ウマ娘で学ぶ競馬史 #31 紡がれし希望 (2011)
謎の三冠バの画像でこんにちは。
みなさん、ウマ娘やってます?
前回の投稿からかなりの間隔が開きました。その間色々ありましたね。ゲームバランス調整で色々あってから、何とか落ち着いた感じですね。
うまゆるも始まりましたし、メディアミックス展開に負けないようゲーム制作班も頑張って欲しいです。
それにしても、昔このシリーズで紹介した競走馬たちが続々ウマ娘化し始めて嬉しい限りです。ケイエスミラクル紹介しといてよかった。(なおツルマルツヨシ)
今回もほとんどウマ娘は出てこないんですが、再現されたとしたら感涙ものの名シーンが無数にあるため、丁寧丁寧丁寧に紹介します。筆者の愛してやまない競走馬の回なので。
舞台は2011年。
悲しみの鳴り止まぬ1年に希望を灯した蹄音は、日本競馬を世界へ羽ばたかせたのでした。
祈り
2011年。我々日本人の心に深い傷を残したあの日。
東日本大震災の災禍は突然にやってきた。
どの業種の人も例外なく被害を受けた大災害であったが、競馬業界も甚大な被害を受けたといっていい。
中山競馬場はスタンドが壊れ、福島競馬場は施設に大きなダメージが入り、何より原発の放射線の影響で芝の張り替え、ダートの総入れ替えを余儀なくされた。
船橋競馬場は液状化現象の被害で長期間の開催見合わせとなった。
中でも厳しい状況に陥ったのが岩手競馬だった。
盛岡、水沢ともにスタンドの一部が崩壊。
福島と比べると幾分かマシではあるが、問題は岩手競馬の置かれた状況。
地方競馬は馬券売上の減少により、各自治体で存続の危機に晒されていた。岩手競馬は特に深刻だったが、NAR、JRAの全面協力によりなんとか持ち直し、今に至っている。
22年にはJBCが開催され、芝のレースも大幅強化。大井競馬場と並んで地方競馬を牽引している。
この状況があるのは奇跡に他ならない。
競馬というのは、こういう時に誰かの心の支えになりうる娯楽だ。
震災が起こる少し前のこと。3頭の日本馬が、あるレースのために海外に渡っていた。
昨年の年度代表馬、ブエナビスタ。
そのブエナビスタを有馬で破ったヴィクトワールピサ。
そしてダートGIを2連勝していたトランセンド。
この3頭でアジアの最高峰、🇦🇪ドバイワールドカップ制覇を目指していた。
ドバイワールドカップはダート競馬の頂点。アメリカのBCクラシックと双璧を成すレースで、日本馬にとっては凱旋門賞と同じくらい勝利は厳しい舞台。
トゥザヴィクトリー、カネヒキリ、ヴァーミリアンらをもってしても勝てなかった。
だが当時、ダート界はアメリカを中心に新しい動きがあった。
AW(オールウェザー/全天候型馬場)という、新しい“馬場”が生まれたのだ。
これは人口の素材で、芝やダートより遥かにローコストで使える、と言われていた。
(最終的に失敗寄りで終わるものの、中央の調教でよく使われるポリトラックなんかはAWの一種なので作られた意味は大きかった)
ドバイワールドカップはナドアルシバ競馬場で行われていたが、10年にメイダン競馬場という新競馬場に移転。ここのコースがダートでなくAWだったのだ。
移転直後、ウオッカとレッドディザイアがドバイWCの前哨戦のAWで行われたGIIに出走。ウオッカは鼻出血で沈んだが、レッドディザイアが勝利を収めた。
ディザイアはそのままドバイWC(AW開催)にも出走。
この2頭の走りやレース傾向から得たデータが、この年の3頭をレースへ駆り立てた。
ウオッカで知見を得た角居厩舎からは、歯が立たなかったウオッカの特徴とは真逆の、前に付けて競馬のできる脚捌きが(良い意味で)固めなヴィクトワールピサがレースに臨んだ。安田厩舎からも、似た特徴のトランセンドが出走した。ブエナビスタは…うん。
AWとはいえやっぱり日本の芝とはまるで異なる。そしてアメリカのダートとも異なる。
AWが廃れた理由は、芝馬でもダート馬でも走れるのではなく、AWの適性がないと走れなかったから。
AWで、そしてメイダン競馬場で走れそうな馬を連れて行くことこそが、制覇への近道だったのだ。
3月26日。
震災から半月が過ぎた。“過ぎた”とは言うが、被災地ではまだ絶望が続いていた。
21世紀史上に残る未曾有の大災害は、多くの人の夢と希望を奪った。
被災地以外の人々も、何もしてあげられない不甲斐なさを悔いていた。特にホースマンはそうだっただろう。
こんな時期に競馬なんてやっていていいのか。
当然の疑問が頭を巡る。
しかし、この大舞台に立った以上、全力で挑む事だけを考えた。
「僕たちは夢を売る商売だから」
角居調教師の口癖だ。
今が夢を売るべき時かは分からない。
けれど、「いいレースをして人々を喜ばせたい」という思いだけは誰もが持っていた。
ヴィクトワールピサの背に乗った騎手は、特にその思いが強い熱い漢だった。
ピサと同厩舎の帯同馬ルーラーシップはシーマクラシック(芝2400)で6着。トランセンドと同馬主の帯同馬レーザーバレットはUAEダービー9着。
世界各国の馬が躍動する中、日本馬は例年のように燻っていた。このままでは終われない。
迎えたメインレース、ドバイワールドカップ。
もちろん、敵も強かった。
アメリカ芝GI7勝、ジオグリフの祖父ジオポンティ。
アイルランドダービー馬ケープブランコなど。
しかし勝てない相手ではない。
思いを乗せて、ドバイワールドカップが始まる。
いの一番にトランセンドが逃げた!
