろんセイウンスカイ陣営は虎視眈々とダービーを狙っていたのだが、待っていたのは予想だにしない展開だった。
ダービー初騎乗のいっくん先生。
緊張で頭が真っ白になり、なぜか逃げてしまったのだ。この時点でキングヘイローのダービーは終わった。
そうなると冷静な横山典弘はキングの横に付け、仕掛けのタイミングを見ながら進めていく。
波乱の展開にどよめく中、仕掛ける馬もおらず、レース中盤はかなりゆったりとした流れに。
そして最後の直線。
セイウンスカイが徐々に前に進出しようとした時にキングヘイロー福永のムチがスカイに当たってしまい掛かる。仕掛けが早すぎて失速する形に。
そしてキングヘイローももちろん沈む。
沈みかけるセイウンスカイを横目に、ただ一頭伸びる黒い影。
過去、どれだけダービーに挑んでも勝てなかった武豊。どれだけ挑んでも東京ダービーに勝てない地方競馬のスーパージョッキー・的場文男と同じように、武豊も日本ダービーに勝てないのは運命なのだとすら言われていた。
今までの日本ダービーで最も惜しい戦績を残したダンスインザダーク。スペシャルウィークに初めて乗った時、武は「ダンスインザダークに似ている」と感じたという。
そんな手応えを感じながら弥生賞を勝利。皐月賞の雪辱を晴らすためのダービー。
最後の直線、ムチを回した瞬間に落としてしまった。
けれど落とした頃には差が開いていた。
大きく、大きくガッツポーズをした武豊。
(しかしムチは落とした武豊)
「20代のうちにダービーを勝つ」という目標を掲げていた武豊。
29歳、ラストチャンスにして執念のダービー制覇。
ここからスペシャルウィークは史上最強のダービー馬となり、伝説の菊花賞へと続いていく。
キングヘイロー福永はレース後、引退し調教師転向したマヤノ主戦田原成貴にこっぴどく怒られたらしい。
しかし、この時のキングヘイローは誰が乗っても勝てる状況ではなかったし(スペが強すぎた)、この時のミスがあったから今の福永大先生が存在するのだ。
一方そのころ。
98年はあまり語られない牝馬クラシックも熱かった。
黒き華の女王
ファレノプシス
父 ブライアンズタイム 母 キャットクイル
母父 ストームキャット 半弟 キズナ
16戦7勝[7-1-1-7]
主な勝ち鞍
牝馬二冠(桜花、秋華) エリ女杯 ローズS
98世代
ナリタブライアン、ビワハヤヒデのいとこにあたる牝馬、ファレノプシス。
デビューから3連勝でチューリップ賞に挑むも、4着に敗れ武豊に乗り替わり。
チューリップ賞勝ち馬のタマモクロス産駒、ダンツシリウスが1番人気に押し出されたものの…
この豪快な差し切り。
ダンツシリウスはここに来るまでに既に12戦も消化しており、走らせすぎたツケが来たのか大敗し、後に骨折引退となった。
そして迎えたオークス。
1番人気はファレノプシス、2番人気は横山典弘エアデジャヴーと、ダービーに似た構図になったが、結果はダービー同様波乱に。
エリモエクセル。7番人気の重賞未勝利馬。
また的場均。有力馬をマークさせたら的場均が強いに決まっている。
グラスワンダー、エルコンドルパサー、エリモエクセルとこの年は絶好調の的場騎手。
まだまだ快進撃は終わらない。
白銀
その頃の古馬戦線では、長きに渡る物語の主人公が産声を上げた。
黄金旅程
ステイゴールド
父 サンデーサイレンス 母 ダイナサッシュ
母父 ディクタス 全妹 レクレドール
50戦7勝[7-12-8-23]
主な勝ち鞍
🇭🇰香港ヴァーズ 🇦🇪ドバイシーマC(GII) 目黒記念
日経新春杯 阿寒湖特別
主な産駒
オルフェーヴル ゴールドシップ オジュウチョウサン ドリームジャーニー ナカヤマフェスタ
フェノーメノ ウインブライト インディチャンプ
他多数
母父としての主な産駒
アランバローズ
97世代
アニメではキンイロリョテイとして登場したステイゴールドさん。
通称ステゴ。名馬であり迷馬だ。
まずはこの馬を語る前に、偉大なる狂気の一族の紹介をしていこうと思う。
彼の母の父ディクタスが狂ってることはサッカーボーイを紹介した際に話したと思う。
ディクタスの一族を見分ける時に指標になるのが、「ディクタスアイ」と呼ばれるもの。
