ウマ娘で学ぶ競馬史 #22.5 勇者と聖剣(2001〜03)
みなさん、ウマ娘やってます?
ちょっと前のチャンピオンズミーティングでは高松宮記念なのにスマートファルコンとかスーパークリークが環境を握ってましたね。なんなんだマジで。(ファルコンの史実の適距離はダート2000m。どこをどう育てたら芝のスプリンターになるんだ…)
そしてメジロアルダン実装。図ったようにトキ…たづなさんが「あなたの距離適性ではこのレースは厳しい」的なセリフをシナリオ内で口にしてましたね。
魔改造勢の方はビクッとしたんじゃないでしょうか。
短距離エアグルーヴさん息してる…?
ということで今回は、過去数回に渡って紹介しそびれてきた短距離路線のGI戦線について解説していきます。
参りましょう。
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残像を超えて
最強“スプリンター”としてその名を轟かせ、スプリントGI戦線を盛り上げ、不滅のレコードを残しターフを去ったサクラバクシンオー。
そして国内のマイルGIだけでなく海外にも名を轟かせ、スプリントでも結果を残した短距離の王、タイキシャトル。
短距離界を席巻した二大王者。
彼らが残したものは大きかった。
20世紀末前後の短距離路線は、それはまるでシンザン引退後の古馬重賞のように、オグリキャップ引退後の日本競馬界のように、どこか物足りない雰囲気があった。端的に言えば「スターがいなかった」のだ。
キングヘイローが高松宮制覇とかもあったが、アレは厳密に言えば短距離馬じゃないし、アグネスデジタルなんか馬かどうかすら怪しい。
サクラバクシンオーやフラワーパーク、ニシノフラワーのような、明確な短距離専門の名馬が不在の期間が続いた。
そんな中、ようやく「スター」が現れる。
2001年、高松宮記念。
その馬は僅か6戦で主役になり、瞬く間に箒星と消えた。
連勝を重ね挑んだ大舞台。小雨を切り裂く流星。
その星の名は…
星帝
トロットスター
父 ダミスター 母父 ワイズカウンセラー
34戦8勝[8-7-0-19]
主な勝ち鞍
春秋スプリント制覇、CBC賞(GII)、シルクロードS
99世代
4連勝でGI制覇。拳を突き上げた蛯名正義。
この競馬史で歴史を学んでいるor以前からなんとなく競馬を見ていた人だと、この馬の事を知らない人も多いんではないかと思う。
日本競馬は春秋でGI戦線が分かれており、その両方で似た条件のGIを勝つと「春秋○○制覇」みたいな感じで高く評価される。ウマ娘でもお馴染みのアレ。
そんな春秋制覇ホース達の中でも影薄い四天王が、トロットスター(スプリント)、ファインニードル(スプリント)、ゴールドドリーム(ダート)、インディチャンプ(マイル)だ。(※完全に個人の主観です)
影薄いGI複数勝ち馬の特徴として
①全盛期が短いこと
②目立ったライバルがいないこと
が挙げられる。この馬もそうだった。
そうだったとはいえ、実はこの馬はすごい功績を残している。
スターは完全に晩成型。才覚の片鱗が見えたのは、4歳時のフェアリーキングプローン安田記念(2000年)。
ここで差のない5着になると、その後は福島1700mでの開催となった関屋記念(理由は後に解説する)で5着→京成杯AH(GIII)2着→富士S(GIII)2着と、マイル重賞で連対を重ねる。
距離短縮で1400mオープン戦に出してみると快勝したため、主戦を蛯名に固定し更に距離短縮で年末のCBC賞へ。(当時は阪神カップの時期にGII1200mでやってた)
ここでGI馬ブラックホークを抑えて1着。本格化。
年明けシルクロードステークスをトップハンデを背負いながら勝利。堂々の一番人気で高松宮に挑み、ご覧の通りの快勝。
シルクロードから高松宮までの2ヶ月弱で10kg絞るほどのガチガチ調教に耐え、見事にスターになってみせたのだった。
安田記念
そうなると同年のマイル路線もオッズは割れに割れる。
というのも、時系列ぐっちゃぐちゃで分かりづらくなっているが、時は2001年。
99年春秋マイル覇者エアジハード、00年高松宮記念勝ち馬キングヘイローは勝ち抜けて種牡馬入り。