強烈な先行力が武器のトランセンド。こうなったら彼のペースだ。
なんとここまでのレースで、晴れ、良馬場で道中を逃げ切った場合、彼の勝率は100%だった。
但し、それは国内での話。日本での勝ちパターンで、日本のペースでレースを進めるのが、勝利の最低条件だった。
トランセンドが先頭のままレースは中盤戦へ。
ナイター競馬の経験が無かったトランセンド。やっぱりメイダンの豪華な舞台が気になるのか、道中めちゃくちゃ物見をしている。
とはいえ折り合いは付いていた。冷静に運べば勝機は…という所で大外から何か1頭目の前に突っ込んできた。
ミルコ・デムーロとヴィクトワールピサだった。
元々スタートが上手くないデムーロ。しかしそれを見積もって余りある腕の持ち主で、能力の足りない馬でも最後方から追い込んで勝たせたり、馬群を突いて差し切らせたりすることができる。
能力のある馬に乗らせたら尚のことだ。
この日はブエナビスタよりさらに後ろからレースを始めることになってしまったピサ。
しかし、トランセンドが自分のペースに持ち込めた段階で一気に進出を開始した。
これも彼の引き出しの1つ。ピサとしては有馬記念でも似たようなことをやっていたし、他馬では後にGI大阪杯で衝撃的な勝ち方を見せている。
有馬記念を勝ってることもあってそれなりに有力視されていたピサ。
海外の強豪たちに反発されるも、ピサの動きを察知して居場所を作ってやったのは、他でもない藤田伸二とトランセンドだった。
本来であればペースを落ち着けたいところだったが1番手で進めたいし、何より進出したのが日本のピサだったため、促して1番手を守った。
そして道中はピサと併せる形で4コーナーを回り、ピサより先に手綱を動かした。このレースで最も強い競馬を見せたのは、間違いなくトランセンドだった。
だが、隣を走っていたのは昨年の最優秀3歳馬であり、誰よりも強い思いで、渾身の追いで馬を動かしたデムーロとヴィクトワールピサだった。
外から迫るジオポンティ。内を突いて翌年の勝ち馬モンテロッソも猛追してきた。
それでも最後まで粘りきった。
「勝利の山」を意味する名を背負った馬は、日本の希望を背負って、アジアの頂点で輝いたのだった。
届いた祈り、叶った夢
ヴィクトワールピサ
父 ネオユニヴァース 母父 マキャヴェリアン
半兄 アサクサデンエン
主な勝ち鞍
🇦🇪ドバイWC 有馬記念 皐月賞 中山記念 弥生賞
主な産駒
ジュエラー スカーレットカラー アサマノイタズラ
母父としての主な産駒
オニャンコポン
10世代
後の日本競馬のどのレースより、どの悲願より、この日のドバイワールドカップは特別な意味を持っていた。
レース後に涙を流したデムーロ。
祈りは届いた。夢を叶えた。
日本の競馬ファンにとって、ヴィクトワールピサは何よりも特別な馬になった。
その勝利の輝きは、確かに日本にも届いていた。
2着のトランセンド陣営も気持ちは晴れやかだった。
鞍上の藤田伸二は「日本の馬が勝ったから良かった!」と笑顔で馬場を後にしている。
これは敗北ではない。チームJAPANで一丸となって掴んだ勝利だった。
そしてトランセンドを所有するオーナーブリーダー、ノースヒルズの陣営は、このレースの感動、そして外国の競馬関係者からもらったあたたかい言葉や気持ちから、震災のちょうど1年ほど前に生まれた牧場1の期待馬に、ある名前を付けた。
震災以降しきりに使われるようになった言葉を。
『キズナ』と。
ネオユニヴァースで人生が変わったミルコ・デムーロがその産駒のヴィクトワールピサで競馬ファンに希望を届けたように、キズナも1人の男の人生を動かし、同時に競馬ファンに感動を届けた。
その話は33話でするとして、ここでは日本を動かした「もうひとつの希望」について話をしよう。
夢
話は2009年に遡る。
ドリームジャーニーで宝塚記念を制した池添謙一は、相棒のデュランダルに逢いに北海道の牧場に赴いていた。毎年の恒例行事だ。
ちょうどそこで案内されて出会った幼駒が、ドリームジャーニーの全弟だった。
その馬は、産まれる予定のない馬だった。
牧場にはそれぞれ、固有の牝系がある。
噛み砕いて言うと、生産牧場を始めたい!となった時には、子供を産める牝馬が必要だ。
なので、選んだ牝馬から血を繋げていく。
その牝馬が後継の♀を残せば無限に血は繋がるし、強い♂を出せば♂は種牡馬入り、♀の家系の価値も高まる。そうやって牧場と牝系は成り立っている。
その点、ドリジャの母の牝系からは活躍馬があまり出ていなかった。母エレクトロアートが暮らしていたのは社台グループの3番手の牧場、白老ファーム。
所有できる牝馬の数も限りがあるので、週刊少年ジャンプでいう打ち切り組になって追放されてもおかしくなかったのだが、ドリジャが朝日杯を制したことで風向きが変わる。
一気に白老F期待の牝馬となり、翌年はディープインパクトを種付けする事が決定したのだ。ついに巻頭カラーデビュー。
だが、ディープインパクトが種付けしても母に種は宿らなかった。さすがにピンチなので仕方なくステイゴールドを付けたら一発で受胎。そして生まれたのが彼だった。
母に似て綺麗な栗毛と、父ステゴに似ても似つかない大人しさ。まだ名前の無い幼駒…オリエンタルアートの08の事を、池添は鮮明に覚えていた。
オリエンタルアートの父はメジロマックイーンだった。もちろんマックはその大活躍っぷりから引退後は社台スタリオンで繋養されたのだが、そこにはサンデーサイレンスがいた。
サンデーサイレンスといえば周知の通り日本競馬の全てを変えた神種牡馬で、日本競馬の祖と言っていい偉大な存在だが、気性がめっちゃ荒いため扱いは大変だった。
だが、マックイーンはそんなサンデーに臆することなくグイグイ行き、いつの間にか仲良くなり、大親友クラスにまで上り詰めた。サンデーが癇癪を起こしてもマックの近くに行くと落ち着くくらいには純愛だった。
やがてその2頭がこの世を去り、GIを制覇したのが、父父サンデーサイレンス、母父メジロマックイーンの仲良しコンビの孫、ドリームジャーニーだった。そして…
2010年。その馬がドリジャと同じ池江泰寿厩舎に入厩したと聞き付けた池添は、さも当然のように新馬戦の騎乗を志願した。
「大人しすぎて競走馬デビューできないのではないか」と言われていたその馬は、調教が始まるとあっという間に馬脚を露わにし、ステゴ産駒らしい荒ぶりっぷりで手を焼かせた。
そうして迎えたデビュー戦。
彼はゲート内で寂しがって嘶き、鞍上を心配させた。
「この馬、まだ子供だな」
しかしひとたびゲートが開けば…
中団にいるサンデーレーシングの勝負服にご注目。
直線半ばであっという間に抜け出し、左によれながらもゴールイン。
能力だけで勝ちきったレース。育成次第では今後への期待も膨らんだが、問題はレース後だった。
思いっきり振り落とされた。
ただ振り落とされただけならいいが、軽く踏まれている。約450kgが自分の身体の真上にいる。普通に命の危険を感じる場面。
この際、池添騎手は右手を踏まれ、3針縫った。
この後搬送された影響で勝利後の口取り写真に池添騎手の姿はない。
この時の傷は未だにうっすらと残っている。