こういうガンギマった目をしたらそれはディクタス一族。間違いなくそうだ。
ではここからはサッカーボーイよりもステイゴールドの血脈の方がやばい理由を説明していこう。
ステゴの母のゴールデンサッシュは有馬記念で流血しながらオグリの3着に食いこんだ狂気の気性難、サッカーボーイの妹。
当然両親が同じなので性格も似ていて、種牡馬と種付けをする時、相手に噛み付いたりしていたという。
お前それでも草食動物かよ。
そんなこんなで産み落とされたのがステゴだった。
ステゴのやばい所は父親にもある。
父サンデーサイレンスは気性難だったし、祖父ヘイローに関しては厩務員の腕に噛み付いて振り回したりしていたらしい。
スペやディープ、フジキセキやタキオンのように聡明な馬も生まれてはいたが、ステゴやエアシャカールのようなじゃじゃ馬もサンデーサイレンス産駒の特徴だった。
そんな狂気の血がふんだんに入ったお家柄なので、走ることに全てを捧げた結果、それ以外の全てを失くしたような馬になった。
幼少期は調教師との初対面で立ち上がって二足歩行したり振るい落としたり、放牧したら他の馬追っかけ回して噛み付いたりと、よく去勢されずに済んだなって感じの素行だった。
そんなステゴさんのデビューは96年12月。初勝利を挙げたのは97年5月。
何戦もしながら競馬を教え、暴れないように少しづつ訓練させていくしかなかった。
幸い、身体能力はバカみたいに高いし馬体も丈夫かつ小柄で体力消耗も少なかったため、何戦もレースを使うことができた。
翌6月には今で言う1勝クラスのレースを勝利。
更に7月には2勝クラスも勝利した。9戦目のことだった。
この時のレースが「阿寒湖特別」。
以降これがネタにされることになるとは…
菊花賞に挑んでマチカネさんに負けたので、とりあえず条件戦を抜け出すことを考える。
しかし、勝てない。
3勝クラスで2着。格上のオープン戦に挑んで2着。もっかい3勝クラスで2着。
どうせならと挑んだ長距離GIII・ダイヤモンドステークスでも2着。これのお陰でようやく道が開ける。
オープン戦までは勝たないと収得賞金を加算できないが、重賞だと2着までは獲得賞金の半額の収得賞金が加算されるので、今までの3勝分と合わせて収得賞金は2400万くらいにはなったんじゃないだろうか。こうなると層が厚くないGIならなんとか出られる。
目指したのはもちろん、春の大一番だった。
天皇賞(春)
1番人気は有馬記念勝ち馬シルクジャスティス。
2番人気はメジロブライト。
3番人気以降はオッズが13倍を超えていた。
ブライトはステイヤーズステークスで牝馬のプロ松永幹夫騎手から短距離のプロ河内洋騎手に乗り替わりとなっていた。
そこで大差勝ち。そして阪神大賞典でもシルクジャスティスをクビ差下している。勝算は大いにある。
一族の悲願へ。
ゲートは開かれた。
レースは前目に付けた馬が勝利を握る展開となった。
シルクジャスティスは長距離が厳しいのか、いつものような豪脚は使えない。
ただ一頭ローゼンカバリーだけがものすごい脚で追い込んで来るが届きそうにない。
抜け出したのは、メジロブライトだった。
ようやく果たした、マックイーン振りの天皇賞制覇。
ライアンが、親が届かなかった夢の舞台。
そして狙うのは秋の盾。
陣営は燃えていた。
一方、ブライトから2馬身離され2着だった馬。
10番人気で春天2着。まさかのステイゴールド。
これにて半年で5回目の2着。そこまで出走して毎回2着なのすげえよ。しかも3000m超えのレースが3回。
色々と規格外だ。
「気性難は掛かるから長距離を走れない」みたいな事をどこかで書いた気がする。
それは正しい。しかしステイゴールドをそれに当てはめないでほしい。
ステイゴールドは頭のネジが100本外れた東大生だ。
一応競馬が何たるかを分かっていて、走りはするけど本気出すのはしんどいため、叱られない程度に楽をしていたのだろう。
まあ、何はともあれ2着。
収得賞金さえ稼いだらどんなレースでも出られる。
もちろん出るのはGIだ。
ここから主な勝ち鞍:阿寒湖特別(1000万下)、ステゴのシルバーコレクター伝説が始まるのだった…
邂逅?
