ウマ娘で学ぶ競馬史 #27 女王と豪傑 (2007)
みなさん、ウマ娘やってます?
アプリは着々とウマ娘が実装され、未実装人気キャラは残すところスイープ、ターボ、ヘリオス、トプロ…結構いるな…
お気に入りのキャラが実装される頃には、またお気に入りの新規ウマ娘が増えている罠。
ましてウマ娘はペット親衛隊ヤエノ、語彙力小泉進次郎トプロみたいに謎のキャラ付けがなされ親しみやすくなります。落ちるのは時間の問題。
その点、元から和田竜二のオペさんや、元から破壊神のギムさんは原型が濃すぎるのでいいですね。
今回の競馬史はそんなギムさんがせっせと牧柵を破壊しながら産んだ子と、タキオンの意志を継ぐ子と、その他このシリーズでも紹介したりしなかったりした名馬たちの子が活躍する2007年。
ディープインパクト、ハーツクライ、キングカメハメハが残した強烈な残像の中で光を放ったのは、新たな時代を告げる、栄光の女王たちでした。
牝馬最強時代
日本競馬は着実に変わってきていた。
ディープやハーツ、その他名馬たちの活躍と、五ヵ年計画で進行していた外国産馬、外国馬へのクラシック、GI出走枠解放。
そしてついに時は来た。
2006年11月20日。
日本中央競馬、パート1昇格決定。
2007年より日本の中央重賞は全て外国調教馬に解放され、日本は欧州や北米同様、完全に開かれた国に。
重賞全てが国際的な格付けを得られる事により、日本の競走馬の価値そのものが向上する。
正直、遅すぎるくらいだった。
内国産馬サッカーボーイの子ヒシミラクルはGIを3勝。内国産種牡馬の地位は外国産と遜色ないところまで来ていたし、ダンスインザダーク産駒のデルタブルースは豪州最高峰のメルボルンカップを制していた。
これが偏に騎手の技術や運だけの仕業ではないことは、この後の歴史が証明する。
同年、2006年12月。
南アフリカの地で、フジキセキを父に持つ馬が最強の座に名乗りを上げた。
彼女の名はSun Classique。
日出づる国の富士の高嶺に揺蕩う夢は時を超え、太陽の名のもとに結実することになる。
2000年代後半は世界的に「ある傾向」が見られた。
牝馬時代の到来である。
牝馬という生き物は「発情期」との付き合い方が重要になる。これは日本では古くから「フケ」と呼ばれ、ベテラン調教師でも対処には苦労していた。
昔の競走馬で春シーズンだけ成績ズタボロの牝馬がいたら、それは間違いなく発情期の影響だ。
しかしこの頃から医学の進歩により、発情期の影響を最小限に抑える薬が運用されはじめる。
その結果、世界各地で牡馬にも勝る名牝達が成功を収めることになる。
アメリカはG1を13勝したダートの女王ゼニヤッタ。
フランスは無敗三冠牝馬ザルカヴァ、欧州G1最多記録の14勝を挙げたゴルディコヴァ。
フランスとアメリカの2つの地で女王になり、日本で女王ソウルスターリングの母、スターズオンアースの祖母になった名牝スタセリタ。
イギリスで育ち、4ヶ国で大レースを勝利したスノーフェアリー。
ドイツ競馬史上最高の名牝デインドリーム。
オーストラリア発、世界最強スプリンターブラックキャビア。
先述した南アフリカのサンクラシーク。
アルゼンチンはサトノダイヤモンドの母マルペンサ。
これらの名牝が同時多発的にターフやダートを駆けることになる。
そして例に漏れず、ここ日本でも…。
阪神JF
2006年。年の瀬の阪神は期待が渦巻いていた。
未来をつくる名馬の蹄音が高らかに響いていたからである。
彼女の名はアストンマーチャン。
高級快速スポーツカーの名前をもじった可愛らしい名前に違わぬ走りで連勝を重ね、ファンタジーSでは5馬身差という圧勝っぷりで才能の片鱗を見せ付けた。
鞍上は武豊。単勝1.6倍。
初挑戦の1600m。不安は距離のみ。
目指すは父アドマイヤコジーンとの親子2代2歳GI制覇。
いつものように逃げず、番手で折り合いをつける器用さ。そしてGOサインが出てからの伸びと脚の回転。
どこを取っても勝ちを確信できる走りだ。
しかし、「規格外」が顔を出した。
クビ差で差した雄々しき流星。勝ちパターンのマーチャンを玉砕したのは、ダービー馬の娘だった。
彼女の名はウオッカ。
この時はまだ誰も知らなかった。歴戦を経て醸成された美酒が、何者にも勝る輝きを放つことになるとは。
(今回は諸事情のため牡馬戦線も並行でご紹介します)
朝日杯FS
この年も無敗馬がいた。1番人気、スペシャルウィーク産駒オースミダイドウ。
しかもここまでの鞍上は父の背に乗った武豊だった。
ファンが見たかったのはスペシャルの子で朝日杯を制覇する武さんだったが、武さんは弟の幸四郎さん、いっくん(福永)、謙ちゃん(池添)の仲良し4人衆で香港遠征に行っていたので乗り替わりとなった。
とはいえ乗り替わり後は安心と信頼のペリエさん。
抜けた1番人気でレースははじまる。
オースミは直線手前で早くも先頭に立ってしまう。
そこから驚異の粘り腰で先頭を譲らないが、そんな彼相手に手応え良く伸びて交わしたのは、デイリー杯で半馬身差下したはずのキングヘイロー産駒ローレルゲレイロ。
鞍上は本田優。カワカミプリンセスの一件もあり、そして来年3月には引退。これが騎手として狙える最後のGIだった。その気迫が馬を動かした。