だがそこはドリジャが暴れても大丈夫だった池添。弟に踏まれてももちろん大丈夫だった。何者なんだマジで。
とはいえ命の危険はある。気を引き締めて臨んだ2戦目、オープン戦となる芙蓉Sは2着。気難しさを見せたが鞭を入れられてからの反応は抜群だった。
この時の勝ち馬が、後に池添が乗ることになるクロフネ産駒のGI馬、ホエールキャプチャだ。
不安要素がありながらも、兄の背中を追うために朝日杯を目指す。3戦目は1400m、京王杯2歳S。
しかしここで進路取りに詰まってしまい、1番人気を背負って10着に大敗してしまう。
兄の黄金航路が遠ざかった。
しかし池江泰寿師は「ダービーでいいから」と池添に声をかけた。
朝日杯は諦め、年明けから立て直してダービーを目指すローテーションに変更。これが大きかった。
この英断のおかげで、負けが込まずに済んだ。
2歳戦線
なんてったって、この年の2歳馬はレベルが高すぎた。
京王杯の1着&2着馬、デイリー杯1着馬、東スポ杯1着馬がそれぞれ後のGI馬。
そして朝日杯がこれ。
京王杯1着2着で決着。
ピサの有馬記念のために来日していたデムーロがあっさりと突き抜け勝利。
勝ったのはバクシンオー産駒グランプリボス。
管理する矢作芳人調教師はGI初制覇。05年の朝日杯で管理馬を初出走させ2着からちょうど5年。悲願を果たしたのだった。
なおデムさんは前週の中日新聞杯もトゥザグローリーで勝ってたため、有馬を含め3週連続JRA重賞制覇。
JRAで重賞年間5勝。完全に日本競馬の準レギュラーとなっていた。
グランプリボスもグランプリボスで3歳になり今度はウィリアムズを鞍上にNHKマイルを制覇している。
この豪快な突き抜けっぷりよ。
グランプリボス
父 サクラバクシンオー 母父 サンデーサイレンス
28戦6勝[6-4-2-16]
主な勝ち鞍
NHKマイル 朝日杯 マイラーズC スワンS 京王杯2歳S
主な産駒 モズナガレボシ リュウノシンゲン
11世代
その後もGIで度々2着にはなるけど勝ちきれないまま引退。種牡馬としても地道に活躍している。
ここから矢作厩舎の快進撃がはじまる。
レベルが高かったのはもちろん年の瀬のこちらも。
ラジオNIKKEI杯2歳Sではこんな馬が勝利を収めた。
後方から図ったかのような差し脚。
札幌2歳S勝ち馬を退け堂々戴冠。
レース展開を冷静に見極めた武豊の好騎乗が光った。
ダノンバラード
父 ディープインパクト 母父 アンブライドルド
26戦5勝[5-3-7-11]
主な勝ち鞍 アメリカJCC ラジオNIKKEI杯2歳S
主な産駒 ロードブレス ダノンレジーナ キタウイング
11世代
ディープインパクトと同じ池江泰郎厩舎で、ディープインパクト初年度産駒の初重賞制覇をディープの相棒武豊で達成する喜び。
サイレンススズカの喪失から立ち直らせてくれたのが同じサンデー産駒のスペシャルウィークだったように、大怪我による不調から立ち直らせてくれるのもかつての相棒ディープの子だということを、武豊はまだ知らない。
3歳クラシック前哨戦
年が明け、東スポ杯1着馬は弥生賞にてクラシック本命に名乗りを挙げた。
(レースは2:30あたりから。コメントの民度が絶望的に悪いので非表示推奨)
サダムパテック。フジキセキ産駒の彼は弥生賞親子制覇。そして父が挑めなかった皐月賞へ夢が広がった。
もちろん皐月賞ではこの馬が最有力候補となったが、
この世代は弥生賞以外のインパクトも大きかった。
中でも衝撃的なレース展開になったのがきさらぎ賞。
自分のペースで先頭を行くのはローレルゲレイロの全弟、リキサンマックス。
対して有力馬たちは後方に位置取っており、見合ったまま3コーナーへ。
内で粘るリキサンマックス。2番手メイショウナルト。
京都の直線は坂がない。逃げ粘りにはもってこいだ。
しかし外から凄い脚の追込みが迫ってくる。
猛然と、爆速の末脚で差を詰める外の3頭。
その中でも最も前の位置からレースを進めた馬が僅かに先頭を差し切った。
ディープインパクト産駒、トーセンラー。
またまたミルコ・デムーロだった。
ここで猛烈な追い上げを見せたものの4着に負けてしまったハーツクライ産駒ウインバリアシオンは、弥生賞に進むも結果を残せずダービーに狙いを定めることに。
そして3着の栗毛はここに進んだ。
スプリングステークス。
時系列的にドバイワールドカップの約12時間前。
震災の影響で阪神開催となったこのレース。
改装後の阪神外回り1800m。瞬発力を試すには絶好のコース。
きさらぎ賞と同じく、後方からの競馬に徹する。
ようやく勝ち方を見付けた。
シンザン記念、きさらぎ賞と追い出しを我慢する競馬を教え込んだ陣営。それが活きた最後の直線だった。
これが伝説の小さな暴君、オルフェーヴルの最初の重賞制覇の瞬間だった。
そして時は進む。
皐月賞
震災の影響で東京開催の皐月賞。ヤエノムテキの年(オグリ世代)以来となるイレギュラーに、人々は悲喜交々。
囁かれたのは「オルフェーヴルがドリジャに似て左回りが苦手だったら」という不安。
ドリジャの全弟であり、東京開催の京王杯でも大敗していたオルフェ。不安視されるには十分な材料であったが…
陣営に曇りはなかった。
京王杯で負けたのは、単純に1400mのレースに耐えられる追走力が無かったから。
強い逃げ馬が出てこなかったこの世代のクラシックは、ミドルペースからの差し比べ合戦。
彼にとっては絶好の舞台であった。
あっという間に抜け出し、その後は鞭を使わず1番人気サダムパテックを3馬身も突き放してゴールイン。
ステイゴールド産駒が、そして、ドリームジャーニーの弟が、父兄が勝てなかったクラシックを制覇した。
そしてダービーへと夢は続く。
青葉賞
だが、どんな馬でもダービーは一筋縄ではいかない。
その臨戦過程において、賞金が足りなかった馬、本格化が遅れた馬、様々な状況の馬が「無理してでも」ダービーを狙う。
トライアルレースや賞金加算ができるレースを使えた馬が、選ばれし18枠を埋めていく。
この馬もまた、その悲願の舞台に立つ資格のある伏兵だった。
(レースは1:00過ぎから)
ウインバリアシオン。この馬は父親に似ていた。
脚元が弱く、あまり長くいい脚を使えない。
ギリギリの状態を騙し騙し使っていた。
このレースから福永祐一からダービージョッキー安藤勝己に乗り替わり、戦法を少し変えた。
父ハーツクライも脚元の状態が良くないまま3歳を過ごした。その過程では最初から好位につけて突き放す王者の競馬はできず、最後の直線の末脚に全てを賭けることに徹していた。
ハーツに何度か跨っていて、そのハーツにダービーでギリギリまで詰め寄られた経験のあるアンカツ。
あの時と似た騎乗をした結果、豪脚炸裂で1着。
無事ダービーに駒を進めた。
しかし、下馬評は変わらない。
青葉賞はレースレベルが低いと思われていた。
「ウインの馬はGIを勝てない」と言われ、なんとかそのジンクスを壊したのがウインガーだったため余計ネタにされ、そこからさらに勝利から遠ざかってしまったウイン一族。
やがて日本ダービーは幕を開ける。
日本ダービー
この年のダービーは特別だった。
震災復興の願いを込め、皇太子殿下、安倍元首相が観戦する中、錚々たるメンバーが名を連ねた大混戦。