99年高松宮記念勝ち馬マサラッキと00年スプリンターズS勝ち馬ダイタクヤマトは調子崩して休養中。
このレースに出走する00年マイルCS勝ち馬アグネスデジタル(伝説化前)は金杯の後に脚部不安出ちゃって強い調教が行えない状態、99年スプリンターズS勝ち馬ブラックホークはもう7歳。
で、トロットスターは本格化したとはいえ、マイルだと勝ち切れない…
ということで一番人気は00年安田記念覇者、🇭🇰フェアリーキングプローンになった。まさかの今年も登場。
とはいえ単勝4.6倍。香港でボロ負けを経験したり、昨年の安田から体重が12キロ増えてる所を見られたのかもしれない。
(レース前の体重発表は日本だけの文化だけど、かなり重要なファクターなので今後も続けて欲しいと思う)
で、2番人気はまさかのスティンガー。
もう忘れた人もいると思うので解説しておくと、彼女は98年の2歳牝馬チャンピオンで藤沢厩舎の一番槍。
1勝クラスから連闘でGI制覇→桜花賞ぶっつけで大敗→現フローラS勝つもオークス4着→秋華賞蹴って天皇賞とJC挑むも敗北
という、奇妙なローテを歩んだ馬。
昨年は京王杯SC勝ったけど安田は伸び切れず4着→以降調子崩す→今年の京王杯SCで復活という、本当に信じて大丈夫?な感じの成績。
3番人気にマイラーズC勝ち馬ジョウテンブレーヴ、4番人気にトロットスター。
もうお分かりかと思いますが、このシリーズでオッズや人気系の話題が出てくる時は大抵荒れる時です。
完全に位置取りを誤ったフェアリーは閉じ込められ、伸びないどころか後ろから差され散々な結果に。
そしてスティンガーもデジタルもジョウテンブレーヴもトロットスターも揃って撃沈。
1着はスプリント重賞3戦連続2着、高松宮記念から直行の7歳馬、ブラックホーク。トロットサンダーを彷彿とさせる横山典弘渾身の差し切り。
2着は最高成績GIII3着のブレイクタイム。こんなん買えるわけない。
3着はメイショウオウドウ。マイルGIでは3着とか善戦の経験はあったけど、ドトウと一緒に有馬出てボロ負けしてた印象と、前走のマイラーズCで-7kgで2着になったのに、さらに-12kg減量してきたことを嫌われた。こんなん買えるわけない(再)
というわけで、ワイドで万馬券。馬連12万円でした。
気が狂いそう。
なお、このレースがきっかけでエイシンプレストンとアグネスデジタルは本格化。GIをサクサク勝てるようになる。本格化がもうちょい早ければな…
第1回!!アイビスサマーダッシュ!!
唐突ですがやってまいりました。カメラアングルが良すぎて何回でも見てしまう魔のレース。
ついにこの年から直線重賞が実施されるようになったのです。
20世紀は福島や小倉となんら変わりのない、ごくごく普通のローカル競馬場だった新潟。
当時は存在した新潟の地方競馬。今では考えられない話だが、新潟競馬場は地方競馬も開催しており、新潟競馬は中央所有の競馬場を間借りして開催されていた。同じような感じで中京や札幌も地方競馬が行われていた。
しかし徐々に地方競馬の売上が下がっていく。JRA側は競馬場を貸してもなんのうまみもないため、次第に中央は中央、地方は地方で棲み分けされるようになった。
経営悪化の流れで多数の競馬場が廃止されることに。
新潟競馬場の改装はむしろ地方競馬にとっては悪影響で(改修中は三条競馬場っていう地方競馬場使わないといけないけどそこの維持費払うのもしんどいくらい経営難だった)、改装してアイビススタンドできて半年で新潟の地方競馬は終幕。悲しいね。
一方、ローカル競馬場の価値を高めたいJRAさんは、新世紀の始まりに景気よくコースを改装。直線1000mでレースができるように競馬場を作りかえたのだった。トロットスターでちょっと触れた関屋記念が福島開催だったのはここの改修工事が理由。
そんな第1回アイビスSD。その勝者はなんと、あのメジロの馬だった。
とてもGIIIとは思えない盛り上がりっぷり。これがアイビスサマーダッシュ。
最後の恋人
メジロダーリング
父 グリーンデザート 母父 アファームド
34戦8勝[8-5-4-17]
主な勝ち鞍
函館スプリントステークス アイビスサマーダッシュ
99世代
メジロ?天皇賞しか目指していないはずでは?