オースミも差し返そうとするがゲレイロは止まらない。
勝ちを確信したその瞬間、“ヤツ”はやってきた。
その馬は、期待されていなかった。
その“一族”は期待されていなかったと言った方が正しいかもしれない。
「旅」の始まりは唐突だった。
社台ファームの吉田照哉氏が80年代にアメリカから輸入した繁殖牝馬グランマスティーヴンス。
そこから約20年。彼女の続柄がちょうどグランマになる孫、オリエンタルアートという牝馬が池添謙一を乗せ、ダートで3勝を上げた。
彼女が繁殖入りし、初年度の種付け相手に選ばれたのが、ステイゴールドだった。
ステゴは当時さほど期待されていなかった。
G1馬とはいえ、引退試合でギリギリ滑り込み勝利を決めた馬。
社台スタリオンには既にサンデーの後継者としてフジキセキ、アグネスタキオン、スペシャルウィーク、ダンスインザダークなどがいたし、サンデーは飽和状態になっていた。そのため、軽めのシンジケートを結成してブリーダーズスタリオンとビッグレッドファームを行ったり来たりして種牡馬生活を行うことになった。
素人目に見てもこれがVIP待遇では無いことがわかるだろう。
サンデーの後継者にしては格安の200万弱(フジキセキは500万前後、ディープインパクトは1200万)で種付けできるとあってそこそこ人気を博し、100頭を超える牝馬に種付けしていたものの、産まれた子たちは華奢で気性が荒いのが特徴。もちろん評価は高くなかった。
オリエンタルアートとステイゴールドの子は父ステイゴールド(池江泰郎厩舎)、母の父メジロマックイーン(池江泰郎厩舎)ということで、血統の縁もあり、池江泰寿厩舎に入厩した。泰郎さんの息子である。
言うまでもなくこの馬も凶暴で、牡馬とは思えないくらい華奢であったが、蛯名正義を鞍上に順調に勝ち上がる。
そして、今までの下馬評を一変させるきっかけになったのが、この年の朝日杯。
後の大種牡馬ステイゴールドの黄金航路を担う一気の末脚。小さき闘志が日本の地で頂点に届いた瞬間だった。
夢への旅路
ドリームジャーニー
父 ステイゴールド 母父 メジロマックイーン
全弟 オルフェーヴル
31戦9勝[9-3-5-14]
主な勝ち鞍 朝日杯 春秋グランプリ
主な産駒 ヴェルトライゼンデ ミライヘノツバサ
07世代
1番人気3着オースミダイドウ、508kg。
7番人気2着ローレルゲレイロ、472kg。
2番人気1着ドリームジャーニー、416kg。
言うまでもなく史上最軽量での勝利。
池江泰寿厩舎は初の重賞制覇、初のGI勝利。ステイゴールド産駒初のGI馬となった。
武豊不在のレースできっちり勝利を決めた親友、蛯名正義。この勝利がきっかけで名馬との巡り合いが加速することになる。
ところで、今まで何頭かこの世代の馬を紹介した。
お気付きだろうか。みんな父が日本のGI馬だということに。
数年前までサンデー、サンデー、ブライアンズ、サンデー、トニービン、フレンチデピュティ、サンデーみたいな状況で外国産種牡馬しか活躍しなかったのに、今では内国産種牡馬が主流になっている。
サッカーボーイ、サクラバクシンオーから始まり、フジキセキ、ダンスインザダークと着実にシェアを増やしていた内国産種牡馬。ついに時代が到来した。
(なお数年後にはディープ、ディープ、キンカメ、ディープ、ハーツ、ステゴ、ディープみたいな感じになるので覚悟しといてほしい)
クラシック前哨戦
この年のクラシックも話題には事欠かなかった。
2歳GIをどっちも取り逃した武豊は例のごとくアドマイヤの馬に乗ってクラシックを目指した。
この頃、社台ファームが管理していた優秀な繁殖牝馬は全てアグネスタキオンに回されていたため、優秀な産駒がどんどん産まれていた。
武豊が乗ったのはアドマイヤオーラ。
タキオンとビワハイジの間に産まれた産駒だ。
2歳はほぼ無敗で駒を進め、弥生賞でもドリームジャーニーを破った。
そこでドリジャは惜しくも差し届かず3着。
2着に入ったココナッツパンチはマンハッタンカフェ産駒。後に3歳で目黒記念2着に食い込んだ実力者で、22年VM2着ファインルージュの親戚だ。(そういう家系なのかもしれない)
で、この年のクラシック路線といえば、だ。
やっぱこのレースに限る。
史上稀に見る珍実況。
もちろん馬の名付け親はオレハマッテルゼの小田切氏である。
うろ覚えだが、実況を担当していた中野雷太アナ曰く「狙ってるみたいで嫌だったからできるだけ言わないようにしようと思っていたが、粘られちゃったから言うしかなかった(意訳)」らしい。
(記憶違いだったら申し訳ない)
皐月賞
春の中山はそんな多種多様なメンバーで争われた。
もちろん1番人気はアドマイヤオーラ。
2番人気はジャングルポケット産駒フサイチホウオー。東スポ杯→ラジニケ杯(現ホープフル)→共同通信杯(ここまで無敗)→皐月賞とかいう15年後の王道ローテ先取りホースだ。
3番人気はもちろんドリームジャーニー。
(で、何より面白いのがモチがあの川田将雅に乗り替わりになったこと。今なら絶対乗らん)
だがここで波乱が起こる。
この日は前が止まらなかった。
懸命に追いかけるフサイチホウオー。
しかし前のサンツェッペリンとヴィクトリーが止まらない。若手ジョッキー松岡正海とベテラン田中勝春。