メンバーはもちろん、関係者も豪華であった。
3番人気はデボネアという馬。
これまでタップダンスシチーの佐藤哲三、メジロドーベルの吉田豊を乗せて京成杯2着、弥生賞3着、皐月賞4着のアグネスタキオン産駒。
ここまで伏兵的な扱いを受けていたが、急にダービーで有力候補に成り上がった。もちろん理由がある。
デボネアの馬主は、このシリーズでも何度も触れたあのゴドルフィン。ステゴとその産駒が視界に入れると本気を出すと言われている青の勝負服だ。
で、この年はゴドルフィンの殿下が日本に観戦しに来ていた。以前紹介したドバイワールドカップを創設したあの人である。
殿下の影響力はとんでもないので、平気でヨーロッパのトップジョッキーを連れて来ることができる。
デボネアの鞍上はランフランコ・デットーリ。
2001年にはGI年間17勝(当時の世界記録)、そしてジャパンカップを3勝したあのフランキー。
たまたまこの週は欧州GIが無かったため、ダービー当日だけ騎乗。10レース時点で7レース乗って6レースで馬券内に持ってきていた。おかしいやろ。そりゃデボネアも3番人気になるわ。
勝利候補の一角、ダノンバラードは故障で離脱。
オルフェーヴルにサダムパテック、デボネアがどこまで食らいつけるかが焦点となっていた。
一方、オルフェーヴルの皐月賞の勝ちっぷりを見て、池江師は不安を抱いた。
「もしかしたら仕上げすぎたかもしれない」
その予感は的中した。反動でかなり疲れが出ていた。
調整過程で「これはダービーに間に合わないかもしれない」とすら思ったという。
しかし、ステイゴールドのいい所を完璧に受け継いでいた彼は驚異的な回復力で復活。間に合うどころか完璧なコンディションで送り出すことができた。
二冠を目指せるのはオルフェーヴルだけ。
覚悟を持ってターフに送り出すことが陣営の使命だったが…
ダービー当日、誰もが頭を抱えた。
大雨だった。
前日から降り続いた雨は朝になっても止まず、ついに本番まで変わることはなかった。
ダービー名物のジョッキー紹介の中、池添は寒さで凍えていた。
しかし、泣いても笑っても今日しかないダービー。
開き直ってオルフェーヴルを信じることが、陣営の仕事だった。
特別な年のダービー。不良馬場。
紛れがあるかもしれない。誰にでもチャンスはある。
だからこそ抜かりなく勝ちに行く必要がある。
絶望の雨かと思われた。しかし、それは彼らにとって恵みの雨だったと気付くまで、そう時間はかからなかった。
出走馬が返し馬でもたつく中、オルフェーヴルは思ったより感触が良かった。
これならいけるかもしれない。確かな実感をもって、池添とオルフェーヴルはゲートに収まった。
スタート直後、池添はオルフェーヴルの気持ちを優先した。気持ち良く行ければ勝てるだけの手応えを手綱から感じていたのだろう。
その過程で思ったより後ろに付けてしまったが、更にその後ろからウインバリアシオンが虎視眈々と勝利を狙っている。
澱みなくレースは進み、そして3コーナーで選択を迫られた。
オルフェーヴルは外に出して差し切りたかった。
しかし何度も馬体がぶつかるほど徹底的に進路を締めてきたナカヤマナイト柴田善臣。
普段のレースなら「(道を)空けてください」といえば通す騎手は通す。それが日本競馬だ。
しかしこれは日本ダービー。騎士道より勝利が優先。
本気で勝ちを狙っていた。当然の事だ。
進路を塞がれ苦しくなったオルフェーヴル。
それを見て勝ちを確信したのがウインバリアシオンだった。
青葉賞から状態面は落ちていない。
抜け出したらその後もしっかり伸びる真面目さをこの馬は持っている。坂の途中で鞭を入れる。
勝負はもらった。
そう思った瞬間に内から一頭ものすごい勢いで伸びてくる影があった。
いるはずのないオルフェーヴルだった。
ナイトにきついマークを受け、内のサダムパテックと板挟みに遭っていたオルフェ。
しかしナイトの追い出しに追従しつつ仕方なく進路を内に切り替え、パワーだけでサダムパテックを内に置いやりなんとか進路を開いたたオルフェは、鞭を入れる前の3完歩で完全に馬場の真ん中に単独で抜け出し、そこから有り得ないスピードで他馬を一気にブチ抜いた。
それに気が付き、アンカツはバリアシオンにオルフェと馬体を併せさせようとする。
だが、これが運の尽き。
オルフェは体力消耗が激しいと、そして本気で追ってしまうと、“悪癖”が出た。
やたらとラチ沿いに刺さるのだ。
左にヨレるオルフェ。この日のラチ沿いは雨で荒れに荒れていた。
オルフェとバリアシオンはその泥の中に突っ込んでいき…
なぜかバリアシオンだけが失速した。
バリアシオンは、より荒れた馬場を通っているはずのオルフェーヴルを相手に、全く差が縮まらなかった。
それはまるで、母の父メジロマックイーンを彷彿とさせる道悪適性。
勝つべくして勝った。
史上22頭目の二冠馬が、ここに誕生した。
ゴール後、天に突き立てた人差し指。
泥だらけで掴んだ勲章は、彼らに良く似合っていた。
神戸新聞杯
時は流れ3歳秋。
レースを覚え、成長を遂げたオルフェーヴルは…
いつの間にか最強になっていた。
ダービー同様、ウインバリアシオンが後ろからマークしていたが、良馬場でも差は縮まるどころか離されていく。
見せムチだけで伸びるオルフェ。
着差こそ2馬身半だが、大きすぎる差だった。
菊花賞
さて、本番。
前日にトンカツを食べて験担ぎした池添。
ここまで10戦。敗北の方が多かったが、もう昔のオルフェはいない。
しっかりと調教を積んだ上で馬体重は増加。トモはパンプアップし、精神面でもゆっくり歩けるようになるなど大幅に成長していた。
もう何も不安は無かった。
オルフェーヴル、ウインバリアシオン、トーセンラー。きさらぎ賞で巡り会ったこの3頭が、時を超えGIで上位人気を独占したのだった。
そして、レースでも。
京都競馬場はコーナーが下り坂。
オルフェは前に行きたがる素振りを見せ、なんとかハーバーコマンドの内に入れて落ち着かせた。
折り合って3コーナー。並の馬ならまだ耐えるべき場面だが、神戸新聞杯での手応えを知っている。
抵抗せず、徐々に進出を開始した。
その後ろから徹底マークのトーセンラー蛯名正義もついて行く。が、コーナリングで突き放した。
じわりじわりとトーセンラーも他馬をかわすが、その時点でオルフェは単独先頭。
神戸新聞杯の反省からか、持ち味を活かしきる騎乗に徹し、最後方から追走していたバリアシオンが馬群をブチ抜いて2番手に躍り出る。
しかしその頃にはもう、実況はこう叫んでいた。
金色の暴君
オルフェーヴル
父 ステイゴールド 母父 メジロマックイーン
全兄 ドリームジャーニー
21戦12勝[12-6-1-2]
主な勝ち鞍
三冠 有馬記念2勝 宝塚記念 GII5勝(🇫🇷GII連覇)
凱旋門賞🇫🇷2年連続2着
主な産駒
ラッキーライラック マルシュロレーヌ エポカドーロ
ショウナンナデシコ オーソリティ ソーヴァリアント
メロディーレーン タニノタビト
母父としての主な産駒 ドゥラエレーデ
11世代
正に「唯一抜きん出て並ぶ者なし」。
Orfevre first, the rest nowhere.