ステゴがシルコレ伝説でうまぴょいしている裏で、ついに伝説が動き出す。
アニメ次元ではトレーナーの指示に従い、先行策の競馬をすべきだと自分を律するが、どうしても衝動を抑えられずに掛かり、失速を繰り返したスズカさん。
しかし、チームスピカ移籍後、伝説の大逃げウマ娘に覚醒。
そのレースっぷりを見て、スペちゃんはスズカに惚れるのだが…
そのレースの元ネタこそステゴがダイヤモンドステークスで2着になった前の週のオープン戦、バレンタインステークスだった。
話は前年の神戸新聞杯に遡る。
圧倒的1番人気で逃げたスズカ。
鞍上の上村騎手は勝利を確信し、追うのをやめた。
その瞬間にものすごい脚で追い上げてきたのはマチカネフクキタル。
騎手として絶対にあってはならない負け方で2着に甘んじてしまった。
当然、スズカの調教師であり後にアドマイヤベガやディアドラを管理した橋田調教師は激怒。
上村騎手は降板になった。
エアグルVSバブルの天皇賞(秋)ではテン乗りにも定評のある河内洋に乗り替わり。
強烈な逃げで覚醒後の片鱗を感じさせたが、直線で沈み6着。
京阪杯(当時は1800m)に舵を切ろうと考えていたが、香港国際競走への招待が来たため路線変更。
マイルチャンピオンシップ(GI1600m)→香港国際カップ(GII1800m)という中2週のハードローテに挑むことに。
MCSはタイキシャトルとキョウエイマーチが争う中でスズカは15着と大敗。圧倒的な強さがあったわけでもなく、その中でローテ変更があり調教過程がすっ飛んだのだから仕方なくはあるが、それでも敗北の衝撃は大きく「スズカはもう終わった」と思われていた。
しかし、ただ一人、この馬の圧倒的な才能を見抜いていた人物がいた。
言うまでもない。武豊である。
本来、武騎手は依頼された馬にしか乗らないスタンスを取っていたのだが、武豊は橋田調教師に「乗せて欲しい」と直談判したのだ。
というのも、河内騎手はそこまで海外遠征に積極的でなく、国内の騎乗に専念したい旨を伝えたため、香港で誰が乗るかまだ決まっていなかったのだ。
トップジョッキーからの直談判なので橋田師ももちろん快諾。後にアドマイヤベガを進んで乗せるくらいには蜜月の関係になった模様。スズカの馬主さんはむしろ豊さんに乗って欲しかったらしく思わずニッコリ。
そして迎えた香港。
当時はGIIだったが年末にある国際競走が香港くらいしかなく、アジアの強豪が軒並み顔を合わせた。
スズカは8番人気だった。
今まで数多くの馬をGI馬にしてきた武豊。
そりゃ自信はあった。「俺なら上手く乗りこなせるんじゃないか」と。
行けそうだったら抑えて競馬をさせてみて、無理だったら逃げさせよう。そう考えていた。
ゲートが開いて数秒。豊は悟った。
「あっこれ絶対無理だ」
スズカの手綱を引く力が強すぎる。
抑え続けたら共倒れなので、体制を立て直して逃げ。
好きなように逃げさせると、一時は1000mを58秒台という香港芝では驚異的なペースで逃げたが、最後の直線で抜かされ5着。
しかし、豊は思った。
「この馬はすごい、とんでもない逸材になる」と。
そして年が明け、2月。バレンタインステークス。
ついにサイレンススズカが覚醒する。
豊は考えた。
バレンタインステークスは香港の時と同じ1800m。
あの時のペースで1000mを58秒弱で走り、そこから400mで息を入れ、残り400mで末脚を使えば勝てる。
こんなのは理論上の話と思うかもしれない。
しかし、武豊は時計だ。
正確無比すぎるほどの体内時計がある。
ちゃんと大仕事をやってのけ、4馬身差で逃げ切った。
未完の大器が大器と化した瞬間だった。
異次元の逃亡者
サイレンススズカ
父 サンデーサイレンス 母 ワキア 母父 ミスワキ
16戦9勝[9-1-0-6]