そうです。これぞ末期メジロの代表作。
父母ともに外国血統。メジロらしさが1mmもない馬だった。
恐らくこのシリーズで現役のメジロ牧場を語るのはこれで最後になるので、ここでメジロ衰退の理由を考察していきたい。
メジロ牧場は、北野豊吉氏が遺した夢と共に生きていた。
「メジロティターンの子で天皇賞を勝て」
その遺言を胸に、妻のミヤさんはきちんと豊吉さんの教えと尊厳を守り継いできた。
守りすぎた、という方が正しいのかもしれない。
俗に“メジロ血統”と言われる血統がある。
現代まで血が繋がっている名牝メジロボサツに行きつく血統や、ルドルフの父でおなじみパーソロンとメジロ所有の繁殖牝馬の子なんかは王道のメジロ血統。
そんなメジロ血統の代名詞と言えるのが、モガミという馬。レガシーワールドやメジロラモーヌ、シリウスシンボリの父だ。
モガミ産駒の特徴は気性難でスタミナ豊富。天皇賞制覇にはうってつけ…かと思いきや、モガミの血が入ったメジロの馬は天皇賞を勝ててない。ほぼ障害レースで勝っていた。
モガミ産駒の難点は、キレる脚がないという所だった。メジロの馬が勝てなくなったのは、サンデーサイレンスが猛威をふるいだしてから。
サンデーサイレンス産駒の特徴は母方の血の特徴を強く出す+気性難+キレる脚。トレンドと真逆を行っていた。
そしてこのシリーズでもようやく見かけるようになってきた黄色と黒の社台グループの勝負服。
社台グループはサンデーサイレンスの血とスピードの出る繁殖牝馬を重用し、勝てる調教師と勝てる騎手にしか馬を預けず、早熟馬を量産する。
対して末期メジロ牧場はモガミの血とステイヤー牝馬を重用し、晩成の馬を育てていた。
こうなってしまったのは、メジロの馬の配合を全て決めていた“メジロの頭脳”、ウマ娘で登場する主治医の元ネタの人、武田場長がメジロ牧場を退職したからである。退職させられた疑惑があるが、詳細は不明。
武田さんは退職した後、ファインモーションやトーホウジャッカルなどの名馬の育成を手がけていた。今ではGI馬インティの馬主になっている。
武田さんの方針は、長距離血統×長距離血統で、繁殖牝馬の良さを引き出す配合に徹すること。
曰く「遺伝は短所のほうが伝わりやすい。長距離系に短距離系をつけると、距離が持たない上にスピードがない駄馬が生まれてくる可能性が高い。だから長距離血統×長距離血統でさらにスタミナを強調させ、良さを引き出す」とのこと。
実際それでメジロブライトは成功したし、奇跡的にメジロドーベルみたいなスピードのある中距離馬も生まれた。
だが、武田さん退職後のメジロは牧場専務の岩崎氏の方針で一気に短距離血統に傾倒。その結果生まれたのがメジロベイリーとダーリングだった。とはいえベイリーは母の父マルゼンスキーから上手くスピードが遺伝した結果の産物で、ダーリングは海外血統。
繁殖牝馬は以前とさほど変わらぬまま。後にモガミの血が邪魔して失敗に終わる。サンデーサイレンスの血はモガミとの相性が最悪で、いい馬が全く生まれなかった。
オーナーの北野ミヤさんは100歳で大往生。跡継ぎの方は生産に全く興味がなく、それでも細々と生産を続けていたものの、2011年にメジロ牧場は解散となり、専務の岩崎氏が設備と繋養馬を引き継ぐ形でレイクヴィラファームとして社台グループ傘下に入ることになった。
こうして、ノーザンファームから配合やら育成やらで支援を受けられる状況になった。途端に、メジロの血を引く馬が重賞を勝ち出し、GI馬も生まれた。
この話はまた今度。
スプリンターズステークス
安田記念の大敗から3ヶ月半。ぶっつけ本番を嫌われたトロットスターは4番人気に甘んじていた。
しかし、馬体重をベストに戻したトロットは一世一代の全力疾走を見せる。
レースはメジロダーリングがすごいスピードで飛ばしていく。
2、3番手にいた馬は直線で失速、なのにダーリングは沈まない。これが牝馬の軽ハンデの強さか。
外から差しにかかるダイタクヤマト。以下後方待機勢はあまりの速さに追いつけない。はずだった。
ただ一頭、内から突き抜けた馬がいた。
200mのラップタイムが12秒を超えない死闘が続く中での上がり3F(600m)33.9秒。
限界を超えた先での走破タイムは、1:07.0。
サクラバクシンオーが残した1:07.1の壁《レコード》を壊したのは、トロットスターだった。
フラワーパーク以来、2頭目の春秋スプリント制覇。
最強スプリンター不在の時代に終わりを告げた馬、それがトロットスターなのだった。
彼自身は激走のあまりここで枯れたのだが、後続のスターたちが後に色々と伝説を残してくれたのでセーフ。
鞍上の蛯名はマンハッタンカフェでの勝利もあり、年間GI5勝。関東のトップジョッキーとして武豊と肩を並べる存在になった。(その頃武豊は海外でGI2勝、国内で3勝を挙げていた)
それよりも不憫だったのはメジロダーリングと田中勝春。強い走りは見せただけに惜しい。
メジロベイリーから2回連続で短距離GIを勝ち、第2期メジロの始まり…を告げることはできず、田中勝春もヤマニンゼファー以来のGI制覇はおあずけとなった。
メジロの馬がGIで勝ちそうになったのはこれが最後のこと。
マイルチャンピオンシップ
スプリンターズステークスで1番人気だった馬はここにいた。
夏の終わりの京成杯AHにて、芝1600m日本レコードを叩き出した馬、ゼンノエルシド。
馬っ気♂を出しながら新馬戦を快勝したその馬に関して、管理調教師の藤沢和雄先生はこう語った。
これは…どっちだ…?
