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ツルニャンスキー「スマトラ」日本語訳
ミロシュ・ツルニャンスキー(Miloš Crnjanski, 1893~1977)は現代セルビア(ユーゴスラビア)文学の代表的な作家の一人。『移動』(Seobe, 1929)のような小説の他に、詩でも人気を博しており、一番有名な詩集に『イサカ詩集』(Lirika Itake, 1919)がある。私がツルニャンスキーが好きになった個人的なきっかけは彼の訳詩集、『中国詩集』と『日本の古歌』(Antologija kineske lirike, 1923, Pesme starog Japana, 1928)を読んだことだ。「詩集」とは言っても、孔子や老子、松尾芭蕉まで、幅広い作家を彼は紹介し、私を高校時代に東方の古典へ誘った。ちなみにツルニャンスキーは日本語も中国語も知らなかったが、注釈を参照しながらフランス語訳やラテン語訳を入念に重訳し、独特な詩的感覚をもってセルビア語としても非常に美しい詩文にした。
(全くの偶然ではあるが、彼も特別に白居易が好きだったと書いている。少し漢文の経験を積んで独自に白居易が好きになってから初めてこの事実に気づいたが、あるいはずっと無意識にツルニャンスキーに導かれていたかもしれない。)
今度は『イサカ詩集』の中でも有名な「スマトラ」を訳した。詩の中の「スマトラ」は、地理的なスマトラというより、精神的な避難所の役割があると思われる。第一世界大戦を経験し、実際に従軍もしたツルニャンスキーは、彼の同世代の多くの詩人・芸術家と同じように、過去の世界観への信用をなくし、新しい表現と哲学を模索した。彼の東方趣味や「スマトラ」に見られる遠方への憧れはその現れだといえる。
以下、「スマトラ」の日本語訳とセルビア語原文を載せる。
スマトラ
我らにもう憂いはない
無心に軽くやわらかく
思うはただ 雪に覆われた
ウラルの静けさ
悲しむな あの夜失せた
淡く恋しいおもかげは
はるか彼方で一本の
小流れと化した
異邦の朝な朝な
愛のひとつひとつが
たましいを包んでいく
故郷のさくらんぼのように
赤い珊瑚をちらつかせた
青い海の果てしない
平穏をもって
夜中起きてやさしく
触れよう 遠い山に
凍りついた嶺に
ただ微笑んで 弓張月の
いるにまかせて
Sad smo bezbrižni, laki i nežni.
Pomislimo: kako su tihi, snežni
vrhovi Urala.
Rastuži li nas kakav bledi lik,
što ga izgubismo jedno veče,
znamo da, negde, neki potok,
mesto njega, rumeno teče!
Po jedna ljubav, jutro, u tuđini,
dušu nam uvija, sve tešnje,
beskrajnim mirom plavih mora,
iz kojih crvene zrna korala, kao,
iz zavičaja, trešnje.
Probudimo se noću i smešimo, drago,
na Mesec sa zapetim lukom.
I milujemo daleka brda
i ledene gore, blago, rukom.
*ツルニャンスキーは『スマトラ解』(Objašnjenje Sumatre)というマニフェストも残している。この詩の成立背景と、「スマトライズム」と呼ばれるツルニャンスキーの思想が説明されている。ただ、それを訳すのも日本語で解説するのも今の自分には無理難題なので、より有能な訳者か、十分暇がある時期を待つしかない。