一度ホウオーに差されるも、執念でもう一度差し返す。ついに、ついに春が来た。
ヴィクトリー
父 ブライアンズタイム 母父 トニービン
16戦3勝[3-1-2-10]
主な勝ち鞍 皐月賞
07世代
139。田中勝春がヤマニンゼファーに導かれGIを初制覇してから、中央GIで敗北を重ねた回数だ。
ただただ負けるならそれでも仕方ないと思えた。しかし、田中騎手は手が届きかけていた。メジロダーリングやセキテイリュウオー、バランスオブゲームなど、何度も何度も惜しいところまで行った。
レース前、音無調教師は彼に言った。
「掛かる馬だけど逃げないでくれ。逃げたら最後まで粘るのは厳しい」
それでも彼は序盤の手応えで抑えつけるより馬のやりたいようにやらせようと手綱を緩めた。
その過程が勝利に繋がった。
「勝てたからいいけどハラハラさせちゃった」と語った勝春騎手。
表彰式で関係者から受けた祝福の応酬は、彼の愛されっぷりを如実に表していた。
チューリップ賞
一方そのころ。
クラシック臨戦過程でアドマイヤオーラを負かした唯一の馬はここにいた。
ダイワスカーレット。父はアグネスタキオン、母はエリ女3着、GIII4勝のスカーレットブーケ。兄はダイワメジャー、姉は阪神3歳牝馬Sでテイエムオーシャンの2着、桜花賞3着のダイワルージュ。
厩舎はクロフネ、ギム、キンカメの松田国英厩舎、鞍上はキンカメ、ダイワメジャーの安藤勝己。
まるで成功を約束されたかのような完璧な布陣。
そんな彼女に立ちはだかるはウオッカ。
チューリップ賞GIII。
頂上決戦が始まった。
決着は、クビ差。
先行策で粘ったダスカをわずかに差したウオッカ。
例年なら主役レベルの馬を2頭も打破したことで、ウオッカの地位は圧倒的なものになった。
桜花賞
ここはもちろんウオッカの圧倒的1番人気。
フィリーズレビューを勝利したアストンマーチャンが加わったことで三強対決となった。
観客のほとんどが夢見た光景は「ダイワスカーレットとマーチャンが競りかけ、2頭が抜けたところをウオッカがまとめて差し切る」だったはずだが…
現実はそうはいかない。
チューリップ賞にて、ダイワスカーレット陣営はとある謀(はかりごと)を巡らせていた。
ダスカは兄のメジャーよろしく掛かりつつも先行策で粘り、ウオッカ相手に耐え切ろうとした。
そこでウオッカはどの位置からどの程度の末脚を使い、どの程度伸びるのか。それを試した。
そしてレース後、松国先生は「相手が強かった」とウオッカを褒め称えた。
あくまでこれは全て“作戦”だった。
前走のウオッカが案外ギリギリの勝利だったことを思い、桜花賞本番では「瞬発力勝負では劣るから、相手の手綱を先に動かすことができれば」と4コーナーで早めに仕掛けたのだ。
ウオッカは動かないとダスカを捕まえられない。一番しんどい場面で先にエンジンを点火しないといけない。坂を越え、ウオッカの末脚が鈍りかけた瞬間、溜めていた脚でもうひと伸びしたダイワスカーレット。勝負あった。
最後の最後に1馬身半差まで追いすがったのは2歳女王の意地だったが、それ以上に大きかった作戦勝ち。
着差以上に大きな勝利だった。
こうなるとオークスの行方が気になるが…
ここで予想外のニュースが飛んできた。
ウオッカは、逃げた。
ダービーに、逃げた。
日本ダービー
元来、ダービーとは将来の優秀な種牡馬を選定するためのレースであり、戦後のダービー馬は亡くなったワグネリアンを除いて全て種牡馬入りしている。(金子さんの持ち馬は特異点になりがち)
しかし、牝馬が出てはいけないというルールはない。
戦時中に激強牝馬クリフジがダービーとオークスを両方獲ったりしてるし、イギリスオークスでウインドインハーヘア(ディープの母)を倒したバランシーンは後のアイルランドダービー馬だ。
ステレオタイプなおじさん方はダービー出走を批判したが、これは偉大なる挑戦であった。
競走馬に見慣れてくると、ウオッカという馬がどれだけ異質かわかる。
牝馬なのに牡馬みたいな見た目をしている。めっちゃつよそうなのだ(語彙力)。
だが、この見解はあながち間違いではないらしい。
陣営はハナからこの馬をダービーに出そうとしていた。チューリップ賞の後、「対ダービー用」の調教を課していた。
ウオッカはシーザリオの角居厩舎所属だが、何を隠そう角居先生は松国先生の弟子にあたる。
角居先生からすれば、自信満々で送り出した馬が師匠の術中にハマってコテンパンにやられてしまったのだ。悔しさが残るが、打倒ダスカという新たな目標も見えた。しかし…
桜花賞敗戦の後、馬主さんは歯切れが悪そうに「オークスで仕方ないか」と言った。四位騎手は「僕はどちらでも乗れるようにしておきますから」と言った。
二人の胸に秘めた思いと、この馬でダービーに勝ちたいという強い気持ちが、覚悟を後押ししたのだった。
迎えたダービー当日。
ウオッカはフサイチホウオー、ヴィクトリーに次ぐ3番人気となったが、競馬関係者は冷ややかな目でそれを見ていた。
勝てるはずがない。無謀な挑戦だと。
名馬の条件はいつだって、常識を壊すことにある。
(実況が間違えて東京ダービーって言っちゃってるけど気にしないで)(今年の東京ダービーは6月8日20時10分発走!)