堂々たる競馬で、オルフェーヴルは三冠馬になってみせた。
ステイゴールドも、ドリームジャーニーですら辿り着けなかった境地へ、実力だけで登り詰めてみせたのだ。
そもそも、皐月賞で1番人気じゃなかった馬が三冠馬になることも、2桁着順を経験した馬が三冠馬になることも前代未聞。
それに加えて、ゴール後に事件が起こった。
実はゲート入りから他馬のゲートを蹴る音とかに怯えてビクビクしていたオルフェくん。
ゴール後の歓声でパニックになってしまったのか、思いっきりラチ方向に突っ込んで鞍上をダイナミック下馬させてしまった。
下馬の後は落ち着いたようで、地上で馬をなだめる鞍上に対し大きな池添コールが送られた。(なお、この時池添騎手は脇腹を思いっきり打ち死にかけていた)
実況はそう語った。
初めてどころかもう二度と現れないかもしれないタイプの三冠馬だ。
まだまだ子供ながら、なんとか能力の高さで三冠を制覇したオルフェ。今後の活躍ももちろん期待された。
そしてこの実況を担当した岡安アナは、後にオルフェーヴル溺愛アナウンサーとして名を馳せていく。関テレ競馬公式YouTubeに度々出没し、隙あらばオルフェーヴルとスイーツの事を熱く語っているので、興味がある方は見てみるといい。
無冠の帝王
ウインバリアシオン
父 ハーツクライ 母父 ストームバード
23戦4勝[4-7-2-10]
主な戦績
1着-日経賞 青葉賞
2着-ダービー 菊花賞 有馬記念 天皇賞(春)
主な産駒 ドスハーツ
11世代
牡馬クラシック出走組で最も不憫な馬は、間違いなくこの馬になる。間違いなく強かった。だが、オルフェーヴルがいたせいで、脚部不安のせいで栄光にほんの少し届かなかった。
だが、彼が残したドラマはまだまだ沢山ある。
阪神JF
オルフェーヴルやウインバリアシオンがクラシックでしのぎを削る中、ある馬の陣営は悲しみに暮れていた。
その馬は、デアリングタクトになれたはずの馬だった。
新馬戦で後の重賞6勝馬ノーザンリバーを倒し、デイリー杯で後のGI2勝馬グランプリボスを倒し、単勝1倍代で迎えたGI。
ここをあっさりと抜け出し完勝。
後のGI馬やGI馬の母も出走していたが、彼女はまるで意に介さなかった。
チューリップ賞
ここで彼女は驚きの単勝1.1倍に支持される。
さすがに過剰人気だと思っただろう。
とりあえずレースを見て欲しい。
大外枠でゲートインしたのはタイトルホルダー、メロディーレーンの母メーヴェ。いい産駒しか出さないのに受胎率が悪すぎることで知られている。最近になってようやく3頭目が受胎した。ベンバトルくんナイス。
レースはやや出負けしたレーヴディソールが持ったまま外に出し、持ったまま伸び、持ったまま突き放した。
福永祐一に「こんな楽に重賞勝ったの初めて」とまで言わせたその走り。
牡馬三冠挑戦も本気で考えていたようだが、さっきの皐月賞に姿が無かったのは…つまりそういうこと。
幻の無敗三冠牝馬
レーヴディソール
父 アグネスタキオン 母 レーヴドスカー
6戦4勝[4-0-0-2]
主な勝ち鞍 阪神JF チューリップ賞 デイリー杯2歳S
11世代
数回前に説明したレーヴドスカーの話と、アグネスタキオン産駒の話。
むしろ故障しない方がおかしかった。
エリザベス女王杯で復帰したが、見せ場無く完敗。その後引退したが、産駒は全くと言っていいほど走らない。
仮にレーヴディソールが無事だったら、現実路線で牝馬三冠に挑んでいたら、初代無敗三冠牝馬がディソールだったとしても誰も驚かなかっただろうし、むしろデアリングタクトより自然だっただろう。
故にこの年の牝馬クラシックは、主役不在で進んだ。
牝馬クラシック
阪神JF2着のホエールキャプチャに注目が当たった。
JF以降鞍上が池添に固定され、クイーンカップ1着と滑り出しは上々だった。しかし…
桜花賞は追い出しが遅れ、抜群の手応えで上がってきたマルセリーナを交わしきれず2着。
勝ち馬マルセリーナはディープインパクト産駒。ディープ産駒初のGI&クラシック制覇の瞬間となったが、ディソールやホエールらのせいか非常に影が薄い。
オークスに関してはなんとあのデュランダル産駒のエリンコートが勝利。ホエールキャプチャに乗ってる池添としては余計に悔しかっただろう。
ローズSでホエールは再び重賞制覇。
今度こそと挑んだ秋華賞。
10年代前半はスローペースの競馬が非常に多かった。
このレースも浜中騎乗の逃げ馬だけが突き放しているが、実際のペースはスロー寄り。
京都でそのペースになると極端に前残りになる。
結果的にホエールより前に位置を取っていた2頭がワンツーとなった。
勝ち馬はトールポピー&フサイチホウオーの妹、アヴェンチュラ。
またしても縁のある馬に勝たれた池添。輝かしい三冠の裏でも色々あった。
完全にアドマイヤキッスと同じ立ち位置になってしまったホエールは、そのままエリ女に直行。
昨年池添が騎乗したメイショウベルーガは天皇賞で故障し、引退してしまっていたからだ。
ここでアヴェンチュラにリベンジしておきたいホエールだったが…
“ヤツ”がまた来ちゃった。
エリザベス女王杯
スノーフェアリー!! アヴェンチュラ!!
ナラブヨウニゴールイン!! シカシスノーフェアリー!!