能力か、欲棒か。
レースっぷりと藤沢先生の発言が話題になり、以降エルシドが出るレースのパドックでは「男を魅せろ!ゼンノエルシド」と書かれた横断幕が掲げられるようになった。漢なのか、男♂なのか…
ちなみにエルシドさんがうまだっち♂したお相手のマルターズスパーブは後にフラワーカップを勝ち、夏のラジオたんぱ賞でも2着と、非凡な成績を残していた。
同時期のエルシドさんは能力はあるんだけども勝ち切れず、条件戦で足踏みしていた。
というのもこの馬、男♂は強いが脚部は弱く、当時鞍上だった岡部さんがかなり気を遣いながら乗ってたため、思ったように勝てなかったのだ。
馬体が完成し、ちゃんと負荷をかけられる状態になったのは、マルターズスパーブがアメリカに転厩した4歳の時のこと。
そこから2勝クラス勝利を挟んで、GIIIを芝1600m日本レコードで勝利。あまりにも突拍子の無い圧勝。
で、スプリンターズステークスを1番人気を背負い直線で沈んでボロ負けすると、何としてでも結果が欲しかった陣営は、このシリーズでも何度も出てきてるスーパージョッキー、オリビエ・ペリエを鞍上にマイルCSへ。
結果がこれだ。
前が全然止まらない展開で抜け出した直線。
1番人気で追い込みを選択したダイタクリーヴァはまるで届かず。後方からすごい脚で差してきた2番人気エイシンプレストン以下を振り切ってゴールイン。
これがレコードホルダーの意地だ。
愛国紳士
ゼンノエルシド
父 カーリアン 母父 ドミニオン
18戦6勝[6-1-1-10]
主な勝ち鞍
マイルCS 京成杯AH
主な産駒 マイネルシーガル
00世代
ピルサドスキーの再来のような伝説の新馬戦から2年。名実共にピルサドスキーと同じGI馬という玉座に座したエルシドさん。
マイル前後で直線が長くない競馬場がお好きな彼には、マイルCSはおあつらえ向きのステージだった。
これはもう国内に敵はいねえ!となり、次走で香港マイルに飛び出したが、エイシンプレストンが強すぎた。
エイシンプレストンが香港年度代表馬のエレクトロニックユニコーンを3馬身以上突き放し圧勝した裏で、エルシドは14着に敗れていた。
輸送疲れを引きずったか、ピークアウトか、翌年からは全く走らなくなった。馬とはそういうものである。
一方そのころ、アグネスデジタルは神話になっていた。
日本テレビ盃→南部杯→天皇賞(秋)→香港カップときて、次に目指す先は…
フェブラリーステークス。
ゲームでも中々やらないローテ。
当時のフェブラリーは今と違って同時期に海外ダートGIがあまりなかったため、有力馬という有力馬が集いまくるレースだったのだが…
なんで勝てるんだよマジで。これにてGI4連勝。
お次はダートの頂点じゃーい!!と、ドバイワールドカップに挑み、ここで6着。
現地でのトラブルやら発熱やらがあってこの着順だ。連勝こそ途絶えたが、このレースで6着は価値があるということを念押ししておきたい。
ドバイWCは6着でも2000万くらいの賞金がもらえるし、輸送費はドバイ側の負担。つまりデジタルは2000万稼いで日本に帰ってきた…
かと思いきや、まだ国外にいた。
ダートがダメでも香港の頂点なら、ということで挑んだクイーンエリザベス2世カップ。しかし、ここで惜しくも2着。
香港馬は全員抜き去って粘ったのだが、外から飛んできたエイシンプレストンにあっさりと交わされてしまった。やっぱり香港魔王がNo.1。
そのあと、疲労が溜まり長期休養。なんと1年間を休養に充てる。
この年の宝塚記念はダンツフレームが勝者。デジタルが出ていればあるいは…と思わざるを得ない。
2002年の高松宮記念。
トロットスターがレコードを更新して半年。
シンボリクリスエスの秋二冠が印象的な年だが、記憶に残るレースが何度も見られた年でもあった。このレースもそのうちの一つ。
父が挑めなかった春の短距離GIの舞台。
桜の花が咲く頃に、その才能は開花した。