ヴィクトリーは行き足がつかず後方から。
フサイチホウオーも手応えが怪しい。
最後の直線では皐月賞同様、逃げ馬が粘る展開。
福永祐一の悲願を乗せたアサクサキングスが粘りに粘る。
しかし、その奥から全てを差し切る豪脚。
17頭の男馬を蹴散らして、女王は伝説になった。
エアグルーヴの再来か。
はたまた、女帝を超える王者の誕生か。
万雷の喝采が府中を轟かせた。
府中の豪傑
ウオッカ
父 タニノギムレット 母 タニノシスター(シラオキ系)
26戦10勝[10-5-3-8]
主な勝ち鞍
阪神JF 日本ダービー 安田記念連覇 VM 天皇賞(秋) JC
07世代
(かっこいい)(やっぱ元ネタ牡馬だろお前)
ウオッカの馬主さんは「タニノ」冠名で代々やってる人で、牧場も経営するオーナーブリーダー。先代がタニノチカラとタニノムーティエで大失敗したため、必死で損失を取り返すために奔走していた。
そんな中で生み出したのがギムレット。
ギムは血統面でいうとアメリカ版マルゼンスキーみたいな戦績で引退した幻の最強短距離馬グロースタークの3×4、奇跡の血量インブリードが入っており、これが見事に爆発した。
そんなギムが種を付けたのは薄めのグロースタークインブリードが入ったシラオキの子孫、タニノシスター。
グロースタークにグロースタークをかけまくることによって、サンデーサイレンス系の馬にも勝るスピードを手に入れようとしたのかもしれない。
こうしてギムから生まれた期待馬。
カクテルのギムレットより度数が高いウォッカから名前を拝借し、「ギムレットより強くなってほしい」と「ウオッカ」と命名された。
冠名タニノを付けなかった理由は、「(水で割らない)ストレートの方が度数が高いから」らしい。
ここまで命名由来がかっこいい馬ってなかなかいない。22年大阪杯勝ち馬の名前見てみろ。家庭菜園だぞ家庭菜園。
ウォッカでなくウオッカになった理由は、商品名をそのまま馬名にしちゃうと権利関係がややこしい事になるからではないかと思っている。(個人の見解)
(その昔[Champagne](シャンペイン)というロックバンドがいたが、日本のシャンパン協会から訴えられ、メジャーデビューと同時に[Alexandros]に改名していたりする)
角居厩舎に入厩したウオッカは、2歳時からデルタブルースなどの一流馬と一緒にトレーニングを積むなどして才覚をあらわしていた。
そして1年後がこれである。化け物でしかない。
日本一かっこいい☝ポーズの四位さんと共に、ウオッカのダービー勝利は歴史に刻まれたのだった。
オークス
ならばもう1頭の化け物も2冠目を楽々制覇し、3冠目へ向かうのかと思いきや…
ダスカは熱が出た。普通に回避した。
父の影響か、タキオン産駒は強いけどやたらと体質の弱い馬が多い。ちなみにまだダスカは丈夫な方である。レーヴディソールっていう馬を後に紹介することになるが、その子を見たら色々と察すると思う。
アストンマーチャンは成長と共にスプリント向きの身体になってしまい、桜花賞でも距離が長くなっちゃったので回避。
ウオダスもいないので1番人気は連戦連勝でGI初挑戦のナリタトップロード産駒ベッラレイア。
しかしここは騎手の技術がモノを言った。
勝ち馬はローブデコルテ。
オークス男福永祐一、2年振り3度目の制覇。
福永先生は体重軽い馬を動かすのが得意で、牝馬はめちゃくちゃ相性がいいのである。
記事の前半で内国産馬の時代だどうこう盛り上げた割に、皐月賞はブライアンズタイム、オークスはコジーン産駒である。
そしてNHKマイルは地方競馬全国リーディングジョッキー内田博幸(ウチパクさん)がフレンチデピュティ産駒の牝馬ピンクカメオで大波乱を起こしていた。
まあ、この世代の古馬からじわじわと波が広がっていくので長い目で見ていこう。(あんだけ煽った意味よ)
ローズステークス
夏を経て盛り上がったのは牡馬ではなく牝馬戦線の方だった。
結果は言うまでもない。
ダスカの圧勝だが、ここで得られた収穫があった。
「逃げてもなんとかなってしまう」ということ。
末脚でもうひと伸びを狙うために先行策で競馬をさせることが多かったが、折り合いを覚えさせた今、先頭に立ってもしっかり息を入れて最後に伸びてくれることが分かってしまった。
これきっかけでダスカは更に強くなる。
秋華賞
結局ウオッカが1番人気になったが、不安要素は盛りだくさんだった。
ダービーから宝塚記念に出てそのまま直行のためローテ的にはダスカが有利ということ。そして京都は先行が有利ということ。
ウオッカも意地を見せた。しかし、ダスカの勢いは留まるところを知らなかった。
引き離して逃げる先頭の後ろで実質逃げの状態で中盤まで耐え、4コーナーの坂の下りで先頭に立ち、そのまま押し切ろうとする。強い馬でしかできない競馬。
秋華賞では今後一切聞けなさそうな名実況。