主な勝ち鞍 宝塚記念 金鯱賞 毎日王冠 中山記念
97世代
心なしか凛々しいスズカさん。去年までとは別物。
今更ながらだが、馬名の由来はもちろんナリタブライアン同様冠名+父の馬名である。安置だけどかっこいい。
この勝利はまぐれではなかった。
次走、中山記念でも1000mを58秒ジャストで逃げると、最後は脚を余して勝利。
前半のあまりにもハイペースな逃げに、ローゼンカバリー、イシノサンデーなどの重賞馬ですらバテてしまったからだ。
そして、1番にならない限り掛かるサイレンススズカに、「1番になれたら息を入れる」教育を施すため、また次のレースの前哨戦として、当時は春開催、そして小倉競馬場工事のため中京での開催となったGIII、小倉大賞典(1800m)に出走。
トップハンデを背負いながら200mラップタイムは常に11〜12秒台。
そしてあっという間にレコード勝ち。
圧倒的なスピードとスタミナを手にし、1800mなら無敵の走力を手にした。ならば中距離ではどうか。
元々左回りが得意なサイレンススズカ。
中京でなら2000でももつだろう。
金鯱賞
当時は宝塚記念の前哨戦的な立ち位置だったこのレースで、サイレンススズカは衝撃の競馬をした。
説明不要。10年に一度あるかないかの、重賞で大差&レコード勝ち。
メジロブライトのステイヤーズステークスも圧倒的ではあったが、こちらは良馬場2000mでこれだ。
相手が故障明けとはいえ、神戸新聞杯で差されたマチカネフクキタルに15馬身以上の差を付け圧勝。
こうなるともう敵無し。破竹の4連勝でGIへ向かう。
宝塚記念
本当は秋の天皇賞に向けて放牧する予定だったが、ファン投票で上位になったこと、調子も悪くないことから出走を決意。
しかし、サイレンススズカの背に武豊はいなかった。
実は武豊、年末まではエアグルーヴに先約があり、どうしてもスズカに乗れなかったのだ。
わざわざ阪神や東京での騎乗依頼を蹴ってまで中京に出向き、スズカのレースに専念していた武豊。
どちらの馬も選べないほど大事な馬だっただろうし、苦渋の決断だったと思う。
同時に、今の無敵スズカにエアグルーヴならどこまで太刀打ち出来るか楽しみでもあっただろう。
スズカの鞍上に抜擢されたのは南井克巳。
ご存知タマモクロス、オグリキャップ、ナリタブライアンの主戦であり、マチカネフクキタルで菊花賞も勝利したバリバリの一線級。騎手に不足はない。
スズカ、ブライト、グルーヴ、ジャスティスが上位人気を占める。
牡馬と戦いだしてからは散々のドーベルは6番人気。
そのドーベルに目黒記念で先着したはずのステゴは、なぜか9番人気だった。
枠入りの途中でブライトが立ち上がり、ゴーイングスズカとドーベルが慌てて退避。発走は遅れた。波乱の予感がしたが…
しかしスタート後、スズカはゆっくりと前に進出。
その後も大きく逃げを打ち、道中ではしっかりと息を入れた。
武豊が教え込んだ逃げ馬の競馬が、ちゃんと身を結んでいた。
そして、南井も南井で考えていた。
「この馬の強さなら、一般的な逃げ馬のレースをしても勝てるのではないか」と。
前半はハイペース(それでもマイペース)に持ち込み、中盤でラップを緩ませる。そして終盤にまた突き放す。
最終コーナーで差を詰められたが、道中ブライトは大失速。ステゴはステゴなので1着には来ない。
エアグルーヴも牝馬らしからぬ豪脚で詰め寄るが、最後の1馬身は気が遠くなるほど遠かった。
堂々の逃げ切り。それも、今までの大逃げとは異なる、「王道の逃げ」での勝利。もう弱点はどこにも見当たらなかった。
満を持して、サイレンススズカは世代トップに君臨。
現役最強の座にも手が届きかけていた。
そして南井騎手はこれが最後のGI勝利となった。