最速の血
ショウナンカンプ
父 サクラバクシンオー 母父 ラッキーソブリン
主な勝ち鞍 高松宮記念 スワンS 阪急杯
主な産駒 ラブカンプー ショウナンアチーヴ
01世代
ショウナン冠名初のGI馬。ショウナンの馬はこれからもちょくちょく活躍する。
カンプは強い馬だった。が、ムラの激しい馬だった。
脚部不安を抱えつつ負荷のかかりにくいダートで走った3歳を越え、4歳にして芝を走らせ連勝。
オーシャンステークスでは高松宮2着のディヴァインライトやダイワスカーレットの姉ダイワルージュ、GII勝ち馬キタサンチャンネルらを軽くあしらって勝利しオープン入り、そのままの勢いで高松宮を3馬身半つけて圧勝。
以降は勝つ時は圧勝、勝たない時はボロ負けの極端な走りを見せた。
ちなみにこの馬、3代母(曾祖母)がメジロの馬だ。5代母のアサマユリはメジロマックイーンの祖母であり、めちゃくちゃにメジロ血統だ。
4代母のメジロハリマも中山大障害勝ち馬、目黒記念勝ち馬、セントライト記念勝ち馬を輩出している。
しかし、メジロハリマ本人は芝1000mの未勝利戦しか勝ててない。これが配合の妙。メジロのスタミナの源泉は父方の血だったのだ。
故に普通の種牡馬を経由して、父はバクシン、母父はマイラー系種牡馬だったショウナンカンプは普通にスプリンターになった。
こんな感じでモーリスとグローリーヴェイズも生まれた。競馬史35話あたりに出てくると思うんでお楽しみに。
ちなみにこのレース3着のスティンガーはこれで引退。鞍上の田中勝春は2戦連続スプリントGI馬券内となった。そろそろ勝ててもいいのになあ…
さっきの高松宮のレースを見ていて、「あれ?この馬どこかで…」と思わなかっただろうか。
アドマイヤコジーン。
もうほとんどの人が忘れていただろう。99世代、つまりオペラオーやトップロードと同期の朝日杯勝ち馬。アドマイヤベガと同時期に2歳戦線を賑わせた馬だ。
(ここで書いてたっぽい)
彼は骨折でターフを去り、2年後に戻ってきた後も骨瘤が原因でまともに走れず、悔しい日々を過ごしていた。
そもそもこの馬の骨折は命の危険を伴うレベルで、3本のボルトで固定してなんとか、というレベルだった。
しかしそこは橋田調教師の執念。サイレンススズカとアドマイヤベガで悔しい思いをしたぶん、ここで諦める訳にはいかなかった。
復帰させて1年。良化の気配が見られないため、もう一度長期休養に出した。信じて待った半年間。
ここで引退させたらただの早熟馬。コジーンの強さはこんなもんじゃない。そう信じて送り出した結果、ようやく骨瘤の良化気配が見られた。馬も脚を気にする素振りを見せなかった。
これならばと挑んだ復帰初戦、東京新聞杯。
最後の勝利は3年前。12頭中10番人気。
しかし、ここでまさかの勝利。続く阪急杯も3馬身差を付けると、高松宮で2着。
脚元のモヤが晴れると同時に、眠っていた能力が一気に開花した。戻ってきた、と言った方が正しいかもしれない。
そして、安田記念。
2歳チャンプが世紀を超えてもう一度頂点に立つ。
そういう奇跡が起こっちゃうのが競馬なのだ。
猛追したダンツフレーム池添を振り切り、大きくガッツポーズを掲げたアドマイヤコジーン後藤浩輝。
今まで苦労を重ねてきたコジーンと、昨年ステイゴールドでやらかし、トプロ渡辺騎手を落馬させてしまい、猛烈なバッシングを受けた後藤騎手。
ただでさえキツいのに、彼は未だGIに勝てないでいた。思えば、どうしても勝ちたい、ここでいい所を見せてオーナーにアピールしたいという気持ちが空回ったのがあの京都大賞典だったのかもしれない。
それだけに、誠心誠意王道の競馬でGI初勝利を収めたこの安田記念がより一層輝いた。
54度目のGI挑戦、初制覇。レース後、アドマイヤのオーナー、近藤さんの胸に飛び込んだ後藤騎手の目には、涙が浮かんでいた。
第2回!!アイビスサマーダッシュ!!