しかし振り切ったダイワスカーレット。
世代の女王は二冠牝馬となった。
緋色の女王
ダイワスカーレット
父 アグネスタキオン 母父 ノーザンテースト
半兄 ダイワメジャー
12戦8勝[12-4-0-0]
主な勝ち鞍
牝馬二冠(桜花賞、秋華賞) エリ女杯 有馬記念
07世代
(かわいい)(あんたバカァ!?って言ってほしい)(式波・ダスカ・ラングレー)
ウオッカとダイワスカーレットは、さながらシービーとルドルフのような関係だった。
かたや実力もあるしたまに常識破りの爆発力でとんでもない競馬をやってみせる超人気馬。
かたや史上稀に見る安定感で常に完璧なレースを見せるが、どこかいぶし銀な最強馬。
ダスカは後者だった。
(ウマ娘ではキャラデザが良すぎたせいかむしろダスカの方が人気出てる印象だが)
エリザベス女王杯
エリ女でも2頭は対戦が予定されており、ウオッカファンは今度こそを期待していた…が、レース当日にウオッカが故障。回避を余儀なくされた。
実はこの年のウオッカは凱旋門賞を目指しており、その前哨戦として宝塚を選ぶも大敗、脚部不安で凱旋門賞を回避、なんとか秋華賞に間に合わせて3着というちぐはぐなローテが続いていた。
意外とウオッカは不憫属性持ちなのである。
そういう所もエアグルーヴに似てる。
そんなウオッカをよそ目に、ダイワスカーレットは衝撃の強さを見せつける。
レース終盤で連発する200m11秒台の地獄ラップタイム。そして直線で外から競りかけたアサヒライジングにを見て、ダスカを軽く外へ膨れさせたアンカツ。
ヨレるライジングの影響で前年の覇者フサイチパンドラが予定より少し外を回らされる。
パンドラの勢いを殺し、締まるラップタイムの影響で追込馬を潰し、中団につけたスイープトウショウを相手に引き離して勝利。完勝。
昨年と一昨年の覇者相手にこの強さ。
今後京都でこの馬に勝てるやついるのか?と思うほどに完璧な勝利だった。
菊花賞
一方そのころ、牡馬のラストはご覧の通り。
神戸新聞杯を勝利したドリームジャーニーは追い込み不利の京都では伸び切れず、結局勝ったのはダービー2着馬、アサクサキングスだった。
1番人気はデビューから無敗でセントライト記念を制したニュージーランド産馬ロックドゥカンブだったのだが、3着に敗れてしまった。
その後のカンブはなんやかんやで引退しニュージーランドに出戻り。現地でダービー馬を輩出したりでなんやかんや余生を謳歌している。
星月夜
ここからは同年の古馬路線。
なんか洒落たサブタイトルだが理由はちゃんとある。
高松宮記念
競馬はギャンブルであるが、ロマンだらけのスポーツでもある。このレースはそちらの側面が大きい。
不死鳥と名付けられたその馬に乗せた追憶は、9年前の金鯱賞。
あの馬が得意だった中京競馬場でのGI。あの馬の騎手と、馬主と、調教師陣営がもう一度タッグを組み、掴み取った夢の舞台。
奇しくも2着馬の騎手はクラシックであの馬の手綱をとった上村騎手だった。
スズカフェニックス
父 サンデーサイレンス 母父 フェアリーキング
29戦8勝[8-3-8-10]
主な勝ち鞍 高松宮記念 阪神カップ 東京新聞杯
主な産駒 マイネルホウオウ
05世代
この馬の作ったドラマに魅了された者は多い。
サイレンススズカとは兄弟でないにしろ、当時のファンはやはり思うところはあっただろう。
自身は最高の勝利を手にし、産駒マイネルホウオウはそれ以上の感動を競馬ファンに届けた。(また解説する)
そして種牡馬引退後もうらかわ優駿ビレッジにて、血は繋がってないのに見た目が瓜二つの名馬タイムパラドックスと仲良しコンビになり、和気あいあいとした老後を送った。
その姿は競馬ファンにも好評で、某感染症の流行が収まればきっと数多くのファンが訪れる…はずだった。
しかし2022年2月10日、タイムパラドックスが先に亡くなってしまった。今は先輩のウイニングチケットが気にかけてくれているらしい。
少しでも長く生きてくれると嬉しい。
🇦🇪ドバイデューティーフリー
昨年の札幌記念勝利の後、天皇賞3着、香港カップ2着と勝ちきれない競馬が続いていたアドマイヤムーン。
年明け京都記念を勝って仕切り直した後、陣営は海外に挑むことにした。
今はドバイターフと改名されたが、元は芝1777mのレースだった。
3月のUAE、ナドアルシバ競馬場。名月は輝いた。
世界が見上げた月
アドマイヤムーン
父 エンドスウィープ 母父 サンデーサイレンス
17戦10勝[10-2-2-3]
主な勝ち鞍 🇦🇪ドバイDF 宝塚記念 ジャパンカップ
主な産駒
ファインニードル セイウンコウセイ ハクサンムーン
ラヴアンドポップ ルペールノエル
06世代
ハーツクライ以来、日本馬にとっては大きなドバイでのG1制覇。(ちなみに3着はダイワメジャー)