案の定すんごい脚で差し切ったスノーフェアリー。
しかも夏から怒涛の連戦でこの成績。オグリキャップもびっくり。
前走の失敗を活かして2番手で実質逃げの形をとったホエールは裏目に出た形となった。これがいたらそりゃ勝てん。
希望
ここからはぬるっと古馬GIに触れていくが、この年は3歳世代が強いので半分は3歳の話になる。
高松宮記念
この年の高松宮記念はちょっとイレギュラーだった。
というのも、中京競馬場は改修工事中。
震災の影響で東京競馬場も使えず、阪神と小倉の二場開催で進んでいた。
中京は左回り、阪神は右回りで勾配もキツい。
求められるものも全然違ってくるが、勝ち馬にとってそれは好材料だった。
昨年、中京の宮記念を制していたキンシャサ。
今年は僅差でなく堂々抜け出し完勝。
阪神開催でも文句なし。それもそのはず。
この馬は真のオールラウンドスプリンターだった。
大逆転の軌跡
キンシャサノキセキ
父 フジキセキ 母父 プレザントコロニー
31戦12勝[12-4-3-12]
主な勝ち鞍
高松宮連覇 阪神C連覇 スワンS オーシャンS 函館SS
主な産駒
サクセスエナジー ガロアクリーク
ブルベアイリーデ シュウジ フレッチャビアンカ
06世代
フジキセキ産駒だが、シャトル種牡馬としてオーストラリアで種付けして、現地で生まれたため外国産。
もちろん南半球なので誕生日も遅く、9月。
仮にウマ娘化したらキンシャサちゃんの誕生日だけめちゃくちゃ浮く事になるだろう。
普段無い阪神のスプリントGIでこの馬が勝つのはとても順当なことだった。
中京、阪神、京都、函館で重賞を制覇し、スプリンターズS2着、NHKマイル3着の経験がある馬だ。新潟でもオープンを勝ってる。
豪州産で遅生まれなこともあり、なかなか他馬との成長具合、斤量に苦しめられて大きい所を勝てずにいたが、常に堅実な走りを見せ続けていた彼。
キャリア最後の2年で大逆転のGI連覇となった。
鞍上は震災前に来日し、その後も日本で乗り続けていたイタリア人騎手、ウンベルト・リスポリ騎手。
この縁からか、もう1つ日本馬とデカい事を成し遂げるのだが、それはまた次回。
キンシャサはレース後即引退、種牡馬入り。
フジキセキの後継として、地方や中央ローカルで強い産駒を出す中堅種牡馬になった。
スプリンターズステークス
短距離GIで5度も連対したキンシャサが引退してしまったため、軸馬不在となってしまったこの年のスプリンターズ。
だが、圧倒的一番人気はいた。
シンガポールからの来訪者、ロケットマン。
今までの21戦を全戦連対、シンガポールのクリスフライヤー国際スプリントと、ドバイでAW開催のゴールデンシャヒーンを制覇していた。
香港からもGI馬ラッキーナインが来日し、こちらは既にセントウルSで2着。
また海外勢の蹂躙に遭うのかと思われていたが…
パドトロワとヘッドライナー、社台系の馬がハイペースでラップを刻み、翻弄される海外勢。
ロケットマンが進路取りに悩み外を選択する横で、颯爽と現れその進路を潰した上、上がり最速でゴールインしたのは白銀の新星。
短距離界に才媛現る。
閃光乙女
カレンチャン
父 クロフネ 母父 トニービン
18戦9勝[9-3-1-5]
主な勝ち鞍
春秋スプリント 阪神牝馬S 函館SS キーンランドC
主な産駒 カレンモエ
10世代
スリープレスナイトの衝撃から3年、またしてもクロフネ産駒の牝馬が同レースで頂点に立った。
眠れぬ夜は、未だ明けていなかった。
ウマ娘ではカワイイだけがフォーカスされがちなカレンチャン。だが、実馬は可愛さの裏に劇的なかっこよさを秘めている。この走り、このルックスからもそれが窺えるだろう。
ところで、ウマ娘のカレンチャンはトレーナーをお兄ちゃん呼びするが、それとは別に兄さんがいる。
この設定について整理したい。
スプリングチケットという馬がいた。
カレンチャンの母である。
社台ファーム産の牝馬で、エリザベス女王杯にも2回出走した馬だった。
鶴留厩舎の馬だったため、当時は同厩舎で下積みしていた池添騎手が主戦を務めた。
繁殖入りし、産駒も鶴留厩舎に行った。
既にフリーになっていた池添騎手だが、快く主戦を引き受けていた。
その2番仔が、スプリングソングという牡馬だった。
GIII京阪杯を制したり、2年連続で高松宮記念に出走したりもした。さっきのキンシャサの宮記念でも名前が呼ばれている。
が、そこから僅か2ヶ月後に、彼は天国へと旅立った。疝痛の悪化で予後不良。馬にはよくある事だが、やはり悲しみはある。
3番仔は活躍しなかったがその産駒にダートの穴馬担当テリオスベルがいる。
そして4番仔がカレンチャンだった。
厩舎はさっき紹介したトランセンドなどを管理していた安田隆行厩舎。でも、スプリングソングに乗ってた縁から池添が騎乗することになった。
ソングは社台系の馬主、カレンチャンは個人馬主の馬なのでこんな名前になっている。馬主さんの娘さんの名前がカレンらしい。
ちなみに、同時期にコパさんはラブミーチャン、サンライズの馬主さんはハニーメロンチャンという馬を所有していて、しかもその3頭が同時に10年フィリーズレビューに出走したため、競馬界は空前のチャン時代となっていた。
(しかもラブミーチャンも強い。ウマ娘になっても驚かない程の実績がある)
スプリングソングが亡くなったタイミングで本格化したカレンチャンは、連勝劇を止めぬままGIの舞台に辿り着き、見事に兄の仇を討ってみせたのだった。
兄のラストレースは2着。この時の勝ち馬が、奇しくもカレンチャンが2着に下したパドトロワだった。
パドトロワもキャラが濃いから紹介しよう。
パドトロワの祖父はエンドスウィープ。スイープトウショウ、アドマイヤムーン、ラインクラフトの父で、早世したため後継に悩んでいた話はさらっとしたはず。
で、その産駒スウェプトオーヴァーボードが日本に輸入されてきた。そして産まれたのがパドトロワと東京大賞典四連覇のオメガパフュームだった。
パドトロワはこの後あまり実績は残せなかったが、将来性を見込まれ種牡馬入り。そして生まれた産駒が、22年のJBCスプリント覇者、ダンシングプリンスだ。
この馬もゲートを出ればとにかく速い。父のいい所を完璧に受け継いでいる。ダンプリも種牡馬入りはほぼ確定なので、産駒を楽しみに待とう。
いずれはカレンモエの産駒とダンシングプリンス産駒で夢のリベンジマッチが叶うかもしれない。
天皇賞(春)
久々にウマ娘関連で有意義に文字数を使っている気がするので、この調子で行こう。
ヴィクトワールピサがドバイで結果を残し、指をくわえて見ている訳にはいかなかったのがエイシンフラッシュ陣営だった。
エイシンフラッシュは強い。中距離GI2勝馬の中では、ジャングルポケットとかと並んでこれまで紹介した競走馬の中でもトップクラスだと思っている。
それでも2勝止まりになってしまったのは、生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。