不調とかではなく、翌々年から調教師に転向するためである。引退直前まで勝ち続ける騎手って、トップジョッキーって感じがしてとてもいい。
一方のステゴさんはまた2着。ステイゴールドというよりステイシルバーな感じの戦績。
これは決して騎手が非力な訳ではない。
主戦の熊沢騎手は芝/ダート/障害を問わず重賞で勝ちを収める一流ジョッキーであり、あのダイユウサクで波乱の有馬記念を制した騎手だ。
ちなみに今も現役を続けてるし2021年現在も重賞も勝っている。
そんな騎手が御してもGIIIすら勝てないのだから、これはもう勝てなくても仕方なかったのだろう。
主な勝ち鞍:阿寒湖特別でGI2着を繰り返すネタっぷりに競馬ファンは惹かれていったのだった。あだ名が「アカン子特別」になるまで、そう時間はかからなかった。
そして栄光と迷走は秋に続く。とその前に。
越境
短距離路線も伝説が生まれた。
昨年、ローズステークスで3着になり、クラシックを諦めそのまま長期休養に入ったシーキングザパール。
年明けシルクロードSを勝利し1番人気で目指したGI、高松宮記念。
フラワーパークもヒシアケボノもおらず、ビコーペガサスも低迷した短距離界で期待されるのは当然。
しかしパールは4着。パールとはそういう馬だ。
勝ったのはシンコウフォレスト。昨年のシンコウキングに続き高松宮を連勝し、第1回GIフェブラリーSもウインディで制したシンコウ勢だが、ラブリイ以外全部影が薄い。なんでなんですかね。
安田記念
藤沢厩舎特有の馬優先ゆるゆるローテで年明け5月から始動したタイキシャトルは余力を残したままステップレースのGIIを勝利し、1番人気で1枠2番へ。こんなもん敵無しでしょ。
と思ったらまさかまさかの大雨不良馬場。
ローテーションの関係上、海外勢が殴り込んでくる安田記念。
普段から重い馬場で走り慣れている欧州馬には有利かと思われたが…
タイキは先団に取り付いて折り合いを付け、荒れた内の馬場より少し外を走らせて体力消耗を減らした。
3コーナーから直線に向いた瞬間はまだ1番手とは差があった。
しかしそこから不良馬場とは思えない末脚。
真に強い差し馬は最後の直線で一頭だけ倍速のような伸びを見せる。
大雨の中の無敵。
そう評された極上の脚。
声高に語る実況は曇天を突き抜けた。
ん?世界?
違和感を覚えた方もいるかもしれないが、そう。
タイキシャトルはこれに勝つといよいよ海外遠征の予定が入っていたのだ。
いよいよ史上初、日本馬の海外GI制覇が見えてきた。
…のだが、まさかまさかの先客がいた。
モーリス・ド・ギース賞
またはモーリス・ド・ゲスト賞とも。海外特有の表記揺れ。
海外競馬は競馬場のバリエーションが豊富なので、変則的な距離やコースでのレースも多くある。
このレースは芝直線1300mGI。
数年前からGIに昇格した、やや格は低めのレース。
こんな穴場GIへ勝負に挑んだのは…そう。
シーキングザパールだった。
シーキングザパールを管理していたのは、フジヤマケンザンの時に紹介した森厩舎。
「先駆者であれ」という戸山調教師の教えを胸に深く刻んだ森さんは、色々あって話題性のあることは全部やる調教師になってしまった。
そんな森厩舎の今回の先取り新記録は
「日本調教馬初の海外GI制覇」
だった。
国内では凡走を続きだったシーキングザパール。
引き続き武豊を鞍上に駆け抜けると…
まさかのレコード勝ち。
じゃあ海外が合ってたのかと聞かれれば、その後は何度遠征しても勝てなかった。
いとも容易く日本馬初の海外GI勝利を成し遂げたパール。海外の競馬ファンは怯えていた。
1週間後に、もっと強い日本馬が来ることを知っていたからである。
ジャック・ル・マロワ賞
直線1600mGI。