輝かしい功績だが、この勝利が後に多くの人々の運命を狂わせてしまう。
太陽と月。輝かしいものの裏には影がある。
ドバイDFでの勝ちっぷりを見て、その走りに惚れ込んだ人物がいた。
UAE国王、シェイク・モハメド氏である。
ここやここでも軽く触れたが、UAEの競馬を興したのは国王本人である。競馬愛がすごいため、ゴドルフィンという巨大グループまで設立した。
で、ゴドルフィン関係者がアドマイヤの近藤利一さんに「ムーンをダーレー・ジャパンに売却しないか」という相談を持ちかけた。
ダーレー・ジャパンはゴドルフィングループの日本支部のような感じで、既にフリオーソという馬が地方で暴れ回っていた。
本来ならば拒否する案件だが、数十億単位の大金をチラつかせられた利一さんは条件を飲んでしまう。
次戦、香港のクイーンエリザベス2世カップでアドマイヤムーンは3着に敗れてしまう。
松田博資調教師の指示、展開など色々あったが、後方待機から届かずに見せ場なく敗北。
ここに勝てば10億単位でトレード金が上がっていただけに、利一さんは武豊を非難した。
アドマイヤオーラの皐月賞と全く同じ負け方をしたため、よりイライラが爆発したのだろう。
だが、松田博資調教師の馬は後方待機から届かずに終わるケースが非常に多い。(ブエナビスタ、ハープスター、ラストインパクト、アドマイヤオーラなど)
馬づくりの問題である可能性も非常に大きいが、利一さんに乗っかって調教師まで武豊を叩いたため、さすがにキレた豊さんは「もう二度と乗りませんよ」と静かに抵抗した。
(ちなみに松田博資調教師は後に雑誌インタビューで武豊を名指しで「環境が恵まれただけの騎手」と語っている。競馬サークルこわい)
こうしてアドマイヤオーラとムーンが岩田康誠に乗り替わりとなり、利一さんが亡くなるまで豊さんはアドマイヤに乗ることはほぼ無かったし、松田博資調教師の馬に乗ることもほぼ無かった。
(豊さんが大人なのか、松博さんの調教師引退日に管理馬に乗り、お礼の言葉も述べている)
この一件で1番の被害を被ったのは豊さんではなく、トレードを引き受けた利一さん張本人だった。
アドマイヤムーンはスイープトウショウ、ラインクラフトと同じエンドスウィープ産駒。エンドスウィープはこれからに期待されていた種牡馬だったが亡くなった。そうなると後継馬はムーンしかいない。
元はと言えばノーザンファーム生産馬だし、社台グループとしては超高待遇で種牡馬入りさせようと思っていた馬。それを目の前で高額買収され、海外から来た強豪馬主の日本制圧のための基盤になってしまうかもしれない状況。今後利一さんにいい馬を預けると売り払われるかもしれないという信用問題も生まれてくる。
(あくまで噂だが)社台グループはアドマイヤを締め出した。今までアドマイヤベガ、グルーヴ、ドンなど優秀な生産馬を庭先取引で「これどうぞ」と特別待遇で引き渡していた社台。これが無くなったことでアドマイヤの凋落は加速する。
天皇賞(春)
春の盾。ムーンが裏で活躍する中、4歳世代の看板ホースの意地を見せた。
大阪杯から天皇賞の連戦を勝利。
冬の放牧を経てさらにたくましくなったサムソン。
直線で抜かされても脚を溜め、最後にかけた石橋守ジョッキーの好判断。
距離がもつのがわかっちゃっただけに、菊花賞もアドマイヤメインの爆走がなければ…と思ってしまう。
これでGI3勝目。世代最強馬の立ち位置のまま堂々と春のグランプリへ向かった。
安田記念
マイル戦線でも強い馬が強い勝ち方をしてみせた。
ダイワメジャー。オークスを回避したスカーレットを鼓舞するかのように、ついにGI4勝目。時代をつくった名馬の仲間入りである。
馬体を併せたら必ず勝つ抜群の勝負根性をここでも見せつけた。
🇸🇬シンガポール航空インターナショナルC
ちょうど昨年のこの時期、コスモバルクが海外で大金星をあげて帰ってきた。
この日もバルクの連覇に期待がかかっていたが、勝ったのは帯同馬の方だった。
シャドウゲイト。
父はアサクサキングスと同じホワイトマズル。マズルは社台グループが所有していた海外馬で、武豊を背にキングジョージ2着になったイタリアダービー馬だ。
その馬がシンガポールでG1を制覇したのだ。
しかも鞍上はなんと田中勝春。
ヴィクトリーで皐月賞勝ってから1ヶ月。本当に調子がいい。
バルクも2着になってメルボルンカップ以来の海外日本馬ワンツーとなった。
その後シャドウゲイトは日本で何年か走った後、アイルランドにいる日本人の厩舎に転厩。そのままアイルランドで種牡馬になった。国際派ホースだった。
宝塚記念
ここが先述したウオッカの敗戦。
サムソン、メジャーに加えムーン、ウオッカ、カワカミなど超豪華メンバー。出走馬がわかるように結果を貼っておく。
(最初から全レースこうすれば良かったよねって今更思った)