この天皇賞もそれを象徴付ける内容になっている。
ここであえてハードルを上げるが、この天皇賞(春)は歴代の天皇賞(春)で一番面白いレースかもしれない。
各馬の駆け引きを見てみよう。
いつもは先行策を取るナムラクレセントが出遅れ、なかなか前に行けないので後方で折り合いを付けることにしたのが、だいたい動画でいう26秒前後。3番の馬だ。
先陣をゲシュタルトが切ったのだがあまりにもペースが遅く、コスモヘレノスが掛かり気味に先頭に躍り出る。それでも遅いためトゥザグローリーがマイペースに前に出た。
1000m通過1分4秒。2000m2分8秒。
ディープインパクト、メイショウサムソンの春天と比べてだいたい5秒くらい遅い。つまりめっちゃ遅い。
ここまで遅いラップを刻んだ春天はメジロブライトまで遡らないといけない。
なんとかナムラクレセント和田竜二がまくってラップを適正範囲に戻し、そこからは消耗戦。
スローペースだったが後半の加速ラップで前につけた馬から沈んでいく。
自分でペースを作ったクレセントだけが粘り込みを図る中、外から飛び込んできたのがエイシンフラッシュ。3200でもその末脚は健在。
しかしその内からフラッシュにも勝る手応えで上がってきたのが、このレースの勝者だった。
ヒルノダムール
父 マンハッタンカフェ 母父 ラムタラ
21戦4勝[4-6-3-8]
主な勝ち鞍 天皇賞(春) 産経大阪杯
10世代
ドバイで勝利を挙げたヴィクトワールピサ。
彼の初GI勝利を誰よりも近くで見届けたヒルノダムールとエイシンフラッシュ。
この2頭の競り合いで、最後ダムールが振り切った。
大阪杯から来た2頭がワンツー。例年の天皇賞とは全く異なる展開になった事がここからも窺える。
そしてダムールはこの後、フランスに飛び、凱旋門賞に挑んだ。また後で触れよう。
彼は引退後は種牡馬としてはあまり子出しがよろしくなかったため、今ではアドマイヤジャパンらと共にyogiboの宣伝をしている。
ヴェルサイユリゾートファームに行くと彼の姿は普通に見られるし、やろうと思えば乗馬もできるらしい。
ギムさんがせっせと柵破壊に励み、エタリオウが荒ぶり続けているのを、ローキンとダムールがほのぼのと見守る光景が見られたり見られなかったりする。平和だ。
ヴィクトリアマイル
一方その頃のマイル路線はというと、牡馬はスカスカ、牝馬は黄金期。
二冠牝馬で前年覇者のブエナビスタVS三冠牝馬アパパネの世紀の対決が幕を開けようとしていた。
レースは序盤から動いた。オウケンサクラが飛ばしに飛ばして、離れた2番手以降もやや苦しくなる展開。
3番手に付けていたレディアルバローザが粘りに粘るも、同期のアパパネが渾身の伸び。
先頭に立ち若干気を抜くも、ブエナビスタの猛追は届かない。
勝者、アパパネ。
これでJRA牝馬GI完全制覇に王手をかけたアパパネちゃんだったが、例のあいつが2年連続でエリザベス女王杯に出てきてしまったため、もちろん取り逃した。
史上初の快挙は未だに達成されていない。
安田記念
アパパネさんはこっちに、ブエナさんは宝塚で勝利を目指すことにしたが、どちらも展開に泣く。
この年の安田記念はVMと全く違う能力値を要求された。
前が速いが後続もついて行くし、前のペースが緩まないため中団で控えていると消耗がすごい。
中2週のアパパネにはしんどい流れだった。
大穴を開けたのは、斤量の利を生かした粘り勝ちだった。
最速の衝撃
リアルインパクト
父 ディープインパクト 母トキオリアリティー
半弟 ネオリアリズム 甥 インディチャンプ
30戦5勝[5-5-2-18]
主な勝ち鞍
安田記念 🇦🇺ジョージライダーS 阪神C連覇
主な産駒 ラウダシオン
11世代
お分かり頂けるだろうか。
この馬はまだ、3歳馬である。
3歳馬が春の古馬GIを勝利したという記録は、これ以外に無い。
そもそも安田記念を3歳馬が勝利したのも初代二冠牝馬スウヰイスー以来59年振り。
ディープインパクト産駒としては初めての牡馬GI馬だし、それが3歳馬で古馬GI。理論上最速の産駒古馬GI制覇。しかもこの馬、当時新馬戦しか勝ててなかった。キャリア2勝目が安田記念。
何もかもが衝撃的すぎる。
鞍上は当時大井でフリオーソに乗りスマートファルコン、エスポワールシチーと全面戦争を繰り広げていた戸崎圭太。この勝利も後の中央移籍の布石になる。
マイルCS
そうなると秋もリアルインパクトに注目が集まるが、戸崎が乗り続けることは規約上やっぱり難しく、福永祐一に乗り替わり。
強い外国馬も殴り込みに来ていたが、レースは大荒れになった。
またしても池添。完璧な騎乗で僅差の勝利をエスコートした。
エイシンアポロン
父 ジャイアンツコーズウェイ
母父 サドラーズウェルズ
19戦4勝[4-4-0-11]
主な勝ち鞍 マイルCS 京王杯2歳S 富士S
10世代
父はアメリカのレジェンドホース、母の父は日本競馬には重すぎるとされる欧州のスタミナ血統。種牡馬として成功しなかったのも頷ける血統だが、この日は稍重。位置取りも相まって完璧に刺さった。
以降、テン乗りだった池添がずっと引退まで乗り続けるが、ここで燃え尽きてしまった。
宝塚記念
一方のブエナさんは2年連続1番人気で宝塚へ。
だが、この年の宝塚は不安要素があった。
逃げ馬がいないのだ。
本当に10年代前半は社台グループの全盛期で、社台系が逃げ馬を全然作ろうとしないからかスローペースからの差し切り合戦になりがちだった。
この宝塚もそうなるはず。展開が読めない。
だが、意外な結末が待っていた。
ナムラクレセントがスタミナで後続をすり潰そうとした。
2番手以降を上手く引き付けながら、気付かれないようにハイペースで進む。
1000mを58秒7。以降もさほどペースは緩めず、後続も離れぬまま直線に向く。
ただでさえ芝が荒れている。
誰も彼ももう脚が残っていない。
エイシンフラッシュですら上がり3F34秒台後半の追い上げしかできない中、道中2番手にいたアーネストリーが他馬をぐっと突き放し粘る粘る。
世紀の大レコード。2:10.1。
またしてもブエナビスタの猛追は届かなかった。
“本気”の強さ
アーネストリー
父 グラスワンダー 母父 トニービン
29戦10勝[10-2-5-12]
主な勝ち鞍 宝塚記念
08世代
グラスワンダー産駒、アーネストリー。
99年、グラスワンダーは宝塚でスペシャルウィークを振り切り1着となった。
そして11年。グラス産駒がスペ産駒を振り切った。
12年の時を経て、歴史は繰り返される。
既にタップダンスシチーで宝塚を制していた佐藤哲三。いぶし銀な騎乗が絶対女王に風穴を開けた。
父も子も大人気な馬と、人気がそんなに無い時に限り飛んでくる親子。そんな所までよく似ていた。
札幌記念
10年代に入ると競馬の傾向も今と似てきて、札幌記念はより「秋の前哨戦のスーパーGII」という立ち位置になっていく。
ここの勝ち馬は大体強い。この年もそう。