フランスのマイルGI最高峰として知られ、欧州以外の馬の勝利経験は無く、過去には史上最強馬ダンシングブレーヴの父として知られ、メジロラモーヌやディープインパクトの先祖でもある大種牡馬リファールや、ダイユウサク、ヒシアマゾン、エフフォーリアなどの先祖のノノアルコなども激戦を繰り広げた熱いレースだ。
そんなレースでタイキシャトルは1番人気に支持され、横綱相撲で完勝したのだった。
このレースっぷりが評価され、なんとフランス版JRA賞、エルメス賞の最優秀古馬に輝いたのだった。
しかし、ご存知の通り空気です。
なぜかあまり知られておりません。
日本馬初の海外GIの栄光は無理やり1週間前のGIに調整してきたパールにぶんどられ、肝心のジャック・ル・マロワ賞は日本で知名度が無く、どれだけ凄いのかあんまりよく分かられなかったという。
ちょっとかわいそう。
数ヶ月後にも不憫なできごとがあるが、それは置いておいて。
抜山蓋世
ブライト、スズカ、タイキ、パール(ついでにステゴ)が台頭し、一気に到来した97世代の時代。
唯一時代に抗った馬がいた。
エアグルーヴ、執念の札幌記念。
極端な前残りのレース展開で、もう勝ちを確信できるレベルまで差を広げたサイレントハンター。この馬は後にそこそこ活躍する実力馬だ。
鞍上はドーベルの吉田豊。後にパンサラッサでドバイを逃げ切るだけあって、この頃から逃げ馬の扱い方が完璧である。
そんな安心感すら感じる逃げ馬に、難なく加速し、捉え、数馬身差付けて勝ち切る女帝。
史上初にして、現在でも唯一の札幌記念連覇達成。
最強の座は、譲らない。
そんな女帝をGIで下した逃亡者は、この一戦で更に大きな伝説となった。
毎日王冠
天皇賞のステップレースとなる一戦で、後の主役が対峙した。
異次元の逃亡者、サイレンススズカ。
マルゼンスキーの再来、グラスワンダー。
豪脚の怪鳥、エルコンドルパサー。
なお、サイレンススズカは覚醒してから無敗、グラスワンダー、エルコンドルパサーはデビュー以来無敗である。
こんなん盛り上がらない方がおかしい。
将来有望なGI馬3頭による叩き合い。
熾烈なデッドヒートが予想されたが…
それは、どこまでも飛んで行けそうな走りだった。
1000mを57秒台という殺人的なペースで飛ばした後、ほんの数百メートル息を入れたスズカ。
そうはさせまいと早めに仕掛けたのはグラスワンダー的場均。
しかしあまりのスピードについていけず失速。
対して、真っ向勝負で追いかけたエルコンドルパサー。鞍上は今回から乗り替わった蛯名正義。
上手く行けば差せると誰もが思った。しかし。
そこからまた加速するなんて。
絶望は時に美しく見える。
エルコンドルパサーの目に、蛯名正義の目に、サイレンススズカはどう映ったのだろうか。
逃げ差し。
そう形容される彼の脚質は、武豊が考える最強馬の理念に適ったものだった。
序盤から終盤まで誰にも追い抜かれず、最後に突き放して勝つ。
後に世界に羽ばたく馬を子供扱いした異次元の末脚。
もう、勝負付けは終わった。
今ここに、伝説が生まれようとしていた。
そして。
天皇賞(秋)。単勝1.2倍。
沸き立つ歓声。目の前の栄光。
大けやきの向う側。
時に、現実とは残酷だ。
あとがき
サイレンススズカの毎日王冠は、エルコンドルパサー蛯名も乗り替わり一戦目だったし、グラスワンダーに至っては怪我明けだから本調子じゃなかったのです。
ですが、それでもあの圧勝っぷりは日本最強馬だと思っちゃいますよね。
活躍した時代が地味に狭間感があるからなあ…せめてスペシャルウィークと戦えてたら手放しで最強って言えたんでしょうけど。
ちなみに僕は、ディープインパクトの頭脳とオルフェーヴルの肉体、オグリキャップばりの精神の図太さを兼ね備えた馬こそ最強馬だと思ってます。
そんな馬おらん。
それでは。