唐突に来ましたけども。
本来であれば紹介する必要もないただのGIIIレースなんですが、この年は名レースなので取り上げます。
第2回の見どころは不滅のレコード。
サニーブライアンで名を馳せた大西騎手を背に、その馬はサラブレッドで最も光に近付いた馬となった。
レース中盤、200mを10秒切るペースでぶっ飛ばしたその馬の名は…
韋駄天
カルストンライトオ
父 ウォーニング 母父 クリスタルグリッターズ
36戦9勝[9-4-7-16]
主な勝ち鞍 スプリンターズS アイビスSD2勝
01世代
英語表記だとCalstone Light O。日本語だと文字数制限に引っかかりカルストンライトオ(ー)。
彼は1000mを53秒7という破滅的なスピードで逃げ切った。そして途中、200m地点〜800m地点くらいまではだいたい時速70kmを超える速さで逃げていた。
これぞツインターボが目指していた桃源郷。サラブレッドの完成形(ある意味で)。
20年経った今でも破られないその記録は、多くの競馬ファンの胸に残っている。
どれだけ名馬が現れようと、どんな記録を打ち立てようと、直線1000mでカルストンライトオに勝てる馬はいないのだ。
スプリンターズステークス
ジャンポケくんが泣いた東京競馬場の改装工事により、色々あって中山ではなく新潟競馬場で行われることになった秋のGI緒戦。なお、新潟でGIが行われたのは後にも先にもこの1回だけ。
1200mだと内回りコースなので言うほど直線は長くなく、割と中山に近い。ただし、割とである。
カルストンライトオくんがセントウルSで3着に敗れたため回避したこの舞台。ショウナンカンプとアドマイヤコジーンの2強対決かと思いきや、雪辱のヒロインが勝ちをもぎ取りに来た。
2月の山城ステークスでのこと。その馬は、今でいう3勝クラス、オープン入り直前で足踏みしていた。
鞍上は福永祐一。さすがに勝てるだろうと1番人気。
しかしダートから芝に転向してきたショウナンカンプに追い付けず2着。以降も3勝クラスで燻っていた。
4歳夏。復讐劇は始まった。
成長著しい馬体は脚力を向上させ、一線級のそれと同じ水準まで出来上がってきていた。
そこからは連戦連勝。1番人気、鞍上武豊。
信念の勝利。
オシャレガッツポーズが飛び出した武豊。
内にコースを取る好判断が明暗を分けた。
信念のスプリンター
ビリーヴ
父 サンデーサイレンス 母父 ダンジグ
28戦10勝[10-3-5-10]
主な勝ち鞍
春秋スプリント制覇 セントウルS 函館SS
主な産駒 ジャンダルム
01世代
プロフ見るとゲート嫌々強制縛付調教スプリンタージャンダルムの母というよこしまな目線で見てしまうが(2022年シルクロードSはメイケイエール、ジャンダルム、ビアンフェという癖馬たちに囲まれたまとも代表カレンモエちゃんが不憫と噂されていた)、このビリーヴは気性が荒いながらもまともに走っていた。
追記:ジャンダルムがGI勝てたからちょっと箔がついていい感じ
この後ショウナンカンプとビリーヴは香港スプリントに挑むも大敗。やはり香港短距離の壁は厚かった。
レースを見て思うのは、ビリーヴの強さはもちろん、アドマイヤコジーンが相当強かったということ。
コジーンは香港マイルを目標に、叩きのGIへ向かう。
マイルチャンピオンシップ
誰もがコジーンの勝利を疑わなかった。
きっとそれは陣営もだろう。
だからこそ、香港マイルを見据えて緩めに仕上げたのだと思う。
そういう時に限って、伏兵は牙を剥く。
王の血はここでも輝いた。
北海道で生まれ、盛岡で育ち、前途多難な道の末、中山と札幌で花開き、父が勝てなかった京都の大舞台で先頭を駆け抜けた、その馬の名は…
帝王の血
トウカイポイント
父 トウカイテイオー 母父 リアルシャダイ
37戦7勝[7-8-3-19]
主な勝ち鞍 マイルチャンピオンシップ 中山記念
99世代
コジーンは伸びがない。エイシンプレストンが追うが届かない。
11番人気の伏兵、トウカイポイントが勝利。
これがトウカイテイオー産駒初のGI勝利となり、マイルチャンピオンシップ史上初の勝ち馬が騙馬という珍事態となった。
そう、トウカイポイントはその気性の荒さゆえ長距離を使えず、長距離レースに出させるために去勢された。結果、なんやかんやでマイルGIを勝ったのである。
「それ去勢しなくてもよかったんじゃ…」と思っている読者の方も多いと思うが、書いてても同じ事を思う。
この後トウカイテイオーの産駒が全然勝てなかったこともあり、「ポイントが去勢されてなかったら」というたらればは語り草になっている。
クワイトファインが何とか血は繋げてるけど、果たしてどうなることやら。