最後の直線でレッドディザイアは抜群の手応えで上がってくるかのように見えたが、どうも伸び切らない。
順当に勝ったのはトーセンジョーダン。
ディザイアはドバイのAWで走ったり、アメリカのBCに挑戦して4着など、常に挑戦者として走り続けてきた。だが、ここでガタが来て引退。
そして僅か4頭の子を残しこの世を去った。
天皇賞(秋)
この年は秋も面白いレースが多い。こちらの天皇賞もすごい展開が待っている。
強い逃げ馬がいると、レースは確実に面白くなる。
孤高のレースメイカー
シルポート
父 ホワイトマズル 母父 サンデーサイレンス
54戦10勝[10-6-3-35]
主な勝ち鞍 マイラーズカップ連覇 京都金杯
主な産駒 ハクサンアマゾネス
08世代
今回の主役はシルポートという馬。
強烈な逃げを見せるのでツインターボと同一視されがちだが、終盤でもあそこまでバテない。
個人的にはメイショウサムソン世代のクラシックで爆逃げをかましたアドマイヤメインに似ていると思っている。
とりあえず先頭に注目しながら見てみよう。
見てわかる通り、シルポート蛯名が軽快な逃げで飛ばしていく。
1000m通過はなんと56秒5。
新潟の直線でよく見るタイム。それくらい速い。
かなり調子悪い時のアイビスサマーダッシュくらいのタイム感だと思ってもらっていい。
そんな状況なので前方の馬から崩れていく。一番粘ったエイシンフラッシュですら6着。
インを突いた岩田ブエナは詰まってしまって届きそうもない。抜け出たのはダークシャドウとトーセンジョーダン。
そこにいつも通りペルーサが突っ込んでくる。
僅かに抜け出たのは、東京の王の血を継ぐものだった。
極限の挑戦者
トーセンジョーダン
父 ジャングルポケット 母父 ノーザンテースト
30戦9勝[9-4-2-15]
主な勝ち鞍 天皇賞(秋) 札幌記念 AJCC アル共杯
09世代
元々、能力は高かった。
共同通信杯2着のあと、クラシックへ出走する予定だった。
しかし、蹄が裂けた。しばし休養。
雨中に舞うロジユニヴァースのダービーをベンチから見届け、秋に自己条件から仕切り直し再スタート。
4歳でアル共杯を勝ち、有馬で5着と善戦。
そして5歳で、ついにここまで辿り着いた。
道のりはかなり遠回りだったが、その分絶対に消えない勲章は残した。
芝2000m日本レコード、1:56.1。
最速の中距離馬として、ジョーダンは今もなお語り継がれている。
惜しむらくは種牡馬成績が絶望的なところだが、サクラファシナンテとシルブロンが予想外のところから快進撃を始めている。エイシンフラッシュ同様、彼の時代はここからかもしれない。
ジャパンカップ
日本馬はこの年もまた凱旋門賞に挑んだ。
ヒルノダムールとナカヤマフェスタ。
フェスタは調教が思うように積めず、年明け初戦がフォワ賞。
ここでヒルノダムールが2着と善戦。ナカヤマフェスタは奮わなかったが、新たな希望も生まれた。
だが、昨年の出走メンバーに輪をかけて豪華だった凱旋門賞。掲示板はGIを何度も勝っている世界的強豪が占めた。
勝ったのは後のGI5勝馬、ドイツの名牝デインドリーム。
日本馬は負けた。負けたが、小さな奇跡も起こった。
11着、ナカヤマフェスタ。
12着、ワークフォース。
ナカヤマフェスタは、昨年の勝ち馬ワークフォースに僅かに先着した。
それが、彼にできる最後のリベンジだった。
フェスタは引退した。
凱旋門賞に敗れた日本のホースマンの目は、ジャパンカップに向いていた。
凱旋門賞馬デインドリームは、実は権利の何割かを吉田照哉さんが購入していた。
そのため、鶴の一声で彼女はジャパンカップに駆り出された。
思ってもみない弔い合戦。
凱旋門の女王デインドリーム。
日本総大将ブエナビスタ。
奇しくも女王VS女王の対決となった。
この年、ブエナビスタは未勝利。
その不安もあってか、僅かに、僅かに人気をデインドリームに譲った。
デビューから21戦、馬券投票のないドバイを除いてずっと1番人気だった彼女が、“絶対”でなくなった瞬間だった。
日本競馬の威信をかけて、祈りの一戦が始まる。
府中の直線に、夢は託された。
アメリカから来たミッションアプルーヴドが先頭に立ち、それをトーセンジョーダンが射程圏に捉えながらレースは進む。
ヴィクトワールピサら有力馬はみな後方。
終盤に差し掛かり、ウインバリアシオンが早仕掛けで先頭を捉える。
内に潜り込むトレイルブレイザー、外から伸びるトーセンジョーダン。
デインドリームも進出を開始する。
やがてトーセンジョーダンが先頭に立った時、その馬は最後の力を振り絞った。
そこでかわしたのは、トーセンジョーダンだけではない。昨年の降着、善戦続きの現状、天皇賞での不甲斐ない敗戦。
その悪夢を全て過去にして、彼女はゴール版を駆け抜けたのだ。
日本の女王の意地、そして「日本総大将」の意地。
ブエナビスタ、親子2代のJC制覇。
ナカヤマフェスタへの餞は、彼女なりの一世一代の大勝負だった。
有馬記念
数多くの名レースを残して、また1年が終わろうとしていた。
悲しみは尽きなかった。
震災の苦しみはそう簡単には癒えない。
それでも、人々は夢を見た。
三冠馬に、絶対女王に、思い思いの馬に。
懸命な走りが生きる勇気を与える。
そう信じて、競馬は続いた。
年の瀬の大舞台は、三冠馬と前年の年度代表馬、そして一年を飾ったGI馬達の夢の共演となった。
このレースで引退となるブエナビスタは2番人気。だが、温かい声援は絶えず続いていた。
夢を乗せて、最後のゲートが開く。
レースは、極限のスローペースとなった。
トーセンジョーダンも、ヴィクトワールピサも、誰も逃げる素振りを見せない。
仕方なくアーネストリー佐藤哲三が腹を括ったスロー逃げでペースを極限まで落とす。
道中、ほぼ歩いている。ブエナビスタは究極仕上げの反動か完全に掛かってしまっている。
苦しい展開になった。
ブエナは失速し、粘るアーネストリー。
宝塚の再現かと思われたところに迫る黄金世代の皐月賞馬ヴィクトワールピサ。
そして外から飛び込んできたのは同世代のダービー馬エイシンフラッシュ。過去最高のパフォーマンスを見せたが…
道中後ろを楽に追走し、外を大きく回って位置を上げ、平気で上がり33.3で最後まで伸び切ったオルフェーヴルが、どうしようもなく強かった。
これで三歳四冠。
女王を倒し、世代交代。日本の頂点に立った。
もう日本に敵はいない。目指したのは世界の頂点。
しかし、敵は思わぬところにいたのだった。
日本競馬の復興が、そして伝説の阪神大笑典が、幕を開ける。
あとがき
オルフェ大好き人間としては、納得のいく文章を書き終えるまでにかなりの時間を要しました。
2万字越えの大ボリューム。書いといてなんですが読みたくないです。
次回はもうちょい短くなるはず。(追記:なりませんでした)
投稿スパンも本当は短くしたいですが、先に謝っときます。
年末までにオルフェ引退まで行きたいですね。
それでは。