ウオッカはあまり調子が奮わず伸びない。ダービーの反動は大きい。
爆速で逃げて爆速で沈んでいくローエングリン後藤、そしてアドマイヤメイン川田将雅。
後方で待機した馬だけで決着してしまうレースになった。
3コーナーからサムソンが位置を押し上げながら進んでいたが、バルクが軽くヨレて何度か馬体をぶつけられている。そんな中でムーンと叩きあったが、最後は惜敗。
ムーンは満を持してグランプリホースとなった。
そして夏が過ぎ…
スプリンターズステークス
夏を越え秋に近づく中山で行われる短距離決戦。
例年は快晴の下で行われるのだが、この年は運悪く雨の中、不良馬場で行われた。
そんな馬場だからこそ起こったであろうドラマがあった。
このレースを制覇する馬の鞍上は今回乗り替わり。ツインターボやヒシアマゾンといった特徴的な名馬を勝利へ導いてきた中舘英二騎手だった。
不良馬場で差し追い込みは届かない。3歳牝馬だから斤量の有利もある。そして…
この馬の最大の武器はその走り方にあった。
泥をかき分ける高回転の脚。
さながら欧州産馬のようなピッチ走法は、この舞台にピッタリハマった。
年上相手に堂々逃げ切り。2歳女王の座を寸前で奪われた名牝は、新天地で新しい扉を開いた。
薄命の快速牝馬
アストンマーチャン
父 アドマイヤコジーン 母父 ウッドマン
11戦5勝[5-2-0-4]
主な勝ち鞍
スプリンターズS フィリーズレビュー
07世代
アストンマーチャンがウマ娘に実装されると決まったとき、界隈はめちゃくちゃ盛り上がった。
なんかひたすら画面に映り込みにくるアストンマーチャンにユーザーは歓喜と困惑の連続だった。
彼女がウマ娘に実装された意味。実はこれには相当大きなものがあると思っている。
スプリンターズステークス勝利から半年後。
アストンマーチャンは亡くなった。
原因不明の大腸炎にかかり、最後は急性心不全だったという。
石坂調教師は「勝った後の管理が悪かったからストレスで病気になってしまった。何とか助けてやりたかったが、悲しくて声にならない」と涙を堪えて語った。
亡くなってしまった馬は、記録を残せない。
産駒は産まれない。血は残らない。
勝利数や活躍した場面が少なかった名馬ほど、次第に忘れ去られていく。
ならば、記憶ならどうか。
亡くなってしまった愛馬をゲームに出すこと。普通なら躊躇うに違いない。
しかし、アニメやゲームのサイレンススズカのように、素晴らしいifを描けるキャンバスがあるのなら。
それを叶えてくれるのならと、馬主さんは使用許可を出したのかもしれない。
「忘れられないように」マーチャンが画面に映り込んでいるとするのなら、ウオッカとダイワスカーレットだけではなく、アストンマーチャンという並外れた根性で泥の中を走り抜いた最高のスプリンターがいた事を、我々は語り継いでいかなければならない。
天皇賞(秋)
メイショウサムソン陣営に進展があった。
この春から瀬戸口厩舎から高橋厩舎へ転厩となっていたサムソン。そして秋から武豊に乗り替わりとなった。
メイショウの松本オーナーが勝てない騎手に馬を乗せる聖人であるという話は何度かした(はず)。
その結果が石橋守騎手のダービー制覇で、後の武幸四郎騎手のオークス制覇にも繋がってくる。
しかし、サムソンは凱旋門賞制覇を目指していた。
サムソンの父オペラハウスは非社台のJBBAが繋養している種牡馬。JBBAは中小・地方の個人馬主をターゲットに安値で種牡馬を種付けできるようにしている。
そんなオペラハウス産駒から凱旋門賞馬が出たら、「俺たちにも凱旋門賞を目指せるかもしれない」とみんな思ってくれるはず。仮に勝てなくても、1つでも上の着順になると評価は上がる。
2001年、武豊は外国馬サガシティで凱旋門賞3着経験があり、海外G1もいくつか制している。これ以上ない人選だった。
だからオーナーの松本さんは「凱旋門賞はユタカで行こうと思う」と本人たちに告げた。
元々、武邦彦騎手や河内洋騎手との繋がりもあり、同じ鍋を囲むくらいには交流のあった二人。
だが、指名された豊さんは少し驚いていたという。確かに「守のまま凱旋門賞を」と言ってもおかしくない人だから驚いただろう。
石橋騎手は特に驚きも悔しさもなく、むしろ今まで乗せて頂いた事への感謝が大きかったという。なんだか素敵な関係。
本当はこの年に凱旋門賞に行こうとしていたのだが、馬インフルエンザの影響でとりやめ。そして天皇賞という形になった。
コスモバルクがヨレにヨレてエイシンデピュティがびっくりしてさらにヨレたりしてわちゃわちゃしてるところを、最初からこうなるのを分かっていた武豊は内から抜けていった。
2馬身半突き放して、史上5頭目の天皇賞春秋制覇。
何度も、何度も噛みしめるようにガッツポーズした武豊。守さんの思いも乗せて、サムソンは翌年の凱旋門に向けて走り出した。
マイルチャンピオンシップ