この後、トウカイポイントとアドマイヤコジーンで香港マイルに挑むも、3着4着と惜しい結果に。
香港カップに挑んだエイシンプレストンも5着に敗れ、あの年は奇跡でしかなかったのだと思われた。
なお、マイルCSで引退となったディヴァインライトが種牡馬としてフランスに輸出され、1000ギニー(桜花賞の元ネタ)と2歳牝馬1200mGIチェヴァリーパークS勝ち馬ナタゴラを輩出し、トルコにトレードされ、現地で種牡馬リーディング2位になったのは余談。
そして、アドマイヤコジーンも香港マイルをもって引退。種牡馬として、最近ウマ娘に追加されて話題のアストンマーチャンを輩出した。
アストンマーチャンも嫌なところで父に似て、現役時代に悲劇に見舞われてしまうが…それはまたの機会に話したい。
さて、時は流れ2003年。
ようやく新しい年に入ってきた。
高松宮記念
時代の変わり目を告げる大きなレースになった。
馬だけ見ればただのスプリントGI2連勝。(ただのって言う割には偉業だけど)
このレースで特筆すべきは鞍上。武豊じゃなく安藤勝己だ。
アンカツさんはこの年、日本初の地方から中央に移籍した騎手となった。
そして、今回のビリーヴは武豊が乗れなくなったから回ってきたチャンスだった。
オグリキャップ(中央時代)の騎手からオグリキャップ(笠松時代)の騎手へ繋がれたバトン。
中央に移籍してわずか1ヶ月でGI制覇。
それも、当時は年1回だった地元笠松に近い中京競馬場でのGIで勝てた。
たった1回のチャンスをものにしたアンカツさん。やっぱすげえよ。
当時の競馬ファンの間では、ペリエ、武豊、アンカツが飛び抜けて上手いという認識があったらしい。実際そう。
これからアンカツさんは事ある毎に嘘だろって騎乗で勝ちに来る。彼はTwitterで呟いてYouTubeで犬と戯れてニコニコしてるだけのおじさんではないのだ。
勇者の凱旋
クイーンエリザベス2世ステークス
昨年は負けてしまった香港カップ。しかし香港魔王は再び凱旋の勝利を挙げた。
こんなガビガビ画質でもわかるくらい強い勝ち方。
史上初、日本馬の海外GI連覇。
めちゃくちゃすごいことなのに影薄いのは日本で勝ててないからなんだろうな…GI2着には来てるのにな…
なんでプレストンがこんなに香港で強かったかというと、当時の香港は日本より芝がソフトで、それがプレストンととにかく相性が良く、別の馬みたいに走りが変わったらしい。
今の日本の馬場は間違いなく昔よりソフトなので、今生まれてたら日本で無双できてたかもしれない。
なんにせよ、どうにかウマ娘でテコ入れして認知度を上げて欲しい馬だ。
さっきのは(香港)魔王の凱旋。語りたいのはこっち。
安田記念
もう終わったかと思われていた勇者は、最後の力を振り絞った。
アグネスデジタル、復活。
戦線を彩るライバル達にも見慣れない顔が増えた。
それでも、新世代のトップ2頭を根性で抑え込んだ。
実に1年と4ヶ月という長い期間を超えて、再び王座に舞い戻ってきたデジタル。これでGI6勝目。
ここまでが決して順風満帆という訳では無かった。
アグネスデジタルが名馬である理由の一つは白井厩舎にある。
デジタルが伝説になったのは4歳の秋からと言われているが、思うに伝説はもっと前から始まっていた。
ダイタクリーヴァを凄い脚で差し切ったマイルCS。あれが全盛期の始まりだった。
世の中には2パターンの名馬が存在する。
1.自分の限界を知っていて、全力を出し続けることなく、少し力を抜いて勝つ馬。
2.何があろうと全力で、圧倒的なパフォーマンスを見せるものの常に故障と隣り合わせの馬。
ルドルフやオペラオーが前者だとすると、ブライアンやクロフネが後者。
そして、デジタルも後者サイドの馬だった。
マイルCSでリーヴァをすごい速さで抜き去り、やばいと思ってブレーキをかけた的場騎手だったが、結構な負担と見えない疲労がかかっていたのも事実。
だから軽めにトレーニングを済ませた京都金杯でも球節炎を発症した。
ここで負荷をかけていたらそこで引退だったし、ここで限界を知れたから未来に繋がった。
数ヶ月の休養を挟み出た京王杯SCと安田記念。
馬体重は全盛期よりかなり増えていた。
陣営は恐らく、「勝てないもの」と割り切って、調教代わりでレースに出ていた。
「勝てないなら出さなきゃいいじゃん」と思われるかもしれないが、仮に出さなかったとして、長期休養の間もデジタルがレース勘を失わないという保証がない。
今みたいにハイレベルな外厩(レース出たくらいの負荷と高品質なトレーニングを積める施設)があったわけでもなく、脚元の弱さがあるから夏も使えるレースが限られてくる。
GII札幌記念は洋芝。寒い土地でも枯れないような固い芝が生えている。
他の夏のGIIIは全てハンデ戦。GI、GIIを多数勝ってるデジタルは、出走時に重いハンデを課される。京都金杯もそうだった。
そのため、春2戦を消化し、秋の日テレ盃に備えた。
日本テレビ盃は当時はGIII別定戦で、デジタルもトップハンデを課されることは目に見えていたが、ノボトゥルーくらいしか有力馬がいなかったため思い切って出走して圧勝。そこからは連戦連勝。
厩舎の判断が少しでも違っていればこんな伝説は生まれていなかったし、何よりクロフネもデジタルのせいで天皇賞から弾き出されなければあんなことになってなかった。
GI4連勝という滅多に見ない功績と、地方・中央ダートGI、中央・海外芝GI制覇という今後一生見ないかもしれない勝ち鞍を掲げたデジタル。
2021年12月。勇者はこの世を去った。
しかし、彼が歩んだ途方もない非現実的な英雄譚は、死してなお我々の記憶に残り続ける。
聖剣と騎士
ここからは戦場を選ばない真の勇者さんが引退してもマイル路線は安泰だったよ〜というお話。
まずはさっきの安田記念で3着だった馬を紹介したい。
天鵝騎士
ローエングリン
父 シングスピール 母 カーリング
主な戦績
中山記念2勝 マイラーズC2勝
2着-🇫🇷ムーラン・ド・ロンシャン賞 毎日王冠
3着-宝塚記念 安田記念 🇭🇰香港マイル
主な産駒 ロゴタイプ トーセンスーリヤ カラクレナイ
02世代
(天鵝騎士は香港馬名で“白鳥の騎士”の意。これは元ネタのローエングリンがそう呼ばれていることから)
ローエングリンはボリクリ世代の馬で、クラシック期はなかなか不思議なローテーションで過ごした。
皐月賞、ダービーを回避し、宝塚記念でダンツフレームの3着に食いこんだのだ。
3歳馬が馬券内に食い込むってなかなかない。
で、神戸新聞杯と菊花賞はボロ負け。どうやら距離の壁だったらしい。
そして4歳になり東京新聞杯2着、中山記念1着、マイラーズC1着、安田記念3着、🇫🇷ジャック・ル・マロワ賞10着、🇫🇷ムーラン・ド・ロンシャン賞2着(!?)…
ローテがバグってはいるが、とりあえず日本のマイルGIよりヨーロッパのマイルGI走ってた方が強い馬らしい。
でもGIではいつもいいとこまで行って勝ち切れないため、テレグノシス、ローエングリン、バランスオブゲームでGII大将組みたいな感じで扱われていた。
(テレグノシスに至ってはGI勝ってるのにかわいそう)
唐突だけど質問。
正直、今までの競馬史を読んでいて、「スプリントのレースだけど思ったより速そうに見えないな…」って思ったこと、何回かないだろうか。
あると思います。
思うに2003年が短距離界の転換点。
この年のこのレースから、ある馬の走りから、短距離が劇的に変わる。
スプリンターズステークス
この馬のレースを見ずにスプリンターは語れない。
名実共に切れ味抜群。誰しもを魅了する豪脚中の豪脚。その剣の名は…
聖剣
デュランダル
父 サンデーサイレンス 母父 ノーザンテースト
18戦8勝[8-4-1-5]
主な勝ち鞍 マイルCS連覇 スプリンターズS
主な産駒
エリンコート プレイアンドリアル
母父としての主な産駒
チュウワウィザード トーセンスーリヤ
02世代
奇跡の追い込み、名刀の切れ味。圧倒的速さ。
スプリントで1頭だけこんなスピードで駆け抜けるって並大抵の馬ではない。
上がり3F、33.1秒。
ちなみにグランアレグリアのスプリンターズステークスで33.6秒だ。桁が違う。
鞍上は池添謙一。今では気性難&追い込み馬専門家みたいな立ち位置になってしまっているが、そのきっかけはデュランダルである。
デュランダル自体も馬込みに入るとよろしくないため、外から差し切るしかできない馬だった。
スイープトウショウもそうだった。
ドリームジャーニーもその類だった。
オルフェーヴルも掛かるから外から差した方がよかった。
メイケイエールは正解が分からない。
カレンチャンだけはまともで強かった。
(これだけの馬相手にしてよく無事でいられてるよなこの人)
ここから池添騎手はデュランダルと共にGIを駆け抜ける。
そしてどんどん日本競馬は“今”に近付いていく。
台頭するクラブ系馬主、激強追い込み馬、牡馬と互角に戦える牝馬、外国人ジョッキーの隆盛…
そして日本競馬は海外の頂点へ。
次回、宇宙と愛と。
これが日本の強さだ。
まとめ
まさかまさかのアストンマーチャン実装で、それならってことで短距離だけでまとめた割に文章量が地獄。
でも思ったよりウマ娘絡みで書けて満足です。
次回はエアグルーヴの娘ちゃんとファインモーションがチラッと登場します。
早めに出したいところです。
それでは。