サムソンや妹に負けてられぬと、この馬もまた春秋制覇を果たした。
2番手から馬群から馬体を離して先頭に立つと、追ってきたスーパーホーネット相手に残していた脚を一気に使って詰め寄らせずに勝利したダイワメジャー。
毎レース着差以上の勝ち方を見せてくる王者。
これでGI5勝目。あのナリタブライアンに並んだ。
そしてこの年で引退が決定。ラストは有馬記念で妹との共演となった。
(ちなみにこの年ダイワメジャーは秋4戦。春は海外含む3戦。こんだけ走って常に安定した成績を挙げている兄だから、妹も安定感とタキオン産駒にしてはそこそこの体質の強さがあったのかもしれない)
ジャパンカップ
この年、後のジャパンカップを揺るがす出来事があった。
🇮🇪ディラントーマスという馬がいた。
18戦10勝、GI6勝。ダービー馬で凱旋門賞馬。
21世紀の欧州の名馬をランキング化するなら、まあベスト20には余裕で入るクラスの名馬だ。
そんな馬が引退レースにJCを選んだ。もちろん盛り上がりは最高潮に。
だが、来日したけど出走には至らず、結局香港ヴァーズに行くことになってしまった。
ディラントーマスはもう種牡馬入りのための準備をしていて、その際に義務付けられている馬ウイルス性動脈炎(EVA)のワクチン接種を既に済ませた後だった。これが災いして、抗体検査で陰性を確認出来ず、検疫を通過出来なかったのだ。
日本はそこらへんはお役所仕事なので、確認出来ないなら出走はできない。香港は「ワクチン接種の影響で陽性反応が出たのなら問題はない」とし、出走を許可した。ますます日本への風当たりが強くなる。
まして相手が相手。世界トップの調教師エイダン・オブライエンとクールモアの馬だ。
ここから長きに渡って、香港ヴァーズは欧州馬天国に、ジャパンカップはちょこちょこ外国馬の出るただの国内GIに成り下がる。
(日本で11日間も幽閉されたディラントーマスは調整に失敗し、ヴァーズは大敗した)
抜けた外国馬がいないJC。強いのは日本馬だけ。
サムソンVSムーンVSウオッカ。
もちろん上位は全て日本馬になった。
スローペースからの攻勢。
常に好位置に構え、インを突いて距離ロスを極限まで削ったアドマイヤムーンが勝利。GI3勝目。堂々の年度代表馬。
今までとは違う勝負服。時代の変化を予感させたが…
なんと、ダーレー・ジャパンはこの年をもって馬主登録を抹消した。なんだったんだマジで。
理由は表沙汰になってないが、国王が忙しくて日本の馬主業まで手が回らず、ほぼエージェントの独断で事が進んでたから、というのが通説らしい。
でも牧場の方は続けるらしく、アドマイヤムーンはこれにて引退。ダーレー・ジャパンファームで種牡馬入り。
社台スタリオンの牝馬には一切触れられず、小粒GI馬を何頭か出す程度に留まっている。
22年の種付け料は50万(晩年のダイワメジャーは600万)。なんとも不憫。
有馬記念
年の瀬は超豪華メンバーが集まった。
レースを見ていただければ分かるがこの当時強かった馬がだいたい揃っている。
中でも注目されたのがダイワ兄妹対決。
マイルが適距離のダイワメジャーと牝馬で有馬はさすがに厳しいんじゃね?というダイワスカーレット。
ウオッカもどこまで頑張れるかが注目された。
しかしサムネを見た時点でもうお察しである。
引退用究極仕上げのメジャーがデムーロを背に驚異の粘りを見せる。そしてスカーレットも牡馬顔負けの激走。
しかし、その先にはなんか得体の知れない馬がいたのだった…。
大穴の印象派
マツリダゴッホ
父 サンデーサイレンス 母父 ベルボライド
27戦10勝[10-2-1-14]
主な勝ち鞍
有馬記念 オールカマー3連覇 AJCC 日経賞
主な産駒
ロードクエスト マイネルハニー マイネルプロンプト
06世代
マツリダゴッホ。
東京、阪神、京都では常にズタボロのくせに、中山ではまるで別の馬かのように強い走りを見せる、中山巧者というより「中山でしか強くないGI馬」だ。
キャラが濃い。
重賞の全てが中山であり、生涯のうち3着以内に入れた競馬場が札幌と中山しかない。
そんな癖強馬の勝利を請け負ったのが蛯名騎手。去年のドリジャ以来のGIとなった。
ムーンが引退し、年末が謎の馬に勝たれたことで、宙に浮いたような空気のまま07年の競馬は終わる。
そして日本競馬は本格的に牝馬の時代に突入するのだった…。
あとがき
こうしてまとめて振り返ってみてもなんかドタバタとしてる過渡期って印象ですね。ディープ引退で一時代終わったんだ感があります。
次回はこのシリーズで最も層の薄い回です。
正直飛ばそうか考えましたけど、ディープスカイがなかなか大事なキーパーソンなので紹介します。
ディープ回からかなり投稿の間隔を空けてしまいましたが、GIの少ない6月はなるべく出せるよう頑張ります。
それでは。